2025年02月15日

でら好きだがや7500!(すっきゃねん7500!)

僕が名鉄ファンであることは前にも書いたし、このブログのカテゴリに「名鉄の思い出」を入れているというのは、名鉄を特別扱い、いわば自分の中で特別な存在として捉えているからだ。
その名鉄、車両面では傑作、珍作が多く、今も結構飽きない電車ではあるけれど、半世紀前は飽きないなんてものではなく、それこそおもちゃ箱をひっくり返したかのような楽しさがあった。
揖斐線の510・520形の急行、美濃町線の600形、本線でも流線形3400はまだだ一線で5000等は新しい部類だった。
AL、HLの列車が錯綜する中、10分ヘッドほどでたくさんやってくるパノラマカー、いつ来ても、どれほどの回数来ても飽きることのない電車が走り回っていた。

さて、そのパノラマカーには2種類の系列があった。
いや、のちの貫通型や更新車・改造車を入れれば5種類になるだろうが、全面展望を完備した7000系と7500系の二種こそが本当の意味でのパノラマカーだろう。
初めて岐阜・名古屋を友人たちと訪問した昭和51年の春、最初に出ったのは岐阜駅前、揖斐線のモ510・520形の急行で予備知識なしの目にはまさに驚愕だった。
そして、新岐阜駅では、各務原線に行かねばならにのに、本線高架ホームに間違えて上がってしまった僕らの目の前に停車していたのが7500系だった。
名鉄新岐阜7500フロントアイなし.JPG

この当時の名鉄電車は今のようにピカピカではなく、どこか埃を被ったような汚れがあったものだが、それは国鉄でも同じこと、今のようにはメンテナンス技術も発達していなかったのだろう・・はさておき、あまりの格好の良さにしばしそこでボウッと見ていたような気がする。
この時の旅行は各務原線で明治村に行き、見物のあとは名古屋へ臨時特急で向かった。
パノラマカーを期待したが、この時は7700系だったが、まだ新車でその乗り心地を楽しんだ。

翌日、名古屋で何箇所か巡り、新名古屋駅近くの駐車場入り口で係員に頼み込んで少しだけ、名鉄を撮影させてもらった。
時間にしては僅か10分ほどだったが、この際も7500系に出会っている。
名古屋名鉄新名古屋7500.jpg

コンパクトカメラでのとっさの撮影で、当時の僕の力量がこの程度だったとわかる稚拙な写真だが、昭和51年春に運転された河和・新岐阜間を犬山経由で結ぶ列車だ。

当時はまだ、僕自身は7000系と7500系の違いがよく分かっていなかった。
これを知ることになるのは間もなく手に入れた「私鉄電車プロファイル」の図面と記事で、設計最高速度180km/hの記事に驚いた。
名鉄パノラマカー7000系は、昭和36年の登場時、システム的には安定したSR系列と同等にものを使ったが、その2年後、昭和38年の新型パノラマカー7500系の際には当時最新のシステムを導入、阪急2000・2300系に先を越されはしたが、トランジスタを多用した界磁位相制御となった。
定速度制御(今でいうオートクルーズ的なもの)も可能になり、熟練の運転士から高い評価を得たという。
しかし、当初の特急専用という運用だとこれもいいが、やがて急行などにも使われるようになるとこういった高性能はむしろ足かせとなる。
この点では阪急も同じだったようで、いわば進みすぎた、先を読みすぎた事例となるのかもしれない。
また抜きんでた高性能ゆえ、7500系は他のSR車との連結が出来ず、7000系が支線区へ進出したり、ラッシュ時には5000系以降のSR各系列と連結できたことを考えると、7500系の高性能は成功とはいえないのかもしれない。

だがまだ、僕が写真を撮り始めたころには7500系は第一線の特急列車で活躍していた。
全面展望室部分がフラットで、腰の低い綺麗なラインはこの系列特有のもので、飛び出たように見える運転台もまたチャームポイントだった。
連続窓がきれいに並ぶ姿が美しい・・・下地にて。
名鉄7500下地1.JPG

7500系のチャームポイントはまさに展望室だ。
名電山中。
名鉄7500高速踏切.jpg

しかし飛び出した感のある運転台はもしかすると全体のバランスを崩しているかもしれない。
藤川・名電山中間。
名鉄名電山中7500流しサイド.jpg

この点では7000系のデザインに参加した萩原政男氏が「7000をデザインしておきながら次世代車もスケッチしておいた」が名鉄からは依頼がなかったという。(レイルマガジン41号)
運転席を前方に出して庇形にする案だったというが、それではパノラマカーのイメージとしては全く違ったものになる可能性もあったという事だろうか。
その7500を見たい気もするし、見たくない気もする。
パノラマカー7000の意匠をほとんど変えず、完成度を上げていった名鉄の車両設計は王道である。

昭和52年、国鉄の流電を見に行ったとき、国鉄に接する時間以外のすべてを名鉄にかけた。
その際に、神宮前で見た7500系だ。
名鉄7500神宮前.jpg

後に訪問したときの7504の車内、更新されてクリーム系の内装になっていた頃だろう。
赤いシートは特急運用に優先的に使われる編成だ。
名鉄7504車内.JPG

内海駅近く、信号所付近での7500系。
カラー写真の痛みを修正している。
どうやってこの場所に行ったかはいまだに謎だ。
名鉄7500内海近くカラー復元.JPG

乙川を渡る7501F、この角度が最もこの電車を美しく見せる。
名鉄岡崎7501_2.jpg

新木曽川を通過する7500系特急。
S55名鉄新木曽川7500特急.JPG

今伊勢での7500系。
名鉄今伊勢7500下り.JPG

長閑な地平駅だった本宿駅通過の様子。
名鉄7500本宿.JPG

名鉄の特急施策が変更になり、専用車として7000系白帯車の整備が始まる。
すると6連でしか使えない7500系は特急運用の大半を追われ、急行・高速を中心に走るようになる。
この頃から7500の凋落が始まった。

車内の整備も等閑になり、荒れた雰囲気の車両もあった。
それでも7500は美しかった。
特別な料金を払わずとも乗れる7500は名古屋訪問の主目的にもなっていく。
新岐阜駅各務原線ホームの犬山行き急行。
名鉄新岐阜各務原線7500急行.JPG

今の舞木検車場付近を行く高速。
名鉄舞木旧線7500後追い.JPG

乙川を渡る7565先頭の列車。
7515Fの中間車でパノラマミックウィンドウを持つ運転台があった。
名鉄乙川7605.jpg

青空を背景に乙川を行く。
名鉄乙川7500上り.JPG

国府宮にて。
名鉄国府宮7500.JPG

内海、7515Fで、逆富士型の表示板が大きい。
内海名鉄7500BW加工.jpg

木曽川を渡る。
名鉄東笠松7500サイド.jpg

新安城で7700白帯特急と出会う7500急行。
これこそまさにパノラマ一族の下剋上とでもいうものだろうか。
名鉄7500・7700新安城.JPG

石刀付近を行く7515F。
名鉄本線新木曽川7500俯瞰.JPG

雨の東笠松、急行。
S61名鉄7500急行東笠松雨.JPG

上下の急行、7500が出会った。
だが、これを見ていた僕はそのシーンを一瞬、茫然と見てしまいタイミングが遅れた。
しかも、下りは7515ではないのか。
このシーンは僕にとって最大の失敗だったと言えるかもしれない・・後悔が大きい。
名鉄7500離合東笠松.jpg

上り急行、豊川稲荷行。
名鉄7500東笠松急行.jpg

当時としては撮影ぎりぎりの時間帯、東笠松で上り急行。
名鉄東笠松7500流し.jpg

平成に入ると、特急施策の変更から、5編成を廃車して1000・1200・1800系と同じ車体を新製した1030.1230・1850系が登場した。

さらに残る7500は低重心設計故、車体高さが低く、中部国際空港へのバリアフリーに対応できないとされ、全車が廃車となった。
それなら、車輪径を大きくして、台車にライナーを入れることで問題となった80ミリの段差は解消できるのではないかというのは素人考えなのだろう。

7500系の機器類を再利用した1030ほかの系列も2019年までに廃車される。
やはりほかの系列と連結できない不便さからだろうか。
2019年に廃車寸前の1131F、岐南で。
010504岐南名鉄1131上り.JPG

愛してやまない名鉄SR車、さらにそのうちのパノラマカー、その中で最も愛するのが7500系だ。
佳人薄命というが彼らは昭和38年に登場し、平成17年にすべて引退、この間42年間、最後は特急運用には就かなくなっていったといっても、主に急行用として名鉄の主要線区を走った。
そう考えると、幸せな一生だったのかもしれない。

富士松で。
名鉄富士松7500仰望.JPG

新岐阜で。
名鉄本線新岐阜7500入線.JPG

今伊勢、国鉄側から。
名鉄今伊勢7515.JPG

美しいシルエット、乙川。
名鉄7500シルエット岡崎.jpg

最後に、あの悔しい東笠松の出会いを今の自分の技術で加工して蘇らせてみた。
7500よ、永遠なれ。
名鉄7500並び合成東笠松.jpg

僕は小説もするが、拙作に「パノラマドリーム」というのがあり、7500との夢の中での出会いをモチーフにしている。
那覇新一Story・・小さな物語「パノラマドリーム」
posted by こう@電車おやじ at 21:48| Comment(0) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月02日

名鉄、SR・OR系

パノラマカー登場以前の特急・急行用、5000系からSuperRomanceCar→SR車と呼ばれるようになった系列だが、パノラマカー登場後はパノラマ―も同じSRながらも、どうしても後塵を拝するイメージのあった系列を纏めてみたいと思う。
僕が名鉄を撮り始めたのは昭和51年からで。SRの前段階のロマンスカー、のちにOR系と呼ばれた彼らもまだ元気に走っていたし、新車なのにOR系とされてしまったパノラマカーと同じ車体を持つ7300系も元気だった。
写真は太田川駅で3400系と5000系の並び、向こうには6500系の姿も見える。
新旧の流線形デザインの饗宴だ。
名鉄太田川5000・3400・6500並び.JPG

名鉄は愛知電鉄と名岐鉄道の合併で誕生した大手私鉄だが、そのうち愛知電鉄の車両デザインの流れが今に至っているように思える。
写真は太田川だと思うが、旧型電車の4両編成、名鉄になってからの登場だが均整のとれた愛電デザインの3600系と、戦後の規格型電車で、どちらかというと名岐のデザインの流れをくむ3800系の組み合わせだ。
名鉄太田川3600.JPG

戦前の名車、流線形3400系もまだ優等種別に活躍していた。
「高速」という列車種別が出来たばかりの頃、神宮前にて御嵩行き高速、今やワンマン2連しか走らない御嵩へ、特急一般席に相当する「高速」が頻繁に走っていたのだから思えば隔世の感もある。
名鉄高速_2403神宮前.jpg

太田川にて。
名鉄太田川3403.JPG

駅に停車中の様子。
名鉄太田川2403.JPG

椋岡での3850系、昭和26年製造の名鉄復興の象徴ともいえる特急車。
ただ、ボックス式の固定クロスは名鉄の社風には合わなかった気がする。
名鉄椋岡2858.JPG

新岐阜にて3900系、なかなかカッコいい旧型電車だった
名鉄3901.jpg

昭和30年に颯爽と登場した5000系、カルダン駆動に転換クロスを装備、新型電車ブームにはやや遅れたが抜群のデザインセンス、そして小型電動機によるオールM、丸っこい流線形は、当時大流行りの国鉄湘南型とはまた違った好デザイン。
この系列からSuperRomanceCar、SR車という言葉が使われるようになった。
名鉄5000神宮前.jpg

名電山中付近、5000系のサイド。
名鉄5000名電山中.jpg

太田川での5002。
名鉄太田川5002.JPG

知立にて。
名鉄5000_2.jpg

5000系の車内、簡素な転換クロス、座席の向きを変えると背もたれ同士が接触しているという面白さもあった。
名鉄5006車内.JPG

5200系、昭和32年、5000系を正面貫通式にして、サイドにはサッシュレスの下降窓が二枚一組で並ぶ。
実に国鉄東海形クハに先駆けてパノラマミックウィンドウを採用、二連サッシュレスの窓は国鉄サロ152よりずっと早いという意欲的なデザインだ。
下降窓が健在な原形、中間車は5000系ように増備された5150形で車体断面が大きく違う。
知立で。
名鉄5200原型知立後追い.JPG

知立に入線する原形。
名鉄知立5200未更新.JPG

神宮前にて急行。
名鉄神宮前5200.JPG

国鉄サロの先駆けとなった下降窓だが車体腐蝕への対策として二段式窓への変更が行われた。
国府宮にて。
名鉄5212国府宮高速.JPG

国鉄サロはこの実績をもとに二段窓化されたとされるが、国鉄は元のままの窓部にそのままユニット窓をはめ込んだのに対し、名鉄では窓の開口部寸法を維持したため、やや大きめの窓となった。
新岐阜で。
名鉄5200更新新岐阜.JPG

こちらは今伊勢、丸っこい屋根形状がこの系列の特徴かもしれない。
名鉄5200更新今伊勢.JPG

事故で破損した正面を高運転台に改造した5202を最後尾に行く・・東笠松にて。
名鉄東笠松5200更新後高運.JPG

5500系、昭和34年に登場した戦後日本初の大衆冷房電車、戦前には南海に事例があるがあくまでも試作的なものであり、通勤冷房電車としては本邦初と言っても良いだろう。
しかも、冷房車の換気に、国鉄は自然通風式を設置したにとどまるが、当初から強制換気装置を設置していたことは特筆に値する。
デザインも5200系をさらに近代的にしたもので、今見ても決して古くはない。
だが、当時の名鉄で伝説になっている白井昭氏と社長の土川元夫氏にとって満足できる車両ではなかったらしい。
「エレガントさがない、夢も希望もない」とまで白井氏は酷評したとされる。
写真は豊川橋梁。
名鉄5500船町アップ.JPG

名電山中。
舞木名鉄5500流し.JPG

犬山橋。
雨犬山名鉄5500.jpg

新岐阜にて2連の特急・・ドアが開いているので当時は2連の本線特急があったという事なのだろうか。。
S51名鉄新岐阜地上5500特急.JPG

この系列にも車体復旧の際に高運転台化された車両がある。
5509、本笠寺。
名鉄5500高運本笠寺2002 (2).jpg

晩年は5300系と組んで運用されることもあった。
乙川橋梁。
名鉄岡崎5500系+5300系.jpg

また、7000系パノラマカーとも性能的には同じであり、稀に7000系編成に組み込まれることもあった。
写真は木曽川橋梁で、パノラマカー更新工事に際し入場中の車両の代わりに連結されたもの。
なお、7000系側は両開き扉の7100形だ。
名鉄7100・5500木曽川.jpg

このあと、SR登場以後はORと呼ばれていた3850・3900・3400系に仲間が登場する。
パノラマカー、7000系7500系の登場後、7000系の車体に3800系800系の機器を組み合わせて登場した7300系で昭和41年からとなる。
支線特急へも使えるように、座席指定もできるようにとデラックスな車体更新車の登場だ。
神宮前にて。
名鉄7300神宮前.jpg

犬山橋で。
名鉄犬山橋7300系.JPG

犬山で5700系と並ぶ急行。
永哲犬山5700・7300急行夜景.JPG

7300系の車内、パノラマカーと同じデザインのはずだが、蛍光灯カバーは外され、座席が一列撤去されるなど、ややうらぶれた感があった
名鉄7153車内.JPG

僕が初めて撮影した名鉄電車は実はこの系列だ。
修学旅行新幹線の車内から、栄生付近。
S51新幹線から名鉄7300.JPG

ついでに言うとその十数分後、豊橋で5000系5200系の連結部を撮影している。
S51豊橋駅新幹線から名鉄5000・5200.JPG

パノラマカーが絶世の美女あるいはスーパーイケメン俳優だとしたら、彼ら初期SR車の面々は、渋さをもった味のあるわき役と言えようか。
私鉄電車らしい風貌と、せわしなく揺れながら突っ走るあの雰囲気はパンラマカーとはまた違った魅力にあふれていた。
これに岐阜地区の600V線区も健在だったのだから、当時の僕が名鉄に嵌まり込んだのも、今思っても十分理解できるのだ。

発車する豊橋行き急行。
もはや今の名鉄に彼らの血筋は絶えて存在しない。
名鉄知立5500急行.JPG
posted by こう@電車おやじ at 22:03| Comment(0) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月17日

レールバスの走った名鉄線

名鉄のレールバスが写った古いポジを見つけ、デジタイズスキャンした。
そして今回は、これにアーカイブスの中から関連写真を抜き出し、かつて名鉄が経営合理化のために富士重工製レールバスを導入した線区を見ていきたいと思う。

最初にレールバスが投入されたのは昭和59年9月の八百津線だ。
長閑な里の風景の中を走るレールバスは当時の最新車両という割には風景に溶け込んでいた。
物珍しさに早速見に行った。
明智駅に停車しているキハ10形。
富士重工製Le-Carの最初の導入例だった。
名鉄明智キハ10形.JPG

停車するキハ10形。
八百津線明智キハ10.JPG

単行レールバスは12分ほど走って終点に到着した。
八百津駅だ。
名鉄八百津駅 (1).JPG

駅の近くで少し撮影をした。
秋の風情、訪れたのがレールバスに置き換え直後であることを示している。
名鉄八百津線キハ10.JPG

ススキとレールバス。
名鉄八百津線キハ11ススキ.JPG

快走するレールバス。
名鉄八百津線キハ11.JPG

多分この時に、間もなく非電化されると聞く三河線に向かったのだろうと思う。
地下鉄を経由して開通したばかりの豊田新線で・・
梅坪駅の様子。
名鉄豊田線梅坪100系2740.JPG

三河線の奥へ・・
西中金駅近くで少し撮影している。
6800系2連。
三河線西中金6800系2連ー4 (1).JPG

その反対側。
三河線西中金6800系2連ー4 (9).JPG

HL3730系。
三河線西中金3730系.JPG

そしてここには翌年春のレールバス投入後に再訪している。
猿投駅にはいるキハ10形。
三河線猿投キハ10入線.JPG

乗降風景、驚くほど多くの乗客が乗り込んでいた。
三河線猿投キハ10.JPG

発車風景。
三河線猿投キハ10発車.JPG

西中金駅。
三河線西中金キハ10.JPG

そして三河広瀬駅。
名鉄三河線三河広瀬駅舎正面.JPG

角度を変えて・・
名鉄三河広瀬駅斜め.JPG

三河広瀬でのキハ10形。
名鉄三河線広瀬キハ10形.JPG

時間的余裕がなかったのだろうか・・これ以外の写真は見つかってはいない・・

そしてこれは多分別の日、数年を経た後だと思うが三河線海線を訪問していた。
碧南駅、車両が少し大型化されたキハ20形だ。
三河線碧南キハ20.JPG

この列車に乗って吉良吉田へ行ったようだ。
ようだと書いたのは、記憶が消えているからで、この写真を見つけるまでは自分では三河線海線の廃線区間に乗っていないと思っていた。
後にキハ30にも乗ったはずだがこちらは記録が出てこない。

吉良吉田駅。
三河線吉良吉田キハ20.JPG

さてここ数年、名鉄各線の再訪をしているが、三河線には蒲郡線のついでに行くことが多い。
現在の吉良吉田駅、蒲郡線乗り場はかつての三河線ホームだ。
0627名鉄吉良吉田駅旧三河線跡.JPG

そのホームに停車する蒲郡線6000系ワンマン車。
0825名鉄吉良吉田6000系ワンマン.JPG

白帯車も来る。
1204吉良吉田名鉄6011停車.JPG

現在の碧南駅、入線する6000系更新車。
0627名鉄碧南駅6034入線.JPG

海線廃線区の代行バス。
この日はものすごい乗客でこれなら電車を残したほうが良かったのではと思った。
0627名鉄吉良吉田駅三河線代替バス.JPG

かつての三河線風景も少し。
名古屋方面と直通していた碧南行き急行。
ラッシュ向きの3550形だ。
知立3552急行碧南.jpg

100系の山線急行。
名鉄100系知立.jpg

かつての三河線、普通に使われていた白帯7700系。
名鉄7700知立.jpg

梅坪駅の今。
名古屋市営地下鉄はすでに開業時の車両からは三世代目になる。
1011梅坪名古屋市交N3108.JPG

豊田市・・名鉄電車が並ぶ。
1011名鉄豊田市200系6000系.JPG

名古屋市営地下鉄と名鉄の並び。
1011豊田市名鉄6014・名古屋市交N3101.JPG

知立・・
高架工事たけなわだ。
0402知立高架工事.JPG

その工事中の知立に進入するパノラマスーパー特急。
1011知立1000系進入2.JPG

広見線明知駅・・
0202名鉄明智駅舎.JPG

構内、今はさらに工事がなされ、完全に棒線化されている。
0202名鉄明智駅構内.JPG

かつての八百津線代行バスは今も健在。
明智とうてつバス。
0202明智とうてつバス八百津行き.JPG

桜の三河線、平戸橋駅。
0402平戸橋名鉄6000系入線.JPG


里の風景。
失ったものはもう取り戻せない。
あの頃、ローカル線を思い切ってばっさり切り捨てた名鉄だが、揖斐線岐阜寄りの区間や美濃町線関以南などと合わせ、三河線海線の一部廃止はやり過ぎだったと思うし、さてこれからどうするのかという名鉄の長期的な視点も欠けていたような気もする。
名鉄八百津線キハ10寺院前.JPG

時として斬ることが経営者の仕事となるのは理解できるが、それによって離れた人心はもはや帰っては来ない。
代わりに建設された中部国際空港への路線は確かに大勢の一元客を取り込み、名鉄の経営安定には寄与したのだろう。
だが捨てられた地域住民はその恨みを忘れることはない。
地域に根差さない鉄路の未来とはどんなものなのだろうか。
今も蒲郡線、広見線末端区間の廃止が取りざたされているが本当にそれでよいのか、今一度、経営陣には踏みとどまってもらいたいとワタシは思っている。
posted by こう@電車おやじ at 22:37| Comment(0) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月19日

デジタイズアダプターで蘇るパノラマカー

Nikonから、かつてのスライドコピアの代わりに「デジタイズアダプター」なるものが発売されているのを知ったのはもうずいぶん前になる。
確かD850と同時に発売されたものではなかったか・・
で、梅田の中古カメラ屋を久しぶりに覗いたら、ワタシが普段、鉄道写真に使っているDXタイプレンズの、マイクロニッコールDX40ミリの出物があった。
準新品、保証書付きで通常の中古よりはやや高いものの、これは「買い」と判断したわけだ。
すると、このレンズだと「デジタイズアダプター」がそのまま装着できることに気がついた。
そこで、さすがにこの手のものは中古カメラ店にはなかったので近くの大手カメラ量販店に向かう。
冷やかし程度に話だけでも聞いてみようと思ったのだが、応対してくれたSTAFFは非常に知識が豊富で、しばし話をした後「たぶん、在庫ありますよ」と言って、探してくれた。
これはもう買うしかない・・・
そうして持ち帰る直通特急の車内からもう楽しみになってきた。
Nikonデジタイズアダプター.jpg

帰宅して早速、これまで露出が不足気味のポジやネガのうち、好きな列車が写っているものをスキャン・・というか複写してみた。
使える!
この商品の売価はたかだか15000円少々で、なぜいままで、その存在があるのを知りながらも手を出さなかったか後悔もする。
これならこれまでのスキャナーでは表現できなかった写真が蘇りそうだ。

せっかくなのでコダクロームで露出不足という、これはさすがに当時としては無謀だった撮影のコマから・・
名鉄をアップしてみる。

河和線阿久比と椋岡の間あたりだろうか。
椋岡という駅は廃止されて久しい。
ここで撮影したコダクロームの露出がかなりだめで、撮影時刻も夕方に近かったのだろうが、トライエックスなら十分に撮影出来たシーンだ。

パノラマカー7000系白帯車が行く。
名鉄椋岡7000白帯サイド.JPG

その後追いだろうか。
名鉄椋岡7000系白帯01.JPG

こちらは7000系の一般車、7037と読めるがはてさて・・
名鉄椋岡7037サイド.JPG

パノラマデラックス8800系のサイド。
名鉄椋岡8803サイド.JPG

パノラマデラックスが去っていく。
名鉄椋岡8800系.JPG

OR系と呼ばれた3900系が4連で行く。
名鉄椋岡3900系4連.JPG

こちらは富士松駅近くだと思う。
肝心のお顔に継電箱がかかっているが、7500系と7300系が出会う。
名鉄富士松7500・7300.JPG


7500系のサイド、美しい電車だ。
名鉄富士松7500サイド.JPG

同じ編成の反対側だろう。
名鉄富士松7500サイド2.JPG

5700系、6連貫通編成。
名鉄富士松5700系6連.JPG

以前にも出しているが再スキャンしてみたパノラマカー7000系のシルエット。
名鉄富士松7000シルエット.JPG

犬山橋。
7300系、露出アンダーの典型的な写真だが、荒れはするもののなんとか見られるようになった。
名鉄犬山橋7300系.JPG

犬山の看板を付けた新鵜沼行き白帯車特急。
名鉄犬山橋7000系特急犬山.JPG

新鵜沼駅に引き込まれて行く・・
名鉄新鵜沼7000系特急犬山.JPG

こちらは7500系。
名鉄新鵜沼7500系.JPG

岡崎の看板を付けた、通常の7000系による特急。
名鉄新鵜沼7000特急岡崎.JPG

8800系がヘッドライトを強くしてやってくる。
名鉄犬山橋8800系.JPG

石刀駅近く。
7500系7515が来た。
看板が大きくて目立つ編成だ。
名鉄石刀7515編成.JPG

7515のサイド。
名鉄石刀7515サイド.JPG

こちらは登場したばかり5700系トップナンバーだ。
名鉄石刀5701.JPG

犬山駅の夜景。
7500系の河和特急。
名鉄犬山駅夜景7500特急河和.JPG

5700系。
名鉄犬山5607夜景.JPG

6800系だろうか。
名鉄犬山6800夜景.JPG

7300系と5700系が並んだ。
OR7300系は常滑行き急行だ。
名鉄犬山5700・7300急行常滑夜景.JPG

こちらは原版がネガだ。
神宮前駅の夜。
白帯車の犬山行き普通。
名鉄神宮前夜景7000白帯普通犬山.JPG

それの後追い・・白帯車は朝・夜にはこういった運用も見られた。
名鉄神宮前夜景名鉄7000白帯普通犬山後追い.JPG

弥富行き準急は7000系。
名鉄神宮前夜景7000準急弥富.JPG

本来の特急運用、白帯車の河和特急。
名鉄神宮前70000白帯特急河和・6000.JPG

ポジ原版に戻って支線を・・
八百津線の風景を行くキハ10形。
名鉄八百津線キハ10寺院前.JPG

三河線末端区間のキハ10形2連。
名鉄猿投キハ10形2連.JPG

西中金付近を行く、HL3750形。
名鉄西中金3750.JPG

この小さく安価なアクセサリーは、本当に保有するフィルムを再現するだけでなく、補正、修整を加えれば当時はプリントを諦めていたカットにでも応用できることが分かった。
パノラマ先輩後輩の連結部分をデジタイズアダプターで再現。
名鉄乙川1000+7000.JPG

最後に、何処の駅か分からない・・・小駅を通過する7500系を。
魂当時としてはほとんど不可能だった夜の列車走行シーン、それでもシャッターを押した自分自身。
それだけ、パノラマカーが好きだったのだろう。
スキャンではなく、好っきゃん、名鉄パノラマカーだ。
名鉄夜景駅不明7500.JPG


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2023年03月14日

各務原線・知多新線のダイヤ改正・・多線区直通列車、終焉へ向かうか

間もなく3月18日にJRを中心としたダイヤ改正が行われる。
ごく一部、JR東海と線路を共有する名鉄にあっても、この日にダイヤ改正が行われるが内容はかなりショッキングだ。
名古屋本線においては日中、名鉄岐阜への急行がすべて名鉄一宮で折り返しになるほか、須ヶ口・豊明間準急の新設(実は前回改正で消滅した一宮・豊川稲荷間急行のスジの一部復活)などが話題になるが、大きく変わるのが各務原線と知多新線だ。
各務原線は全列車の編成統一、ワンマン化と犬山線犬山と岐阜の間に全列車を普通列車として封じ込める線内運用(厳密には犬山線に二駅乗り入れるから線内ではないが)に変更になるが、大体の列車の運行頻度は朝の一部を除いては確保される見通しだ。
写真は今現在、朝に走る6連の急行。
0201鵜沼宿名鉄3100系×3=6連急行.JPG

今現在、特に朝と夜、犬山線のみならず名古屋本線、常滑線、河和線、知多新線、西尾線と相互に直通している列車がすべて消えることになる。

知多新線は現在の3種の列車が合わせて毎時3本という形態から、日中は普通のみ毎時2本の線内ワンマン運転に変更され、観光シーズン等にはどうなるか分からないが、今後は日中は特急・急行が乗り入れなくなる。
写真はかつてのパノラマカー特急。
名鉄7500内海近くカラー復元.JPG

これを少し考えると、各務原線は積極的合理化、知多新線は消極的合理化と言えるのではないだろうか。
岐阜と犬山を直結し、中間に各務ヶ原市のある各務原線に廃止の話などでないだろうが、すでに宅地開発も頓挫し観光需要も見込めなくなった知多新線は将来の廃止へ向けた第一歩と捉えられてもおかしくない。

嘗ての華やかな多線区直通列車があったころの残照をわずかに残す両線が、それぞれの道を歩き始めるわけで、なんとも感慨深いものがある。

名鉄の多線区直通列車は、かつては新名古屋には殆どの線区から直通列車が乗り入れ、複雑怪奇なダイヤ、車両運用が楽しめたものだ。
三河線や蒲郡線にも、名古屋本線から直通する優等列車があったし、岐阜地区の600V線区では、すべての駅から新岐阜へ直通列車が存在し、新名古屋でも一回の乗り継ぎだけでいけるように設定されていた。
名古屋名鉄新岐阜600.jpg

それが当時の国鉄の、貧弱な地域輸送に対する圧倒的なシェアを持つ要因の一つだったことは否めない。
しかし、本線や犬山線、常滑線の捌ききれないほどの需要に対し、どうしても支線区では需要は小さくなってしまう。
本線の6連や8連の列車を支線区に直通させるのは大いなる無駄ではあるし、余分な車両を抱え込むことにもなってしまう。
運用も複雑であればあるほど、万が一の抑止事態の際に復元が難しくなってしまう。

そう言った意味で、まず、ある程度の輸送需要のある三河線が線内運用に固定化されたのはずいぶん古い話だ。
名古屋直通の特急が廃止されたのが昭和52年、15分ヘッドの普通のみのダイヤは「新快速並み」と言われて利用しやすいと評判だったようだ。
いったん、20分ヘッドになったものの平成になってからまた15分ヘッドに回帰、ただし末端区間は南北いずれも気動車化、さらには廃止となって需要の大きな区間だけが残された。
知立3552急行碧南.jpg

三河線は平成13年に北線、平成18年に南線がワンマン化されたが、その後、似たような状況である各務原線のワンマン化まで随分と日が経ってしまった。
これにはやはり各務原線の複雑な運行系統が影響していたのかもしれない。

昭和の新岐阜駅…
各務原線列車の様子だ。
犬山行きの急行に7500系が来た。
もちろん、6連だ。
名鉄新岐阜各務原線7500急行.JPG

犬山・新名古屋経由内海行急行・大回りで知多半島の先端へ。
6000系鉄仮面編成。
各務原線新岐阜6500系鉄仮面内海行き急行.JPG

3880系(元東急車)3889による小牧線上飯田行。
各務原線新岐阜3889上飯田行.JPG

その編成の上り方だろうか、3880系2885、上飯田行。
各務原線新岐阜2885上飯田行.JPG

線内途中の三柿野行き準急。
冷房付き3780系だ。
S51名鉄新岐阜地上3780準急.JPG

知多新線に関しては大きな期待があっただろう・・
紆余曲折する路線計画、用地買収の困難、難工事、やっと開通した知多新線はしかし当初名鉄が思い描いていたものとは違う形になったことも否めない。
海水浴場から遠い駅、観光施設から遠い駅、町の中心から遠い駅はいずれもバスで連絡せざるを得ず・・
住宅開発は行政と軋轢に苦しみ、結果として思い通りの結果を出せず・・
唯一、沿線に出来た大学と付属高校の通学路線としては少し光が見えた。

開通当初は乗客で賑わった路線もやがて閑古鳥が鳴くようになってしまう。
新しい道路が開通し、快適に現地へマイカーでいける・・さらに言えば中京圏は日本で最もモータリゼーションの進んだ地域でもある。

開業当初の内海駅・・
停車しているのは7500系7515F、大きな看板が目印だ。
内海名鉄7500BW加工.jpg

6000系急行犬山経由新岐阜行き。
名鉄内海6000系急行犬山経由新岐阜.JPG

数年前の写真、1700系特急。
010610内海名鉄1701.JPG

先日の撮影、2200系特急佐屋行。
知多新線、河和線、常滑線、名古屋本線、津島線、尾西線にわたる直通列車だ。
0201内海名鉄2206特急佐屋.JPG

平日昼間の3500系全車一般車急を知多奥田にて。
0201知多奥田名鉄3512内海行き特急.JPG

知多武豊近くにて、SR最後の砦・・5300系による内海行全車一般車特急。
0106知多武豊5300系特急内海行き.JPG


つい先月、随分寒い日だったが、朝の各務原線の雰囲気を視たくて、鵜沼宿駅で降りた。
そう言えば、各務原線を沿線で撮影することはこれ迄本当に少なかったと思う。

朝の光の中、5000系急行が岐阜へ向かう。
線内での急行運転も全て取りやめとのことだ。
0201鵜沼宿02名鉄5112急行岐阜_01.JPG

こちらは吉良吉田行きの後追い、新鵜沼から急行に変わる。
各務原線、犬山線、名古屋本線、西尾線にわたる多線区直通列車だ。
0201鵜沼宿03名鉄9611吉良吉田行き後追い.JPG

3100系が先頭の国府行。
0201鵜沼宿10名鉄3119国府行き.JPG

5000系による快速急行河和行き、各務原線、犬山線、名古屋本線、常滑線、河和線の直通列車だ。
0201鵜沼宿07名鉄5002快急河和行き.JPG

こちらは豊橋行き
0201鵜沼宿05名鉄3161豊橋行き.JPG

この時点では2連の急行吉良吉田行き。
ツートン3100系だ。
0201鵜沼宿04名鉄3102急行吉良吉田行き.JPG

そして内海行き3300系。
各務原・犬山・名古屋・常滑・河和・知多新線にわたる直通。
0201鵜沼宿12内海行き3300系.JPG

時代が変わる。
地域社会の中で鉄道が果たすべき役割も変わる。
その中で鉄道はしたたかに生き残って行かねばならない。

この春の改正では様々な変化が各地で見られるが、自分としてはやはり、名鉄の大きな変化に目が行ってしまうわけだ。
つい先日の金山駅での特急内海行、1000・1200系。
1203金山名鉄1000系特急内海行き.JPG

6500系による犬山経由岐阜行き急行・・犬山橋で。
この列車も河和か内海から来たはずだ。
名鉄犬山橋6000鉄仮面4連.JPG
posted by こう@電車おやじ at 21:14| Comment(4) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする