名鉄美濃町線は明治44年に「美濃電気軌道」として神田町・上勇知間(後の柳ケ瀬・美濃)間を開業した古い電気鉄道で、会社は名岐鉄道、愛知電気鉄道などとともに今の名古屋鉄道(名鉄)を構成する重要な企業であり、美濃電気軌道が開業した路線のうち一部は今も名鉄名古屋本線の一部でもある。
岐阜市から美濃市へは、JR高山線から美濃太田で長良川鉄道への乗り換えをすることで多分、美濃市を訪れる観光客への影響は少ないだろうが、美濃町線沿線住民が岐阜へ出るのは著しく不便になる。
写真は長良川鉄道美濃市駅。
名鉄美濃町線が健在だった頃、途中の関を境に大きく乗客数が変化していて、名鉄も関・美濃間の維持には苦労していた。
今現在も、関から岐阜へ出るバスは頻発していて、都市交通として機能しているがそこから北はこれまでは減ったとはいえ、一時間~二時間ヘッドで終日バスが走っていたわけで、ワタシ自身も過去に二度ほどこのルートのバスを使ったことはある。
鉄道時代の数倍の運賃、1.5倍の所要時間を要するが、それでも美濃太田経由より安くて早かったし、何より乗り換えが必要ないのがありがたかった。
両端を結ぶ乗客は自分しかいなかったが途中乗降が結構あり、あの人たちが乗るべき乗り物を失うのかと思うと現地の人々の落胆も分かるというものだ。
かつての美濃駅。

美濃駅に並ぶ車両たち、左が600形、意欲的なローカル線ロマンスカー、右は830形、なんと札幌からの移籍だ。

今現在の美濃駅、保存会によって美しく保たれている。
車両もまた代表的なものがボランティアの手により保存されている。
美濃市の現在の人口は17000人ほどで、これは岐阜県の市としては最も少ない数字だそうだ。
ちなみに同じ岐阜県の養老町でも人口は25000人以上あることを思えばバスとて美濃市で営業を継続するのが難しいという事情は見えてくる。
また、養老町の人口ピークが平成7年の33000人余りだったことに対し、美濃市では人口のピークは昭和30年代初頭で31000人、それ以後、ずっと減少を続けているわけであり、美濃市域の長期低落傾向というのは今後も続くしかないだろうという印象を持ってしまう。
ただ、美濃市も昭和40年から平成2年までは人口は26000人台を維持している。
平成11年、名鉄は長良川鉄道と完全に並行している関・美濃間を廃止(これによって開業時からの美濃町(→美濃市)へは行かなくなった)したが、以降は雪崩のように人口が減り続けている。
名鉄の廃止が原因というよりは、人口減少の中で鉄道を維持できぬほどに乗客が減少し、体力の限界を感じた名鉄が代替交通手段のある区間を廃止したというのが真相だろうが、鉄道の廃止は人口減少へのさらなる追い打ちをかけたのかもしれない。
さらに名鉄美濃町線は平成17年3月末で全線が運行を終了、すでに美濃市へ来なくなっていた路線だが以降は美濃市の人口の減少が加速した感もある。
名鉄の岐阜県内600V線区が全廃となって本年4月でちょうど20年、その期日に代替バスもが姿を消すのは、これは、ごく小さな地方の物語ではないようにも思える。
同じ岐阜地区600V線区である名鉄谷汲線は、美濃よりさらに先を行っていた。
良い意味ではなく、悪い意味でだ。
写真はかつての谷汲駅。
谷汲線に岐阜と結ぶ臨時直通急行が入った。
谷汲駅での様子。
谷汲線は名刹谷汲華厳寺への参拝を主な目的として美濃電気軌道が支援して開業した路線だが、華厳寺の祭礼の際の乗客は多くとも、普段は人口数千人(平成17年で3900人余り)の小さな村であり、当初から乗客は少なかった。
だが、参拝客も自家用車や観光バスが大多数で、鉄道利用客が限られるようになると路線維持すら困難になってくる。
廃止は平成13年で、最末期の谷汲駅での一日平均利用客は390人ほどだったようだ。
廃止後、揖斐川町に営業所を持つ名阪近鉄バスが代替輸送を担ったけれどこれも平成17年に廃止。
この時と期を一にして谷汲村は揖斐川町に合併、揖斐川町コミュニティバスが名阪近鉄バスに業務を委託する形で、運行をするようになったが、結果としてはこれも長続きせず、令和元年よりタクシー会社に運行を委託する形で大幅に便数を減らしコミュニティバス、ディマンドバスの運行に切り替えられている。
名阪近鉄バスが受託していた揖斐川町コミュニティバス。
地元住民ではない旅行者が公共交通機関で谷汲を訪れる場合、土日祝日には最低限の便数が揖斐もしくは谷汲口から運行されるが、特に平日は便数が非常に少なく、結果として一旅行者がふらりと訪問することは著しく困難である。
ワタシは名阪近鉄バスの最終期に時間を合わせて谷汲を訪問したが、以降は立ち寄れないでいる。
バス運転士不足が言われて久しいが、小泉改革によってバス事業への新規参入が簡単になり、ドル箱路線には他の事業者が簡単に参入するのに対し、既存事業者はローカル路線の維持を地元より懇願され、足がニ抜け出せなくなっていたところに新規参入により黒字路線すら赤字となってしまい、もはや事業としての旨味もないのだろうし、運転士の収入や勤務形態は悪化の一致をたどり、さらにコロナ禍で多くの運転士が解雇、他事業へ移るあるいは引退ということになってしまい、そこに急速に進む高齢化、なにもバス運転士のような過酷な労働をしなくても人手不足の世の中、他条件の良い仕事を探せばよいわけで、普通に考えて運転士が足らなくなるのはこれは必然だろう。
つい先月、妻の両親の里である大分県南部に行ってきた。
鉄道を見るためではなく、高齢の義母の10年ぶりの里帰りの付き添い兼運転手だ。
集落の半分は無人で、家が崩壊しているところもあるし、公共交通は隣の市との間に走る日に3便の路線バスがあったが最近廃止され、近くの駅と結ぶ3便のコミュニティバスに切り替えされた。
しかしこの近くの駅というのが日豊本線で上りは日に3本、下りは1本しかないという(特急はそれなりに通過する)代物で、かつて町内を走っていた路線バスは悉く撤退、自治体運営のコミュニティバスバスも大半は前日までの予約が必要なディマンドバスに切り替えられていた。
写真はかつて路線バスの正規バス停だった「ととろ」バス停。
アニメキャラが楽しいがここに来るには、余所者には自家用車しか手段はない。
ローカル路線だけではなく、工場地帯への通勤バスすら事業者の代替交通なしの撤退という事例もある。
山陽電鉄系の山陽バスが、明石市交通部から譲り受けた路線のうち、二見人工島企業群への通勤バスがすべて休止(事実上の廃止)されたのも今年4月1日だ。
便によってはバス定員いっぱいの50人以上が乗車する路線だったが、垂水区の営業所から遠く、回送に時間と人を要することなどの要因が重なり、他の事業者への譲渡もなく一気に廃止となってしまった。
現地へ鉄道駅から徒歩で向かうのはあまりにも現実的ではなく、企業各社において送迎バスを準備したり自家用車乗り合わせを推奨するなどの騒ぎになっている。
この前に、同社は明石市から受託していたミニバス「タコバス」事業の受託も廃止している。
バス事業者としては、この路線の回送のために要する時間と人で、他の重要路線の便数を確保したい気持ちが伝わってくる。
いつまで公共交通を交通事業者の犠牲、交通労働者の低賃金・悪条件で賄うつもりだろうか。
公共交通という以上は、ここで国家が自国内の安全と労働環境、居住環境維持、向上のためにそれらすべてを安全で高品質な国家政策として補助すべきではないだろうか。
国鉄改革はそれまで全国津々浦々にまで張り巡らされていた鉄道というサービスを、幹線で儲かる路線だけを民間事業者にさせるという大胆で大きな勘違いの政策だった。
国鉄の路線から外れた地域や、もとより細々とした民間事業者しかない地域は国家の交通政策から最初から放り出されでいたが、それがこの国鉄改革で国鉄だった場所にも広がってしまった。
その中で、地元地域を大事にしていた名鉄のような私鉄グループでは、弱体化する地方の不採算路線まで抱え込むことが出来なくなってしまい、それを引き継いだバス事業者もあまりに不採算ぶりに音を上げてしまい、さらにはそこから引き継いだ自治体ですらも交通を維持することが難しくなっていく・・・
それが国家の弱体化でなくてなんだろう。
いやいや、岐阜では、まだまだ可能性のある、それゆえ国土交通省が提唱していたLRT推進事業のモデル都市となるはずだったが、それを拒否し、みすみす街を衰退させた市長というのも存在した。
名鉄600V線区でも揖斐線黒野・美濃町線関以南と、岐阜駅前の間は鉄道として十分に発展する可能性があったのをわざわざぶっ潰したのだ。
美濃町線。

揖斐線。

新岐阜駅前の喧騒。
いまや柳ケ瀬や徹明町にはかつての賑わいはなくただ、JR東海によって活性化した岐阜駅周辺だけが賑わっているというのが実情だ。
先日、久しぶりに夜の徹明町や柳ケ瀬に行ってみたが、静まり返るアーケードが悲しかった。
今も残る電車の切符売り場。
人の消えた山野で売電のためのソーラーパネルだけが広がり続け、人の消えた商店街の店舗や土地を買うのは外国人不動産屋だというのは、これは国家の崩壊でなくて何だというのだろうか。
ローカル鉄道が走り、ローカルバスが走り、何処の集落のひとでも日本中へ旅をし、日本中の何処へでも旅行者が安全に自分の足で到達できることこそが、本当の意味で「豊かな日本」なのではないか。
愛すべきローカル鉄道が廃止され、その行き着いた先を我々は今、見ているのだ。
その目を逸らすことは日本の未来に目を背けることではないのか。
政治家、実業家、すべての国民に問いかけたい。
最後に、長閑に走るローカル電車。
三岐鉄道、背景は藤原岳。
手前の川のように見えるのは全てソーラーパネルだ。
誰が得するか分からないような国家崩壊への指向を今すぐやめるべきではないか。