僕は中学生の頃にかなり無理をして写真を始めたが、そのころは加古川市に在していたので、先ずは加古川橋梁の様子から。
山陽新幹線0系、当時は単に新幹線電車というだけで系列での呼び方はしていなかった。
サイド、昨今のデザインと比すと隔世の感がある。
高砂線普通列車が山陽電鉄の電車を追う。
高砂線、国鉄工場への配給列車。
山陽本線を堂々と走るクモニ83形。
加古川線、橋梁中間部分が流出する以前の写真だ。
その加古川線、野村駅での乗降風景。
今の新西脇駅だ。
ここからは当時地元だった宝殿駅付近で。
153系新快速、低運転台のクハが好きだった。
新快速の車両は朝夕には12連になり快速として使われたが看板には三本線が入った。
EF66、2号機がけん引する高速貨物列車。
撮影している場所は線路わきの橋梁部材などを置く場所だった。
新快速に新型車117系が入る、その展示のための回送列車。
スロ54・スロフ62によるオールグリーン団体列車。
構内に留置中の20系客車。
波動用の車両が疎開留置されることが多かった。
夜の宝殿駅、通過する153系急行「鷲羽」。
寝台特急「富士」
駅長さんの許可と駅員さんの監視の下、撮影させてもらえた写真。
宝殿駅から西方1キロ、法華山谷川を渡るあたりは長閑な田園地帯だった。
新車の試運転をする201系。
走る117系新快速。
当時、珍しい機関車だったEF61、2号機牽引荷物列車。
貨車に見えるが次位以降の車両は客車列車としての運用だった。
姫路駅ホーム風景、583系特急が発車していくが手前の新快速も動き出しているのだろう。
播但線ホームにはDD54の姿が。
折り返す新快速に乗り込もうとする乗客、先頭車はクハ165だ。
姫路機関区のDD5433号機、今、京都鉄博にいる機関車だ。
兵庫県北部、城崎駅俯瞰。
去っていくキハ80系特急「まつかぜ」食堂車を連結した13連、堂々たる編成だった。
餘部駅の少年たち、列車は後追い。
普通列車から下車する女子中学生。
日本の心象風景といっても過言ではない。
キハ80系特急「あさしお」が余部橋梁を渡る。
こちらは特急「まつかぜ」、背景は切り立った崖。
武田尾旧線、大江トンネル上からのキハ181系「まつかぜ」俯瞰。
冬の渓谷を行く12系普通列車。
こちらはキハ28・58系急行列車。
須磨海岸、113系快速、まだまだ非冷房だった。
103系普通、当時としては夏は113系より103系のほうが同じ非冷房でもマシに感じたものだ。
京都駅、1番線に入線する485系「雷鳥」
大阪駅に快速が入る直前、20系特急「つるぎ」と出会った。
大阪駅、485系「雷鳥」と福知山線客車普通列車牽引のDD5430が並ぶ。
寝台特急14系「日本海」が大阪駅着、いまに比すとファンは少なかった。
紀勢本線各駅停車、南部の次の岩代駅、このまま谷山浩子女史の「テングサの歌」歌詞出だしになる。
停車するのは12系客車列車の後尾にマニ50をつないだ普通列車。
通過する381系特急「くろしお」
北海道、東北、九州の写真を少し。
白石駅近く、豊平川にて、711系100台が行く。
特急「ライラック」781系、このころはまだ6連だった。
三沢駅近く、485系「はつかり」
こちらはED75けん引荷物列車。
鳥栖駅にて、すべて形式の異なる気動車普通列車。
最後は美しいキハ28・58系急行気動車編成で。
東園駅近く、列車は間合い運用の通勤用普通列車だ。

