今回の旅行についての旅程は「電車おやじの鉄な日々」での「旅程篇」をご参照ください。
また、ほかの日のテーマについても同blog、並びに「電車おやじの平凡な日々」をご覧くだされば幸いです。
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こちらではかねてから念願のだった小樽市総合博物館を訪問した思いをお伝えできればと思う。
かつて、北海道鉄道記念館として存在していた時代に一度だけ訪問したことがある。
当時は山裾に機関車や除雪車などを保存していた規模もさほど大きくなく、なんだかなぁと思ったものだ。
まず当時の画像から。
看板のC62 3号機。
今は苗穂にあると聞く。
C12 6 号機。
C55 50号機。
ロータリー式除雪車。
除雪車キ800。
明治の客車、い1号。
転車台。
さて10月6日、当初の予定を変更して翌日訪問の予定だった小樽市総合博物館を訪問。
国鉄北海道の代表的な車両のほとんどが保存されていると聞き、まさに念願の訪問だった。
手宮口から入ったところに懐かしいC12 6号機と後ろには電気機関車と気動車が。
ED75501 。
キシ80 12・・かつての北海道の特急には必ず食堂車がついていたものだ。
北海道の代表的な一般形気動車だったキハ22。
パッと見、美しいキハユニ25。
そして急行型3両編成。
キハ27。
キハ27の車内。
キロ26。
キロ26の車内。
キハ56。
編成を全体から見た様子。
懐かしい急行気動車だ。
しかし、高砂で車両保守をしていた僕の目には哀しい現実も見えていた。
キシ80 12のナンバー部分。
外板の補修が間に合っていない様子がうかがえる。
キハとキロの連結・・ドア回りの痛みが気になるがこれくらいならまだ補修できるだろう。
キハユニのサイド、塗装こそ美しいが外板の痛みは隠しようもない。
準鉄道記念物に指定されているキハ82 1があった。
会いたかった車両だ。
ED75と並ぶ姿が頼もしい。
キハ82の全景。
こちらキシ80 34、ここにはキハ80系の食堂車が2両いる。
だが、2両とも痛みがひどい。
特に裾の歪みが目立つ。
これは台枠そのものが歪んでいるのだろう。
夕陽に照らされると余計に歪みが目立つ。
その部分のアップ。
裾部分が外側に湾曲している。
ホームが設置している側から・・
裾の歪みがかなり大きいことがわかる。
これは、エンジンや変速機の重みにすでに腐食している台枠が耐えられず、その部分が垂下、つられて側部分が凹む形になっていると見たのだが。
裾部分外板の外側への湾曲もすでにその部分の台枠が用をなしていない状態ではないかと窺い知れる。
追記:
このキシ80 34について、本blogでも過去に出ていた国鉄高砂工場内で撮影していたことが判明した。
なんと、40年ぶりの再会だった。

ここは海のそばで、しかも降雪地帯だ。
鉄の保存車の維持にはかなり厳しい条件だろう。
そのうえ、JR工場の鉄鋼職人たちが支援しているわけではなく、あくまでも補修はボランティアの方々だという。
だがすでに、限界を迎えつつあるのではないだろうか。
電気機関車ED76509.
C5550、煙突が折れ曲がっている補修中のようだ。
ホーム両側に旧型客車が並ぶ。
オエ61、61系を名乗るがベースは35系のはずで不思議なクルマだ。
スエ78、なんと三軸台車を履いている。
その台車部分。
DD51615 ・・ナンバーが欠品だ。

DD14 323。
DD1537 、ラッセルヘッドを付けたままなのでカニにみえる。
DD14 23こちらもラッセルヘッド付き。
DD13611・・このタイプの機関車って今保存されているのすごく少ない気がする。
DD16 17 美しい機関車だ。
DE10 503。
キ270、ラッセル車。
キ718こちらもラッセル車。
面白い顔立ちにみえる。
キ752・・これもまた楽しい表情だ。
だが彼らが働いた場所は極寒の線路上である。
昔に来た時にもいたキ601、ロータリー式除雪車。
昭和30年代のレールバス。
準鉄道記念物。
大切に保管されている。
スユニ50、国鉄工場で作られた最終期の郵便荷物車だ。
オハフ33 364・・頑丈で痛みもないが車内は物置と化していた。
マニ30(大蔵省現金輸送車)・・全く痛んでいない・・当たり前でごついアルミ車体だ。
高砂時代に何度か担当させてもらった。
スハフ441。
この手の客車は基本的頑丈で、保存に耐える。
雨どいの補修がやや残念な気がするが、これはやむを得ないのだろうか。
スハ4514。
30号大勝号。

そして園内を走るアイアンフォース号。
ワフ29984、半室車掌車だ。
ヨ7904、全室車掌車。
ホキ2226、穀物輸送用のホッパ貨車。
ワムハチ・・ワム80000形式
82506こんな塗装のは見たことがない。
北海道にはいたのだろうか。
セキ7342、これぞ北海道の産業を象徴する貨車だ。
昨今流行りの道外禁止はここから来たか。
無蓋貨車トラ57964、バラストを乗せ気分が盛り上がる。
しずか号、これはさすがに建屋の中、本館で丁寧に保管されている。
そして非常に貴重な「い1号客車」
開拓当時の貴賓車だ。
ただし、モニタ屋根の中ほどが下がってきていて、これは木製車両のメンテナンスをきちんとしていないことの結果だろう。
このままではやがて屋根が落ちるのではないか。
数えたわけではないが、ほかの方のブログなどによるとここには45両もの車両が集められているそうだ。
中堅鉄道会社が一つできてしまう車両数だが、残念ながら博物館というには車両の痛みが進行しすぎている。
特に昭和30年代の軽量化初期の脆弱な鋼板を使った上に、極端な軽量化のために元々「やわい」構造の気動車は、もはや朽ちていくその姿を見せるとでもいうのだろうか。
(国鉄車両の材質は昭和38年ごろを境に全くそれまでとは違う強いものに改められている)
準鉄道記念物たるキハ82の現状はあまりにも気の毒で、けれどここまで痛んだ車両を復元するというのも、それはかなりの難題だろう。
機関車や旧型客車、貨車、それに除雪車も痛んではいるが、まだ今ならきちんとした手入れをすれば生かしなおすことはできる。
問題は気動車というのがここを期待をもって訪問した僕の偽らざる気持ちだ。
ボランティアの方々の努力は素晴らしいと思う。
自分自身も車両保存運動に関わっていく中で、それがどれだけ大変かも分かっているつもりだ。
だが、気動車の惨状は、すでに補修では済まない、かつてそれら車輌を実際に触った人間として、小樽市、あるいは北海道に言うとすれば、車両を幾分縮小し、JR北海道が置き換えを進めている一世代前の車両と入れ替えて、安全に見られるように再整備されることを心から願う。
これほどの観光資源である。
もっと力を入れてもよいのではないか、そして、ある面では躊躇なく安全なものへ差し替えることも必要なのではないか。
本館屋上から保存車両の全景が見えた。
痛んだ姿でもなんとか見てもらおうと、雰囲気を味わってもらおうとしている車両たち、整備しているボランティアの方々の想いが伝わってきて、秋の北海道の風が冷たく感じられてならなかった。
今年ももうすぐ潮を含んだ雪の季節が来る。