2024年04月23日

京阪電車のデジタイズ・・・

古いポジをデジタイズアダプターで撮影、復元加工してみたシリーズ。
今回は京阪電車だ。

古い順に行くが、最初の橋本・樟葉間での撮影は露出の失敗(多分感度設定のミス)という、ポジにはあってならない失敗作をどこまで復元できるのかと思いながらやってみて、やはりポジのオーバーは救いがたいがそれでも数点はそれなりの絵にはなったと思う。

まず、露出失敗の橋本・樟葉間。
時期的には5000系にまだ前面行先・種別表示機が設置されておらず平成元年以前という事かと。

5000系5002編成の急行。
セイタカアワダチソウだろう、季節は秋か。
京阪橋本5002.JPG

一寸イラストっぽくなってしまったが3000系特急。
京阪橋本3000系.JPG

こちらは逆光シーンという事もあり・・まぁまぁ。
京阪橋本3000系3505.JPG

3000系特急が出会う。
京阪橋本3008・3000系出会い.JPG

鴨川、四条・五条間のシーンだ。
まずは1900系を。
この頃はまだ、一般車格下げ時の形態のままで使用されていたが、一点だけ冷房編成が写っている。
1915編成。
冷房付き、更新後の鴨川べりでワタシが撮影出来た唯一の写真だ。
京阪鴨川1915.JPG

1910編成が行く。
京阪鴨川1913編成.JPG

1910のサイドビュー。
京阪鴨川1910サイド.JPG

1913のサイドビュー。
京阪鴨川1913サイド.JPG

1900系4連普通が行く。
京阪鴨川1900系4連.JPG

編成を真横から。
京阪鴨川1900系編成サイド.JPG

1900系編成の全景。
京阪鴨川1900系全景.JPG

こちらは1000系。
京阪鴨川1000系.JPG

2400系。
まだオリジナルの顔立ちだ。
京阪鴨川2400系.JPG

2600系2812、2000系からの改造車だ。
京阪鴨川2812.JPG

四条の南座と2200系電車。
失われた京都の風景。
京阪鴨川2200系と南座.JPG

撮影場所が良くないが5000系5555が工事区間を行く。
京阪鴨川5555.JPG

6000系7連が行く。
京阪鴨川6000系7連.JPG

6000系6013、やはり6000系でもこの色合いが似合う気がする。
京阪鴨川6513.JPG

四条駅、南座の脇で3000系3509と2200系が行き交う。
京阪鴨川四条3509.JPG

3000系が2200系と出会う。
この当時の主力車はこの2系列だった印象が強い。
京阪鴨川3000系2200系.JPG

3000系6連特急。
京阪鴨川3000系6連.JPG

3006のサイド。
優雅な座席ごとのR付きの窓、格調高いカーマインレッドとオレンジイエロー。
京阪鴨川3006.JPG

3506と3005の連結部。
3000系は3連もしくは4連でそれを組み合わせて6連、7連としていたが連結できる相手は決まっていた。
京阪鴨川3005・3506.JPG

3505、今、樟葉で保存されている車両だ。
京阪鴨川3505サイド.JPG

逆光の中を行く3000系特急。
京阪鴨川3000系逆光.JPG

淀駅近くにて。
まだまだ、当時はゆったりと電車を眺められるところだった。
ここの撮影は時期がはっきりしている。
平成2年、花と緑の博覧会の頃だ。
その広告電車だった1001編成を。
京阪淀1001はな.JPG

こちらは2600系2829、2000系出自の車両だ。
京阪淀2829.JPG

5000系5651、5ドア車7連の贅沢?な普通だ。
京阪淀5651.JPG

3000系3002、前面幌枠を撤去した車両が出現したが、3000系のデザインが締まりのないものになったと思ったものだ。
京阪淀3002特急.JPG

最後にもう少し前、地下工事の始まったころの3000系を。
京阪鴨川3000系.JPG

この頃の京阪電車はいかにも京都の電車然とした穏やかさ、落ち着きが漂っていて本当に好きだった。
会社の本社は大阪にあろうとも、京阪電車は京都らしい「雅な」そして3000系2200系5000系を取りそろえ運用を工夫し、細やかな心使いのできる鉄道会社という印象だった。
だが3000系が数を減らしていき、そして伝統の色合いを変えてしまってからはかつてほどの魅力を感じなくなってしまっている。

昨今、特にコロナ以降、利用客へのあからさまなサービスの削減、コストカットを意識しすぎ普段遣いの乗客の存在などないかのような振舞いは、得てしてタマの所用で乗る時にも鉄道としての魅力の減退を肌で感じてしまう。
そこには、毎日の利用ではない、かつて好きで頻繁に訪れたファンだったからこそ、見えてしまうものがあるのではないだろうか。
座席指定サービスもいい、それは否定しない。
だが、まずは、毎日使う人たちが心の底から会社を贔屓にしてくれるようにしなければならないのではないだろうか・・・そうでなければいずれ先は危ういものに見えてしまうといっては言い過ぎだろうか。

ワタシ自身は鉄道ファンであっても、何でもかんでもそこに群がる人の中に居たいとは思わず、ただ、本当に好きな列車に乗り、その列車を撮影し、眺めるのが好きなだけで、そう言う意味では今現在の京阪電車から足が遠ざかり、神戸在でありながら年に何度も名鉄詣でを繰り返してしまうのもこれは趣味の嗜好性の問題だろう。

posted by こう@電車おやじ at 18:34| Comment(0) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月18日

理想を求めたJR第一世代転クロ近郊型

先だっての2024年3月ダイヤ改正で、わが地元、神戸・明石から白い快速221系が静かに撤退した。
今回のダイヤ改正は名鉄や近鉄、関東各社など一部私鉄なども含めた大変大掛かりなもので、その分、話題も多く、特に北陸新幹線の敦賀開業、関西・中京と北陸を結ぶ特急の敦賀打ち切りは大きな話題となった。
だが派手な改正の陰で、静かに地元から消えていった名車に思いを寄せる人は如何ほどおられるのだろうか。
そう、JR西日本221系の東海道山陽線(通称Aライン)からの撤退だ。
(ただし、当面、播但線運用として網干区に1編成が残るほか、向日町・草津間の草津線・湖西線運用、新大阪駅前後でのおおさか東線運用はこのラインで僅かながら見られることになる)
221新快速須磨一の谷.JPG

JR西日本221系は1989年、平成元年の登場だ。
同じ年にJR東海の311系、JR九州の811系が登場、その前年、1988年(昭和63年)には新生JRグループで初の新設計近郊型、JR北海道721系が登場している。

これら4系列はいずれも3ドア、転換クロスを採用。
国鉄はその末期において将来の車両の理想像を、特急型=リクライニングシート、急行型=簡易リクライニングシート、近郊型=ゆったりしたロングシートもしくは転換式クロスシート、通勤型=ロングシートと定めていて、ラッシュ混雑がまだまだ激化の一途をたどった首都圏をもつ、JR東日本以外のJR各社は、理想を転換クロスシートに求めた。
ただ、国鉄が作り出したキハ66・117系・115系3000台、213系のような2ドアではなく、むしろ名鉄6000系や山陽5000系、近鉄5200系といった私鉄の3ドアクロス車に範を求めたのかもしれない。

最初に転クロ近郊型を出したのがJR北海道721系であり、分割民営化直後の新会社の「やる気」を感じさせるには十分だった。
それまでの極寒地での車両は2ドアという慣例を破った3ドア車両、そして急行型を上回る居住性を持つ転換クロス・・
1106南千歳721系並び.JPG

近郊型は乗客の移動距離も長く、通勤通学用途とはいえ、ある程度の快適さを追及する必要があったわけだ。
特に私鉄と競合し、なんとしても乗客を奪わねばならなかった京阪神地区を持つJR西日本、中京地区のJR東海には快適な近郊型=快速用車両の登場は急務だったと言えるのだろう。
JR東海の場合、真横で派手に転クロ車ばかりを走らせていた当時の名鉄を凌駕するには画期的な近郊型311系が必要だった。
しかも名鉄はJR発足前にSR系をモデルチェンジして再増備を進めていた。
0722稲沢311系.JPG

九州においても西鉄への対抗、そして旧来の国鉄式、狭苦しいシートの近郊型からの脱却を狙って811系を登場させている。
0505門司港811系.JPG


快調に走り始め、好評だったこれら、JR化初期の転クロ近郊型ではあったが、線区によっては激化するラッシュへの対応に無理を感じることもあり、やがてはラッシュ用に立ち席を増やしたり、あるいはロングシートに基準を変更したりしているシーンも数多い。

ただ、JR西日本に限っては北陸地区から山陽地区まで、一部ワンマン専用の線区や純然たる通勤電車区間を除けば、押しなべて転クロ車で統一されており、現状では京阪神新快速と同じサービスレベルの車両が各線区で走っているということになっている。
(気動車も新型では転クロとされていて電車のイメージを地方にもの意気込みを感じる・・その割に紀勢線南部の観光路線でわざわざロングシートに設計変更した227系を走らせているのは、ラッシュ時の混雑の激しい和歌山線との共通運用とはいえ、やや疑問にも感じるが)

ただ、僕自身が全国のこれら車輛を登場当時から見ることができていたわけではない。
仕事・生活に追われろくに鉄道趣味活動も出来なかった時代、あるいはせっかく北海道へ仕事で行っても、とても鉄道路線などに近づく時間的余裕のない時代もあり、関西圏・中京圏以外ではなかなか追うことができなかったのもまた現実だ。

彼らの活躍はまさに、雑誌やのちにはネットでようやく知るだけでもあった。

理想を追求してその理想通りに事が運べば全く問題はなく、喜ばしい限りだが鉄道にはラッシュ輸送という重要な使命がある。
特に別途特別料金を収受するわけでもない近郊型電車のサービスアップは、逆に言えば座れない乗客と座っている乗客との格差となって表れてしまう。
もちろん、クロスシート設定にすることで座っている乗客と立っている乗客の間での例えば「足を踏んだ」などのトラブルは激減されるが、それ以前に詰め込みの問題だろう。
関西や中京のようにそう言った車内設備に慣れている乗客が多ければそれなりにうまく利用していただけるのだろうが、なかなかそうはいかない。
九州では今後は近郊型電車はすべてロングシートである旨が発表されているし、北海道でも731系からは極寒地向けのロングシートという新しい標準が出来上がった。
関西で馴染みのある転換クロスという形態が一部地域で否定されてきたわけで、ファンとしては少々残念に思うところもあり、また致し方なしと思う事もある。

さて初期転クロ通勤型・・
理想を求めただけに、ゆったりとした座席を多くしたものがほとんどだ。
この点、JR各社の参考になったと言われる1988年登場の近鉄5200系は3ドアで大半の座席が進行方向を向けるが、ドア横には立ち席スペースも設けられていた。
(近鉄は車体長が1メートル長いゆえ可能になる配置だった、逆に車体幅は近鉄が150ミリ狭い)
近鉄5156堅下.jpg

その車内(更新後)、車体幅が狭いゆえに、座席もJR各社と比すと狭くなっている。
010501名古屋近鉄5200系車内 (2).JPG

JR西日本221系はその増備規模も大きく、一気に新快速・大和路快速を置き換えた。
これにより新快速の120キロ運転が実現し、大幅なスピードアップ、そして一気にイメージチェンジを果たした。
京阪神間の乗客は激増、全列車の8連運転、やがて12連運転へと進化していくが乗客が増えるとドア横にほとんど立ち席スペースのない構造ではラッシュ輸送に限界を感じてしまう。
この系列はドア横に戸袋窓があり、その部分にも座席が設置されていた。
221系並走須磨.JPG

未更新の車内、座席生地は変更されている。
1231快速221車内.JPG

221系の後、阪和線用に登場した223系0番台は221系と同じ窓配置の車内の座席は片側一列の3列だった。
0527野田223-0.jpg

だが、223系を京阪神用にアレンジした1000番台では近鉄5200系と同じく、出入り口脇の戸袋部分に立ち席を設け、混雑時以外はここの補助席を使える構造となって、ラッシュ用の立ち席に配慮したものとなった。
1118垂水223-1000.JPG

そうなると221系の出入り口付近も改善の必要性が高まる。
結局、221系は1両辺り座席を3列撤去して、立ち席スペースとし、閑散時にはそこで補助席が使えるように改造された。
大掛かりな車体改修も必要と言われていたが、鋼製車ゆえの思い切ったデザインにはほとんど手を加えられることなくラッシュ対応改造ができたのだから一利用者である僕もホッとしたものだ。
0729関西線221リニューアル車内.JPG

少しでも座席をゆったりとさせたい近郊型、あるいは快速用途の車両では、常にラッシュ輸送との板挟みをどうするかが命題になってしまうが、それでも工夫を凝らしながら転換クロスを貫くJR西日本には脱帽する。

だが、このあとの転落防止柵取り付けについては、元々のデザインが非常に美しい流線形である221系にはどう考えても防止柵のデザインそれ自体が納得ができない。
せめて柵の地色を黒にして車体色と分ければ遠目には良かったのではないだろうか。
0311兵庫221系12連.JPG

JR東海の311系も戸袋窓を持つタイプで、221系と同じ欠点を抱えている。
1218金山311系.JPG

だがこちらは総両数が60両とやや控えめなこともあり、後継の313系に主力列車の座を明け渡すことにより、車いすスペース以外の改造は行われていない。
0326東海311車内.JPG

特急用371系と並ぶ311系、この両系列を4両程度の一本の編成とし、特急「ふじかわ」「伊那路」などを一部特別車の快速化すれば、非常に使いやすい列車になるのではないだろうか。
0825豊橋311系371系.JPG

JR九州では近郊型電車は基本的にロングシート化されることが発表されている。
それはそれで地域の実情に合わせるのだから致し方のないことだろう。
聞けばロングシートもこれまでの水戸岡デザインとは異なり、ベンチ状ではなくクッションのあるものらしい。
0505小倉811系リニューアル編成.JPG

理想を追求しても地域の特性もあるし、会社の体力の問題もある。
ある程度後退するのはやむを得ないだろうが、せめて快速列車に特別な編成が欲しいと思うのは、たまにそこへ出かける旅行者の勝手な思いなのだろうか。
新旧の近郊型電車が並ぶ。
0505小倉811系813系.JPG

JR北海道も札幌都市圏のラッシュ混雑の激化は大問題になっていた。
特に乗降時間を短縮するためにロングシートの電車を投入。
寒冷地でありながら、仕切りドアを持たず、エアカーテンで車内外を分けるやり方で、純然たる通勤電車の投入となった。
721系は今も活躍しているが、傷みが目立ち、特に窓に貼った飛散防止フィルムの劣化により、殆ど車窓が楽しめない現状は哀しいものがある。
1106南千歳721系.JPG

721系の車内。
非常に高品質な車両だ。
1003新千歳空港721系車内.JPG

JR東海が中央線に315系ロングシート車を投入、通勤仕様でありながら落ち着いた車内は好評らしい。
このあと、315系に都市快速用のクロスシート車ができるのかどうか、その辺りが東海の近郊型将来像の見極めだろうか。
お隣の名鉄では特急用途以外の転クロ車は製造されなくなっている。
当面、211系や311系を315系で置き換える作業が続くが、そのあとという事だ。

国鉄が解体され、JRが誕生して早37年になる。
これまでこの世代の転クロ車両は東海の一部を除いては引退はしていなかったが、西の221系は京阪神から追われ、北の721系も置き換え用車両の設計に着手されたと伝わってきている。
クロスシートを徹底し、奮闘する西は今後もクロスシート主体で行けるだろうか。

更新後も奈良所属の221系のうち、6連、8連のものは今でも転落防止策のない美しい姿で走っている。
その雄姿を。
221系D11更新ホロ未設置野田.jpg

JR東海311系が並んだ。
左はトップナンバー編成、右はラスト編成だ。
1217尾頭橋311系並び左トップナンバー.JPG

posted by こう@電車おやじ at 21:06| Comment(2) | JR化後の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月17日

富山県:早月川と常願寺川

はじめに・・
元日早々の大地震によって被害を受けられた、石川・富山両県の方々に慎んでお見舞い申し上げます。

さて、似たような橋梁付近で撮影したポジの塊が二つあり、似たような列車が写っていたがちょっと年代が違う・・
記憶では一回きりの1985年前後の富山訪問はどうも2~3回行っていたらしい。
Twitterでポジの撮影場所が二か所であることをご教示いただいた。
似たようなポジションに見えた写真も実は二か所別々、川も違う川であることが分かった・・有難いことだ。
人間の記憶なんて本当にあてにならない。

もう一度調べなおし、記憶をたどりなおし、最初の訪問は1985年夏頃ではないかということに落ち着いた。
別のネガに「きたぐに」で糸魚川で下車して419系へ乗り換える様子が写っていた。
この時に、魚津もしくは黒部で下車して富山地鉄に乗り、越中中村駅に着いたようだ。

そうしてもう一回のポジは1990年7月31日とケースに日付があった。
この時の訪問ではどうやら北陸本線に乗ったまま移動して水橋駅から歩いたようだ。

で、霧の中のこの写真。
築堤のようなものに向かっていく上り「電鉄富山行き」電車だ。
この場所が分からない・・
この先は線路を超えるっぽいが、西加積でも西魚津でも富山地鉄は国鉄と交叉するが、アンダーパスだからだ。
オーバーパスなのは黒部だけで、どうやら黒部で下車したらしい。
いまに至るまで富山地方鉄道が鉄道専用に製造した最後のシリーズ、14760系だ。
地鉄魚津14761霧.JPG

アーカイブから10020形の2連。
富山地鉄10024黒部.JPG

その次がこの写真。
霧がやや晴れてきた感じで、電車の走っている線路の手前にも線路用地があるように見えるがどうやらこれは空き地のようで、電鉄黒部駅近くとすれば、嘗て国鉄黒部駅とを結んでいた黒部支線の跡地だろうか。
貫禄ある旧型電車の3連、大手私鉄を思わせるような列車だ。
14750形の3連だ。
地鉄滑川14755ほか3連.JPG

越中中村駅、当時は駅横に変電所のような建物があった。
絵中中村駅変電所跡.JPG

駅舎はこちら。(アーカイブから)
富山地鉄中村駅.jpg

この駅は国鉄の真横にあり、国鉄列車が良く見えた。
特急「白鳥」485系。
越中中村485系白鳥.JPG

471系の普通列車。
越中中村471系.JPG

駅から徒歩5分くらいで橋梁に出た。
川は早月川で、劔岳に水源を発し、日本有数の平均勾配で一気に富山湾へ下る水流らしい・・
しかし当時のワタシがそんなことを知るはずもなく、ただ電車の撮影に便利そうだからと訪れただけだ。

14710形、クハ13が先頭だ。
この形式は地鉄のカラーに染まってはいるが、元は名鉄のAL3800系だ。
早月川地鉄13.JPG

国鉄特急、485系クハ481は貫通型200台、「北越」
早月川485系北越.JPG

地鉄14760形特急列車。
早月川地鉄14764特急.JPG

国鉄特急「白鳥」485系、ボンネット型クハ481。
早月川特急白鳥485.JPG

地鉄特急14760形、「うなづき」看板付き。
早月川地鉄14772うなづき.JPG

地鉄14750形2連。
早月川地鉄14750形2連.JPG

地鉄の不思議な2連、クハとモハで系列が異なる・・
173と14791。
早月川地鉄173・14791.JPG

国鉄419系初期の赤い車体。
早月川419系赤3連.JPG

こちらは急行型電車のオリジナルカラー(本当は裾の白線が・・)471系。
早月川475系原色6連.JPG

地鉄10020形。
早月川地鉄10025.JPG

常願寺川へいったのは、トワイライトが走り始めたころだ。
真夏で、上半身裸になり、時折水浴びしながら撮影した。
常願寺川の看板。
常願寺川プレート.JPG

前にも出したが、グレードアップ「白鳥」に「雷鳥」がかぶってしまった。
常願寺川485系雷鳥・白鳥出会い.JPG

JR化後なので当時のアイディア的な列車もある。
特急「スーパーかがやき」、長岡と福井を可能な限り高速で結んだ。
常願寺川485系スーパーかがやき.JPG

「スーパー雷鳥」
展望付きグリーン車に「だんらん」を連結、JRの「やる気」を魅せた列車だ。
常願寺川485系スーパー雷鳥クロ・サロ.JPG

その反対側。
常願寺川485系スーパー雷鳥.JPG

こちらは東日本のグレードアップ編成を使った「雷鳥」
常願寺川485系雷鳥グレードアップ編成.JPG

「雷鳥」には485系ボンネット特急も健在だ。
常願寺川485系雷鳥ボンネット.JPG

こちらは「北越」ボンネット型。
常願寺川485系北越ボンネット.JPG

419系の車体色も白くなった。
特急顔の編成。
常願寺川419系白特急顔3連.JPG

EF81牽引の貨物列車。
常願寺川Ef81105.JPG

419系、平面顔の3連。
常願寺川419系白3連.JPG

そして413系・・
常願寺川413系.JPG

いまや北陸本線は第三セクター3社に分割され、来月からはさらに一社が加わる。
特急列車など望むべくもなく、地道に通勤、近郊輸送と、貨物輸送に働くだけの線路になった。
写真は越中中村駅近くで419系。
越中中村419系.JPG
posted by こう@電車おやじ at 19:13| Comment(4) | 国鉄・私鉄双方の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月17日

レールバスの走った名鉄線

名鉄のレールバスが写った古いポジを見つけ、デジタイズスキャンした。
そして今回は、これにアーカイブスの中から関連写真を抜き出し、かつて名鉄が経営合理化のために富士重工製レールバスを導入した線区を見ていきたいと思う。

最初にレールバスが投入されたのは昭和59年9月の八百津線だ。
長閑な里の風景の中を走るレールバスは当時の最新車両という割には風景に溶け込んでいた。
物珍しさに早速見に行った。
明智駅に停車しているキハ10形。
富士重工製Le-Carの最初の導入例だった。
名鉄明智キハ10形.JPG

停車するキハ10形。
八百津線明智キハ10.JPG

単行レールバスは12分ほど走って終点に到着した。
八百津駅だ。
名鉄八百津駅 (1).JPG

駅の近くで少し撮影をした。
秋の風情、訪れたのがレールバスに置き換え直後であることを示している。
名鉄八百津線キハ10.JPG

ススキとレールバス。
名鉄八百津線キハ11ススキ.JPG

快走するレールバス。
名鉄八百津線キハ11.JPG

多分この時に、間もなく非電化されると聞く三河線に向かったのだろうと思う。
地下鉄を経由して開通したばかりの豊田新線で・・
梅坪駅の様子。
名鉄豊田線梅坪100系2740.JPG

三河線の奥へ・・
西中金駅近くで少し撮影している。
6800系2連。
三河線西中金6800系2連ー4 (1).JPG

その反対側。
三河線西中金6800系2連ー4 (9).JPG

HL3730系。
三河線西中金3730系.JPG

そしてここには翌年春のレールバス投入後に再訪している。
猿投駅にはいるキハ10形。
三河線猿投キハ10入線.JPG

乗降風景、驚くほど多くの乗客が乗り込んでいた。
三河線猿投キハ10.JPG

発車風景。
三河線猿投キハ10発車.JPG

西中金駅。
三河線西中金キハ10.JPG

そして三河広瀬駅。
名鉄三河線三河広瀬駅舎正面.JPG

角度を変えて・・
名鉄三河広瀬駅斜め.JPG

三河広瀬でのキハ10形。
名鉄三河線広瀬キハ10形.JPG

時間的余裕がなかったのだろうか・・これ以外の写真は見つかってはいない・・

そしてこれは多分別の日、数年を経た後だと思うが三河線海線を訪問していた。
碧南駅、車両が少し大型化されたキハ20形だ。
三河線碧南キハ20.JPG

この列車に乗って吉良吉田へ行ったようだ。
ようだと書いたのは、記憶が消えているからで、この写真を見つけるまでは自分では三河線海線の廃線区間に乗っていないと思っていた。
後にキハ30にも乗ったはずだがこちらは記録が出てこない。

吉良吉田駅。
三河線吉良吉田キハ20.JPG

さてここ数年、名鉄各線の再訪をしているが、三河線には蒲郡線のついでに行くことが多い。
現在の吉良吉田駅、蒲郡線乗り場はかつての三河線ホームだ。
0627名鉄吉良吉田駅旧三河線跡.JPG

そのホームに停車する蒲郡線6000系ワンマン車。
0825名鉄吉良吉田6000系ワンマン.JPG

白帯車も来る。
1204吉良吉田名鉄6011停車.JPG

現在の碧南駅、入線する6000系更新車。
0627名鉄碧南駅6034入線.JPG

海線廃線区の代行バス。
この日はものすごい乗客でこれなら電車を残したほうが良かったのではと思った。
0627名鉄吉良吉田駅三河線代替バス.JPG

かつての三河線風景も少し。
名古屋方面と直通していた碧南行き急行。
ラッシュ向きの3550形だ。
知立3552急行碧南.jpg

100系の山線急行。
名鉄100系知立.jpg

かつての三河線、普通に使われていた白帯7700系。
名鉄7700知立.jpg

梅坪駅の今。
名古屋市営地下鉄はすでに開業時の車両からは三世代目になる。
1011梅坪名古屋市交N3108.JPG

豊田市・・名鉄電車が並ぶ。
1011名鉄豊田市200系6000系.JPG

名古屋市営地下鉄と名鉄の並び。
1011豊田市名鉄6014・名古屋市交N3101.JPG

知立・・
高架工事たけなわだ。
0402知立高架工事.JPG

その工事中の知立に進入するパノラマスーパー特急。
1011知立1000系進入2.JPG

広見線明知駅・・
0202名鉄明智駅舎.JPG

構内、今はさらに工事がなされ、完全に棒線化されている。
0202名鉄明智駅構内.JPG

かつての八百津線代行バスは今も健在。
明智とうてつバス。
0202明智とうてつバス八百津行き.JPG

桜の三河線、平戸橋駅。
0402平戸橋名鉄6000系入線.JPG


里の風景。
失ったものはもう取り戻せない。
あの頃、ローカル線を思い切ってばっさり切り捨てた名鉄だが、揖斐線岐阜寄りの区間や美濃町線関以南などと合わせ、三河線海線の一部廃止はやり過ぎだったと思うし、さてこれからどうするのかという名鉄の長期的な視点も欠けていたような気もする。
名鉄八百津線キハ10寺院前.JPG

時として斬ることが経営者の仕事となるのは理解できるが、それによって離れた人心はもはや帰っては来ない。
代わりに建設された中部国際空港への路線は確かに大勢の一元客を取り込み、名鉄の経営安定には寄与したのだろう。
だが捨てられた地域住民はその恨みを忘れることはない。
地域に根差さない鉄路の未来とはどんなものなのだろうか。
今も蒲郡線、広見線末端区間の廃止が取りざたされているが本当にそれでよいのか、今一度、経営陣には踏みとどまってもらいたいとワタシは思っている。
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2023年12月23日

宗谷本線勇知、デジタイズスキャンで蘇る・・

(本稿の写真は以前にエントリーしたものが多くなっていますが、今回はデジタイズアダプターでスキャン、高画質なデータをPhotoshopで加工したもので写真類の一新をしています)
昭和62年6月、傷心から、いったん何もかも捨てて北へ渡った僕は、それでも鉄道を楽しもうとする自分にも半ば呆れてはいた。
だが、心を無にし、素直に列車に乗ること、列車を見ることは傷ついた心を癒す大きな力になったのもまた事実だった。

広い北海道を当てもなく列車に乗る。
一気に行った稚内ですぐに折り返し、キハ56を両運転台改造したキハ53504の普通列車で勇知という駅で降りた。
勇知キハ53504.JPG

駅舎は車掌車がぽつんと置かれているだけだ。
だが、脇の暖房装置が北海道を物語る。
勇知駅舎.JPG

駅の周りを歩いてみた。
花が盛んだ。
北海道の春は一度にやってくる。。
開花前のルピナス。
勇知ルピナス.JPG

こちらは開花したもの。
勇知ルピナス 開花.JPG

ムラサキツメクサ。
勇知ムラサキツメクサ.JPG

デイジー。
勇知デイジー.JPG

駅すぐ近くに牧場が見える。
勇知牧場.JPG

構内、ただの棒線駅だ。
だがこの味わいはどうだ。
勇知構内.JPG

急行「宗谷」が来た。
先頭はDD511093、前2両が寝台車、後ろ4両が座席車で、この当時は夜行列車と昼行列車を同じ車両で運行する編成があり、寝台車は座席指定として使われた。
コンパートメント式の座席指定・・ついぞ乗らずに終わったが如何にも北海道らしい列車だと思う。
勇知DD511093宗谷.JPG

機関車の次位はスハネフ14だ。
勇知DD511093次位スハネフ14.JPG

スハネフ14・オハネ14と続いてオハ14となる。
勇知DD511093スハネフ・オハネ.JPG

昼間のブルートレイン、なぜこういう北海道らしい列車を残しておいてくれなかったのだろう。
勇知14系宗谷後尾.JPG

遠くへ過ぎていく列車。
勇知急行宗谷遠望.JPG

キハ40がやってきた。
キハ40228、この当時としてはまだ新車の香りが漂っていた。
勇知キハ40228遠望.JPG

接近する。
勇知キハ40228.JPG

去っていく単行気動車。
勇知キハ40228後追い.JPG

この時以来、未だに宗谷本線には乗れていない。
いつか時間的精神的に余裕ができたなら乗りに行きたい、そしてもう一度再訪したい宗谷本線勇知である。
posted by こう@電車おやじ at 22:34| Comment(0) | JR化後の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする