2022年10月14日

電車おやじ、北海道へ行く特別編・小樽市総合博物館篇

10月6日に、小樽市の総合博物館に伺うことが出来た。
今回の旅行についての旅程は「電車おやじの鉄な日々」での「旅程篇」をご参照ください。
また、ほかの日のテーマについても同blog、並びに「電車おやじの平凡な日々」をご覧くだされば幸いです。

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こちらではかねてから念願のだった小樽市総合博物館を訪問した思いをお伝えできればと思う。

かつて、北海道鉄道記念館として存在していた時代に一度だけ訪問したことがある。
当時は山裾に機関車や除雪車などを保存していた規模もさほど大きくなく、なんだかなぁと思ったものだ。

まず当時の画像から。
看板のC62 3号機。
今は苗穂にあると聞く。
小樽C623.JPG

C12 6 号機。
小樽C126.JPG

C55 50号機。
S52手宮C5550.JPG

ロータリー式除雪車。
S52手宮ロータリー除雪車.JPG

除雪車キ800。
S52手宮キ800.JPG

明治の客車、い1号。
S52手宮い1.JPG

転車台。
S52 手宮転車台.JPG

さて10月6日、当初の予定を変更して翌日訪問の予定だった小樽市総合博物館を訪問。
国鉄北海道の代表的な車両のほとんどが保存されていると聞き、まさに念願の訪問だった。

手宮口から入ったところに懐かしいC12 6号機と後ろには電気機関車と気動車が。
1006手宮C126.JPG

ED75501 。
1006手宮ED75501 .JPG

キシ80 12・・かつての北海道の特急には必ず食堂車がついていたものだ。
1006手宮キシ8012.JPG

北海道の代表的な一般形気動車だったキハ22。
1006手宮キハ2256.JPG

パッと見、美しいキハユニ25。
1006手宮キハユニ251.JPG

そして急行型3両編成。
キハ27。
1006手宮キハ2711.JPG

キハ27の車内。
1006手宮キハ2711車内.JPG

キロ26。
1006手宮キロ26107.JPG

キロ26の車内。
1006手宮キロ26107車内.JPG

キハ56。
1006手宮キハ5653.JPG

編成を全体から見た様子。
1006手宮キハ5623.JPG

懐かしい急行気動車だ。
1006手宮キハ56ほか急行編成.JPG

しかし、高砂で車両保守をしていた僕の目には哀しい現実も見えていた。
キシ80 12のナンバー部分。
外板の補修が間に合っていない様子がうかがえる。
1006手宮キシ8012サイド.JPG

キハとキロの連結・・ドア回りの痛みが気になるがこれくらいならまだ補修できるだろう。
1006手宮キハ27・キロ27連結部.JPG

キハユニのサイド、塗装こそ美しいが外板の痛みは隠しようもない。
1006手宮キハユニ251サイド.JPG

準鉄道記念物に指定されているキハ82 1があった。
会いたかった車両だ。
1006手宮キハ821.JPG

ED75と並ぶ姿が頼もしい。
1006手宮キハ821ED75509 .JPG

キハ82の全景。
1006手宮キハ821サイド全景.JPG

こちらキシ80 34、ここにはキハ80系の食堂車が2両いる。
1006手宮キシ8034サイド全景.JPG

だが、2両とも痛みがひどい。
特に裾の歪みが目立つ。
これは台枠そのものが歪んでいるのだろう。
1006手宮キシ8034サイド.JPG

夕陽に照らされると余計に歪みが目立つ。
1006手宮キシ8034夕陽.JPG

その部分のアップ。
裾部分が外側に湾曲している。
1006手宮キハ80裾痛み.JPG

ホームが設置している側から・・
裾の歪みがかなり大きいことがわかる。
これは、エンジンや変速機の重みにすでに腐食している台枠が耐えられず、その部分が垂下、つられて側部分が凹む形になっていると見たのだが。
裾部分外板の外側への湾曲もすでにその部分の台枠が用をなしていない状態ではないかと窺い知れる。
1006手宮キハ821側から裾痛み.JPG

追記:
このキシ80 34について、本blogでも過去に出ていた国鉄高砂工場内で撮影していたことが判明した。
なんと、40年ぶりの再会だった。
高砂キシ8034ジャッキアップ.jpg


ここは海のそばで、しかも降雪地帯だ。
鉄の保存車の維持にはかなり厳しい条件だろう。
そのうえ、JR工場の鉄鋼職人たちが支援しているわけではなく、あくまでも補修はボランティアの方々だという。
だがすでに、限界を迎えつつあるのではないだろうか。

電気機関車ED76509.
1006手宮ED75509.JPG

C5550、煙突が折れ曲がっている補修中のようだ。
1006手宮c5550.JPG


ホーム両側に旧型客車が並ぶ。
1006手宮オハ35・スハフ44.JPG

オエ61、61系を名乗るがベースは35系のはずで不思議なクルマだ。
1006手宮オエ6109.JPG

スエ78、なんと三軸台車を履いている。
1006手宮スエ785 - コピー.JPG

その台車部分。
1006手宮スエ785三軸台車.JPG

DD51615 ・・ナンバーが欠品だ。
1006手宮DD51615.jpg

DD14 323。
1006手宮DD14323.JPG

DD1537 、ラッセルヘッドを付けたままなのでカニにみえる。
1006手宮DD1537全景.JPG

DD14 23こちらもラッセルヘッド付き。
1006手宮DD14323.JPG

DD13611・・このタイプの機関車って今保存されているのすごく少ない気がする。
1006手宮DD13611.JPG

DD16 17 美しい機関車だ。
1006手宮DD1617.JPG

DE10 503。
1006手宮DE10503.JPG

キ270、ラッセル車。
1006手宮キ270.JPG

キ718こちらもラッセル車。
面白い顔立ちにみえる。
1006手宮キ718.JPG

キ752・・これもまた楽しい表情だ。
だが彼らが働いた場所は極寒の線路上である。
1006手宮キ752.JPG

昔に来た時にもいたキ601、ロータリー式除雪車。
1006手宮キ601.JPG

昭和30年代のレールバス。
準鉄道記念物。
大切に保管されている。
1006手宮キハ031.JPG

スユニ50、国鉄工場で作られた最終期の郵便荷物車だ。
106手宮スユニ50501.JPG

オハフ33 364・・頑丈で痛みもないが車内は物置と化していた。
1006手宮.JPG



マニ30(大蔵省現金輸送車)・・全く痛んでいない・・当たり前でごついアルミ車体だ。
高砂時代に何度か担当させてもらった。
1006手宮マニ302012.JPG

スハフ441。
この手の客車は基本的頑丈で、保存に耐える。
雨どいの補修がやや残念な気がするが、これはやむを得ないのだろうか。
1006手宮スハフ441.JPG

スハ4514。
1006手宮スハ4514.JPG

30号大勝号。
1006手宮30号機大勝号.jpg

そして園内を走るアイアンフォース号。
1006手宮アイアンホース号.JPG

ワフ29984、半室車掌車だ。
1006手宮ワフ29984.JPG

ヨ7904、全室車掌車。
1006手宮ヨ7904.JPG1006手宮ソ304チキ6141.JPG

ホキ2226、穀物輸送用のホッパ貨車。
1006手宮ホキ2226.JPG

ワムハチ・・ワム80000形式
82506こんな塗装のは見たことがない。
北海道にはいたのだろうか。
1006手宮ワム82506.JPG

セキ7342、これぞ北海道の産業を象徴する貨車だ。
昨今流行りの道外禁止はここから来たか。
1006手宮セキ7342.JPG

無蓋貨車トラ57964、バラストを乗せ気分が盛り上がる。
1006手宮虎57964.JPG

しずか号、これはさすがに建屋の中、本館で丁寧に保管されている。
1006手宮しずか号.JPG

そして非常に貴重な「い1号客車」
開拓当時の貴賓車だ。
ただし、モニタ屋根の中ほどが下がってきていて、これは木製車両のメンテナンスをきちんとしていないことの結果だろう。
このままではやがて屋根が落ちるのではないか。
1006手宮い1号客車.JPG

数えたわけではないが、ほかの方のブログなどによるとここには45両もの車両が集められているそうだ。
中堅鉄道会社が一つできてしまう車両数だが、残念ながら博物館というには車両の痛みが進行しすぎている。
特に昭和30年代の軽量化初期の脆弱な鋼板を使った上に、極端な軽量化のために元々「やわい」構造の気動車は、もはや朽ちていくその姿を見せるとでもいうのだろうか。
(国鉄車両の材質は昭和38年ごろを境に全くそれまでとは違う強いものに改められている)

準鉄道記念物たるキハ82の現状はあまりにも気の毒で、けれどここまで痛んだ車両を復元するというのも、それはかなりの難題だろう。
機関車や旧型客車、貨車、それに除雪車も痛んではいるが、まだ今ならきちんとした手入れをすれば生かしなおすことはできる。
問題は気動車というのがここを期待をもって訪問した僕の偽らざる気持ちだ。

ボランティアの方々の努力は素晴らしいと思う。
自分自身も車両保存運動に関わっていく中で、それがどれだけ大変かも分かっているつもりだ。
だが、気動車の惨状は、すでに補修では済まない、かつてそれら車輌を実際に触った人間として、小樽市、あるいは北海道に言うとすれば、車両を幾分縮小し、JR北海道が置き換えを進めている一世代前の車両と入れ替えて、安全に見られるように再整備されることを心から願う。

これほどの観光資源である。
もっと力を入れてもよいのではないか、そして、ある面では躊躇なく安全なものへ差し替えることも必要なのではないか。

本館屋上から保存車両の全景が見えた。
痛んだ姿でもなんとか見てもらおうと、雰囲気を味わってもらおうとしている車両たち、整備しているボランティアの方々の想いが伝わってきて、秋の北海道の風が冷たく感じられてならなかった。
今年ももうすぐ潮を含んだ雪の季節が来る。
1006手宮縦全景.JPG
posted by こう@電車おやじ at 05:44| Comment(4) | 現況ルポ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月17日

遠州鉄道と二俣線

6月に友人に紹介していただき、天竜浜名湖鉄道、天浜線の貸切列車に乗せてもらうことが出来た。
天浜線=国鉄二俣線は昭和53年に乗車したきりだから、実に44年ぶりの乗車となった。
その際、往路において遠州鉄道線にも乗車して、こちらは4年前に途中まで再訪しているものの、やはり全線乗車は44年ぶりだった。

さて、44年前の訪問だ。
当時の新浜松駅は、国鉄駅からやや遠く、なんだか場末みたいな雰囲気だったと思う。
遠鉄新浜松34.JPG

もっとじっくり訪問すればよいものを、ただひたすら終点に向かう電車に乗った。
途中の交換駅で、駅名不詳。
30形の30、トップナンバーではなく、30形が31から39まで行ってしまい、仕方なく30から順に下げるやり方で附番したそうだ。
遠鉄駅名不肖30.JPG

たぶん、西鹿島駅直前、当時最新鋭の冷房30形25が留置されているのを見た。

30形の後期車は湘南マスク・両開き2ドアという特徴的な外観で、バランスがよく、地方私鉄の電車として好みのタイプ。
しかも冷房が搭載されているし、名鉄ばりのスカーレット、完璧だ。
遠鉄駅名不明25.JPG

西鹿島には3本の列車が並んだ。
86・21・84となる。
遠鉄西鹿島86・21・34.JPG

そのうちの86と21、もうあまり使われていないのだろうか、傷みが目立つ。
遠鉄西鹿島86・21ほか.JPG

電気機関車、ED282がいた。
遠鉄西鹿島ED282.JPG

西鹿島で二俣線に乗り換え、豊橋へ向かう。
やってきたのはキハ20だ。
当時の二俣線はキハ20形で占められていた。
二俣線西鹿島キハ20入線.JPG

途中、三ヶ日駅で列車の交換があった。
乗っているキハ20が停車、表記を見ると高砂工場で検査しているが、関西からの転属車だろうか。
二俣線三ヶ日キハ20.JPG

対向列車が停車する。
二俣線三ヶ日キハ20並び.JPG

後尾2両が旧塗装の4連。
キハ20二俣線 (2).jpg

タチアオイが咲く。
二俣線.タチアオイJPG

列車からは浜名湖が見える。
二俣線車窓浜名湖.JPG

トンネルの中で揺れる車内を撮影。
二俣線キハ20車内.JPG


さて、遠鉄、4年前の訪問だ。
高架なった新浜松へはもちろん初めての訪問だ。
ホームに上がるとなんと、40年前に見た25が留置されていた。
0321遠鉄新浜松25.JPG

だが、乗ることはできないらしい、やってきたのは1000形だ。
0321遠鉄新浜松25・1007.JPG

高架の終わる自動車学校前まで乗ってみた。
背景の自動車学校も遠鉄系列だ。
VVVF電車、2000形がやってきた。
0321遠鉄自動車学校前2107.JPG

すぐに折り返したが帰りは2000形の青いラッピング電車がやってきた。
0321遠鉄自動車学校前2102.JPG

その電車の後尾から対向の電車を・・往路に乗った編成だ。
近代的な高架区間が長い。
0321遠鉄車内から2007上島.JPG

6月の訪問時。
貸切列車の集合は掛川駅だったので前日に豊橋で宿泊して、朝のうちに遠鉄に乗る。
エヴァンゲリオンのラッピング電車が来た。
0626遠鉄浜松アスカラッピング.JPG

時間がなく、ただ乗っているだけだ。
西鹿島で接続時間が少しあった。
2000形、なんのラッピングだろう。
0626遠鉄西鹿島2003.JPG

駅の終端、奥に工場だろうか。
0626遠鉄西鹿島2107・1505.JPG

西鹿島駅、天浜線と遠鉄線の共同使用駅だが列車本数は遠鉄が圧倒している。
0626西鹿島駅.JPG

天浜線の西鹿島に停車していたのは天竜二俣までの短距離列車。
此処もラッピング車が多い。
ヤマハのラッピング車だ。
0626天浜線西鹿島2105ヤマハ.JPG

天竜二俣で乗り換えて掛川を目指す。
転換クロスのイベント用車両だった。
0626天浜線二俣9200.JPG

二俣線=天浜線は44年前に西半分を乗っただけで東半分は初乗車だ。
列車は淡々と気持ちよく走るし、乗客も多い。

貸切列車は湘南色と国鉄一般気動車標準色の2両編成だった。
企画してくれた友人に感謝する。
0626天浜線2101.JPG

天竜二俣駅で国鉄標準色の車両をじっくり眺める。
昔のキハ20を思い出す。
0626天浜線二俣帰路210②キハ色.JPG

廃車となったイベント用車両と並ぶ。
0626天浜線二俣2102・3501.JPG

天竜浜名湖鉄道にも制定された塗装があるのだが、僅か数両であとはすべてラッピング車両だそうだ。
「BUNBUN」号…
0626天浜線二俣2110BUNBUN.JPG

「花のリレープロジェクト」号。
0626天浜線2107花のリレープロジェクト.JPG

「キャタライナー」号。
0626天浜線西気賀キャタライナー2103.JPG

「刀」号。
大型バイクのKATANAをデザインしているそうだ。
0626天浜線西気賀2113刀.JPG

そして制定されている標準色。
0626天浜線西気賀上り車内から2112標準色.JPG

貸切列車は掛川と新所原を往復してくれる。
昔と変わらない浜名湖の風景。
0626天浜線浜名湖.JPG

天竜二俣駅のクラシカルな構内。
0626天竜二俣駅構内.JPG

この時、アニメ「エヴァンゲリオン・新映画版」で登場した機関区を見せてもらうツアーに参加できたのだが、僕にはどうしても見ておきたい保存車両があった。

まず、駅前にはC58 389が保存されていた。
0626二俣C58389 .JPG

そして天浜線用地にはなぜか20系客車、ナハネ20 347が・・
尾久にいたクルマで、ゆうづる、あけぼの、天の川、十和田などに使われたのではないだろうか。
0626二俣ナハネ20347.JPG

さらに、ふっと昔の天浜線に思いを寄せる…
キハ20だ。
キハ20443、保存会が定期的に手入れをしてくださっているようだ。
0626二俣キハ20443全景2.JPG

元気のある第三セクターだが、線路はいずれ大規模な補修が必要になるのではなかろうか。
天浜線が将来にわたって地元に愛され、活躍されることを心から祈る。
0626天浜線西気賀付近線路.JPG
posted by こう@電車おやじ at 20:52| Comment(0) | 現況ルポ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月08日

しなの鉄道115系その後・・山スカ色・新長野色を追って。

昨年11月に、小諸での所用の合間に撮影した115系の記事をエントリーした。
http://kokutetu.seesaa.net/article/478588885.html

その後も今春3月までは頻繁な小諸通いが続き、全く撮影などする余裕のない小諸訪問もあったが、可能な限り、例えば早朝などに115系の撮影をさせてもらえた時もあり、今回は「その後」の様子をお届けしようと思う。

11月までの段階で僕の気にかかっていたのは、しなの鉄道115系の中でも「山スカ」と呼ばれる旧横須賀線色編成と、「あずさカラー」ともいわれるJR東になってから投入された「新長野色」編成だ。
ところが、山スカ編成は3連がS16、2連がS26 の2編成、あずさカラー編成は3連でS15とあるのだけれど、特に山スカ3連編成は撮影のできない時間的余裕のない時に目の前に現れ、乗車もできるが撮影が全くできていない状況となった。
これはどういう縁なのだろうと、僕は旧型国電のころからスカ色はその清潔感溢れる色合いと、格調の高さで国鉄車両の塗装としては最も好きな部類になるのだがとにかく残念でならない。

小諸に行くたびに、わずかの時間、沿線で撮影するたびになんとか彼らに会いたいと思うのだけれど叶わぬ状況が続いていた。
本年2月12日、小諸駅で。
0212小諸しなの鉄道115系スカ色2連留置.JPG

清潔感溢れる彼らの姿が見たい・・そうは思っても小諸へは遊びで行くわけではないのだから、運用が分かっていてもその時間に線路際へ行く余裕がないという事もあって求めていた出会いはなかなか難しい。
大好きな彼女と会いたいのだが、彼女の動きは分かっているのに此方はほかの用事で体が抑えられてしまい、動けないといえば、その気持ちはお分かりだろうか。

だが115系は来る。
まだ昨秋の段階では新車のSR-1系も座席指定に使えるデュアルシート編成が3本入っただけだった。

12月2日の夜、小諸のホテルから夜の115系を見る。
夜故、どんな色の編成なのかわからない。
1202小諸しなの鉄道115系3連夜景.JPG

翌朝、姿を見せた浅間山と台湾カラーの組み合わせ。
1223小諸しなの鉄道115系台湾カラーと浅間山.JPG

此方は2連の湘南色編成。
S25編成だ。
1203小諸しなの鉄道115系2連湘南色.JPG

12月22日、夜に篠ノ井に着いた僕の前に3連の湘南色編成がいた。
1222篠ノ井しなの鉄道115系湘南色.JPG

12月23日、少し時間があったので平原へ行った。
浅間山がきれいに見える。
標準色の3連。
1223平原しなの鉄道115系標準色3連と浅間山.JPG

湘南色2連。
1223平原しなの鉄道115系湘南色2.JPG

台湾カラー3連が駅に入線する。
1223平原しなの鉄道11系台湾カラー入線.JPG

年が明け、本年1月13日。
朝、小諸に雪が降っていて、これは・・と平原へ行った。
気温は低く、氷点下10度以下だったと記憶している。
だが、周囲は息をのむような美しさ、氷の国という言葉がぴったりだった。
朝の輸送力列車、5連が凍てついた駅にやってきた。
0113平原雪の115系5連.JPG

列車は発車していく。
0113平原雪の平原115系5連2.JPG

白が支配する景色の中をオレンジの湘南色が駆ける。
0113平原115系湘南色2連雪の朝.JPG

赤の標準色もいい。
0113雪の平原115系2連.JPG

この日は日中は結構、用が重なり、午後遅くにまた平原へ行った。
雪は完全に溶けていて、浅間山がきれいに見えた。
標準色3連。
0113平原午後115系3連と浅間山.JPG

懲りずに翌朝、また平原へ…
雪はなかったが霜で周囲が白くなっていた。
朝の5連で、前2連は湘南色だ。
0114朝の平原115系5連前2連湘南色.JPG

来た!
スカ色2連のS26 編成だ。
浅間山とのコラボ。
0114朝の平原115系山スカ2連と浅間山.JPG

その電車が軽井沢で折り返してきた。
0114朝の平原115系山スカ2連と浅間山上り.JPG

そして、まさに帰路に就こうとしているとき、小諸駅で・・
まさかのスカ色編成並びに遭遇。
0114小諸115系山スカ並び.JPG

プラットフォームはまるで昔の横須賀線か。。。
0114小諸両サイド115系山スカ.JPG

3連S16 編成の顔・・
編成で撮影したかったが、僕はこの電車に乗らねばならず・・
0114小諸115系山スカ3連横顔.JPG

2月12日、この頃になると小諸での案件も終盤に差し掛かり、ますます時間が取れない。
小諸駅でせめて・・
ハイブリッド気動車キハE200とスカ色2連の編成が並んだ。
0212小諸しなの鉄道115系スカ色・小海線キハ130.JPG

湘南色編成とスカ色編成の並び。
どちらも2連だ。
0212小諸しなの鉄道115系湘南色2連+115系スカ色2連.JPG

湘南色編成は5連で後ろは標準色編成だ。
0212小諸しなの鉄道115系小難色2連+一般色3連.JPG

第一次長野色のS7編成も来てくれた。
0212上田しなの鉄道115系第一次しなの色.JPG

3月2日、小諸では湘南色2連のS25編成が‥
この編成は間もなく運用を終了するという時期だった。
0302小諸しなの鉄道115系湘南色2連.JPG

用事を済ませて上田のホテルへ・・その時にスカ色3連のS16編成が目の前に。。
だが、撮れたのはこれだけだった。
0303上田しなの鉄道115系スカ色3連.JPG

3月4日、上田駅に入る第一次長野色編成。
0304上田しなの鉄道第一次長野色入線.JPG

3月13日、小諸で所用を終え上田へ。
この頃、小諸市では感染症を警戒してすべてのホテルなどが閉鎖され、僕は上田を拠点に通うしかなかった。
だが、目の前に素晴らしい光景が現れた。
115系山スカ色S16・S26 編成による5連だ。
団体用の回送とのこと。
0313しなの鉄道上田115系スカ色2連+3連.JPG

編成同士の連結部。
0313しなの鉄道上田115系スカ色連結部.JPG

電車はゆっくりと上田駅東方の留置線に向かっていく。
0313しなの鉄道上田115系スカ色3連+2連後追い.JPG

この編成を始めて撮影出来た安ど感。
0313しなの鉄道上田115系スカ色3連+2連入庫.JPG

3月29日、小諸通いも終盤を迎えた。
現地・小諸で様々な方々にお世話になった。
小諸の人は一生懸命で真面目という印象になった。
再開した小諸のホテルから・・
第一次長野色編成。
0329小諸しなの鉄道115系第一次長野色.JPG

そして新長野色、S15編成の美しい青。
0330小諸しなの鉄道115系あずさカラー.JPG

台湾カラーS9編成も来てくれた。
こちらはホテル向かいの「せせらぎの丘」公園から。
0329小諸しなの鉄道115系5連台湾カラー後追い.JPG

7月、小諸での所用は終わったが僕にとって自分の血統が眠る大切な町であることに変わりはない。
墓参と法事に訪れた。
そして帰るだけの7月2日、少しだけ撮影をしようという気になった。
天候は雨、やむなく線路端ではなく駅で撮影することにした。

上田で‥
スカ色編成と新長野色編成がつながって目の前に来た。
下り方、S26編成だ。
070204上田115系スカ色S26 +あずさ色S15 .JPG

後ろ、S15編成。
070205上田115系あずさ色S15+S26スカ色.JPG

小諸へ・・
スカ色3連S16編成。
クハ115-1215
070213小諸115系スカ色クハ115‐1215.JPG

中間車、この編成は大規模な更新工事を施されていて、パンタグラフがシングルアームになっている。
モハ114-1170
070212小諸115系スカ色S26・モハ114‐1170.JPG

クモハ115-1072
070211小諸115系スカ色S26クモハ115-1072 .JPG

小諸では雨が降っておらず、さすがに晴れの街だと感心した。
駅の外に出て、スカ色S16編成の発車シーンを。
070215小諸115系S16 発車.JPG

後追い。
070216小諸115系S16発車後追い.JPG

そして新長野色とスカ色連結編成が小諸の街を背景に高架を登ってくる。
小諸駅は地平だが、駅の西側が高架になっていて、市内にはほとんど踏切が存在しない。
070218小諸115系あずさ色S15 .JPG

公園を背景に進入する編成。
070219小諸115系あずさ色S15 +スカ色S26.JPG

二つの編成の連結部。
070220小諸115系あずさ色+スカ色連結部.JPG

駅に停車した編成を遠望する。
070224小諸115系スカ色S26 入構遠望.JPG

小諸駅へ戻った。
この電車の前に発車する快速に乗らねばならない。
スカ色S26編成側。
070225小諸115系スカ色S26 +あずさ色S15 .JPG

新長野色S15編成側。
070205上田115系あずさ色S15+S26スカ色.JPG

小諸駅クラシカルなホームとよく似合うスカ色電車。
070226小諸115系スカ色S26 ホームより.JPG

快速で長野へ先行し、少しだけ用を片付けると、ホームには先ほどの編成が停車していた。
070228長野115系あずさ色S15 .JPG

山スカと呼ばれる横須賀線色の115系はかつては中央線などで当たり前の存在だった。
復刻塗装とはいえ、残っているのはこの2編成だけだ。
また、新長野色はJR化後の塗色とはいえ、そのデザインは秀逸で信州の山野によく似合う。

横須賀線色のS16・S26編成は今月で運用離脱と公表されていたのだが、諸般の事情で8月中は運用を継続するとのこと。
だが、僕がひと月以内に彼らに会いに行くことは考えられず、今回が最後のチャンスで、撮影出来たのは朝のホンの数時間だけだったが、出会えたことが素直にうれしい。
小諸に所用が出来た当初はのめりこむことなど考えもしなかった・・しなの鉄道115系電車。
その美しさを堪能できたのは実に幸せなことだったと思う。

サムネイル動画も作ってみた。
https://youtu.be/Fl3ji6F0afw

最後に坂の街、小諸を去っていく115系横須賀線色S15編成の雄姿を。
070217小諸115系S16 発車遠望.JPG
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2020年11月20日

しなの鉄道115系を見る

不思議なことから長野県小諸市に自分にとって濃い縁があることが分かり、本年7月以降、特に10月11月は公休日の度に、小諸を訪れる必要性ができた。
もとより、鉄道に関する縁ではないし、趣味活動としていくべき筋合いのものではないが、例えば所用の合間、朝夕などホッとして線路際で電車を見ることも出来る。
ちょうど、しなの鉄道では国鉄→JR東から引き継がれた115系電車が最後の活躍を続けていて、しかも様々な塗色で走っている。
思いもかけず、時として115系電車を堪能する機会ともなった。

11月3日撮影、この日は午後から暇を得、浅間山の良く見えそうな場所で撮影をしてみた。
しなの鉄道標準色の115系と観光列車「ろくもん」が出会った。
1103しなの鉄道平原115系ろくもん・115系.JPG

最初に小諸に行ったのは7月14日、我が地元の西明石から新幹線「ひかり」に乗り、名古屋で「しなの」に乗り換え、さらに長野からしなの鉄道115系に乗って着いた小諸は遠かった。
ここに来たのは若き日、今から40年ほど前のことだ。
上田駅にはコカ・コーララッピングを施された115系が停車していた。
0714上田しなの鉄道115系コカ・コーラ.JPG

実はコカ・コーラの本来の宣伝用ではなく、国鉄が車体ラッピングを始めたごく初期のデザイン広告で非常に人気が高く、わざわざクラウドファンディングを実施して復元されたとのこと。
0714上田しなの鉄道115系コカ・コーラ2.JPG

現地に事情に疎い僕は、この色の意味がよく分からなかった・・・修学旅行電車の復元にしては側面が違う・・・
なんと、台湾鉄路の「フユマ号」カラーだそうだ。
0714上田しなの鉄道115系オレンジ.JPG

小諸駅で、懐かしい・・思わず叫んだ。
かつての長野支社の標準色「あさま色」に塗られた115系。
0714小諸しなの鉄道115系あずさ色.JPG

小諸駅で目の前を湘南色の115系が。
0714小諸115系湘南色2連.JPG

この電車には帰路に乗ることも出来た。
長野駅で。
0715長野115系湘南色3連.JPG

次に小諸を訪れたのは10月1日だ。
だがこの日は小淵沢で所用があり、小海線で小諸に着いたのは夜になっていた。
翌朝、泊まったホテルすぐ近く、朝の時間帯に少し撮影ができた。
小諸駅には標準色の電車と並んで紅い電車が停車している。
1002小諸115系並びコカ・コーラ.JPG

紅い電車はコカ・コーラ電車だった・・朝の長野行きだ。
1002小諸115系コカ・コーラ②.JPG

現場には数人の鉄道ファンがいた。
伺うと、この電車はこの日が最終運行とのこと、その出発のシーンを見られたわけだ。
1002小諸115系コカ・コーラ4.JPG

湘南色115系、長野管内は国鉄時代に115系1000番台に統一された経緯があり、経年も新しく接客設備も整っている車両がそのまま、しなの鉄道へ譲渡された。
それゆえ、今日まで使用に耐えたのだろう。
1002小諸115系湘南色2.JPG

横須賀色、スカ色と呼ばれる塗り分けで、115系としては中央線系統に使われていた。
ファンには「山スカ」と呼ばれる。
1002小諸115系スカ色.JPG

しなの鉄道標準色。
1002小諸115系しなの鉄道標準色.JPG

新型SR-1系が入ってきた。
1002小諸SR1系.JPG

この日、午後は天候が回復した。
午後の暇に・・
小諸南町辺りで・・・
1002小諸南町115系しなの鉄道色.JPG

スカ色電車と浅間山系のコラボ、古城地区の様子も。
1002小諸午後115系スカ色.JPG

10月12日、この日も朝は曇っているというか、ここは山の中腹でもあるので霧がかっているというか・・・

湘南色の3連。
1012小諸しなの鉄道115系湘南色3連.JPG

後追い。
1012小諸しなの鉄道115系湘南色3連後追い.JPG

10月13日、旧しなの色。
1013小諸駅しなの鉄道115系しなの色俯瞰.JPG

標準色、国鉄系の塗装と比べると複雑な塗り分けだ。
1013小諸しなの鉄道115系標準色2連.JPG

山スカ色。
1013小諸しなの鉄道115系スカ色2連.JPG

旧しなの色を駅で。
1013小諸駅しなの鉄道115系しなの色.JPG

11月3日、午後には暇を得、初めて小諸駅から西へ繰り出した。
といっても一駅だが・・
平原の駅舎・・といっていいのか・・この手の駅舎は北海道でよく見た。
1103平原駅.JPG

浅間山が良く見える。
1103しなの鉄道平原115系と浅間山1.JPG

僅か一駅で得られるこの風情。
1103しなの鉄道平原115系と浅間山.JPG

しかし、しなの鉄道標準色はこの色彩の中では目立たない。
1103しなの鉄道平原115系と浅間山3.JPG

この日は標準色しか来ない・・・
1103しなの鉄道平原115系と浅間山3-2.JPG

と、思ったら観光列車「ろくもん」と標準色の車両が出会う。
1103しなの鉄道平原15系ろくもんと浅間山.JPG

115系が行く・・・
1103しなの鉄道平原115系2.JPG

この方向は高峯山か。
1103しなの鉄道平原115系と高峯山.JPG

平原駅を通過するSR-1系快速。
1103しなの鉄道平原SR-1系2.JPG

ついでに軽井沢まで足を延ばしてみた。
行き止まりの線路が悲しい・・・
1103しなの鉄道軽井沢115系.JPG

11月12日、小諸駅に停車する湘南色編成。
1112小諸115系湘南色.JPG

11月13日、小諸のホテルにて。
浅間山を背景に始発電車が長野へ向かう。
1113小諸しなの鉄道始発1115系.JPG

翌11月14日は霧が出て山の姿ははっきりとは拝めない。
湘南色と標準色の編成が行く。
1114小諸しなの鉄道115系湘南色・普通色.JPG

スカ色の編成が来た。
1114小諸しなの鉄道115系スカ色.JPG

この日も午後から晴れた。
小諸駅すぐ近くにて「ろくもん」
1114小諸115系ろくもん1.JPG

後尾・・乗れる可能性のある列車だったがあとの予定のため断念した。
次回機会のある時はぜひ。。。
1114小諸115系ろくもん2.JPG

電車に乗ろうとホームに行くと「あさま」色の電車が停車していた。
思わず小海線ホームまで行って撮影。
1114小諸115系あさま色.JPG
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2019年03月07日

相模へ帰ったハフ7=神中ハ24を見に行く。

連続して別府鉄道関連の話題で失礼します。

先日、全く鉄道と関連のない用で東京に三日間滞在した。
その二日目、午前中に数時間の暇を得たので、かねてから念願だった相模鉄道かしわ台車両センターを訪問した。

ここには別府に長年いて、ある意味では別府鉄の顔だったハフ7が今も保存されていると聞く。
別府鉄ハフ7カラー大.jpg

15年ぶりくらいに乗った相模鉄道はいろいろなものが激変している様子が見て取れ、横浜から現地へ向かうまでも刺激的な乗車だった。
かしわ台に着いて、車両センターの正門横の守衛で来意を注げた。

守衛氏は快く受け付けてくれる。
見学に際しての注意書きを読むように促され、確認するとそれで保存されている庭園の部分のみの見学が許可された。
わざわざ出向いてきた甲斐があり、保存車両をこうして見せてくれる相模鉄道に感謝だ。

機関車3号、相模鉄道開業時の機関車、現在の相模鉄道は開業時には神中(じんちゅう)鉄道と称されていて、1926年(大正15年)5月に開業した。
開業前から工事用に1・2号機があり、開業後の旅客輸送用として汽車會社で製造された機関車だ。
0224相鉄かしわ台3号機関車.JPG

その後ろに繫がるのがハ24、かしわ台正門すぐのところに連結して展示されていた。
0224かしわ台3号機ハ24.JPG

ハ24のアップ、大正15年5月の開業に際して準備された10両の客車の1両だ。
0224相鉄かしわ台ハ24.JPG

相模鉄道神中線の電化に伴い、昭和24年、三重県の三岐鉄道に譲渡、この時、のちの別府鉄ハフ5となる神中キハ10⇒機関撤去でハ10とともに移動している。
三岐鉄道ではハフ16と名乗り、偽スチール化、落とし込みの窓を二段に改造するなど手を入れられ・・・これがゆえに車体強度が増し、別府鉄廃止までの長年の使用に耐えたのだろう。
妻部の様子。
0224かしわ台ハ24妻斜め.JPG

走り装置、単純な二軸式だ。
0224かしわ台ハ24足回り.JPG

もう片方の走り装置。
0224かしわ台ハ24走り装置.JPG

台枠に「神中鉄道」の文字、創業期の社紋、車番。
車体腰部に貼られていた鋼板は撤去され、木部も綺麗に補修されている。
0224かしわ台ハ24台枠文字と車番.JPG

窓、二段窓は三岐⇒別府と引き継いだもの、神中⇒相模では落とし込み式の窓のはずで、それゆえ上昇窓なのに腰が高く、窓の天地寸法が小さい。
なお、上段は固定式だ。
0224かしわ台ハ24中央サイド.JPG

屋根部・・幕板の鋼板は車体強度上、撤去できなかったのだろう。
それでも、屋根を覆っていた屋根布は撤去され、モニタールーフが再現されている。
国鉄客車ならこの部分に開閉式の蓋があったのだが、神中ではどうだったのだろうか。
再現された今現在のように、水雷型通風機があったのだろうか。
0224かしわ台ハ24通風機.JPG

車内全景、車内には入れなかったが、出入り台までは上がることができ、扉越しに撮影ができた。
水雷型通風機の室内側には単純な円形の開閉蓋があるはずだが、そこまでは復元されていない。
もはや部品の調達は不可能に近いのだろう。
0224相鉄かしわ台ハ24車内.JPG

手ブレーキ、三岐・別府・・・あるいは神中時代からのものだろうか。
0224かしわ台ハ24車内てブレーキ.JPG

座席。
背もたれにボルト状のものが見えるが、別府時代の写真二もこれが写っている。
別府時代の扉はスリガラスだが、これは、ここでの展示のために普通のガラスにしたのだろう。
0224かしわ台ハ24座席.JPG

別府時代の車内。
別府鉄ハフ7車内.JPG

連結器・・自動連結器だが手前の台枠にバッファー(緩衝器)の跡のようなものがある。
国鉄が自連への一斉取り換えを挙行したのは大正14年で、すでに大正15年には国鉄では車輛の大半が自連になっていたはずで、国鉄との貨車直通を事業としていた神中では、当初から自連だったのではなかろうか。
だが、車両には設計・製造のタイムラグがある。
どちらでも使えるように、台枠にはバッファーが取り付けられるように用意されていたのだろうか。
0224かしわ台ハ24連結部.JPG

今年の春は早い・・はずだが、ここでは梅はやっと咲き始めたようだ。
梅の花とハ24・・僕らには今でもハフ7だ。
0224かしわ台ハ24妻と梅.JPG

車体と梅。
0224相鉄かしわ台は24と梅2.JPG

モニタールーフと咲き始めた梅の花。
この車両がいかに大事にされているか、よくわかる雰囲気だ。
0224相鉄かしわ台は24と梅.JPG

もう一両の展示車両、神中3号機もなかなか興味深い機関車だ。
タンク機の1-C-1という軸配置、珍しいように思うのだが・・
0224かしわ台3号機サイド.JPG

足回り。
蒸機のメカニズムは僕は詳しくないので、専門の方に見ていただければと思う。
0224かしわ台3号機下回り3.JPG

足回り・・2
0224かしわ台3号機下回り2.JPG


足回り・・3
0224かしわ台3号機下回り1.JPG

ハ24のデッキから見た機関車3号機の後ろ。
0224かしわ台3号機後ろ.JPG

前。
0224かしわ台3号機斜め.JPG

機関車3号機の銘板。
0224かしわ台ハ24銘板.JPG

相模鉄道公式サイトの、開業時の列車の写真。
別府鉄道とさして変わらぬ雰囲気だったのが伺える。
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今の相模鉄道、かしわ台駅を特急列車が通過していく。
例えば、大正末期の神姫電鉄=今の山陽電鉄は確かに開業時と比すと今の雰囲気がまるで別世界のように見えてしまうが、相模鉄道神中線(今の本線)は、もはやそう言った次元ではなく、まったく別次元の別の世界の鉄道に変貌したといえるのではなかろうか。
0224相鉄かしわ台相鉄10501特急.JPG

その開業時を知る生き証人として、3号機関車とともに別府にいたハフ7が昔の名前に戻ってここに鎮座しているのがとても素晴らしいことであるように思えるのだ。

折角なので、別府のハフ7を少し回顧してみたい。
別府港機関区で入換の様子。
別府鉄DB201・ハフ7.jpg

こちらも入換中の様子。
別府鉄別府港構内入れ替えハフ.JPG

土山駅発車の様子。
別府鉄土山ハフ7.JPG

僚車ハフ5とともに鳥居前を通過するハフ7。
今、大中に残るハフ5も出自は神中鉄道=相模鉄道だ。
ハフ5も故郷に帰りたいと思っているだろうか、それとも、自分は永年暮らした播磨での余生を楽しんでいるだろうか。
別府鉄ハフ7・5土山線.jpg

今現在の大中でのハフ5・・
0730別府鉄跡大中ハフ5.JPG

去る列車。
14別府鉄道ハフ7後部別府港.jpg

いつも堂々としていたハフ7・・・
夏別府ハフ7サイド.jpg

貨物のない日曜日、DBに牽かれてハフ7が行く。
別鉄S58別府港DB・ハフ7-1.JPG

ハフ7のアップ。
別鉄S58別府港ハフ7-2.JPG

明姫幹線高架を見て走る。
別府鉄中野高架道路とDBハフ.JPG

僕の当時の愛車とともに・・・
別府鉄土山先DBハフスプリンター.JPG

時代は変わる、
過ぎ去った時代はいつしか人々の記憶から遠ざかる。
だが、そこでふっと立ち止まり、記憶を呼び戻す記念碑がある・・
ハフ7がその任を受けていること、相鉄がこの客車をことのほか大事にしてくれていること、深く思いを寄せ、感謝を申し上げる次第だ。
別府鉄中野去る列車.JPG


posted by こう@電車おやじ at 22:09| Comment(2) | 現況ルポ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする