2023年05月21日

Monochrome Memory

僕は国鉄退職後に写真屋になり、当時は未だモノクロが強い時代。
徹底的にモノクロの作業を叩きこまれた。
だからある時期までは撮影する殆どの写真がモノクロだった。

メリットはと言えば、現像プリントを作業のついでにできるので低コスト、そして高品質のモノができるという事だろう。

当時、コダックのトライエックスは長巻での入手も可能だったが、それをすると前後の手順が増えることで、僕自身はコダックの商品を扱う写真展でトライエックスを安価で入手していた。

だが、最初にカメラを持った時の写真はカラーネガフィルムで、モノクロは作業を覚えてからやり始めたという事を白状しておく。
モノクロを教えてもらったのは後に長い付き合いとなる写真店の主人で、中学校の帰り、部活動の如く店の暗室を狩りて写真を焼き付けていたものだ。
さてその頃の写真を‥
昭和50年代前半、姫路駅の80系電車。
80系姫路.jpg

そして未だ一眼レフを持つことが出来ず、OLYMPUSのコンパクトカメラの性能をぎりぎり使って当時としては大冒険な夜の撮影などもやってみた。
トライエックスは増感現像ができて、OLYMPUSのコンパクトカメラのレンズは高性能で明るかった。
通過する特急「富士」
宝殿EF65富士.JPG

ただ、シャッター速度のマニュアルコントロールができず、この時期に流し撮りを覚えたのかもしれない。
こちらも宝殿駅を通過する153系急行「鷲羽」。
宝殿鷲羽.jpg

駅の情景などを写しこむのもモノクロが良いのではと自分で思うようになった。
阪和線天王寺駅で。
つるんとした不思議な旧型国電、ノーシル・ノーヘッダのクモハ60か。
クハ60天王寺.jpg

夜の駅撮りはモノクロの絶好の被写体だった。
そこに人があり、列車がある・・ドラマを生み出すこともできたのではと思う。
札幌駅で、通勤列車の発車合図のために待機する駅員。
S62札幌駅711系発車前.JPG

南海阪堺線(今の阪堺電気軌道)神ノ木駅の風景。
阪堺神之木女性 (2).jpg

京阪七条駅における発車風景。
車掌京阪七条.jpg

大阪駅、長距離列車ホームだった11番線で列車を待つ乗客たち。
S56大阪駅7・11番線.JPG

九州・長崎でも冬は寒かった。
通学長崎309.jpg

谷汲駅改札での風景。
名鉄谷汲線改札.JPG

松江駅で特急「おき」を見送る女性。
発車2松江キハ181おき.jpg

夜の風景なども漆黒のモノクロゆえだからこそ出せる味もある。
大阪駅での581系回送。
S56大阪駅9・581系回送.JPG

西条駅でのEF59。
EF5913西条夜間.JPG

その横に停車した夜行急行、14系。
14系西条駅.JPG

山陽電鉄板宿駅の夜の情景。
山陽板宿夜景1.JPG

冬場だけ見られた別府鉄道野口駅の夜景。
別府鉄野口夜景.jpg

明け方の小郡駅で発車準備中の宇部線電車。
宇部線クモハ51小郡夜景.jpg

古色蒼然とした列車や駅もモノクロームによればさらにその深さを実感できるような気がする。
山陽電鉄月見山駅。
月見山駅旧駅舎.jpg

こちらは京福電鉄福井支社、勝山駅。
京福福井勝山駅舎.JPG

身延線の旧型国電、富士駅にて。
身延線クモハ51半流.jpg

まさに古豪の車内、名鉄モ3350形だろうか。
S55名鉄AL800形車内.JPG

同じ車内でもこちらはドイツ生まれの電車内。
広島電鉄ドルトムント電車。
広電ドルトムント76車内.jpg

一畑電鉄の51形電車。
53一畑.jpg

朝の景色、色のないモノクロームだからこそ出る感情もあるかもしれない。
長崎本線東園付近。
海東園キハ35.jpg

大好きな電車を好きなように撮影する…
デジタル化以前でそれができたのは、低コストで高品質なモノクロフィルムがあってのことだ。
東笠松駅での名鉄パノラマカー。
S55東笠松7500流し_01.JPG

木曽川を渡るパノラマカー、連写のできない当時、よくぞこんな撮影をしようと思ったものだ。
名鉄木曽川橋梁7500流し.jpg

モデルになってくれた女性と組んで撮影できた大阪駅の情景。
ポートレート大阪駅3.JPG

モノクロームの可能性は高い。
完璧に再現されたカラー写真に比せば情報量は少なく、見る人の想像力にゆだねられる。
だがそれこそが、写真の真骨頂だろう。
僕が今まで人様に偉そうに蘊蓄を垂れることが出来るような写真など撮っているとは思えないが、やはり、僕自身、永年モノクロを愛し続けてきたのは事実だ。

雨の日、山陰本線東浜にて。
キハ82「はまかぜ」
キハ82東浜.jpg

だが、今やモノクロは一表現手法でしかない。
聞けば某カメラメーカーからモノクロ専用機も出るという。
だがそれはやや違うと思う。
なにも、デジタルカメラの機能を制限してまでモノクロにする必要はなく、ここはやはりモノクロフィルムの出番ではないだろうか。
だが正直に告白すると、僕はデジタル化後、一切、アナログ写真は撮影していない…
本当はあのモノクロの実感をもう一度味わいたいとは思っているが、コストと時間がそれを許さない。

朝の光の中、古豪電車がクラシカルな駅に入線する。
一畑電鉄出雲大社前駅。
一畑6出雲大社前.jpg

広島駅前の夕方、元神戸市電が転線する。
広電584広島駅前夕方.JPG

四国の表玄関、高松駅は気動車の王国だ。
高松キハ28並び夜景.jpg

冬の武田尾を行く旧型客車編成の普通列車。
武田尾客車編成.jpg

小雪舞う武田尾近く、オハフ33の最後尾に旅情が漂う。
武田尾冬オハフ33.jpg

好きな列車もモノクロームで撮影・・
矢張りカラーで撮るべきだったと当時は思ったものだ。
阪急6300系。
阪急6354上牧.jpg

国鉄部内での撮影。
こういったものこそ、モノクロがほとんどだ。
だがモノクロであればこそ今の時代にも写真がきちんと残る。
マニ36、全般検査の際の様子。高砂工場。
新高砂工場マニ36全般検査車内.JPG

キハ815、廃車時の様子。
キハ815高砂1.JPG

C571の全般検査、鷹取工場。
鷹取C571キャブバック.jpg

そして門司港駅の夜、旧型客車からなる夜行普通「ながさき」が発車を待つ。
夜汽車ながさき門司港2.jpg

モノクロームの表現方法よ、どうかどうか永遠に。。。
posted by こう@電車おやじ at 21:56| Comment(0) | 鉄道と社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月12日

由良川橋梁

国鉄宮津線→北近畿タンゴ鉄道宮津線→WILLER TRAINS京都丹後鉄道宮舞線
第三セクター後も迷走を続ける鉄道だが、国際観光地でもある天橋立や丹後由良を擁する景色の良い路線でもある。

このブログでは10年前に現在の丹鉄全体を取り上げているが、改めてこの橋梁のことを取り上げたいと思う。

僕は国鉄時代にはこの橋梁を渡ったことはあっても撮影には赴かなかったように思う。
だが、当初はまだ国鉄の香りが良い意味で強く残っていて、撮影していて楽しい列車が多かった。
平成2年4月から第三セクターとしての運行が始まった。

由良川は友人と丹後神崎にドライブに行ったときに立ち寄ったのが最初だ。
余部橋梁とは真逆の低い、水面に近い、海に近い橋梁・・幅の広い川と海の境目のあたりを列車は今も昔もゆっくり進む。

同時に走り出したKTR001形、タンゴエクスプローラーは気動車の常識を覆すような意欲作で、当時の撮影目的はまずこの車両だった。
由良川KTR001(大).jpg

いつ見てもカッコよく、美しい車両だった。
北近畿タンゴ鉄道由良川KTR001.JPG

6×6版ポジのタンゴエクスプローラー。
北近畿tタンゴ鉄道KTR001由良川.JPG

丹後神崎側から川を渡る様子を。
由良川KTR001サイド.jpg

まだまだキハ181が元気な時代、JRからは特急「あさしお」が乗り入れていた。
長い8連だ。
1990由良川キハ181あさしおSide.JPG

こちらは5連。
北近畿宮津キハ181あさしお5連由良川.jpg

そして貫禄があり、華やかでもあったのが急行列車「丹後」だ。
言わずと知れたキハ28・58系で、時には7連なんて長い編成で走ったものだ。
北近畿宮津キハ28急行7連由良川.jpg

こちらは6連。
由良川キハ28系6連.jpg

そして4連。
北近畿宮津由良川キハ28急行4連.jpg

国鉄からは普通列車としてもキハ28系が入ってくる。
この普通列車は2連だ。
由良川キハ28系2連.jpg

北近畿タンゴ鉄道もキハ28系を購入し、2両の観光列車と2両の一般用に使った。
残念ながらここでエーデルタイプの前頭部を持ったKTR1002・2002をこの橋梁で見たことはなく、1001・2001の写真があるだけだ。
当時は運行情報も少なかった。
北近畿宮津キハ28社線由良川.jpg

銀の車体が景色に良く映えていた。
北近畿宮津キハ28社線遠望由良川.jpg

だが、すでに宮福線が開業した後であり、さらに宮福線の電化、高速化で福知山から宮津へ行く系統が主流になっていくと、宮津線特に宮舞線区間は置き忘れられたような存在になった。
丹後由良や丹後神崎が観光地としての地位を低下させ、特急列車は通らなくなり生活路線として生きるようになってしまう。
そうなると人口はさして多くない地域で、鉄道の維持が難しい。

それでも景色の美しさは変わらない。
せめてもの救いが転換クロスシートを持った大型車だという事だろうか。
だが、かつての長大編成の特急・急行が走っていた時代を知るものには哀しい・・
0314由良川丹鉄801・2.JPG

海と空を背景に単行気動車が行く。
0314由良川丹鉄701アップ.JPG

この橋梁の場所が川と海の境目のあたりだという事が分かる。
0314由良川丹鉄803・2.JPG

辛うじてこの路線が観光路線であることを示してくれる列車「くろまつ」が行く。
0211丹後由良丹鉄くろまつ.JPG

京都丹後鉄道ではJR東海の気動車を購入したと聞く。
もはや廃車同然となったタンゴエクスプローラに代わり、この風光明媚な区間での女王になってくれることを祈る。

最後に心細い由良川橋梁の軌道を。
0314丹鉄由良川橋梁701車中から.JPG
posted by こう@電車おやじ at 21:05| Comment(6) | JR化後の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月14日

各務原線・知多新線のダイヤ改正・・多線区直通列車、終焉へ向かうか

間もなく3月18日にJRを中心としたダイヤ改正が行われる。
ごく一部、JR東海と線路を共有する名鉄にあっても、この日にダイヤ改正が行われるが内容はかなりショッキングだ。
名古屋本線においては日中、名鉄岐阜への急行がすべて名鉄一宮で折り返しになるほか、須ヶ口・豊明間準急の新設(実は前回改正で消滅した一宮・豊川稲荷間急行のスジの一部復活)などが話題になるが、大きく変わるのが各務原線と知多新線だ。
各務原線は全列車の編成統一、ワンマン化と犬山線犬山と岐阜の間に全列車を普通列車として封じ込める線内運用(厳密には犬山線に二駅乗り入れるから線内ではないが)に変更になるが、大体の列車の運行頻度は朝の一部を除いては確保される見通しだ。
写真は今現在、朝に走る6連の急行。
0201鵜沼宿名鉄3100系×3=6連急行.JPG

今現在、特に朝と夜、犬山線のみならず名古屋本線、常滑線、河和線、知多新線、西尾線と相互に直通している列車がすべて消えることになる。

知多新線は現在の3種の列車が合わせて毎時3本という形態から、日中は普通のみ毎時2本の線内ワンマン運転に変更され、観光シーズン等にはどうなるか分からないが、今後は日中は特急・急行が乗り入れなくなる。
写真はかつてのパノラマカー特急。
名鉄7500内海近くカラー復元.JPG

これを少し考えると、各務原線は積極的合理化、知多新線は消極的合理化と言えるのではないだろうか。
岐阜と犬山を直結し、中間に各務ヶ原市のある各務原線に廃止の話などでないだろうが、すでに宅地開発も頓挫し観光需要も見込めなくなった知多新線は将来の廃止へ向けた第一歩と捉えられてもおかしくない。

嘗ての華やかな多線区直通列車があったころの残照をわずかに残す両線が、それぞれの道を歩き始めるわけで、なんとも感慨深いものがある。

名鉄の多線区直通列車は、かつては新名古屋には殆どの線区から直通列車が乗り入れ、複雑怪奇なダイヤ、車両運用が楽しめたものだ。
三河線や蒲郡線にも、名古屋本線から直通する優等列車があったし、岐阜地区の600V線区では、すべての駅から新岐阜へ直通列車が存在し、新名古屋でも一回の乗り継ぎだけでいけるように設定されていた。
名古屋名鉄新岐阜600.jpg

それが当時の国鉄の、貧弱な地域輸送に対する圧倒的なシェアを持つ要因の一つだったことは否めない。
しかし、本線や犬山線、常滑線の捌ききれないほどの需要に対し、どうしても支線区では需要は小さくなってしまう。
本線の6連や8連の列車を支線区に直通させるのは大いなる無駄ではあるし、余分な車両を抱え込むことにもなってしまう。
運用も複雑であればあるほど、万が一の抑止事態の際に復元が難しくなってしまう。

そう言った意味で、まず、ある程度の輸送需要のある三河線が線内運用に固定化されたのはずいぶん古い話だ。
名古屋直通の特急が廃止されたのが昭和52年、15分ヘッドの普通のみのダイヤは「新快速並み」と言われて利用しやすいと評判だったようだ。
いったん、20分ヘッドになったものの平成になってからまた15分ヘッドに回帰、ただし末端区間は南北いずれも気動車化、さらには廃止となって需要の大きな区間だけが残された。
知立3552急行碧南.jpg

三河線は平成13年に北線、平成18年に南線がワンマン化されたが、その後、似たような状況である各務原線のワンマン化まで随分と日が経ってしまった。
これにはやはり各務原線の複雑な運行系統が影響していたのかもしれない。

昭和の新岐阜駅…
各務原線列車の様子だ。
犬山行きの急行に7500系が来た。
もちろん、6連だ。
名鉄新岐阜各務原線7500急行.JPG

犬山・新名古屋経由内海行急行・大回りで知多半島の先端へ。
6000系鉄仮面編成。
各務原線新岐阜6500系鉄仮面内海行き急行.JPG

3880系(元東急車)3889による小牧線上飯田行。
各務原線新岐阜3889上飯田行.JPG

その編成の上り方だろうか、3880系2885、上飯田行。
各務原線新岐阜2885上飯田行.JPG

線内途中の三柿野行き準急。
冷房付き3780系だ。
S51名鉄新岐阜地上3780準急.JPG

知多新線に関しては大きな期待があっただろう・・
紆余曲折する路線計画、用地買収の困難、難工事、やっと開通した知多新線はしかし当初名鉄が思い描いていたものとは違う形になったことも否めない。
海水浴場から遠い駅、観光施設から遠い駅、町の中心から遠い駅はいずれもバスで連絡せざるを得ず・・
住宅開発は行政と軋轢に苦しみ、結果として思い通りの結果を出せず・・
唯一、沿線に出来た大学と付属高校の通学路線としては少し光が見えた。

開通当初は乗客で賑わった路線もやがて閑古鳥が鳴くようになってしまう。
新しい道路が開通し、快適に現地へマイカーでいける・・さらに言えば中京圏は日本で最もモータリゼーションの進んだ地域でもある。

開業当初の内海駅・・
停車しているのは7500系7515F、大きな看板が目印だ。
内海名鉄7500BW加工.jpg

6000系急行犬山経由新岐阜行き。
名鉄内海6000系急行犬山経由新岐阜.JPG

数年前の写真、1700系特急。
010610内海名鉄1701.JPG

先日の撮影、2200系特急佐屋行。
知多新線、河和線、常滑線、名古屋本線、津島線、尾西線にわたる直通列車だ。
0201内海名鉄2206特急佐屋.JPG

平日昼間の3500系全車一般車急を知多奥田にて。
0201知多奥田名鉄3512内海行き特急.JPG

知多武豊近くにて、SR最後の砦・・5300系による内海行全車一般車特急。
0106知多武豊5300系特急内海行き.JPG


つい先月、随分寒い日だったが、朝の各務原線の雰囲気を視たくて、鵜沼宿駅で降りた。
そう言えば、各務原線を沿線で撮影することはこれ迄本当に少なかったと思う。

朝の光の中、5000系急行が岐阜へ向かう。
線内での急行運転も全て取りやめとのことだ。
0201鵜沼宿02名鉄5112急行岐阜_01.JPG

こちらは吉良吉田行きの後追い、新鵜沼から急行に変わる。
各務原線、犬山線、名古屋本線、西尾線にわたる多線区直通列車だ。
0201鵜沼宿03名鉄9611吉良吉田行き後追い.JPG

3100系が先頭の国府行。
0201鵜沼宿10名鉄3119国府行き.JPG

5000系による快速急行河和行き、各務原線、犬山線、名古屋本線、常滑線、河和線の直通列車だ。
0201鵜沼宿07名鉄5002快急河和行き.JPG

こちらは豊橋行き
0201鵜沼宿05名鉄3161豊橋行き.JPG

この時点では2連の急行吉良吉田行き。
ツートン3100系だ。
0201鵜沼宿04名鉄3102急行吉良吉田行き.JPG

そして内海行き3300系。
各務原・犬山・名古屋・常滑・河和・知多新線にわたる直通。
0201鵜沼宿12内海行き3300系.JPG

時代が変わる。
地域社会の中で鉄道が果たすべき役割も変わる。
その中で鉄道はしたたかに生き残って行かねばならない。

この春の改正では様々な変化が各地で見られるが、自分としてはやはり、名鉄の大きな変化に目が行ってしまうわけだ。
つい先日の金山駅での特急内海行、1000・1200系。
1203金山名鉄1000系特急内海行き.JPG

6500系による犬山経由岐阜行き急行・・犬山橋で。
この列車も河和か内海から来たはずだ。
名鉄犬山橋6000鉄仮面4連.JPG
posted by こう@電車おやじ at 21:14| Comment(4) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年02月28日

倶利伽羅

北陸本線、倶利伽羅には二度は降りているはずだ。
記憶にうっすらとあるのは「前も撮影した場所で撮ろう」といったものの、その場所の記憶も曖昧で、結局は最初に行った場所を見つけられなかった。

特急「ひだ」がキハ80系で金沢へ乗り入れていたのは昭和60年3月まで、トワイライトエクスプレスが走り始めたのは当初は臨時列車として平成元年からで、今回の記事でこの両列車の写真があり、昭和57年ごろと471系の列車の塗装が変更されているので平成2年ごろに倶利伽羅駅に降り立っていたのではなかろうか。

まずは古いほうの写真から。
長野経由で金沢と上野を結んだ489系「白山」
この日は霧に覆われていた。
485白山、倶利伽羅.jpg

こちらは北陸本線特急「雷鳥」485系ボンネットタイプだ。
倶利伽羅485雷鳥.JPG

EF70が貨物列車に健在だった。
倶利伽羅EF7016 .JPG

霧の中を行く貨物列車。
EF709倶利伽羅.jpg

EF81の牽引する貨物列車、このネガは劣化が激しく復元しきれずにモノクロ変換している。
EF81121倶利伽羅モノクロ変換.JPG

急行間合いの普通列車。
471系だろうか。
北陸線475系急行間合い倶利伽羅.jpg

特急「ひだ」
この頃は金沢と名古屋を高山本線経由で結ぶ列車でもあった。
キハ82倶利伽羅.jpg

特急「日本海」
EF81117、ヘッドマークが省略されていた時代の記録でもある。
日本海EF81117倶利伽羅.jpg

「日本海」の最後尾、24系客車。
自分が手掛けていた車両が目の前を走る。
ある意味では至福の時でもあった。
北陸線倶利伽羅日本海14系.jpg

二度目に訪れた時は霧は僅かだったが曇りであまり良い雰囲気ではなかった。
この時に駅を撮影している。
倶利伽羅駅。
北陸線倶利伽羅駅舎.JPG

ホームに停車するのは車体更新413系。
北陸線倶利伽羅413系.JPG

車体色が明るくなった急行型電車が普通として走る。
北陸線倶利伽羅475.JPG

後追い。
北陸線倶利伽羅475後追い.JPG

特急「北越」
ニューカラー、JRの北陸本線への意気込みを感じられたころ。
ボンネットタイプが先頭だ。
北陸線倶利伽羅北越ボンネット.JPG

後追い、貫通型200台、新塗装はこちらの方が似合っている。
北陸線倶利伽羅北越貫通.JPG

トワイライトエクスプレス。
EF81114が牽引する。
霧が出ていなかった分、ソフトフォーカスを使ったが・・
トワイライトEF81114倶利伽羅原版.JPG

24系客車も一部は大幅に手を加えられた。
まだ、サイドの帯は黄色だけで縁取りのなかった頃だ。
トワイライトオハネ25B個室倶利伽羅.JPG

電源車が去っていく。
トワイライトカニ24倶利伽羅.JPG

この場所は今でも通過するときにはどこで撮影したのか‥探してみるのだが見当もつかない。
いやそれよりも、もうここで降りることもないのだろう。
走っているのが521系と日中は僅かな貨物列車のみだ。

霧の中を行く485系特急「加越」
485加越倶利伽羅モノクロ.jpg
posted by こう@電車おやじ at 19:25| Comment(0) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月25日

名鉄6000系の46年

鐡道誌によると名鉄6000系の登場は昭和51年12月となっている。
僕が初めて名鉄を訪問したのは昭和51年3月、そしてその年のうちに二度目の訪問をしているわけで、6000系登場前夜の雰囲気も少しは味わったと言えるだろう。
名鉄6000名電山中2.jpg

名鉄6000系が名車かどうかはさておき・・
というのは当時の名鉄には刺激的なパノラマカーをはじめとしたSRシリーズ、OR系、AL系、HL系というこれまた魅力的な旧型電車がたくさん走っていて、余所者のファンとしては6000系の登場はある意味ではショックでもあったわけだ。

ついに名鉄も「普通の電車」を作るようになったかとの思いが強かったのは確かだ。
だが、当時から特に犬山線の輸送力はひっ迫していた。
6000系登場の前、ラッシュ輸送に音を上げた運輸部門の悲鳴に、3ドアALの東急中古車を大量導入するという思い切った作戦に出た。
3880系と名付けられたこの系列は、名鉄では珍しい3連であちらこちらを走り回る。
ラッシュ輸送の対応能力は名鉄社員が驚くほどであったというが、2ドアクロスシートばかりの電車の中に、いきなり3ドアロングシートの純然たる通勤電車が大量に入ったのだから当たり前だろう。
名鉄神宮前3863犬山 (2).JPG

犬山での3880系。
この世代の東急の電車は、名鉄にはない開放感があるように感じる。
名鉄犬山後2887.JPG

しかし、名鉄ファンとしては嬉しくない電車だったのも確かで、この電車に乗ると味気なく感じてしまうのは致し方のないところ。
所詮、僕は余所者のファンであり、通勤地獄を味わう地元利用者ではない。

その前にわずかながら戦時設計の3ドア車が走っていた。
当時の犬山線はこの車両を優先的にラッシュで最も混雑する列車に使っていたというから運輸部門の苦悩は推して知るべしだ。
名鉄神宮前2554.JPG

太田川における3550系の2連。
名鉄太田川3550系2.JPG

だがこの電車はデザインのアウトラインはよく、阪急にもつながる上品さを持っていて、名鉄独自デザインの通勤型車両を僕自身も待望していた部分もある。

満を持して登場した6000系。
デザインはさすがに名鉄だ。
正面は7700系のあのスマートで優しいイメージを引き継ぎ発展させていたし、側面は大型の固定窓、多分当時としては通勤電車デザインの最高峰だったのではなかろうか。
名鉄6000名電山中.jpg

名電山中駅にて。
名鉄6000名電山中旧駅.JPG

車内はなかなか独特で、小さな、バスのような固定クロスシートが並んでいた。
この座席が当時の国鉄113系などと比しても狭すぎ、なんだか中途半端感はあった。
名鉄6012車内.JPG

この電車が翌年昭和52年(1977年)鉄道友の会「ブルーリボン賞」を受賞したのには驚いた。
もっともこの年はいわば新車の不作年でもあり、特急車両などの新登場はなく、前年に阪急6300系が受賞したことを思えば、名鉄6000系は妥当な線だったのかもしれない。
この時期の車両というのは鉄道ファン的な視点から見れば、国鉄25形客車を筆頭に全国的に車両のデザインは面白みがなく、コストを下げる方向へ流れていったわけで、そう言う意味でもデザインセンスに力量を発揮した名鉄の存在感は大きい。
同じ時期に登場した車両としては阪急6000系もあるが、こちらは重厚な阪急デザインを近代化してリファインしたイメージで、同じ系列名を持つ二つの電車に、当時の時代に逆らったオリジナルなデザイン、関西と名古屋の差が感じられて面白い。
板宿阪急6111.jpg

さて、「名鉄詣で」を繰り返す僕にとって目的はやはり、SRであり、岐阜の600V線区だった。
なので、6000系に関してはわざわざそれを撮影したり、乗車したりすることは目的にはなく、いつも脇役、「ついで」の存在だったことは否めない。

犬山橋。
名鉄6000犬山橋2002.jpg

その列車の側面、これで内海まで行くのかぁ‥とがっかりさせる列車でもあった。
ロングシート化改造後だ。
名鉄6000行先表示犬山橋2002.jpg

6000系は後の一時期、ドアの上半分をグレーに塗ったことがある。
まだまだ2ドアが中心だった名鉄で、3ドアであることを明確にしたかったのだろう。
名鉄乙川6003.JPG

増備の途中で省エネの観点からクーラーの能力を落としロスナイ(熱交換型換気装置)を搭載、側面窓が開けられるようになった。
だが名鉄車両と言えば大型の固定窓、わざわざ開閉式にしたことでさらに・・僕自身の6000系への評価は下がってしまう。
昭和55年登場のシリーズだ。
名鉄犬山橋60000系2連中期車_01.JPG

しかし、今見るとこのシリーズのデザインもなかなか上品でよいと思う。
名鉄犬山橋6000系中期車.JPG

さらに正面非貫通、いわゆる鉄仮面電車へと変化する。
デザインセンスの良い名鉄としてこのデザインはちょっと首を傾げたくなった。
こちらは昭和59年からのシリーズ。
4連は制御方式を変更して6500系に変わる。
2連もやがて6800系に変更された。
名鉄犬山橋6000鉄仮面4連.JPG

太田川の駅で6500系、3400系、5000系が並んだ。
流線形の正面デザインを持つ三世代電車の競演だ。
名鉄太田川6500・3400・5000.JPG

6500系高速・・
今伊勢付近だろうか。
名鉄今伊勢6500系高速.JPG

このシリーズではクロスシートが見直された。
幅とピッチを広げ、固定式ながらゆとりがあるものになった。
名鉄6500車内クロスシート.jpg

三河線の現終点近く。
名鉄三河線6800.JPG

正面標識灯デザインが簡素化され、のちにはこの前の増備車も改造された。
名鉄6500木曽川堤.JPG

なんだか見た目が頼りなくなる変更だ。
名鉄6500犬山線2018.jpg

6000系シリーズは平成元年から大きくデザインを変更した。
いわば金魚鉢デザインの登場だ。
鉄仮面がデザインとしてはあまり良い印象を持たなかったゆえ、このデザインには好感が持てる。
側面も再び連続窓風の3連窓になった。
1204吉良吉田名鉄6800系急行.JPG

車内、クロスシートはさらに見栄えが良くなった。
この編成ではクロスシートの枕を切り裂く悪戯があり、それゆえ枕を撤去しているとのこと、ご教示いただいた。
地元ファンの方に感謝。
1204吉良吉田名鉄6800系車内.JPG

ただ、この電車が登場したころ、僕は仕事の繁忙、そして自身の名鉄への反発から名鉄に行かなくなってしまった。
なのでこの電車を見た時は3500系と区別がつかず、焦ったものだ。

こちらが本来のグレードアップされたクロスシート。
1121名鉄岐阜朝6000系後期車車内.JPG

この電車だ。
1121名鉄岐阜朝6000系後期車.JPG

このあと、名鉄6000シリーズはロングシートに移行する。
尾西線一宮・津島間は基本、2連の6800系が専属で運用されていて、田園風景の中を走る彼らの姿はなかなかいい雰囲気を持っている。
1203山崎3名鉄6800系.JPG

そして、初期型のあの狭いクロスシートは早々とロングシート化された。
名鉄6000系が「普通の」通勤電車になったわけだ。
010612中部空港名鉄6000初期型車内.JPG

ロングシート改造車でさらに大掛かりな更新工事を請けた編成もある。
0627名鉄碧南6234車内.JPG

この車両の外観だ。
0627名鉄碧南駅6034.JPG

6000系シリーズは現在、大きく数を減らしている。
三河線・蒲郡線・広見線・尾西線などのワンマン仕様車は当面は健在だろうが、本線系統では命脈が尽きる寸前なのかもしれない。
(僕自身が瀬戸線の6000系シリーズに会えなかったのは今となっては大きな心残りでもある)

なお、この系列の詳細は鉄道ピクトリアル2021年12月号に詳しく、このブログではあくまでも個人的な思いとして読んでいただければと思う。

6800系、本線上で2連×2の姿。
1003島氏永名鉄6800系2+2.JPG

金山での並び。
0106金山6000系並び.JPG

鉄道専用橋となった犬山橋にて。
名鉄6000系犬山橋.jpg

広見線にて。
1203顔戸名鉄6209.JPG

神宮前。
名鉄神宮前6000系初期車2018.jpg

河和線阿久比にて。
1208名鉄阿久比6000系初期車.JPG

6000系で復活した白帯車。
1204吉良吉田名鉄6011停車.JPG

16年にわたって増備された6000シリーズ、彼らにとっての最後の黄金期、その時代に5700系の後を受けて河和線特急に走る。
0826大江名鉄6802特急大.JPG

最後に・・蒲郡線大俯瞰を。
032710名鉄蒲郡線俯瞰6000系砂浜_01.jpg


posted by こう@電車おやじ at 19:40| Comment(4) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする