2022年08月16日

神戸電鉄3000系の49年。

神戸電鉄と言えば、僕がまだ子供の頃は「神有電車」のイメージが残っていて、いかにも山の中を走る長閑な電車というイメージだった。
そのイメージは徐々に都市化される中で、変貌していくのだけれど、その変貌の最たるものが車両面で言えば3000系の登場だっただろう。
昭和48年、1973年のことだ。

地元川崎重工が得意にしていたオールアルミカーで無塗装、ラッピングで赤を表現していたし、時代の趨勢に従って3ドア、冷房付き、そして多段式制御装置は下り勾配での低速度制御、空気ばね台車もついた意欲的な設計。
特に50‰の急こう配が連続する路線ゆえ、設計には気を使っただろうと思う。
同じ時期のお隣、山陽電鉄の3050系が、冷房は設置したものの安定した既存車両のシステムに拘ったことと比すると、その冒険心が見て取れる。
デザインも正面二枚窓、側面下降窓で、あらゆる面で当時の最新の鉄道車両だったことが伺えるだろう。
この3000系の容姿を編成ごとに見ていきたいと思う。

3001F、昭和48年に登場した第一編成だ。
菊水山にて。
神鉄3001菊水山カラー (2).JPG

この編成の反対側、3002、新塗装、鵯越で。
神戸電鉄3002.jpg

3003F、菊水山のトンネルから顔を出す図。
神鉄3003菊水山.jpg

加古川橋梁を渡る。
神鉄3003加古川1.jpg

サイドビュー、下降窓・3ドアが都会的な雰囲気を生む。
神鉄3003加古川サイド.jpg

粟生駅にて。
神鉄3003粟生.jpg

この編成の反対側、3004、長田駅近くの桜並木で。
0412長田3004.JPG

3005F、鈴蘭台にて。
0316鈴蘭台神鉄3005.JPG

反対側3006、道場にて。
0504道場神鉄3006.JPG

実はこの車両のみ、前面が塗装されている。
この写真の一番左が3006だ。
0306鈴蘭台神鉄3006・3016・3012.JPG

3007F、旧谷上駅で。
この編成から尾灯が変更された。
神鉄3007谷上.jpg

こちら、箕谷にて。
神戸電鉄3007箕谷カラー.jpg

反対側、3008、鵯越にて。
1124鵯越神鉄3008.JPG

3009F、鈴蘭台にて。
この編成は皇太子・皇太子妃殿下の御乗用として抜擢された過去を持つ。
神鉄3009すずらん台.jpg

こちらは藍那にて。
0124藍那神鉄3009.JPG

その反対側3010、菊水山にて。
神戸電鉄3010ク菊水山トンネル.jpg

菜の花畑を行く。
0315葉多神鉄3010.JPG

3011F、長田にて。
0922長田神鉄3011.JPG

こちらは二郎にて長閑な風景を行く。
0820二郎神鉄3011.JPG

反対側3012、樫山にて。
0430樫山神鉄3012.JPG

こちらは新開地で発車を待つ様子。
神戸電鉄3012新開地.jpg

ここまでが1~2年ごとに1編成ずつ増備された初期型だといえるだろう。
ここから、平成元年の増備以降、二次型ともいえる内外を刷新した形態になった。
外観上は赤のラッピングによるイメージが変更され、運転台後ろにKマークがついた。
車内では蛍光灯にカバーがついて、座席袖仕切りが変更されている。

3013F、丸山にて。
0210丸山神鉄3013.JPG

反対側、3014、鈴蘭台にて。
1226鈴蘭台神鉄3014.JPG

サイドビュー谷上にて。
0430谷上神鉄3014.JPG

3015F、鈴蘭台にて。
0303鈴蘭台神鉄3015.JPG

こちらは田植え時期の二郎にて。
0430二郎神鉄3015.JPG

反対側3016、道場にて。
0504道場神鉄3016.JPG

3017F、平成3年製造の3000系としては最終増備車だ。
この編成の二か月後に次期系列である2000系が登場する。
鵯越で。
0818鵯越3017.jpg

こちら有馬温泉。
トンネル有馬温泉神鉄3017.jpg

その編成の反対側、3018、二郎にて。
0303二郎神鉄3018.JPG

3000系はその制御装置などの特殊性により、引退が始まっている。
1100系などが更新されていることを思うと、なんとも理不尽な気がするが、このあたりは堅実な設計で走った山陽電鉄が、長い目で見れば勝ちという事になるのだろうか。
山陽の3050系はまさに同期だという事になると思うが、初期の3編成は廃車されたものの、残りは鋼製車は更新されて活躍しているし、後半の増備から登場したアルミ車は今もほぼ原形のまま活躍している。

木津付近を行く3014.。
0303木津神鉄3014.JPG

箕谷、30年以上前の撮影だ。
神戸電鉄3000番号不明カラー箕谷.jpg

鈴蘭台で後継の5000系と並ぶ。
0623神鉄鈴蘭台3014・5018.JPG

3018・3008・3012、3編成が並んだ、車庫の風景。
0906鈴蘭台車庫神鉄3018・3008・3012.JPG

恵比須付近、単線の木製電柱の間を行く。
0104恵比須神鉄3014.JPG

鈴蘭台西口、トンネルから出てきた。
0104鈴蘭台西口神鉄3013.JPG

夏の二郎を行く。
0820二郎神鉄と花.JPG

秋の紅葉の季節、谷上にて。
1125谷上神鉄3016.JPG

3000系は9編成が建造され、けれどすでに4編成が廃車、1編成が廃車前提の休車となっている。
残り稼働は4編成のみだ。
最近、めったに出くわさなくなってしまった。
最期の日まではまだ、かなり時間があると思うが、どうかその性能を遺憾なく発揮し、特殊な急こう配の都市路線である神戸電鉄での安全運行が全うできるよう、祈ってやまない。
081015神鉄道場3014雨.JPG
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2022年07月17日

阪神5001形の45年

阪神電鉄の普通列車と言えば、青い胴体の車体に高加速高減速の「ジェットカー」5000シリーズが使われていることはあまりにも有名だ。
当初の5001形は昭和52年に廃車になっていて、今の5001形は同年から製造開始となった「二代目」にあたる。
駅間の短い、そして優等列車が頻繁に走る線路を、各駅に停車しながら次の退避駅まで逃げ切る過酷なダイヤを難なくこなす、「普通の強者」でもある。

だが、僕にとって阪神電車との縁は深けれど、それはあくまでも急行系車両の話で、神戸市東部や西宮市、尼崎市などに濃い縁を持たない故、阪神電鉄の普通電車を親しく感じることはなかったと言っていい。

それでも、特急や急行の停車駅で横に佇む「青胴」ジェットカーは確かに阪神の一つのイメージであったわけだ。
DSC_0929.JPG

冷房化が急ピッチで進められた1970年代、他社に先駆けて冷房化率を90%に持ち込んだ阪神だったが、そこから先が苦しかった。
全電動車で、床下に余裕のない旧来のジェットカーは当時の技術では冷房化が困難だったのだ。
冷房車と言えば5271形の1編成4両だけという時代が長く続いた。

冷房化が比較的やりやすい5261・5151形については工事がすすめられた。
非冷房時代の5152。
阪神5152西宮.JPG

冷房が搭載された5152。
香櫨園にて。
阪神武庫川5152.JPG

こちらは非冷房のまま終わった5231形5238。
西宮。
阪神5238西宮.JPG

5201形5213。
阪神5213西宮.JPG

退避する5249。
阪神5249西宮.JPG

昭和52年から始まった普通列車の置き換えでまず登場したのが新5001形だ。
当初は2連で後に中間車の運転台を撤去して4連化される。
登場当時の梅田にて。
阪神梅田5004.JPG

武庫川にて5023。
阪神武庫川5023.JPG

野田、5024。
阪神野田5024.JPG

こちらは待避線に進入する5030。
阪神野田5030.JPG

さて、廃車になったジェットカー・青胴車は一部が他社に譲渡される。
京福へ行ったものについては自分では記録ができていないが、高松琴平電鉄(琴電)ではその姿を見ることが出来た。
試作ジェットカー5001・5002が2ドアに直されて活躍していた。
車体のみの譲渡だったため、当初は京急のお古ツリカケ駆動だった。
後にカルダン駆動に改められている。
1051、瓦町で。
琴電1051瓦町.jpg

瓦町に進入。
琴電k1052瓦町.JPG

1052、築港。
琴電c1052築港.JPG


量産ジェットカーも琴電に行った。
こちらは廃車車両の窓を移植して2ドア化されている。
琴電1053岡本.jpg

昭和56年の増備車からチョッパ制御装置を搭載した5131・5331形に移行する。
武庫川で5335。
阪神武庫川5335.JPG

だが、精密な弱電部品はやがてそのメンテナンス・部品確保が困難になり、同じ時期の抵抗制御車より先に引退してしまうのが世の常だ。
尼崎にて5131。
阪神5131尼崎.jpg

こちらは5335。
0131阪神尼崎5335.JPG

大石で新型5551形と並んだ5138。
0512大石阪神5562・5138.jpg

高速神戸、5131。
この編成の引退で先に5131・5331形が消滅した。
1013阪神5131高速神戸.JPG

山陽電鉄との直通運転が拡大されると、5000の番号を持つ相手方の電車との離合も増えた。
阪神5009と山陽5008、甲子園にて。
阪神5009山陽5008甲子園.jpg

阪神5008と山陽5608、西灘にて。
阪神5008・山陽5608西灘.jpg

さらに阪神なんば線開業後は、近鉄電車との並びも見られるようになった。
近鉄特急車と並んだ5005。
0307阪神尼崎近鉄ACE阪神5005.JPG

5139が近鉄車、阪神急行系と並ぶ。
0427阪神・近鉄並び尼崎.JPG

5331が山陽・近鉄と並ぶ。
0827尼崎・阪神・近鉄・山陽.jpg

青木、近鉄車と5013。
0217阪神青木5013・近鉄9328.JPG

これらの風景は彼らの誕生時には思いもよらなかったことだろう。

高速神戸、山陽の復刻ツートン編成と5025が並んだ。
ネイビーブルーとウルトラマリンブルーの出会いだ。
050416高速神戸山陽3030・阪神5025.JPG

急行系との並び。
5028と8214、久寿川。
1221久寿川阪神8214・5028.JPG

梅田で赤胴と青胴が並んだ。
(スマホスナップ)
20150208阪神梅田8241・5009.jpg

青木工事中、5020。
0202阪神5020青木.JPG

その青木で退避、5004。
0808青木仮駅阪神5004.jpg

同じ5020、雨の大石。
0329大石阪神5020.JPG

こちらは大石で5009。
0512大石阪神5009.jpg

御影で退避する5012。
0808御影ホーム阪神5012.jpg

西元町、5024。
0831西元町阪神5024.JPG

御影、回送の5029。
0808御影ホーム阪神5029回送.jpg

西灘、5009。
0911西灘阪神5009.JPG

西灘、5021。
0911西灘阪神5021.JPG

高速神戸、5001。
今の阪神普通列車は大半が梅田・高速神戸間の運転だ。
0808高速神戸阪神5001.JPG

現在の5001車内。
0808阪神5001車内.JPG

運転台後ろ。
0808阪神5001車内運転台側.JPG

この6月に一編成が廃車され、残る5001形は4編成とのこと。
それも来年度にはすべて引退が決まっている
最後までどうか無事故で、ジェットカーの系譜を繋いでいってほしいものと思う。
阪神5001芦屋.jpg
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2022年05月07日

異色車:山陽電鉄3619の引退に寄せて

山陽電鉄と言えば日本最初のアルミ電車を作った会社で、その後、一時期は大量増備の必要性から鋼製車に戻りながらも後にはまたアルミカーの天国となっていて、銀色の電車、もしくは鋼製車のクリームに赤黒の帯というのがイメージだ。
だが、その中にあってたった1両だけ、色が違う電車が存在していた。
山陽3619東二見.jpg

「いた」と過去形で書いたのは、この電車、クハ3619号はすでに「さようなら」看板取り付けによる運行を終え、一両だけ編成から外されて留置されているからで、山陽電鉄を取り巻く環境が激変でもしない限り、本線上を走行することもないからだ。
(以下本文ではクハ称号を省略、他の電車についてもモハ・クモハ・サハは省略する)
3619号は山陽電鉄で唯一の「白い」電車で、内部の人からは「白子」、口さがないファンからは「ニセアルミ」と呼ばれていた。
今、この電車はさる鉄道ファンが名付けた「ホワイトエンジェル」というちょっと風貌には似つかわしくない愛称をつけてもらっていて、山陽電鉄公式でもそう呼ばれるようになっていた。
0325加古川橋梁山陽3619ほか.JPG

記録によると、この電車は昭和44年11月に竣工した。
現在で登場52年と6か月となる。
同期製造には3620と3028・29・30・31・32・33がいて、翌月には3200・3201も竣工している。

永らく3619はアルミカー3100のTcとして活躍していて、それゆえに車体色をアルミカーに合わせた「白」とし、赤帯を腰に巻いている。
だが、登場時はまず、3028FのTcとなっていたようだ。
僕は残念ながらこの3028FのTc時代の写真は持ち合わせていないし、またそういう写真を見たこともないが、電鉄内部の方の話によると確かに記録はそうなっているらしい。
後に山陽3000系は電動車が偶数先頭、奇数二両目、付随車・制御車が電動車の半分の数字、例えば、3010・3011・3505・3605という風に綺麗に並べられたが、この3619号が出た当時は神戸高速開業直後でとにかく忙しく、増備も大量で、竣工した順に編成を組んでいたものらしい。
これには熱心な担当者が、車両管理の上でわかりやすいように並べ替えるという作業を実施したことで実現したらしいが、2000系改造の3550形の竣工もあって編成変更も頻繁だったのだろうか。

電動車に比して制御車が多く作られたのは、神戸高速開業後、激増する乗客に対応するためにすぐに4連の編成を増やす必要があり、さらに2扉クロスシートの2000系はラッシュに対応できなくなり、この2000系を3扉ロングシート化、3000系の中間付随車とする計画があったためのようで、3550形改造ができていくと、それに合わせて今度は電動車を作り、その編成に中間T代用となっていたTcを使うということだったようだ。
さて、僕が知っている山陽3000系はほとんどが4連で、3000F~3016Fまでの8編成(3000系の先頭車は必ず偶数になる)では中間に新車の3500~3508を入れて4連化されていて、3020F~3036Fまでの9編成では、中間に2000系改造3550形の3550~3558を入れて4連化されていた。
余っているのが3018Fで、この編成だけはTcを増やしすぎたのか、3018・3019・3619・3609という編成になっていた。
なので僕が写真を撮り始めた昭和50年以降では、件の3619が原色のツートンカラーを纏って先頭に出た姿は見たことがなかった。
この写真の2両目が3619だ。
360936194.jpg

こちらは須磨浦公園で、後尾から2両目に3619が入った3018F、最後尾は3609だ。
山陽3609旧色4連須磨浦公園.JPG

僕らはこの編成を「9-19の編成」と言っていて、なぜかこれが来ると嬉しかった。
当時の山陽電鉄は恐ろしく標準化が進んでいて、特に3000系は両数が多く細かな差異を除けばほとんど違いのない、単調さに見えたからだろうか。
山陽3609旧色須磨.JPG

さて、3000系の増備は3200系残り2編成を終えて昭和47年から、冷房付き3050形に移行。
さらに会社の経営状況の好転、あるいは車両メーカー側のコストダウン、製造工程の簡略化がなされた故か、3050形増備の途中、昭和56年からニューアルミカーの登場となる。
最初に登場したのがツートンカラーに塗られた3066Fだ。
この編成のM車が新工法のアルミカー試作車で、これにMcを追加してこれもツートンに塗装し、Tc3638は山陽電鉄最後の鋼製車となった。
山陽3066旧色林崎.JPG

この次の増備車から無塗装(実際はクリアラッカー塗装)となり、同じ昭和56年、3068Fが登場する。
電鉄明石山陽3068停車.JPG

さらに将来の6両運転への準備も始まった。
すでに、神戸高速開業までに西舞子以東の上下ホーム、大蔵谷の上りホームは6連化されていて、やがて明石高架により、明石・人丸前駅も6連対応になる。
6連となれば、特急4連ゆえに乗り入れ先が阪神大石、阪急御影までなのが延長できる可能性もある。

車両の準備には長い期間が必要だろう。
昭和58年、3070Fと同時に竣工したのが、2連で下り側に運転台を持たない3100Fだった。
この2連は、既存の4連にラッシュ時のみ増結して6連とする構想で誕生した。
だが、テストはできてもまだ山陽の全駅が、いやせめて特急停車駅全てが6連化されているわけではなく、実際には使えない編成だ。
そこで「とりあえず」、余っている制御車3619に白羽の矢が立った。
けれど、3100・3101はアルミ無塗装となり、これにツートンカラーの電車を繋ぐというのはいかにも異様でもある。
そこで、車体を白に塗り赤い帯を回し、客用ドアをステンレス無塗装とし、アルミカーに合わせたイメージとなった。
この時、アルミに似せたからと言って銀に塗らなかったのは、賢明だったと僕は思う。

他社では普通鋼に銀を塗った車両も存在していたが、ぎらつきが過ぎ、如何にも厚化粧に見えてしまう。
その点、白に塗った故、清潔感が出て、乗客やファンに愛される車両となった。
写真は「850形さよなら運転」時の際に、東二見工場で見せてもらったもの。
すでに3100Fは走っていたが、この時は折よく車庫に居て、じっくり見せてもらうことが出来た。
3100のアルミ地肌、銀が眩しい。
PICT1026.JPG

反対側。
東二見山陽3100B.JPG

そして3619。
こうして、中間にいるのしか見ることが出来なかった車両が、まさに「異色」の存在となって先頭に出たことは本当に驚いた。
PICT1043.JPG


以降、この編成は山陽電鉄の中の文字通り異色の編成として静かな人気を呼んだ。
「白子」と車内の人に呼ばれ、「ニセアルミ」とファンに揶揄われながら愛された。

大塩付近を走る3100F。
3619が先頭だ。
PICT3027.JPG

サイドビュー。
古い電車と新しい電車の組み合わせだと思われがちだが、3619は3000系最終増備車両の一つでもあるし、決して無理な抜擢ではなかったと思う。
PICT3028.JPG

姫路方向へ去る。
3619・3101・3100の編成だ。
PICT3029.JPG

ずっと3連で走っていたと思われるこの編成だが、ほかの編成の事故などの時、復旧までに3530形を間に挟んで走ったこともある。
霞ヶ丘付近で、中間には3540を挟んでいたかと思う。
山陽3619海看板霞ヶ丘.jpg

高架前の西新町で。
珍しく特急運用の姿。
山陽3100西新町.JPG

3連運用の印象に残った情景を少し。
大勢の帰宅客が待つ別府駅ホームにて、3100が到着する。
0325別府山陽3100ほか.JPG

舞子公園近く、築堤を行く。
1125舞子公園山陽3619.JPG

JR朝霧駅近く。
0218狩口山陽3100.JPG

後追い、3619。
0218狩口山陽3619.JPG

明石海峡と3619。
0630狩口山陽3619.JPG

加古川橋梁、南側から。
0505山陽加古川橋梁3619.JPG

遠望。
0601加古川橋梁山陽山陽3619.JPG

板宿駅。
0729山陽3619板宿.JPG

夕闇迫る舞子公園駅。
0103舞子公園山陽3619.JPG

夜の西新町駅。
0424山陽西新町3619.JPG

対向電車から滝の茶屋駅近く。
1211滝の茶屋車内から山陽3619.JPG

朝の明石駅。
0902明石山陽3619朝.JPG

JR明石駅から見る。
1110明石山陽3619.JPG

江井ヶ島近く。
0116江井ヶ島山陽3619.JPG

大塩駅に進入する3100.
0226山陽大塩駅西側3100.JPG

橋上駅が完成し、まだホームにドアカット表示の残る大塩駅で。
0226山陽大塩駅西側3619.JPG

夜の東二見で特急待ち。
0107東二見山陽3619.JPG

女性車掌がホームを監視する。
0402東二見山陽3619と女性車掌正面.JPG

まさに一服の情景だ。
0402東二見山陽3619と女性車掌.JPG

いよいよ、連休前から「さよなら」看板の取り付けが始まった。
昨今の「撮り鉄」の暴走行為が伝えられる中、それでも沿線利用客や沿線ファンに向けて謝恩の意味のある看板取り付けをよくぞしてくれたものだと思う。
これには、今回は引退とならない3100も加わり、そちら側にも3619の看板が取り付けられた。
永年の盟友との別れを惜しんでいるかのように見える。

看板付き列車を少し。
明石駅で。
0428明石山陽3619.JPG

塩屋駅。
042408山陽塩屋3619.JPG

後追い、3100。
042409山陽塩屋3100.JPG

高速神戸で阪神ジェットシルバーと出会う。
0428高速神戸山陽3619阪神5718.JPG

阪急神戸三宮のイメージでもある、ガードを行く3619.
電車はこのすぐ先で折り返す。
0428阪急神戸三宮山陽3619.JPG

阪急神戸三宮の大屋根の下。
0428阪急神戸三宮山陽3619停車.JPG

電車の車内には、社員さんが撮影したと思われる3619の写真がたくさん飾られていた。
0428山陽3619紗車内写真展.JPG

江井ヶ島駅。
042405山陽江井ヶ島3619.JPG

夜の西新町駅。
0424山陽西新町3619.JPG

3100Fはこの後もしばらく生き残る。
連結相手はなんと、3070FのTc3640・T3540とのことだ。
これはどうも3070Fがかつて、歩行者用踏切に無理に侵入した自動車との衝突事故で脱線大破した過去があり、それゆえ車両の調子も良くなかったのではないかと個人的には推察する。

その3070Fと3100の出会い。
0913垂水山陽3100・3070.JPG

今度は編成を外された3070・3071の動向が気になるところだ。

江井ヶ島付近を行く3100の流し撮り。
0428江井ヶ島山陽3100流し.JPG

編成中間3101。
0428江井ヶ島山陽3101.JPG

3619の流し撮り。
0428江井ヶ島山陽3619流し.JPG

異色の存在でありながらもシステム的には完成された3000系のものを持ち、安定した保守性ゆえに長生きできた3619。
僅か1両の車両のためにこのブログをここまで掘り下げるのは珍しいと自分でも思う。
だが、派手ではないものの、それがこの車両の人気だったと、輝きだったとそれが僕自身の気持ちでもある。
1102狩口山陽3619.JPG


お疲れさま、3619号。
0428高速神戸山陽3619サイド.JPG

ヘッドライトを点灯させて3619が発車する。
0428高速神戸山陽3619.JPG



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2021年06月08日

最初で最後の多扉車、京阪電鉄5000系に思う。

今回は京阪電鉄が誇る5扉3扉転換車両、5000系が間もなく引退(9月ころまで引退が延期という発表が会社からあったが)するにあたって、なかなか印象深い彼らのこれまでの活躍を考えてみたいと思う。
昭和40年代、京阪の主役級電車には3つの顔があり、一つはオール転換クロス2ドアの3000系、そして卵型断面の車体形状を持つ2000系から始まり2600系までの可愛い京阪独特の表情の電車たち、そしてもう一つがラッシュ輸送に威力を発揮する5000系だ。
京阪淀5554.JPG

日本の鉄道車両に3扉が入ったのは明治期まで遡るはずで、では4扉はというと、戦時の鶴見臨港鉄道で激増する工員輸送のために日本で最初の4ドア電車、クハ220、サハ260を作ったのが始まり、ただしこれは17メートル級で4ドアにするとドア間二箇所の窓のうち、開閉できるのは一箇所のみ、車体片側で開閉窓は五箇所のみという結構きつい設計となったようだ。
戦時に国鉄が出した4扉電車、モハ43改造車やモハ63一党、32系改造車が戦中戦後日本の激増する通勤需要を支えたのは読者諸兄には十分ご存じのことだろう。

京阪は車体長18メートル級であり、鶴見臨港の最初の例にあったように4ドアにするとかなり無理がある設計となってしまい、在版私鉄でもラッシュ輸送の激化には頭を悩ませていたが3ドアが基本の会社でもある。
しかし、昇圧工事や京都市内地下線開業、そのほか駅設備などの改良までは編成長は7連に限られることから、特に混雑の激しい区間のラッシュ輸送用に登場したのが片側五扉をもつ本系列だ。
両開きドアの時代になっていたとはいえ、4扉でも厳しい18メートル級車体に5扉を設定するので、ドア間の窓は一か所のみ、しかし、鶴見臨港の時代と大きく異なるのは冷房装置が取りつけられる時代になっていたという事で、車内環境の快適さは維持することが出来た。
京阪七条5554急行.JPG

京阪5000系は4扉を超えるドアの数を持つ車両としては日本で最初の例になったが、ただ単に5扉にしたのではなく、ラッシュ時は5扉として、昼間はうち2箇所を締め切り、3扉として運用、締め切ったドアのところには座席をセットするという凝った設計だ。
また、編成全てが5扉で統一され、編成全体で非常に大きな輸送力を発揮できる。
1012中之島5000系車内.JPG

この点ではバブル期以降に東日本の各社で登場した多扉車とは発想そのものが違う。
JR東や東急、京王、東武、営団で登場した5扉~6扉の車両は昼間もドアの開閉数は同じで、一部の系列ではラッシュ時は座席を収納してしまい、昼間は座席を引き出して使えるというものもあったし、京王以外の各社では編成全体が多扉車とはならなかった。
0725B船橋209系6ドア.JPG

また、多扉車ではホームにおけるドア位置が異なり、整列乗車に問題が生じると考えて小田急・営団ではワイドドア車の導入も進められたが、結果としてドアの開閉に時間を要し、その間にどんどん駆け込み客が乗り込んでしまい、遅延解消にはならなかったともいわれている。
0726藤沢小田急1000ワイドドア.JPG

これを考えると、多扉車としての京阪5000系はその嚆矢ではあるものの、設計思想は非常にきめ細やかで、ラッシュ輸送に特化せず、日中の乗客にも十分配慮したものになっている。
京阪5000系以後、ラッシュ輸送の激化に悩む関東でこの手の車両が出るのに時間を要したのは、結局は京阪の用意周到な設計思想と製造コストを天秤にかけざるを得なかったというのではないだろうか。
京阪橋本5557.JPG

京阪5000系は高価な電車だ。
車体はアルミ製で、山陽2000・3000系、国鉄301系くらいしかまともな量産車がない状況の中の採用だたが、これはドア構造に多くの重量を必要とするために、アルミ製として根本的な軽量化を図っているが当時、アルミは非常に高価な材料でもあった。
また、座席昇降装置も高価な買い物で、それをしてまで乗客への適切なサービスを実現しようとした京阪電鉄の精神は賞賛されてしかるべきだろう。
この時代、3000系特急車も製造され、あちらはオール転換クロスに補助椅子とテレビ付き、京阪間ノンストップで乗客には少しでもゆったりしてもらおうという思想が具現化したものであり、京阪電鉄は一見すると両極端なサービスを行っていたように見えるが、実はそれぞれの乗客への適切なサービスというものを掘り下げて考えていった結果に他ならないだろう。
京阪橋本5605.JPG

ラッシュ輸送の激化は特に萱島以西での区間急行で顕著だったらしく、5扉5000系は主にこの列車用として集中的に投入された。

ただ、僕自身が5000系を見るために京阪を訪れたことは一度もなく、5000系はほかの2000番台系列や1000系などと同じく、「来たら撮る」レベルだったのは自分として大変にもったいないことをしたと後悔もしている。
5000系はほかの京阪電車のような柔らかな曲線では構成されておらず、アルミ車の製造工程簡略化ゆえの角ばった車体デザインだが、それでも、方向版を使用していた初期には一種独特の風格があったように思う。
京阪5002淀.jpg

しかも落ち着いた緑濃淡、もちろん、濃いほうが下にあるほうがイメージとしては落ち着いて見えるわけであり、特急車と比較しても決して写真映えのしない車両ではなく、むしろ来てくれると嬉しい電車でもあった。
京阪5000七条.jpg

関西私鉄では塗装変更が各社行われているが、近鉄のマルーンからツートンへの変遷以外に、新塗装化でイメージがうんとよくなったわけではなく、いったい何のための新塗装化かと会社担当者の意識を疑いたくなるような結果になっていることが多いが、緑を捨てた南海や、野球球団を持ちながら自社球団のライバルカラーに電車を塗ってしまった阪神と比すれば、京阪はまだ色のイメージは残っているから「マシ」なのかもしれない。
だが、新塗装は5000系には似合わない。。0114関目5553・3005すれ違い.jpg


並べてみると明らかで風格というののが消えてしまっている気がする。
この点、同じ京阪でも6000系以降の車両には似合っているように見えるから不思議だ。
1124滝井5555普通.jpg

しかし、時代は変わる。
京阪でも地上側の設備改善は進み、列車編成は8連が主流になった。
関東各社で多扉車が消えたのはホームドア設置に際し、ドア位置が異なる車両への対応が難しいという理由が一番だし、少子高齢化、さらなるモータリゼーションの進化もあり、各社の乗客が増える時代は終わり、関東私鉄においても乗客減という現象が見られるようになってきた。
さらには感染症対策として詰込みは嫌われ、ラッシュの集中度も低下しつつある。
今からは乗客一人を大事にして、ゆとりある輸送サービスを展開するしかなさそうで、そこに多扉車の立ち入るスキはない。

5551Fトップ編成は数か月は残るという。
今一度、その雄姿を見に行きたいが、わずか一編成、果たして僕は5000系の生きているうちに彼らに会うことはできるのだろうか。
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日本の鉄道、多扉車という分野にあって、最初に登場した系列、そして、ほかの多扉車が次々と撤退する中での最後の系列となった5000系、その姿は京阪電鉄、同社の利用客、ファンのみならず、日本の鉄道史に間違いなく残ると書いてもそれが大げさではないと思うのだ。
posted by こう@電車おやじ at 21:32| Comment(4) | 関西私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月03日

阪急6300系への想い

このブログでも僕はずっと、僕にとっての最高の「電車」と言えば、登場順に南海11001系(→1001系)、名鉄7000・7500系、京阪3000系(先代)、阪急6300系、国鉄117系であると公言してきた。
既に南海、名鉄はなく、京阪は富山に車体だけ移籍したものが残るだけ、国鉄は急速に数を減らし今や岡山と京都に塗装を変えた数本ずつが残るだけという有様である。(JR西日本が117系を改造して長距離列車を作り上げていて、イメージはとても良いとは思うが、僕が愛した関西急電色の新快速117系ではない)
その中で阪急6300系は、阪急電鉄の担当者にも深く愛されているようで、嵐山線に3編成、「京とれいん」に1編成が残り、まだ恵まれているのかもしれない。
だが、やはり僕にとっての6300系はずらり並んだ転換クロス、京阪間ノンストップのサービスであり、観光用、観光路線用と言うのは確かに好きな電車で今もわざわざ見に行くくらいだけど、心の底から僕が惚れ込んだあの時代、いやそのあとの、6300系が苦手な中間駅停車を担当するようになり如何にも苦労して走っていたあの時代でも、「特急」の表示を見れば、それだけでも元気が出る・・そんな電車ではないことは確かだ。

今回、特急用としては末期にあたるデジタルデータ、また一部プリントを取り出してみて、今でも会いたくて会いたくて仕方のない6300系特急の雄姿を思い起こしていきたいと思う。
まず、淀川を渡る夕景。
阪急夕景6300 (2).jpg

カッコいい!
心からそう思える電車。
美しい、心底惚れることのできる電車。
気持ちの良い、いつ乗ってもそう思えた電車。
どんな風に撮影しても、絵になる電車。
それが僕にとっての6300系だ。
阪急淀川夕景6300系編成(小.jpg

まず6350F、栄えあるトップナンバー編成だ。
20082008年の崇禅寺での崇禅寺でのカット、かつての崇禅寺もまた大阪市内よは思えぬ、緑豊かな心地よい駅だった。
2008阪急6350崇禅寺.JPG

その後追い。
2008阪急6450崇禅寺.JPG

2002年、桂にて、6350。
2002阪急6350桂.jpg

後追い。
2002阪急6450桂.jpg

こちらは2010年10月撮影、6連に短縮されても生き残り、オンシーズンの嵐山線直通用に走っていた頃。
梅田で。
20100503阪急6350臨時特急梅田.jpg

この一月後、このカットを撮影したくて十三に行った。
20101129十三阪急6450臨時特急全景.jpg

接近する。
この時が特急用原形の6300を見た最後かもしれない。
20101129十三阪急6450臨時快速特急.jpg

6351F、6300系特急末期のデータを探してみてもこのワンカットしか出てこなかった。
もしかしたら、最末期には一足早く嵐山線仕様への改造が進められていたのかもしれない。
2002年、南方で。
2002阪急6451南方.jpg

6352F、梅田折り返しの情景。
2008阪急6452梅田.JPG

崇禅寺。
2008阪急6352崇禅寺.JPG

後追い、梅田へ向けて走り去る。
2008阪急6452崇禅寺.JPG

6353F、この編成も特急末期にはあまり出会えていない。
上新庄にて。
2008阪急6353上新庄.JPG

6354F、今「京とれいん」で活躍する編成だが、特急時代のカットを。
2008年、梅田に進入。
長い編成は如何にも6300系だ。
2008阪急6354梅田.JPG

接近する。
2008阪急6354梅田進入.JPG

この電車に乗って桂へ。。
去り行く特急。
2008阪急6354桂.JPG

6355F、この編成からは新しいのに一足先に廃車されてしまった。
2002年、高槻市か・・
2002阪急6455茨木市.jpg

2008年の崇禅寺。
2008阪急6455崇禅寺.JPG


高槻市進入。
2008阪急6455高槻市.JPG

6355と6356が並んだ。
6300系ファンには狂喜するような光景だ。
2008阪急6355・6356高槻市.JPG

6356停車の風景。
2008阪急6356高槻市.JPG

南方で6356と5317がならぶ。
2008阪急6356・5317南方.JPG

6356、上新庄通過。
2008阪急上新庄6356.JPG

6357F、高槻市。
2008阪急6357茨木市.JPG

崇禅寺にて、対向の普通電車車内から。
2008阪急6357崇禅寺・淡路間.JPG

桂駅進入。
2008阪急6357桂.JPG

茨木市。
2008阪急6457茨木市.JPG

桂停車。
2008阪急6457桂.JPG

2008年、その桂で、嵐山線用となった6351Fと、間に5315を挟んで並ぶシーン。、
6300系特急最末期の様子だ。
2008阪急桂6357・6351・5315.JPG

6330F、6300系最後の増備車で7300系と合わせた編成になり、車内のつくりも美しさを増し、好きな電車だったが、意外にも撮影するときはなかなか来ず、用事で乗るときによく来てくれた電車だ。
2002年の南茨木にて。
2002阪急6430南茨木.jpg

後追い、梅田側の先頭パンタはこの編成だけだった。
2002阪急6330南茨木.jpg

電車は走り去っていく。
6300系で最も短い命だった編成だ。
阪急の電車は長生きが普通だが、この編成は僅か25年の命でしかなかった。
2002阪急6330南茨木Ⅱ.jpg

その後の6300系・・・
2011年末、正雀に留め置かれていた6350F、休車の札がかかっている。
20111224阪急正雀6350休車.jpg

車庫の裏側から・・復活してほしい・・その願いも虚しく、6350以外の車両は解体されてしまった。
残る6350の復元、保存を心から願う。
2011122阪急正雀6450休車.jpg

6351F、嵐山線桂での様子。
2008阪急桂6351.JPG

2009年の松尾。
20090530阪急6351松尾.jpg

2014年末、6352F、雪の松尾で。
20141218阪急6352松尾.jpg

6353F、この日はものすごい雪だった。
20141218嵐山阪急6453.jpg

桜の松尾、2013年。
20130401松尾阪急6353.jpg

6354F、「京とれいん」に抜擢された幸運な編成。
梅田へ入線。
当初は扇形のヘッドマークはなかった。
阪急6354入線梅田.jpg

十三にて6354。
0427十三19阪急6354京とれいん.JPG

十三へ進入、6454。
0427十三7阪急6454京とれいん.JPG

同じく十三にて。
0427十三18阪急6354京とれいん.JPG

「京とれいん」としての運用を終え、回送で正雀へ戻る6454。
この電車だけがかつての栄光を感じさせてくれる。
0104淡路阪急6454京とれいん回送.JPG

だが、6300系「京とれいん」も先行きはかなり不安でもある。
十三のホームドア工事により十三通過の「快速特急A」限定で運用されているが、阪急は全駅へのホームドア設置を目指していて、淡路高架完成時には間違いなく、運用を外されるとみている。
すでに「京とれいん」は、7000系の「雅楽」編成も完成していて、車体幅の問題から神戸線に入れない6300系とは異なり全区間で運用が可能、ホームドアにも対応している。
外観も6300系のイメージを上手に引き継いでいるし、内装はさらに凝っている。
この編成がもう一本あれば6354Fに存在意義がなくなってしまう。
20190427十三阪急7106京とれいん.jpg

名鉄7000・7500なき今、JR117系が原色で走らなくなった今、阪急6300系の残存4編成は富山で走る京阪3000系とともに僕の心を癒してくれるあの頃の憧れ、その最後の存在でもある。
セミクロス化されていてもいい、豪華な観光列車でもいい、6300系よどうか、一日も長く走ってほしい・・
その願いが天に届けと思うこの頃だ。
阪急淀川夕景6300系サイド1.jpg

夕景の中を走る梅田行き特急をこの文の〆としよう。
阪急淀川夕景6300系下り方サイド.jpg
posted by こう@電車おやじ at 20:28| Comment(6) | 関西私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする