2024年01月17日

レールバスの走った名鉄線

名鉄のレールバスが写った古いポジを見つけ、デジタイズスキャンした。
そして今回は、これにアーカイブスの中から関連写真を抜き出し、かつて名鉄が経営合理化のために富士重工製レールバスを導入した線区を見ていきたいと思う。

最初にレールバスが投入されたのは昭和59年9月の八百津線だ。
長閑な里の風景の中を走るレールバスは当時の最新車両という割には風景に溶け込んでいた。
物珍しさに早速見に行った。
明智駅に停車しているキハ10形。
富士重工製Le-Carの最初の導入例だった。
名鉄明智キハ10形.JPG

停車するキハ10形。
八百津線明智キハ10.JPG

単行レールバスは12分ほど走って終点に到着した。
八百津駅だ。
名鉄八百津駅 (1).JPG

駅の近くで少し撮影をした。
秋の風情、訪れたのがレールバスに置き換え直後であることを示している。
名鉄八百津線キハ10.JPG

ススキとレールバス。
名鉄八百津線キハ11ススキ.JPG

快走するレールバス。
名鉄八百津線キハ11.JPG

多分この時に、間もなく非電化されると聞く三河線に向かったのだろうと思う。
地下鉄を経由して開通したばかりの豊田新線で・・
梅坪駅の様子。
名鉄豊田線梅坪100系2740.JPG

三河線の奥へ・・
西中金駅近くで少し撮影している。
6800系2連。
三河線西中金6800系2連ー4 (1).JPG

その反対側。
三河線西中金6800系2連ー4 (9).JPG

HL3730系。
三河線西中金3730系.JPG

そしてここには翌年春のレールバス投入後に再訪している。
猿投駅にはいるキハ10形。
三河線猿投キハ10入線.JPG

乗降風景、驚くほど多くの乗客が乗り込んでいた。
三河線猿投キハ10.JPG

発車風景。
三河線猿投キハ10発車.JPG

西中金駅。
三河線西中金キハ10.JPG

そして三河広瀬駅。
名鉄三河線三河広瀬駅舎正面.JPG

角度を変えて・・
名鉄三河広瀬駅斜め.JPG

三河広瀬でのキハ10形。
名鉄三河線広瀬キハ10形.JPG

時間的余裕がなかったのだろうか・・これ以外の写真は見つかってはいない・・

そしてこれは多分別の日、数年を経た後だと思うが三河線海線を訪問していた。
碧南駅、車両が少し大型化されたキハ20形だ。
三河線碧南キハ20.JPG

この列車に乗って吉良吉田へ行ったようだ。
ようだと書いたのは、記憶が消えているからで、この写真を見つけるまでは自分では三河線海線の廃線区間に乗っていないと思っていた。
後にキハ30にも乗ったはずだがこちらは記録が出てこない。

吉良吉田駅。
三河線吉良吉田キハ20.JPG

さてここ数年、名鉄各線の再訪をしているが、三河線には蒲郡線のついでに行くことが多い。
現在の吉良吉田駅、蒲郡線乗り場はかつての三河線ホームだ。
0627名鉄吉良吉田駅旧三河線跡.JPG

そのホームに停車する蒲郡線6000系ワンマン車。
0825名鉄吉良吉田6000系ワンマン.JPG

白帯車も来る。
1204吉良吉田名鉄6011停車.JPG

現在の碧南駅、入線する6000系更新車。
0627名鉄碧南駅6034入線.JPG

海線廃線区の代行バス。
この日はものすごい乗客でこれなら電車を残したほうが良かったのではと思った。
0627名鉄吉良吉田駅三河線代替バス.JPG

かつての三河線風景も少し。
名古屋方面と直通していた碧南行き急行。
ラッシュ向きの3550形だ。
知立3552急行碧南.jpg

100系の山線急行。
名鉄100系知立.jpg

かつての三河線、普通に使われていた白帯7700系。
名鉄7700知立.jpg

梅坪駅の今。
名古屋市営地下鉄はすでに開業時の車両からは三世代目になる。
1011梅坪名古屋市交N3108.JPG

豊田市・・名鉄電車が並ぶ。
1011名鉄豊田市200系6000系.JPG

名古屋市営地下鉄と名鉄の並び。
1011豊田市名鉄6014・名古屋市交N3101.JPG

知立・・
高架工事たけなわだ。
0402知立高架工事.JPG

その工事中の知立に進入するパノラマスーパー特急。
1011知立1000系進入2.JPG

広見線明知駅・・
0202名鉄明智駅舎.JPG

構内、今はさらに工事がなされ、完全に棒線化されている。
0202名鉄明智駅構内.JPG

かつての八百津線代行バスは今も健在。
明智とうてつバス。
0202明智とうてつバス八百津行き.JPG

桜の三河線、平戸橋駅。
0402平戸橋名鉄6000系入線.JPG


里の風景。
失ったものはもう取り戻せない。
あの頃、ローカル線を思い切ってばっさり切り捨てた名鉄だが、揖斐線岐阜寄りの区間や美濃町線関以南などと合わせ、三河線海線の一部廃止はやり過ぎだったと思うし、さてこれからどうするのかという名鉄の長期的な視点も欠けていたような気もする。
名鉄八百津線キハ10寺院前.JPG

時として斬ることが経営者の仕事となるのは理解できるが、それによって離れた人心はもはや帰っては来ない。
代わりに建設された中部国際空港への路線は確かに大勢の一元客を取り込み、名鉄の経営安定には寄与したのだろう。
だが捨てられた地域住民はその恨みを忘れることはない。
地域に根差さない鉄路の未来とはどんなものなのだろうか。
今も蒲郡線、広見線末端区間の廃止が取りざたされているが本当にそれでよいのか、今一度、経営陣には踏みとどまってもらいたいとワタシは思っている。
posted by こう@電車おやじ at 22:37| Comment(3) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月23日

宗谷本線勇知、デジタイズスキャンで蘇る・・

(本稿の写真は以前にエントリーしたものが多くなっていますが、今回はデジタイズアダプターでスキャン、高画質なデータをPhotoshopで加工したもので写真類の一新をしています)
昭和62年6月、傷心から、いったん何もかも捨てて北へ渡った僕は、それでも鉄道を楽しもうとする自分にも半ば呆れてはいた。
だが、心を無にし、素直に列車に乗ること、列車を見ることは傷ついた心を癒す大きな力になったのもまた事実だった。

広い北海道を当てもなく列車に乗る。
一気に行った稚内ですぐに折り返し、キハ56を両運転台改造したキハ53504の普通列車で勇知という駅で降りた。
勇知キハ53504.JPG

駅舎は車掌車がぽつんと置かれているだけだ。
だが、脇の暖房装置が北海道を物語る。
勇知駅舎.JPG

駅の周りを歩いてみた。
花が盛んだ。
北海道の春は一度にやってくる。。
開花前のルピナス。
勇知ルピナス.JPG

こちらは開花したもの。
勇知ルピナス 開花.JPG

ムラサキツメクサ。
勇知ムラサキツメクサ.JPG

デイジー。
勇知デイジー.JPG

駅すぐ近くに牧場が見える。
勇知牧場.JPG

構内、ただの棒線駅だ。
だがこの味わいはどうだ。
勇知構内.JPG

急行「宗谷」が来た。
先頭はDD511093、前2両が寝台車、後ろ4両が座席車で、この当時は夜行列車と昼行列車を同じ車両で運行する編成があり、寝台車は座席指定として使われた。
コンパートメント式の座席指定・・ついぞ乗らずに終わったが如何にも北海道らしい列車だと思う。
勇知DD511093宗谷.JPG

機関車の次位はスハネフ14だ。
勇知DD511093次位スハネフ14.JPG

スハネフ14・オハネ14と続いてオハ14となる。
勇知DD511093スハネフ・オハネ.JPG

昼間のブルートレイン、なぜこういう北海道らしい列車を残しておいてくれなかったのだろう。
勇知14系宗谷後尾.JPG

遠くへ過ぎていく列車。
勇知急行宗谷遠望.JPG

キハ40がやってきた。
キハ40228、この当時としてはまだ新車の香りが漂っていた。
勇知キハ40228遠望.JPG

接近する。
勇知キハ40228.JPG

去っていく単行気動車。
勇知キハ40228後追い.JPG

この時以来、未だに宗谷本線には乗れていない。
いつか時間的精神的に余裕ができたなら乗りに行きたい、そしてもう一度再訪したい宗谷本線勇知である。
posted by こう@電車おやじ at 22:34| Comment(0) | JR化後の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月19日

デジタイズアダプターで蘇るパノラマカー

Nikonから、かつてのスライドコピアの代わりに「デジタイズアダプター」なるものが発売されているのを知ったのはもうずいぶん前になる。
確かD850と同時に発売されたものではなかったか・・
で、梅田の中古カメラ屋を久しぶりに覗いたら、ワタシが普段、鉄道写真に使っているDXタイプレンズの、マイクロニッコールDX40ミリの出物があった。
準新品、保証書付きで通常の中古よりはやや高いものの、これは「買い」と判断したわけだ。
すると、このレンズだと「デジタイズアダプター」がそのまま装着できることに気がついた。
そこで、さすがにこの手のものは中古カメラ店にはなかったので近くの大手カメラ量販店に向かう。
冷やかし程度に話だけでも聞いてみようと思ったのだが、応対してくれたSTAFFは非常に知識が豊富で、しばし話をした後「たぶん、在庫ありますよ」と言って、探してくれた。
これはもう買うしかない・・・
そうして持ち帰る直通特急の車内からもう楽しみになってきた。
Nikonデジタイズアダプター.jpg

帰宅して早速、これまで露出が不足気味のポジやネガのうち、好きな列車が写っているものをスキャン・・というか複写してみた。
使える!
この商品の売価はたかだか15000円少々で、なぜいままで、その存在があるのを知りながらも手を出さなかったか後悔もする。
これならこれまでのスキャナーでは表現できなかった写真が蘇りそうだ。

せっかくなのでコダクロームで露出不足という、これはさすがに当時としては無謀だった撮影のコマから・・
名鉄をアップしてみる。

河和線阿久比と椋岡の間あたりだろうか。
椋岡という駅は廃止されて久しい。
ここで撮影したコダクロームの露出がかなりだめで、撮影時刻も夕方に近かったのだろうが、トライエックスなら十分に撮影出来たシーンだ。

パノラマカー7000系白帯車が行く。
名鉄椋岡7000白帯サイド.JPG

その後追いだろうか。
名鉄椋岡7000系白帯01.JPG

こちらは7000系の一般車、7037と読めるがはてさて・・
名鉄椋岡7037サイド.JPG

パノラマデラックス8800系のサイド。
名鉄椋岡8803サイド.JPG

パノラマデラックスが去っていく。
名鉄椋岡8800系.JPG

OR系と呼ばれた3900系が4連で行く。
名鉄椋岡3900系4連.JPG

こちらは富士松駅近くだと思う。
肝心のお顔に継電箱がかかっているが、7500系と7300系が出会う。
名鉄富士松7500・7300.JPG


7500系のサイド、美しい電車だ。
名鉄富士松7500サイド.JPG

同じ編成の反対側だろう。
名鉄富士松7500サイド2.JPG

5700系、6連貫通編成。
名鉄富士松5700系6連.JPG

以前にも出しているが再スキャンしてみたパノラマカー7000系のシルエット。
名鉄富士松7000シルエット.JPG

犬山橋。
7300系、露出アンダーの典型的な写真だが、荒れはするもののなんとか見られるようになった。
名鉄犬山橋7300系.JPG

犬山の看板を付けた新鵜沼行き白帯車特急。
名鉄犬山橋7000系特急犬山.JPG

新鵜沼駅に引き込まれて行く・・
名鉄新鵜沼7000系特急犬山.JPG

こちらは7500系。
名鉄新鵜沼7500系.JPG

岡崎の看板を付けた、通常の7000系による特急。
名鉄新鵜沼7000特急岡崎.JPG

8800系がヘッドライトを強くしてやってくる。
名鉄犬山橋8800系.JPG

石刀駅近く。
7500系7515が来た。
看板が大きくて目立つ編成だ。
名鉄石刀7515編成.JPG

7515のサイド。
名鉄石刀7515サイド.JPG

こちらは登場したばかり5700系トップナンバーだ。
名鉄石刀5701.JPG

犬山駅の夜景。
7500系の河和特急。
名鉄犬山駅夜景7500特急河和.JPG

5700系。
名鉄犬山5607夜景.JPG

6800系だろうか。
名鉄犬山6800夜景.JPG

7300系と5700系が並んだ。
OR7300系は常滑行き急行だ。
名鉄犬山5700・7300急行常滑夜景.JPG

こちらは原版がネガだ。
神宮前駅の夜。
白帯車の犬山行き普通。
名鉄神宮前夜景7000白帯普通犬山.JPG

それの後追い・・白帯車は朝・夜にはこういった運用も見られた。
名鉄神宮前夜景名鉄7000白帯普通犬山後追い.JPG

弥富行き準急は7000系。
名鉄神宮前夜景7000準急弥富.JPG

本来の特急運用、白帯車の河和特急。
名鉄神宮前70000白帯特急河和・6000.JPG

ポジ原版に戻って支線を・・
八百津線の風景を行くキハ10形。
名鉄八百津線キハ10寺院前.JPG

三河線末端区間のキハ10形2連。
名鉄猿投キハ10形2連.JPG

西中金付近を行く、HL3750形。
名鉄西中金3750.JPG

この小さく安価なアクセサリーは、本当に保有するフィルムを再現するだけでなく、補正、修整を加えれば当時はプリントを諦めていたカットにでも応用できることが分かった。
パノラマ先輩後輩の連結部分をデジタイズアダプターで再現。
名鉄乙川1000+7000.JPG

最後に、何処の駅か分からない・・・小駅を通過する7500系を。
魂当時としてはほとんど不可能だった夜の列車走行シーン、それでもシャッターを押した自分自身。
それだけ、パノラマカーが好きだったのだろう。
スキャンではなく、好っきゃん、名鉄パノラマカーだ。
名鉄夜景駅不明7500.JPG


posted by こう@電車おやじ at 09:45| Comment(0) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年09月20日

DMH17 系エンジン搭載車の優しさ

優しいといってもこれは単に乗客としての想いであり、現場の保守の苦労の事ではない。
加古川線厄神キハ20・35・30.JPG

国鉄気動車は長年、DMH17系という8気筒のディーゼルエンジンを搭載、これは一般型から通勤型、急行型、特急型にも及び、決して燃費や高速性能、登坂力に優れたエンジンではないが、安定した性能で扱いやすく、それゆえか私鉄にもこのエンジンを搭載した車両が供給されてもいた。
DMH17系エンジンの技術的なことは僕では分かりかねるが、国鉄気動車が作ってくれたあの優しい雰囲気をふっと思い出すことがある。
今現在の気動車は高出力・高燃費がうたい文句で、気動車の性能ももはや電車を超えるレベルにまで高まってきている。
だが、豪快な加速や淡々と苦も無く坂を登る様子は国鉄DMH17系時代には見られなかった。
「からからから」と優しいアイドリング音、勾配線区ではまさに息を切らせて必死に坂を登ろうとするエンジンの精いっぱいの唸り、都市部の幹線では高性能の電車から逃げる必死の高速運転をしても快速電車などに道を譲る。
キハ58急行須磨1.JPG

不思議と初期のキハ10系・20系あたりは別として、キハ20の後期型、キハ26、キハ28、キハ35と進化することで乗り心地は同じ鋼製ばね台車を履いた電車より柔らかで、急行型には長時間の乗車も当時としてはそれなりに快適だった。
特急型にも同じエンジンを載せ続けたのはやり過ぎとも思えたが、安定こそ特急用の最大の要件とすれば納得するものがある。
S54餘部キハ82まつかぜ.JPG

DMH17系エンジンは戦前のガソリンエンジンGMH17からの進化だ。
つまり、国鉄が気動車の大量生産を行い、このエンジンも大量に使用された時には既に旧式になっていたともいわれる。
その旧式エンジンも改良を重ね、キハ35・28・80以降は横型とされ、室内から点検蓋が消え、車内の静音が大いに進んだ。

DMH17系エンジンを最初に本格採用したのはキハ42500で、これは後のキハ07にあたる。
国鉄のキハ07の走行シーンを見ることはなかったが、私鉄用に製造された若干スマートな鹿児島交通キハ100形を。
鹿児島交通キハ102 (2).jpg

こちらは片上鉄道のキハ700形で、国鉄キハ42000→07出自だ。
一両が今も吉ヶ原で動態保存されている。
片上西片上キハ702.JPG

国鉄としては大々的にこのエンジンを改良して大量増備に踏み切ったのがキハ10・17系だろう。
それにはもちろん、液体変速機の成功という面がある。
篠栗線快速のキハ10。
篠栗線キハ1083.jpg

こちらは姫路駅でのキハ17。
キハ17312姫路.jpg

片町線祝園付近を行くキハ10と20の2連。(画像はカラー化している)
祝園キハ10・20カラー化.jpg

加悦鉄道に転じたキハ10。
加悦鉄キハ1013.jpg

気動車をローカル線だけのものと捉え、あからさまにコストダウンを図ったキハ10系は、速度の面ではともかく、粗悪な台車DT19による乗り心地や、幅の狭い車体、ピッチの小さく背もたれの低い座席など居住性での評判は芳しくない。
そこで準急用として居住性を大幅に改善したキハ26・55系が登場。
夏予讃線多度津キハ26.jpg

この形式は扱いやすく、私鉄向けにも登場した。
島原鉄道。
島原キハ5501大三東.JPG

南海電鉄の国鉄乗り入れ用。
南海キハ5500.jpg

昭和30年代初め、蒸機列車に比して大幅な速達化を図った列車は大好評となり気動車による優等列車を望む声が大きくなっていった。
また一般気動車でも客車並みの居住性を求める声が大きくなっていった。

そこでキハ26とほぼ同じアコモを持ち、ラッシュ輸送もある程度加味したキハ20系が出る。
だがまだ台車はキハ10系と同じ粗末なDT19だった。
高砂工場内で。
新高砂工場キハ2087ほか.JPG

キハ20は増備の途中で台車が変更され、車体内外の見付も変わった。
この時代のキハ20一党が国鉄気動車の最高傑作であろうと僕は思う。
国鉄設計の良心が集まってできた名車ではないか。
予讃線のキハ20系の5連。
キハ20多度津.jpg

そして満を持してキハ28・58一党の登場だ。
キハ26を一歩進め、当時の電車や客車と遜色を感じさせない広幅車体、急行型としての幅広の座席、そして新開発の横型エンジン。
こと、急行に関しては電車急行とさほど変わらぬ居住性を発揮した。
余部橋梁にて。
キハ58後期余部橋梁.jpg

グリーン車の外観も洗練された。
松江にて。
松江キロ28急行.jpg

北海道形キハ27・56による長距離急行「宗谷」、稚内・函館を結ぶ列車だった。
キハ27・56急行宗谷.jpg

長崎本線、急行の間合い運用の列車が通勤列車として走る。
長与線キハ28.jpg

気動車は通勤線区にも進出した。
外吊りドア、ロングシート、気動車版103系というところだろうか。
京都駅のキハ35。
キハ35京都駅俯瞰.JPG

キハ35のエンジン交換風景。
高砂キハ35DMH17.jpg

新幹線が現実味を帯び、電化線区には電車特急が走る。
気動車による特急も期待された。
最初は昭和35年のキハ81から。
写真は最後に使われた「くろしお」のもの。
キハ81くろしお天王寺.jpg

東北線特急として登場した系列だったが、気動車特急としてはやはり発展途上にあり、昭和36年の大増備で流麗な貫通型スタイルのキハ82が登場。
非電化線区のイメージを大きく変えた。
「くろしお」海南駅で。
キハ82くろしお海南.jpg

「おおぞら」白石で。
キハ82おおぞら白石.jpg

「まつかぜ」
城崎で。
キハ80系まつかぜ城崎カーブ俯瞰アップ.jpg

キロ80、全般検査仕上がり。
高砂キロ80全検上がり.jpg

だが、特急用にエンジンを2基搭載しても最高速度は急行用をわずかに5キロ上回った100km/h、当時とてエンジンとしては古い部類に入るDMH17の限界も感じさせてはいた。
乗り心地は非常によく、柔らかく静か、「まつかぜ」「北海」「北斗」・・どれも目を瞑ればあの乗り心地を思い出すことができる。
後継のキハ181も乗り心地は良かったがやはり大馬力エンジンゆえの豪快さが時には「キツく」感じることもあった。
しかし、キハ80系で山陽本線を長躯駆けた「かもめ」が485系に道を譲らなかったのは、気動車特急の意地も感じさせてはくれていた。
キハ82かもめ倉敷.jpg

国鉄気動車特急の成功は私鉄にもインパクトを与えた。
キハ80とキハ58の合いの子的存在、名鉄キハ8000の登場だ。
システム的には国鉄型そのもので、富山、立山まで名鉄・国鉄・富山地鉄を繋いだ列車だ。
名鉄キハ8100急行北アルプス.jpg

当初準急で登場し、のちに、急行、特急へと格上げされた出世列車でもある。
写真は富山駅停車中の様子。
名鉄キハ8000とやま.JPG

キハ28系と80系が並ぶ。
記憶があいまいだが、紀伊勝浦駅とのこと。
南紀・志摩キハ82・28多気.jpg

隆盛を極めるDMH17搭載の気動車だが、このエンジンが非力なのは、とうの国鉄自体がよく知っていて、昭和30年代から次世代エンジン搭載車の開発が始まっていた。
やがてそれは、キハ91で一編成ぶんの陽の目を見、急行列車の冷房電源・勾配対策としてキハ65が登場。
そして新特急車キハ181へとの流れとなる。
一般用途でもキハ66で大出力エンジンを、キハ40・47で通常線区用の新エンジンを搭載、ここにDMH17の時代が終わった。

過去のノスタルジーに浸るとき、淡い排煙の香りとともに、柔らかい乗り心地、そして力行の時でもどこかマイペースなサウンド、惰行の時の優しいアイドル音が思い返されてならない。
キハ20後期型・35・28、金属ばねの台車だが乗り心地は良かった。
もはや現実にDMH17を搭載している車両はJRにはなく、私鉄が僅かに保有しているものだけである。
小湊鉄道、キハ20をロングシートにした設計と言われるがここのキハ200も、そろそろ先が見えてきているようだ。
小湊キハ200.jpg

水島臨海鉄道、ここは明らかに動態保存としてキハ30と20を保有している。
キハ20は車籍がなく本線走行はできないが、時にイベントで車庫内を走行し、その健在ぶりを見せてくれる。
0423水臨イベントキハ205・キハ35100並び.JPG

ほかに、ひたちなか海浜鉄道、平成筑豊鉄道、いすみ鉄道も動態保存として、あるいは観光列車として保有している。
ノスタルジーを感じさせてくれる気動車、その中心こそDMH17なのだろう。

植苗でのキハ27・56。
S62植苗キハ27普通.jpg

桂川、キハ22。
S62函館本線桂川キハ22カラー.jpg

姫路、キハ35。
姫路キハ35138.jpg

そして意外に長生きをしたJR東海に引き継がれたキハ80系「ひだ」
特急色キハ80ひだ.jpg

好きなキハ20の写真をいくつか。
北条線。
北条線キハ20.jpg

ひたちなか海浜鉄道。
湊線キハ205.jpg

水島臨海鉄道。
水島キハ20.jpg

そして二俣線。
二俣線キハ20.jpg

もう一度、あのゆったりした座席で壁側の枕に頭を乗せて、カラカラカラという惰行サウンドを、さして速度も出さぬレールジョイントの音とともに浸っていたい。
季節は冬、時刻は夕から夜にかけて・・二俣線で。
二俣線キハ20車内.JPG

新十津川のキハ46。
新十津川キハ46 (2).jpg

鍛冶屋線キハ20。
加古川線鍛冶屋線鍛冶屋キハ20.jpg

DMH17系エンジン車はなんでも連結できる・・
鳥栖にて・・
鳥栖キハ58ほか気動車6連.JPG

最後は新系列気動車も含めた雑多な通勤列車を。
長崎本線。
長崎線東園キハ26・30・28・35・40カラー.jpg
posted by こう@電車おやじ at 22:47| Comment(2) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月10日

神戸高速鉄道

神戸市には東西を貫く二つの地下鉄がある。
一つは神戸市高速鉄道=神戸市営地下鉄。
もう一つはこれより歴史の古い、神戸高速鉄道だ。
阪急5053阪神7801並び高速神戸.JPG

正式名称では「市」の文字が入っているかいないかだけの差でややこしいが、通常は「神戸市高速鉄道」は「神戸市営地下鉄」と呼ばれ、案内にもそうなるのでここではそちらを「市営地下鉄」、本題の主人公を「神戸高速鉄道」と呼ぶことにする。

かつて神戸市には、国鉄東海道・山陽本線のほかに、4つの鉄道会社が乗り入れていて、それぞれ別個のターミナルを有していた。
歴史の古い順に、阪神電鉄が三宮・元町、山陽電鉄が兵庫、京阪神急行電鉄(今の阪急電鉄、以下、阪急)は阪急神戸=阪急三宮、神戸電鉄は湊川だ。

これら私鉄各社のターミナル間は東洋一と謳われた神戸市電が結んでいたが、戦前戦後の都心と言われる湊川への延長は、阪神、山陽の悲願でもあり延長線の免許を有していたし、神戸電鉄は湊川からさらに南へ神戸駅までの路線免許も保有していた。
戦後、神戸市が主導してこれらをまとめ、市内の私鉄路線を結ぶ地下鉄として、神戸高速鉄道が設立されたのが昭和33年だ。

昭和43年4月7日、神戸高速鉄道東西線、南北線が開業。
各社の電車は高速神戸、新開地に集結した。

その頃の僕はまだ小学生で、ある日、梅田から兵庫へ行くのに、いつもなら元町で阪神電車を降りて国電に乗り換えるのに、父が「このまま乗っていく」という。
高速神戸に着いた時、隣のホームに高運転台、青とクリームの山陽3000系を見た時、なんと格好の良い電車があるものだろうと感嘆したのを覚えている。

さて、僕がこの路線とその周辺で写真を撮影するようになったのは昭和50年頃からだから開業後すでに7年も経過していた。
それ以降の思い出ではあるが、路線の大半が地下線ゆえ、当時のカメラやフィルムでは撮影そのものが難しく、結果として路線外側の各社において乗り入れ列車を撮影することが中心になっている点はご承知くださればと思う。

神戸高速開業から長らく、相互乗り入れの免許は山陽須磨浦公園、阪神御影、阪急御影間となっていた。
実際の旅客営業上の乗り入れは須磨浦公園、阪神大石、阪急御影間だった。
各社、特急列車を中心に神戸高速を介して相手方に乗り入れが行われていた。
この開業に際して当時日本で最先端のATSである電波を使った「連続制御式」が採用されている。
これはJRのATS-P並みの高機能をこの当時に実現した画期的なものだ。

神戸高速には基本は山陽は全営業車両が乗り入れてくる。
高速線内で新車を見ることもあった。
黒Hゴムで知られた3060Fだ。
山陽3060旧色高速神戸.JPG

こちらは3030F、この頃のネガカラーフィルムは褪色が激しく、画像処理を施してみられるようになった。
山陽3030旧色高速神戸.JPG

ところが、撮影から30年ほどたったころ、なんとこの編成が復刻塗装車となり高速神戸駅に停車。
30年の時間距離が一気に縮まった。
1225高速神戸山陽3030.JPG

こういう企画は大賛成だし、鉄道ファンならずとも沿線住民からも好感を持って受け入れられるはずだが、昨今の「撮り鉄」による鉄道営業などへの妨害は甚だしく、乗務員の中には鉄道ファンを危険視する人まで出てきてしまう。
こうなると、鉄道ファンを集めるこういったイベント列車はNG扱いとなってしまうのが昨今の哀しいところだ。

では南北線新開地駅。
神戸電鉄の初期高性能車、今でも懐かしむ人が多い300形電車が停車する。
「準急・岡場行」
300形は310形を間に組み込んで4連化され、3000系などと同じような運用だったから、当時、3連しか入れなかった岡場以北、志染以西へは行かなかった。
神鉄新開地304.JPG

その新開地駅でこういう光景が時に出現する。
神戸電鉄1350形1357F・・復刻ツートンだ。
神鉄はこういうイベント列車に熱心で、この辺り山陽とはちょっと社風が異なるようだ。
集まるファンも穏やかな人が多いのかもしれない。
そう言えば、神鉄沿線で鉄道ファン同士の不愉快な事案に遭遇したことはない。
1204新開地神鉄1360.JPG

阪神の電車は、西灘から半地下の岩屋に達してそこから地下に入る。
西灘駅を通過しようとする赤胴2000系(7001系7801系の形態が同じ車両を再編成した系列)の須磨浦公園特急。
西灘阪神2210.JPG

阪神三宮でここから先へは行かない快速急行。
神戸高速には入れない端っこのホームで7801系。
阪神赤胴7844三宮.jpg

高速神戸にて、阪神3801系、大出力・エアサス装備の優秀車だったはずだが、一部編成で製造の際のミスがあったらしく、乗り入れ先の山陽電鉄で事故を起こした。
使用停止となり、この写真の当該編成以外も編成組み換え、内装のリニューアルを行い番号も変更された。
阪神赤胴3902高速神戸.jpg

阪急に乗り入れた山陽の車両は御影駅西方で折り返す。
山陽3010旧色御影.jpg

阪急線内を普通扱いと言えど駅間の長さゆえに高速運転する山陽電車はなかなか楽しかった。
阪急六甲山陽3056姫路特急_01.JPG

六甲駅に初めて6両編成が乗り入れた。
阪急六甲駅俯瞰山陽5022他6連.jpg

阪急三宮駅で‥
山陽の初代アルミカーが引退を前に登場時のイメージに復刻され、停車する。
1121阪急三宮下り山陽3000.JPG

国鉄三ノ宮駅から・・山陽3615(3030F)が折り返す準備をしている。
この編成は後に復刻塗装となったが、元々の塗装の頃だ。
山陽3615旧三宮.JPG

神戸高速鉄道は阪神淡路大震災で大開駅が押しつぶされ、阪急と結ぶ高架橋が崩落した。
それゆえ、震災後から長らく阪急・山陽方面と繋がれず、地下に残った車両で、阪神三宮と新開地の間だけを運行していた時期があった。
僕も当時は神戸市垂水区から大阪市中央区へ通勤していて、真横ではJRがやはり不通になっていて、高速神戸・阪神三宮間をよく利用した。
高速神戸駅も阪神三宮駅も地下は地震などがあったのかという、ほとんど地震前と変わらず不思議な静けさを保っていたが、そこにやってきた山陽5000系の赤いクロスシートに強烈な復興への意思を感じたものだ。

その山陽5000系、大開駅崩壊の際に、この駅を通過するところだったそうで、辛うじて通過して大破は免れたものの、脱線しパンタグラフは吹っ飛んでいたそうだ。
当該は六甲駅の写真にも写る5022で、なんの因果か、僕の手元にはこの編成が「直通特急」運転開始をアピールする看板を付けて走る「阪急六甲行特急」の、それも今はここに駅がある西二見での写真がある。
山陽5022現西二見付近レタッチ済み.jpg

なお、大開駅崩壊・阪急との接続高架線崩落・阪神本線での連続高架崩壊でここに閉じ込められたのは山陽が5022・5018の6連2本、3070の4連1本、阪神が5131・5139の4連2本、阪急が8001Fの8連一本で、これらで阪神三宮・花隈~新開地間を運行していた。
地下の2駅間だけを走り、お客もほとんどいない阪急8000系が当時はまだ珍しかったVVVFの制御音を響かせて高速神戸を出る姿には切ないものがあった。

西代駅は神戸高速開業時に移設・拡大され、6連対応の橋上駅となった。
旧駅のあった場所から当時の西代駅を見る。
ちょうど山陽3000系特急がゆっくりカーブを曲がる。
長田須磨西代山陽3637.JPG

橋上駅から阪急7020Fを。
画面左の立派な木造建築は山陽電鉄の旧本社だ。
西代阪急7020俯瞰.JPG

こちらはカラーで阪急5006F。
一時、阪急5000系は須磨浦特急専門のような運用をされていてなじみのある系列だ。
山陽西代阪急5006.JPG

阪神の旧特急車、3011系を改造した3061系が入線する。
左側は蓮池の体育館。
山陽西代阪神3568須磨浦特急.jpg

停車する7601系7708。
サイリスタチョッパ制御車に改造された急行系赤胴。
山陽西代阪神7708.jpg

道路高架下を潜る阪神7001系7117F。
山陽西代阪神7117.jpg

西代から板宿の間の地上線。
この区間は地下化されているが山陽電鉄の路線だ。
阪神7801系の初期タイプ、7829。
山陽西代阪神7829.JPG

こちらはすっきりと美しい阪神7101系7105。
山陽西代阪神7105.JPG

板宿・・仮設駅舎になる前の下りホームで阪急5100系5132が停車。
山陽板宿下りホーム阪急5132.JPG

商店街を背景に阪神3501系3515が行く。
この踏切はいつも混雑していたが、朝などは一時間に片道30回以上の電車が通過し開かずの踏切だった。
急ぐ学生が遮断機をくぐるのは日常の事だった。
山陽板宿商店街阪神3515.JPG

板宿を行く阪急6000系6111。
板宿阪急6111.jpg

大手付近、真夏の踏切を行く、阪急7000系7020F。
東須磨阪急7020.JPG

須磨寺の急カーブを行く阪神3501形3503。
阪神3503須磨寺.jpg

電鉄須磨駅の副本線に停車するのは当時の優秀車3801系3904。
この車両は3801系の系列廃止後、武庫川線7890形に改造され、現役引退後の今も武庫川団地で保存展示されている。
阪神3904須磨.jpg

山陽2700系は国鉄63形の更新車であり、大馬力ツリカケモーターの音を地下線内部に反射させていたのが印象的だ。
電鉄須磨駅に入線する新開地行2708。
山陽2708須磨.jpg

電鉄須磨に入線する阪急梅田行き特急。
5100系5130F。
阪急5130須磨.jpg

ブレーブスの看板を付けた阪急5000系5010F。
須磨阪急5010ブレーブス看板.JPG

須磨浦公園での阪神8801系8901、かつての3903だ。
山陽須磨浦阪神8901.JPG

阪急5008が桜満開の須磨浦公園を発車する。
桜須磨浦阪急5008.jpg

阪神7601系7709、二連の窓が美しい。
阪神7709須磨浦公園 (2).jpg

こちらは7801系7826。
阪神7826須磨浦俯瞰.jpg

春の須磨浦公園で阪急と阪神が並んだ。
春須磨浦阪急7020・阪神8219?.jpg

春のぼんやり感、ソフトフォーカスで。
阪急・阪神の並び。
春須磨浦阪神8229・阪急7223.jpg

阪急6000系が緑の公園内を行く。
6015F。
阪急6015須磨浦.jpg

阪急の最新8000系も須磨浦公園まで乗り入れた。
H5阪急8120須磨浦公園.JPG

新開地駅、神鉄の復刻塗装「メモリアルトレイン」と3000系が並ぶ。
0820新開地神鉄3010・1360.JPG

菊水山駅近く、新開地行を表示して神鉄3000系トップナンバー編成が行く。
神鉄菊水山3002新開地行.JPG

こちらは急行新開地行、1300系1306。
1300系は全車が引退してしまっている。
神戸電鉄1306菊水山.jpg

神戸電鉄はかつては神戸市が最大の株主で阪急・阪神の持ち株比率が公平であり、山陽・神鉄も応分の株を保有していた。
それゆえ、よく言えば公平、悪く言えば会社の壁が厚く、都市部地下線の直通運転としては本邦でごく初期であったにもかかわらず、長らく各社間の完全直通運転とはいかなかった。
それが変わってきたのが阪神淡路大震災後の復興期で、JR神戸線があの大被害から先に復旧し、そのスピードで大量の乗客が私鉄から流れ込んだ。
危機感を持った各社ではあったが神戸高速復旧後のダイヤ改正では僅かに利便性を向上させただけにとどまった。

大きな変化はすぐに表れた。
もっとも強い危機感を持った山陽電鉄は、車体寸法、編成長などが共通する阪神に対して直通特急による両社間の相互乗り入れを提案、元々、山陽沿線から阪神方向への流動が多いこともあり、平成10年2月、阪神・山陽の直特急が運転を開始した。
当初は「大阪ライナー」「姫路ライナー」の表示も誇らしげだった。
阪神9206旧垂水.JPG

この直通特急は平成13年には大増発され、西元町・大開にも停車する「黄直特」も登場し、早朝から深夜まで毎時4~5回と頻発運行している。
阪神9501・山陽5010.jpg

しかし、阪急と山陽との直通運転は終了し、阪急はその分、神戸高速線発着の神戸線列車をすべて8連として編成増強、さらには自社内の線路改良でのスピードアップも果たしている。
三宮の神戸高速高架橋を行く阪急8000系8035。
0109三宮阪急8035.JPG

神戸高速を取り囲む情勢も近年には大きく変化し、阪急・阪神HDが誕生しかつてのライバルが同じ企業グループに所属することになった。
そして神戸市が株の一部を阪急・阪神に譲渡したことで、神戸高速鉄道は神戸市主体の第三セクターから、阪急・阪神HD内の子会社ということになった。
路線も阪神電鉄神戸高速線と、阪急神戸高速線となり、実務社員は阪神電鉄に移りいまや会社は線路保有だけだ。
評判の良くない初乗り運賃の各社分がかかる制度は、今も継続されているが、実はこの鉄道、運賃に関しては日本でも極めて安い方で、三宮・西代・湊川間だけの利用ならむしろその安さを享受できるという状況にある。

今後は可能であるならば阪急と山陽の何らかの直通の復活、阪神と山陽の間の普通列車を含めた完全相互乗り入れ、神戸電鉄をせめて、高速神戸に乗り入れできないかという方法の検討などするべきことはたくさんあると思う。

僕は今後もこの鉄道は使うし、僕の生活には深くかかわってくる鉄道であると認識している。
直通特急はそれなりの成功を収めてはいるが、JRや市営地下鉄への乗客の転移、都市内高速バスの台頭など厳しい要件もあり、乗客数は減り続けている。
神戸で始まった本邦ごく初期の相互乗り入れを未来に生かす、その方向へもう少し考えて欲しいものだと思う。
199山陽5600須磨浦公園阪神2000系.JPG
posted by こう@電車おやじ at 20:25| Comment(0) | 私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする