2025年05月11日

山陽電車と高砂線の加古川橋梁

加古川橋梁のネガが見つかった、そしてこれまで公開していた写真のうち、露出不足だったものがデジタイズで復元できた。
それにアーカイブスを組み合わせてあの頃を再現したいと思う。

山陽電鉄3000系3611(3022F)すれ違う高砂線列車、キハ20だ。
加古川橋梁山陽3611・キハ20.JPG

そのひとつ前のコマ、高砂線列車はキハ35とキハ20だったようだ。
加古川橋梁キハ20・35、山陽3022.JPG

DD13牽引の貨物列車が行く。
貨車の内容からして国鉄配給ではなさそうだ。
加古川橋梁高砂線貨物列車.JPG

高砂線キハ20の編成。
山陽・高砂線キハ20.jpg

こちらは高砂工場配給貨車を繋いだ高砂線貨物列車。
山陽・高砂線貨物.jpg

機関車DD13174 のアップ。
山陽・高砂線DD13174.jpg

ツートンカラー、国鉄標準色のキハ35がやってきた。
この気動車はやはり、この色合いでないと。。。。
加古川橋梁キハ35旧塗装.JPG

後追い、後ろは朱5号一色塗りだ。
加古川橋梁キハ30・35_02.JPG

遠くへ去る列車、国鉄高砂線と山陽電鉄本線が並ぶ。
加古川橋梁高砂線・山陽並列.JPG

山陽3050系3636が高砂線列車と並んだ。
加古川橋梁キハ20・37山陽3636.JPG

高砂線列車はキハ20とキハ37だ。
加古川橋梁キハ20・キハ37.JPG

高砂工場配給列車。
オハネフ25、キハ47が繋がっている。
山陽・高砂線DD13614.jpgseesaa.net/image/E5B1B1E999BDE383BBE9AB98E7A082E7B79ADD13614-5fde4-thumbnail2.jpg" width="640" height="426">

この頃は山陽電鉄にも魅力的な旧型車が残っていた。
2000系2008F、かつてのロマンスカー特急車だ。
加古川橋梁山陽2008.JPG

過去現在含め山陽が作り上げた最高峰の電車、ステンレスロマンスカー2010F。
加古川橋梁山陽2011.JPG

ツリカケながら高速運転が出来た270形277。
加古川橋梁山陽277.JPG

2700形から高性能改造を施された2300系2601(2302F)。
加古川橋梁山陽2601.JPG

ステンレス通勤車、2015(2014F)。
加古川橋梁山陽2015 (2).JPG

最後の活躍をする850系853。
加古川橋梁山陽853.JPG

すぐ横には山陽新幹線も。
0系オンリーの時代。
加古川橋梁0系大窓サイド.JPG

特徴的なお顔のアップ。
加古川橋梁0系アップ.JPG

3050系、エアサス編成。
3634(3054F)。
加古川橋梁山陽3634.JPG

3635(3060F)、正面窓ゴムの黒が特徴だった。
加古川橋梁山陽3635.JPG

3636(3062F)
加古川橋梁山陽3636.JPG

3637(3064F)、何やら看板をつけている。
加古川橋梁山陽3637.JPG

海水浴看板を付けた3022。
加古川橋梁山陽3022.JPG

新幹線と山陽3000系の出会い。
加古川橋梁山陽3062新幹線0系.JPG

工業地帯をバックに行く3000系、中間に3550形を連結している。
旧運転台の向きからして3552もしくは3558だろう。
加古川橋梁山陽3000系3550組み込み.JPG

新幹線の新車、0系小窓編成が行く。
ワタシは今もここで時折山陽新幹線を眺める。
加古川橋梁0系小窓.JPG

国鉄貨物列車を山陽電鉄特急が追う。
行先は阪急六甲だ。
山陽3614・高砂線貨物加古川.JPG

posted by こう@電車おやじ at 23:00| Comment(0) | 国鉄・私鉄双方の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月02日

デジタイズ神戸電鉄

神戸電鉄のネガがいろいろ見つかった。
ネガが見つかるたび、デジタイズ処理していたが、ある程度の枚数が溜まったので、ここで一度、公開しておこうと思う。

鵯越の坂を登る1109編成。
なお、神戸電鉄(神鉄)では電動車にデを、付随車にサをつけるのが正式だが、本稿では省略させていただく。
神鉄鵯越1005.JPG

鈴蘭台にて1356。
山が近かったんだと改めて思う。
神鉄鈴蘭台1356.JPG

鈴蘭台での1310。
1300系はすでに全廃されている。
神鉄鈴蘭台1310.JPG

鈴蘭台駅北側で851.ツリカケ機器類を使った旧型からの更新車だが、初期車はシュリーレン台車を履いていた。
神鉄鈴蘭台851.JPG

少し時代が下がったカラーポジから。
谷上での1360、裾にオレンジ帯を巻いている。
この編成は現在、旧塗装に戻されメモリアルトレインと称されるが、裾帯の復元までは至っていない。
北神急行の工事が終盤を迎えている。
神鉄谷上1360裾帯.JPG

谷上での1053、こちらも裾帯付きで竣工した。
神鉄谷上1053裾帯.JPG

新塗装になった1125。
当初の新塗装は客用ドア部上下にも赤色が入っていた。
神鉄谷上1125新塗装.JPG

852、サイドの美しい電車だ。
神鉄谷上852.JPG

山の街付近にて、3009、3000系が神戸電鉄の虎の子だったころ。
神鉄山の街3009.JPG

1100系、電車はやはりオリジナルが美しい。
神鉄山の街1100系.JPG

三木の807、この頃の粟生線は三田線と比しても互角に見えるほど乗客は多かった。
神鉄三木807.JPG

菊水山付近、1117がトンネルから顔を出す。
神鉄菊水山1117.JPG

ツリカケ801が行く。
神鉄菊水山801.JPG

1151、今、薄緑に塗られ、メモリアルトレインとして人気を博す編成だ。
神鉄菊水山1151.JPG

ツリカケ863が軽やかに上る。
ツリカケとはいっても、110kw全電動車の強力車だ。
神鉄菊水山863.JPG

1075、増結込み4連の先頭に立つ。
神鉄菊水山1375.JPG

粟生で加古川線キハと連絡する。
両路線とも大幅に乗客を減らしてしまっている。
神鉄粟生キと神鉄俯瞰.JPG
posted by こう@電車おやじ at 10:28| Comment(2) | 関西私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月01日

公共交通崩壊の時代へ

この3月末で名鉄美濃町線の代替バスとして機能していた岐阜バスの「岐阜美濃線」が事実上の廃止となった。
0110美濃市駅岐阜バス美濃町線.JPG

名鉄美濃町線は明治44年に「美濃電気軌道」として神田町・上勇知間(後の柳ケ瀬・美濃)間を開業した古い電気鉄道で、会社は名岐鉄道、愛知電気鉄道などとともに今の名古屋鉄道(名鉄)を構成する重要な企業であり、美濃電気軌道が開業した路線のうち一部は今も名鉄名古屋本線の一部でもある。

岐阜市から美濃市へは、JR高山線から美濃太田で長良川鉄道への乗り換えをすることで多分、美濃市を訪れる観光客への影響は少ないだろうが、美濃町線沿線住民が岐阜へ出るのは著しく不便になる。
写真は長良川鉄道美濃市駅。
0110長良川鉄道美濃市駅舎.JPG

名鉄美濃町線が健在だった頃、途中の関を境に大きく乗客数が変化していて、名鉄も関・美濃間の維持には苦労していた。
今現在も、関から岐阜へ出るバスは頻発していて、都市交通として機能しているがそこから北はこれまでは減ったとはいえ、一時間~二時間ヘッドで終日バスが走っていたわけで、ワタシ自身も過去に二度ほどこのルートのバスを使ったことはある。

鉄道時代の数倍の運賃、1.5倍の所要時間を要するが、それでも美濃太田経由より安くて早かったし、何より乗り換えが必要ないのがありがたかった。
両端を結ぶ乗客は自分しかいなかったが途中乗降が結構あり、あの人たちが乗るべき乗り物を失うのかと思うと現地の人々の落胆も分かるというものだ。
かつての美濃駅。
名鉄美濃市駅.jpg

美濃駅に並ぶ車両たち、左が600形、意欲的なローカル線ロマンスカー、右は830形、なんと札幌からの移籍だ。
名鉄美濃モ600・A830.jpg

今現在の美濃駅、保存会によって美しく保たれている。
0110旧美濃駅.JPG

車両もまた代表的なものがボランティアの手により保存されている。
0815美濃駅モ876・601・512・593_02.JPG

美濃市の現在の人口は17000人ほどで、これは岐阜県の市としては最も少ない数字だそうだ。
ちなみに同じ岐阜県の養老町でも人口は25000人以上あることを思えばバスとて美濃市で営業を継続するのが難しいという事情は見えてくる。
また、養老町の人口ピークが平成7年の33000人余りだったことに対し、美濃市では人口のピークは昭和30年代初頭で31000人、それ以後、ずっと減少を続けているわけであり、美濃市域の長期低落傾向というのは今後も続くしかないだろうという印象を持ってしまう。
ただ、美濃市も昭和40年から平成2年までは人口は26000人台を維持している。
平成11年、名鉄は長良川鉄道と完全に並行している関・美濃間を廃止(これによって開業時からの美濃町(→美濃市)へは行かなくなった)したが、以降は雪崩のように人口が減り続けている。
名鉄の廃止が原因というよりは、人口減少の中で鉄道を維持できぬほどに乗客が減少し、体力の限界を感じた名鉄が代替交通手段のある区間を廃止したというのが真相だろうが、鉄道の廃止は人口減少へのさらなる追い打ちをかけたのかもしれない。
さらに名鉄美濃町線は平成17年3月末で全線が運行を終了、すでに美濃市へ来なくなっていた路線だが以降は美濃市の人口の減少が加速した感もある。

名鉄の岐阜県内600V線区が全廃となって本年4月でちょうど20年、その期日に代替バスもが姿を消すのは、これは、ごく小さな地方の物語ではないようにも思える。

同じ岐阜地区600V線区である名鉄谷汲線は、美濃よりさらに先を行っていた。
良い意味ではなく、悪い意味でだ。
写真はかつての谷汲駅。
名鉄谷汲駅舎.JPG

谷汲線に岐阜と結ぶ臨時直通急行が入った。
名鉄谷汲線511急行.JPG

谷汲駅での様子。
名鉄谷汲線522外から.JPG

谷汲線は名刹谷汲華厳寺への参拝を主な目的として美濃電気軌道が支援して開業した路線だが、華厳寺の祭礼の際の乗客は多くとも、普段は人口数千人(平成17年で3900人余り)の小さな村であり、当初から乗客は少なかった。
だが、参拝客も自家用車や観光バスが大多数で、鉄道利用客が限られるようになると路線維持すら困難になってくる。
廃止は平成13年で、最末期の谷汲駅での一日平均利用客は390人ほどだったようだ。
廃止後、揖斐川町に営業所を持つ名阪近鉄バスが代替輸送を担ったけれどこれも平成17年に廃止。

この時と期を一にして谷汲村は揖斐川町に合併、揖斐川町コミュニティバスが名阪近鉄バスに業務を委託する形で、運行をするようになったが、結果としてはこれも長続きせず、令和元年よりタクシー会社に運行を委託する形で大幅に便数を減らしコミュニティバス、ディマンドバスの運行に切り替えられている。
名阪近鉄バスが受託していた揖斐川町コミュニティバス。
0401谷汲双門前名阪近鉄バス.JPG

地元住民ではない旅行者が公共交通機関で谷汲を訪れる場合、土日祝日には最低限の便数が揖斐もしくは谷汲口から運行されるが、特に平日は便数が非常に少なく、結果として一旅行者がふらりと訪問することは著しく困難である。
ワタシは名阪近鉄バスの最終期に時間を合わせて谷汲を訪問したが、以降は立ち寄れないでいる。

バス運転士不足が言われて久しいが、小泉改革によってバス事業への新規参入が簡単になり、ドル箱路線には他の事業者が簡単に参入するのに対し、既存事業者はローカル路線の維持を地元より懇願され、足がニ抜け出せなくなっていたところに新規参入により黒字路線すら赤字となってしまい、もはや事業としての旨味もないのだろうし、運転士の収入や勤務形態は悪化の一致をたどり、さらにコロナ禍で多くの運転士が解雇、他事業へ移るあるいは引退ということになってしまい、そこに急速に進む高齢化、なにもバス運転士のような過酷な労働をしなくても人手不足の世の中、他条件の良い仕事を探せばよいわけで、普通に考えて運転士が足らなくなるのはこれは必然だろう。

つい先月、妻の両親の里である大分県南部に行ってきた。
鉄道を見るためではなく、高齢の義母の10年ぶりの里帰りの付き添い兼運転手だ。
集落の半分は無人で、家が崩壊しているところもあるし、公共交通は隣の市との間に走る日に3便の路線バスがあったが最近廃止され、近くの駅と結ぶ3便のコミュニティバスに切り替えされた。
しかしこの近くの駅というのが日豊本線で上りは日に3本、下りは1本しかないという(特急はそれなりに通過する)代物で、かつて町内を走っていた路線バスは悉く撤退、自治体運営のコミュニティバスバスも大半は前日までの予約が必要なディマンドバスに切り替えられていた。
写真はかつて路線バスの正規バス停だった「ととろ」バス停。
アニメキャラが楽しいがここに来るには、余所者には自家用車しか手段はない。
0303宇目ととろバス停2.JPG

ローカル路線だけではなく、工場地帯への通勤バスすら事業者の代替交通なしの撤退という事例もある。
山陽電鉄系の山陽バスが、明石市交通部から譲り受けた路線のうち、二見人工島企業群への通勤バスがすべて休止(事実上の廃止)されたのも今年4月1日だ。
便によってはバス定員いっぱいの50人以上が乗車する路線だったが、垂水区の営業所から遠く、回送に時間と人を要することなどの要因が重なり、他の事業者への譲渡もなく一気に廃止となってしまった。
現地へ鉄道駅から徒歩で向かうのはあまりにも現実的ではなく、企業各社において送迎バスを準備したり自家用車乗り合わせを推奨するなどの騒ぎになっている。
この前に、同社は明石市から受託していたミニバス「タコバス」事業の受託も廃止している。
0828西二見山陽バス4644A.JPG

バス事業者としては、この路線の回送のために要する時間と人で、他の重要路線の便数を確保したい気持ちが伝わってくる。
いつまで公共交通を交通事業者の犠牲、交通労働者の低賃金・悪条件で賄うつもりだろうか。
公共交通という以上は、ここで国家が自国内の安全と労働環境、居住環境維持、向上のためにそれらすべてを安全で高品質な国家政策として補助すべきではないだろうか。
国鉄改革はそれまで全国津々浦々にまで張り巡らされていた鉄道というサービスを、幹線で儲かる路線だけを民間事業者にさせるという大胆で大きな勘違いの政策だった。
国鉄の路線から外れた地域や、もとより細々とした民間事業者しかない地域は国家の交通政策から最初から放り出されでいたが、それがこの国鉄改革で国鉄だった場所にも広がってしまった。

その中で、地元地域を大事にしていた名鉄のような私鉄グループでは、弱体化する地方の不採算路線まで抱え込むことが出来なくなってしまい、それを引き継いだバス事業者もあまりに不採算ぶりに音を上げてしまい、さらにはそこから引き継いだ自治体ですらも交通を維持することが難しくなっていく・・・
それが国家の弱体化でなくてなんだろう。
いやいや、岐阜では、まだまだ可能性のある、それゆえ国土交通省が提唱していたLRT推進事業のモデル都市となるはずだったが、それを拒否し、みすみす街を衰退させた市長というのも存在した。
名鉄600V線区でも揖斐線黒野・美濃町線関以南と、岐阜駅前の間は鉄道として十分に発展する可能性があったのをわざわざぶっ潰したのだ。
美濃町線。
廃止路線名鉄美濃町線野一色.jpg

揖斐線。
名鉄780形揖斐線赤.jpg

新岐阜駅前の喧騒。
岐阜市内線556新岐阜.JPG

いまや柳ケ瀬や徹明町にはかつての賑わいはなくただ、JR東海によって活性化した岐阜駅周辺だけが賑わっているというのが実情だ。
先日、久しぶりに夜の徹明町や柳ケ瀬に行ってみたが、静まり返るアーケードが悲しかった。
今も残る電車の切符売り場。
0401徹明町駅跡.JPG

人の消えた山野で売電のためのソーラーパネルだけが広がり続け、人の消えた商店街の店舗や土地を買うのは外国人不動産屋だというのは、これは国家の崩壊でなくて何だというのだろうか。
ローカル鉄道が走り、ローカルバスが走り、何処の集落のひとでも日本中へ旅をし、日本中の何処へでも旅行者が安全に自分の足で到達できることこそが、本当の意味で「豊かな日本」なのではないか。
愛すべきローカル鉄道が廃止され、その行き着いた先を我々は今、見ているのだ。
その目を逸らすことは日本の未来に目を背けることではないのか。
政治家、実業家、すべての国民に問いかけたい。

最後に、長閑に走るローカル電車。
三岐鉄道、背景は藤原岳。
0730三岐丹生川100形2連.JPG

手前の川のように見えるのは全てソーラーパネルだ。
誰が得するか分からないような国家崩壊への指向を今すぐやめるべきではないか。

posted by こう@電車おやじ at 21:29| Comment(2) | 鉄道と社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月15日

でら好きだがや7500!(すっきゃねん7500!)

僕が名鉄ファンであることは前にも書いたし、このブログのカテゴリに「名鉄の思い出」を入れているというのは、名鉄を特別扱い、いわば自分の中で特別な存在として捉えているからだ。
その名鉄、車両面では傑作、珍作が多く、今も結構飽きない電車ではあるけれど、半世紀前は飽きないなんてものではなく、それこそおもちゃ箱をひっくり返したかのような楽しさがあった。
揖斐線の510・520形の急行、美濃町線の600形、本線でも流線形3400はまだだ一線で5000等は新しい部類だった。
AL、HLの列車が錯綜する中、10分ヘッドほどでたくさんやってくるパノラマカー、いつ来ても、どれほどの回数来ても飽きることのない電車が走り回っていた。

さて、そのパノラマカーには2種類の系列があった。
いや、のちの貫通型や更新車・改造車を入れれば5種類になるだろうが、全面展望を完備した7000系と7500系の二種こそが本当の意味でのパノラマカーだろう。
初めて岐阜・名古屋を友人たちと訪問した昭和51年の春、最初に出ったのは岐阜駅前、揖斐線のモ510・520形の急行で予備知識なしの目にはまさに驚愕だった。
そして、新岐阜駅では、各務原線に行かねばならにのに、本線高架ホームに間違えて上がってしまった僕らの目の前に停車していたのが7500系だった。
名鉄新岐阜7500フロントアイなし.JPG

この当時の名鉄電車は今のようにピカピカではなく、どこか埃を被ったような汚れがあったものだが、それは国鉄でも同じこと、今のようにはメンテナンス技術も発達していなかったのだろう・・はさておき、あまりの格好の良さにしばしそこでボウッと見ていたような気がする。
この時の旅行は各務原線で明治村に行き、見物のあとは名古屋へ臨時特急で向かった。
パノラマカーを期待したが、この時は7700系だったが、まだ新車でその乗り心地を楽しんだ。

翌日、名古屋で何箇所か巡り、新名古屋駅近くの駐車場入り口で係員に頼み込んで少しだけ、名鉄を撮影させてもらった。
時間にしては僅か10分ほどだったが、この際も7500系に出会っている。
名古屋名鉄新名古屋7500.jpg

コンパクトカメラでのとっさの撮影で、当時の僕の力量がこの程度だったとわかる稚拙な写真だが、昭和51年春に運転された河和・新岐阜間を犬山経由で結ぶ列車だ。

当時はまだ、僕自身は7000系と7500系の違いがよく分かっていなかった。
これを知ることになるのは間もなく手に入れた「私鉄電車プロファイル」の図面と記事で、設計最高速度180km/hの記事に驚いた。
名鉄パノラマカー7000系は、昭和36年の登場時、システム的には安定したSR系列と同等にものを使ったが、その2年後、昭和38年の新型パノラマカー7500系の際には当時最新のシステムを導入、阪急2000・2300系に先を越されはしたが、トランジスタを多用した界磁位相制御となった。
定速度制御(今でいうオートクルーズ的なもの)も可能になり、熟練の運転士から高い評価を得たという。
しかし、当初の特急専用という運用だとこれもいいが、やがて急行などにも使われるようになるとこういった高性能はむしろ足かせとなる。
この点では阪急も同じだったようで、いわば進みすぎた、先を読みすぎた事例となるのかもしれない。
また抜きんでた高性能ゆえ、7500系は他のSR車との連結が出来ず、7000系が支線区へ進出したり、ラッシュ時には5000系以降のSR各系列と連結できたことを考えると、7500系の高性能は成功とはいえないのかもしれない。

だがまだ、僕が写真を撮り始めたころには7500系は第一線の特急列車で活躍していた。
全面展望室部分がフラットで、腰の低い綺麗なラインはこの系列特有のもので、飛び出たように見える運転台もまたチャームポイントだった。
連続窓がきれいに並ぶ姿が美しい・・・下地にて。
名鉄7500下地1.JPG

7500系のチャームポイントはまさに展望室だ。
名電山中。
名鉄7500高速踏切.jpg

しかし飛び出した感のある運転台はもしかすると全体のバランスを崩しているかもしれない。
藤川・名電山中間。
名鉄名電山中7500流しサイド.jpg

この点では7000系のデザインに参加した萩原政男氏が「7000をデザインしておきながら次世代車もスケッチしておいた」が名鉄からは依頼がなかったという。(レイルマガジン41号)
運転席を前方に出して庇形にする案だったというが、それではパノラマカーのイメージとしては全く違ったものになる可能性もあったという事だろうか。
その7500を見たい気もするし、見たくない気もする。
パノラマカー7000の意匠をほとんど変えず、完成度を上げていった名鉄の車両設計は王道である。

昭和52年、国鉄の流電を見に行ったとき、国鉄に接する時間以外のすべてを名鉄にかけた。
その際に、神宮前で見た7500系だ。
名鉄7500神宮前.jpg

後に訪問したときの7504の車内、更新されてクリーム系の内装になっていた頃だろう。
赤いシートは特急運用に優先的に使われる編成だ。
名鉄7504車内.JPG

内海駅近く、信号所付近での7500系。
カラー写真の痛みを修正している。
どうやってこの場所に行ったかはいまだに謎だ。
名鉄7500内海近くカラー復元.JPG

乙川を渡る7501F、この角度が最もこの電車を美しく見せる。
名鉄岡崎7501_2.jpg

新木曽川を通過する7500系特急。
S55名鉄新木曽川7500特急.JPG

今伊勢での7500系。
名鉄今伊勢7500下り.JPG

長閑な地平駅だった本宿駅通過の様子。
名鉄7500本宿.JPG

名鉄の特急施策が変更になり、専用車として7000系白帯車の整備が始まる。
すると6連でしか使えない7500系は特急運用の大半を追われ、急行・高速を中心に走るようになる。
この頃から7500の凋落が始まった。

車内の整備も等閑になり、荒れた雰囲気の車両もあった。
それでも7500は美しかった。
特別な料金を払わずとも乗れる7500は名古屋訪問の主目的にもなっていく。
新岐阜駅各務原線ホームの犬山行き急行。
名鉄新岐阜各務原線7500急行.JPG

今の舞木検車場付近を行く高速。
名鉄舞木旧線7500後追い.JPG

乙川を渡る7565先頭の列車。
7515Fの中間車でパノラマミックウィンドウを持つ運転台があった。
名鉄乙川7605.jpg

青空を背景に乙川を行く。
名鉄乙川7500上り.JPG

国府宮にて。
名鉄国府宮7500.JPG

内海、7515Fで、逆富士型の表示板が大きい。
内海名鉄7500BW加工.jpg

木曽川を渡る。
名鉄東笠松7500サイド.jpg

新安城で7700白帯特急と出会う7500急行。
これこそまさにパノラマ一族の下剋上とでもいうものだろうか。
名鉄7500・7700新安城.JPG

石刀付近を行く7515F。
名鉄本線新木曽川7500俯瞰.JPG

雨の東笠松、急行。
S61名鉄7500急行東笠松雨.JPG

上下の急行、7500が出会った。
だが、これを見ていた僕はそのシーンを一瞬、茫然と見てしまいタイミングが遅れた。
しかも、下りは7515ではないのか。
このシーンは僕にとって最大の失敗だったと言えるかもしれない・・後悔が大きい。
名鉄7500離合東笠松.jpg

上り急行、豊川稲荷行。
名鉄7500東笠松急行.jpg

当時としては撮影ぎりぎりの時間帯、東笠松で上り急行。
名鉄東笠松7500流し.jpg

平成に入ると、特急施策の変更から、5編成を廃車して1000・1200・1800系と同じ車体を新製した1030.1230・1850系が登場した。

さらに残る7500は低重心設計故、車体高さが低く、中部国際空港へのバリアフリーに対応できないとされ、全車が廃車となった。
それなら、車輪径を大きくして、台車にライナーを入れることで問題となった80ミリの段差は解消できるのではないかというのは素人考えなのだろう。

7500系の機器類を再利用した1030ほかの系列も2019年までに廃車される。
やはりほかの系列と連結できない不便さからだろうか。
2019年に廃車寸前の1131F、岐南で。
010504岐南名鉄1131上り.JPG

愛してやまない名鉄SR車、さらにそのうちのパノラマカー、その中で最も愛するのが7500系だ。
佳人薄命というが彼らは昭和38年に登場し、平成17年にすべて引退、この間42年間、最後は特急運用には就かなくなっていったといっても、主に急行用として名鉄の主要線区を走った。
そう考えると、幸せな一生だったのかもしれない。

富士松で。
名鉄富士松7500仰望.JPG

新岐阜で。
名鉄本線新岐阜7500入線.JPG

今伊勢、国鉄側から。
名鉄今伊勢7515.JPG

美しいシルエット、乙川。
名鉄7500シルエット岡崎.jpg

最後に、あの悔しい東笠松の出会いを今の自分の技術で加工して蘇らせてみた。
7500よ、永遠なれ。
名鉄7500並び合成東笠松.jpg

僕は小説もするが、拙作に「パノラマドリーム」というのがあり、7500との夢の中での出会いをモチーフにしている。
那覇新一Story・・小さな物語「パノラマドリーム」
posted by こう@電車おやじ at 21:48| Comment(0) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月11日

保存車両への雑感

国鉄時代、最初は引退する蒸気機関車を、やがては電機、ディーゼル機、電車や気動車、客車、新幹線車両などが各地で保存されるに至っている。
車両というものはまさにその時代の文化の集積物であり、保存されるというのは意義の大きなことだとは思う。
だが、その車両が保存された後、荒廃するのはこれは、国鉄など鉄道事業者には見えていることであり、それゆえに、それと国鉄の場合は「廃車解体」というその行きつく先を明らかにすることによって帳簿上の問題点を亡くしてきた部分もあり、自治体などからの保存要請には「無償貸与」という形をとってきていた。

国鉄が解体され、保存車両の原簿は各JRに移行されたが、その頃より役所の予算、人手不足により保存されている車両の状態が劣化し、時にはほとんど崩壊するような状態になってしまったのは、それを見る地元住民や、鉄道ファンには哀しいことであった。
状況が若干改善されたのはここ数年で、鉄道ファンや地元ボランティアの方々の意識が変わり、積極的に地元の文化遺産として活用しようという機運が満ちてきている。

それには博物館として多くの車両を保管してきた各団体の努力というものが認められてきたという事もあろう。
鉄道会社でも保存の意義を理解してくれて、これまで保存には熱心でなかった会社でも積極的に自社の文化遺産を守ろうとする傾向がみられることは良いことだと思う。

北海道、安平町のD51 320号機・・
おそらく日本で一番美しい静態保存機だろう。
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この罐は雪のない季節には週に一度、建物の外に出てくる。
そのための移動機が一緒に保管されている。
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安平にはキハ183もある。
なおこの町内には他にキハ183もう一両と、スハフ45がある。
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北海道、室蘭の旧駅舎。
線路は外されたが建物は見事に保守されている。
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その真横にD51 560号機が保存されている。
海の見える場所であり、保存には絶望的な場所であるはずが、ロッド磨き出し、きちんと手入れのされた個体だ。
国鉄から貸与された時からずっと磨き続けているのだろうか。
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九州、鹿児島県吉松のC55 52号機。
ここもロッドは磨き出しだ。
昨今の九州山間部は人口の減少著しく、こういった地道な作業も人を集めるのに難儀しておられないだろうか。
一人の意を決した人があれば機関車の美観は保たれる。
吉松がかつては鉄道の街というほどに、鉄道員やその家族、関連企業により栄えたその証を伝える証人でもある。
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岐阜市梅林公園のD51 470号機。
ここは友人にご教示いただいて初めて訪問したが、その美しさに絶句した。
岐阜と言えば、あっさりと名鉄600V ネットワークを崩壊させた、鉄道をないがしろにするイメージがあっただけに意外な、そして嬉しい出会いだった。
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その岐阜市、駅前には懐かしい御大がいる。
名鉄揖斐線急行用だったモ513だ。
市内の公園で劣化していたものをここに移設、岐阜市が本腰を入れて保存されている。
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様々なイベントを行いながら、車体を磨き続けているボランティアの存在は大きい。
夜景は美しい。
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和歌山県、有田川鉄道保存会にいたころのD51 827号機、油が滴りおち、艶を放つ罐は本当に美しかった。
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このあと、827号機はえちごトキめき鉄道に貸し出され今に至る。
有田川には看板代わりのD51 1085号機もいる。
こちらも良好な保存状態だ。
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有田川鉄道保存会はこのほかにも富士急行出自のキハ58、樽見鉄道や北条鉄道出自のレールバスも保存されいずれも見事な整備状況でもある。
そしてワタシが神戸のD51 1072号機を整備するのにまず最初に訪問し、実際の保存車両の扱いについてご教示をいただいたところでもある。
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片上鉄道保存会、
貴重な国鉄キハ07出自の気動車、キハ702。
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国鉄キハ04出自のキハ303。
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そして自社発注のDD13を先頭にした客車列車編成。
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鉱山記念館の一角である吉ヶ原駅構内に見事な状態で車両たちが並んでいる。
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惜しむらくは、コロナ禍以降、中止されている運転イベントが未だに復活しないことで、これには町の支援やボランティア側の都合もあるだろうが、どうか再開を心から祈る。

加古川市鶴林寺にあるC11 331号機。
SLブームの前に国鉄から貸与された罐で、昨今はその痛みが酷い状況だった。
だが、同じ加古川市のキハ2を手掛けるメンバーの一人が意を決して市と交渉、作業が始まった。
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今では非常に美しい状態となり、同市を代表する公園で市民のアイドル的存在に帰り咲いた。
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長野県小諸市、同市の象徴的観光地である懐古園駐車場、しかも蕎麦の名店、草笛本店の真ん前に位置する場所にあるC56 144号機。
保存というにはあまりにも酷い状況だった。
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それが最近手入れされ、見違えるように美しくなった。
これは行政によるものだが、美装なった後に日常の手入れをするボランティアが必要で、その点ではまだ不安が残る。
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岐阜県美濃市、かつての名鉄美濃駅はボランティアによりきちんと運営されている。
駅舎も美しい。
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保存されているのはかつて岐阜地区で走った電車ばかりで、この地域の路線が大好きだったワタシには涙が出る思いだ。
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こうして見ると、現役の頃のままだという錯覚さえ起こる。
この美しさを日常的に維持するのは大変なはずで、しかもここは独立採算を維持して、グッズや鉄道、音楽のレトロな商品などの売り上げで車両を維持し、自治体に家賃まで支払っているという。
神戸でD51イベントをする際、大いに勉強させてもらったところだ。
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岐阜県谷汲村、旧名鉄谷汲駅跡。
駅舎の建物は建て替わった。
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だが、改札口付近の雰囲気は営業当時を思わせてくれる。
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かつての車両が並ぶ。
それも非常に美しい。
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だが、かつて活発な鉄道路線で容易にアクセスできた谷汲へは今や公共交通は殆ど崩壊状態にある。
岐阜県で有数の観光地であるというのに・・

新幹線車両も保存されている。
大阪府摂津市、新幹線公園に保存されている0系21形。
非常に美しい。
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ここにはEF15も保存されているが見事なコンディションだ。
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四国、鳴門市のC11は非常に荒れた状態だった。
鉄道ファンではないが地域をこよなく愛する女性が神戸のD51に相談に来られた。
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そこでいろいろ助言させていただき、ただメンバーに鉄道ファンという人が皆無で、公園を美しくしたいとの思いの人ばかりだった。
結果、機関車は見事に美しくなった。
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そして美しくなったからとイベントを開催し、機関車の前で皆が阿波踊りを踊る。
この機関車こそが日本一、幸せな機関車ではないだろうかと思った。
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加古川市のキハ2、貴重な別鉄道の遺産だ。
ボランティアの活動が活発で非常に美しく整備されている。
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同じ別府鉄道でもこちらは加古郡播磨町大中遺跡公園。
DC301とハフ5が現役当時のままの美しさで保存されている。
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美しい保存車両を見ると嬉しいが、そうではないもの、荒れたものを見ると哀しい。
小樽市博物館のキハ82、準鉄道記念物とのことだ。
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だが、台枠は腐蝕し外板と台枠が剥離し始めている。
もはやこれ以上の保存にこのままで耐えられるとは思えない。
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解体されそうになりながら救出された事例もある。
兵庫県加東市播磨中央公園のC56 135号機。
解体の予算がついて万事休すかと思われたが、ワタシの目には根本的なところは痛んではいないように見えていた。
後に大井川鉄道が引き取っていったとのこと、今整備中だそうだ。
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保存車両の維持は経年や環境による腐食との戦いだ。
昨今ではクラウドファンディングが大流行りで、例えば福岡市貝塚公園のナハネフ22をクラウドファンディングにより資金を集めて綺麗にという事も行われた。
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よく見ると窓ゴムが違う・・というか、窓回りが原形を失っている。
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鉄道車両を扱っていない業者に委託したからこうなったのだろうか。
だが、窓ゴムも窓ガラスも今現在でも本来のものは入手可能だ。
もちろん、保存にあたり様々な部分をメンテナンスフリー化することを否定はしない。
ワタシ自身も車両保存にあたって窓枠の構成をアルミに変えてしまえばと提案したこともある。
そして同じ綺麗にするなら、連結して保存されている蒸気機関車49627も綺麗にしてほしかった。
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問題は補修方法ではなく、業者に委託して綺麗になった車両を今度はボランティアなり自治体也がその美しさを保つために、定期的な手入れができるのかというところだ。
神戸市でもその問題はあるわけだが今もなんとかなっているという感じだろうか。
東灘区小寄公園の神戸市電1155号、台風で破損し、そのまま解体とも思われたが、市によって美しく再整備された。
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兵庫区御崎公園の広電から里帰りした1103号。
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尼崎市のD51 8号機。
ここは行政とボランティアの連携で美しさを保っている。
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企業で保存されている好例、兵庫県小野市カコテクノスにある神戸電鉄1117号。
余りの美しさに涙が出る。
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ワタシもスタッフで参加している神戸電鉄デ101、クラウドファンディング成立により保存車両の仕事に手慣れた企業に依頼して美しさを取り戻した。
今はさらに原形への回帰という事で二度目のクラウドファンディングも成立、間もなく工事にかかる。
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先にも書いたが、保存車両の維持は腐食との戦いだ。
それにはいったん綺麗にした後の常時の手入れが必要だ。

そこを忘れて資金集め、業者に委託だけでは車両の保存は継続できない。
また、車両が文化遺産であり、それを地域の方々に知らしめる運動も必要だ。

先達から学び、自分たちで考え、地域とのつながりを持ちながら神戸駅前のD51 1072 を今後も維持していけるよう改めて決意を表明する。
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夜景、街灯の少なかったところでもあり、神戸市からLEDによる街灯扱いでライトアップが為されている。
周囲が明るく、華やかになり街の治安が向上した。
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イベント、D51前を中心に地元団体とイベントを行った。
機関車を背景に「安平町雪だるま大使」の高橋涼子さんが歌う。
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博物館でもない、普通の街中の公園や、道端、駅前などにある機関車や電車、それらにはそこに保存された意義があるわけで、今必死の人たちが維持に努めている。
北海道狩勝峠近く、新内の59672と後ろの20系客車。
特に客車は貴重なもので、個室寝台車も含まれる。
現地の方々が一生懸命に維持しているが、哀しいのは鉄道ファンによる車両部品や銘板類の盗難だ。
暖房機キセまで持って行ってしまう浅ましさには強い怒りを覚える。
こうなると、鉄道ファンは車両保存にとって敵でもある。
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今、ワタシが力を入れさせてもらっているのが北海道津別町のオロネとスハネの2両。
ほぼ原形を保っているがここでも銘板類はずいぶん盗難の憂き目にあっている。
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だが鉄道業界の方のご教示により補修用の窓ゴムを入手でき、その作業ができた。
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車両保存を今後も進めていくには世代交代も必要で、さてそれ上手くいくかが我々の大きな任務なのかもしれない。

最後に鉄道ファン諸氏へ。
クラウドファンディングの登場により、「口だけ出す」から「口もカネも出す」になったのは良いとして
もうひとつ、「カラダ」も出してほしい。
そして保存車の部品を盗むなどという恥ずかしい行為をしないで欲しい。
切なる願いだ。

posted by こう@電車おやじ at 23:48| Comment(0) | 鉄道と社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする