2024年07月10日

甘木にて

甘木という街は鉄道の歴史から見れば不思議な町だ。
ここを目指して二日市、久留米、鳥栖、基山、そのほかからいくつもの鉄道が計画され、その多くが実現した。
もっとも、軽便鉄道もしくは軌道が大半で、西鉄甘木線以外は国鉄甘木線やバスの台頭によって姿を消していく。

僕がこの甘木に興味を持ったのは、西鉄の軽快車200形が走っていたからで、この車両は本来は大牟田線で高加速の普通列車用として登場したものだ。
それゆえ、気動車の設計を取り入れた小型車体に半円形5枚窓の前頭形状は、話に聞く阪神801形の九州版を思わせてくれた。
西鉄甘木線206アップ.JPG

さて、僕が九州へ頻繁に通ったのは国鉄時代の「精勤パス」が使え、しかも急行「雲仙・西海」「阿蘇・くにさき」があったころで、精勤パスでも特急に乗れば特急券が必要、急行ならそのまま追加料金などなしで乗ることができ、資金の乏しい時にはありがたかった。
14系座席車の寝苦しさに最初は閉口したが、やがてそれすら快適と思われるようになるほどに九州へ通ったものだ。

甘木には何度か通った。
いつも終点まで乗り、短尺ホイールベースの軽快な乗り心地を楽しみ、半円形電車の醸し出す独特のムードに酔いしれたものだ。
この辺りの感覚は名鉄揖斐線と似ているのかもしれない。
西鉄203甘木.jpg

そして、甘木終点近くで国鉄甘木線が並行して存在していた。
国鉄甘木線は日中は殆ど運転がなく、一日で7往復だけの路線でついでに乗ってくるという訳には行かなかった。
だが一度だけ貨物列車を見ることができた。
甘木DE101545.JPG
貨物列車の後追い。
DE10ワム貨物甘木線.jpg

西鉄甘木線独特のムード。
西鉄甘木線200形2両サイド.JPG

半円形電車を何両も繋げた編成は見ていて楽しい。
3両編成。
西鉄甘木線200形3連.JPG

4両編成もあった。
西鉄甘木線200形4両.JPG

こちらは小石原川橋梁を渡るシルエット。
やはり名鉄揖斐線510・520形と同じ空気を感じる。
西鉄甘木線200形4連シルエット.JPG

撮影ポイントは殆どが駅から歩いて数分の、川を渡った場所だ。
なぜか夏の訪問ばかりだ。
西鉄甘木線200形3連遠望.JPG

ク62を繋いだ2連、小型車ばかりの甘木線で2連では乗車定員が少ない。
西鉄甘木線62ほか2連.JPG

後に甘木線が第三セクター化され、甘木鉄道となった。
甘木鉄道は列車の運行を大幅に増やし、福岡への通勤通学に使えるように、小郡駅を西鉄小郡駅そばに移設、これが好評を呼び乗客は大幅に増えた。
第三セクター鉄道としては全国的にもトップクラスの成功例だ。
甘木鉄道レールバス2.JPG

甘木鉄道甘木駅。
国鉄設計とは思えるお洒落な駅舎だ。
甘木線甘木駅.JPG

西鉄甘木線の乗客が便利になった甘木鉄道へ転移し、西鉄が苦しくなるかと思ったがそれほどではなかったらしい。
西鉄甘木駅に停車する200形。
この頃は駅近くに大型スーパーもあった。
西鉄甘木駅213大.JPG

この頃は駅の上屋がない。
西鉄甘木駅200形停車.JPG

停車するク62、ク60形は元をただせば博多湾鉄道汽船の気動車で、車体寸法がほぼ200形と同じで、200形の連結相手として活躍していた。
西鉄甘木線62甘木.JPG

西鉄甘木線は宮の陣で西鉄小牟田線に連絡するがそのまま久留米を経て花畑まで直通する。
久留米駅での200形の様子。
賑わう駅、可愛い電車が入る。
西鉄久留米甘木線216.JPG

ク62形を先頭にした編成が久留米駅に入線。
西鉄久留米甘木線62入線.JPG

駅に停車する200形。
西鉄甘木線久留米駅200形.JPG

当時は大牟田線も随分と面白かったものだ。
2000形特急はその貫録を見せつけてくれた。
西鉄久留米2000系特急.JPG

戦後の流線形1300形も姿を見せてくれる。
西鉄久留米1300形.JPG

先だって本当に偶然から一日の福岡訪問をすることができ、甘木を再訪できた。
甘木鉄道甘木駅は健在。
0705甘木鉄道甘木駅.JPG

甘木鉄道の気動車は標準的な大きさの軽快気動車に変更されていた。
0705甘木鉄道小石原川AR305.JPG

西鉄甘木線はなかなか良いデザインの7050形になっていた。
0705西鉄甘木7557_01.JPG

通い詰めた線路が並行するあの田圃は巨大なソーラー基地となってしまい、もはやそこでの撮影はできそうになく、小石原川の土手で列車を眺めた。
橋梁も改築され、電車の下回りが写らなくなっている。
0705小石原川西鉄7050系.JPG

そこへ、西鉄電車と甘木鉄道の気動車が同時にやってきた。
0705小石原川甘木鉄道AR302西鉄7050系.JPG

活発な鉄道路線が二つもある甘木は、今は朝倉市の一部となった。
かつての朝倉郡全体で市制を施行したためだ。
西鉄甘木駅。
0705西鉄甘木駅.JPG

国鉄甘木線、貨物列車が遠ざかる・・
甘木線貨物後ろ姿.JPG

その同じ風景も随分と周囲が賑やかしくなったものだ。
0705甘木鉄道小石原川AR305後追い遠望.JPG

夏空の下を走る半円形正面を持つ電車。
西鉄甘木線208.JPG

なお至近の大刀洗にはもともと個人が資金を出して運営されていた平和記念館があり、今は町営として戦時の戦闘機、特攻機、そして映画に使われた実物大の模型、地元で亡くなられた方々の写真、詳細な記録などが展示されていて、今回そこへ案内していただくことができた。
是非、読者の方々にも訪問をお勧めしたいところだ。
posted by こう@電車おやじ at 23:12| Comment(2) | 国鉄・私鉄双方の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月17日

富山県:早月川と常願寺川

はじめに・・
元日早々の大地震によって被害を受けられた、石川・富山両県の方々に慎んでお見舞い申し上げます。

さて、似たような橋梁付近で撮影したポジの塊が二つあり、似たような列車が写っていたがちょっと年代が違う・・
記憶では一回きりの1985年前後の富山訪問はどうも2~3回行っていたらしい。
Twitterでポジの撮影場所が二か所であることをご教示いただいた。
似たようなポジションに見えた写真も実は二か所別々、川も違う川であることが分かった・・有難いことだ。
人間の記憶なんて本当にあてにならない。

もう一度調べなおし、記憶をたどりなおし、最初の訪問は1985年夏頃ではないかということに落ち着いた。
別のネガに「きたぐに」で糸魚川で下車して419系へ乗り換える様子が写っていた。
この時に、魚津もしくは黒部で下車して富山地鉄に乗り、越中中村駅に着いたようだ。

そうしてもう一回のポジは1990年7月31日とケースに日付があった。
この時の訪問ではどうやら北陸本線に乗ったまま移動して水橋駅から歩いたようだ。

で、霧の中のこの写真。
築堤のようなものに向かっていく上り「電鉄富山行き」電車だ。
この場所が分からない・・
この先は線路を超えるっぽいが、西加積でも西魚津でも富山地鉄は国鉄と交叉するが、アンダーパスだからだ。
オーバーパスなのは黒部だけで、どうやら黒部で下車したらしい。
いまに至るまで富山地方鉄道が鉄道専用に製造した最後のシリーズ、14760系だ。
地鉄魚津14761霧.JPG

アーカイブから10020形の2連。
富山地鉄10024黒部.JPG

その次がこの写真。
霧がやや晴れてきた感じで、電車の走っている線路の手前にも線路用地があるように見えるがどうやらこれは空き地のようで、電鉄黒部駅近くとすれば、嘗て国鉄黒部駅とを結んでいた黒部支線の跡地だろうか。
貫禄ある旧型電車の3連、大手私鉄を思わせるような列車だ。
14750形の3連だ。
地鉄滑川14755ほか3連.JPG

越中中村駅、当時は駅横に変電所のような建物があった。
絵中中村駅変電所跡.JPG

駅舎はこちら。(アーカイブから)
富山地鉄中村駅.jpg

この駅は国鉄の真横にあり、国鉄列車が良く見えた。
特急「白鳥」485系。
越中中村485系白鳥.JPG

471系の普通列車。
越中中村471系.JPG

駅から徒歩5分くらいで橋梁に出た。
川は早月川で、劔岳に水源を発し、日本有数の平均勾配で一気に富山湾へ下る水流らしい・・
しかし当時のワタシがそんなことを知るはずもなく、ただ電車の撮影に便利そうだからと訪れただけだ。

14710形、クハ13が先頭だ。
この形式は地鉄のカラーに染まってはいるが、元は名鉄のAL3800系だ。
早月川地鉄13.JPG

国鉄特急、485系クハ481は貫通型200台、「北越」
早月川485系北越.JPG

地鉄14760形特急列車。
早月川地鉄14764特急.JPG

国鉄特急「白鳥」485系、ボンネット型クハ481。
早月川特急白鳥485.JPG

地鉄特急14760形、「うなづき」看板付き。
早月川地鉄14772うなづき.JPG

地鉄14750形2連。
早月川地鉄14750形2連.JPG

地鉄の不思議な2連、クハとモハで系列が異なる・・
173と14791。
早月川地鉄173・14791.JPG

国鉄419系初期の赤い車体。
早月川419系赤3連.JPG

こちらは急行型電車のオリジナルカラー(本当は裾の白線が・・)471系。
早月川475系原色6連.JPG

地鉄10020形。
早月川地鉄10025.JPG

常願寺川へいったのは、トワイライトが走り始めたころだ。
真夏で、上半身裸になり、時折水浴びしながら撮影した。
常願寺川の看板。
常願寺川プレート.JPG

前にも出したが、グレードアップ「白鳥」に「雷鳥」がかぶってしまった。
常願寺川485系雷鳥・白鳥出会い.JPG

JR化後なので当時のアイディア的な列車もある。
特急「スーパーかがやき」、長岡と福井を可能な限り高速で結んだ。
常願寺川485系スーパーかがやき.JPG

「スーパー雷鳥」
展望付きグリーン車に「だんらん」を連結、JRの「やる気」を魅せた列車だ。
常願寺川485系スーパー雷鳥クロ・サロ.JPG

その反対側。
常願寺川485系スーパー雷鳥.JPG

こちらは東日本のグレードアップ編成を使った「雷鳥」
常願寺川485系雷鳥グレードアップ編成.JPG

「雷鳥」には485系ボンネット特急も健在だ。
常願寺川485系雷鳥ボンネット.JPG

こちらは「北越」ボンネット型。
常願寺川485系北越ボンネット.JPG

419系の車体色も白くなった。
特急顔の編成。
常願寺川419系白特急顔3連.JPG

EF81牽引の貨物列車。
常願寺川Ef81105.JPG

419系、平面顔の3連。
常願寺川419系白3連.JPG

そして413系・・
常願寺川413系.JPG

いまや北陸本線は第三セクター3社に分割され、来月からはさらに一社が加わる。
特急列車など望むべくもなく、地道に通勤、近郊輸送と、貨物輸送に働くだけの線路になった。
写真は越中中村駅近くで419系。
越中中村419系.JPG
posted by こう@電車おやじ at 19:13| Comment(4) | 国鉄・私鉄双方の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月08日

列車から前や後ろを見るということ

列車と言うのは、特に長距離列車は、昔は機関車牽引列車が中心だったから、客車から前方を見ることができない。
けれど、例えば路面電車でも運転台横のポールにしがみついて前方の景色を見るのを好む人は、鉄道ファンであるナシ、老若男女問わず存在しているし、特に子供の頃には誰しも思い出のあることだと思う。

走っている列車から前を見たい・・それは人間の本質的な欲求かもしれない。

国鉄では後方の景色を見る車両、展望車が存在した。
前を見られないなら後ろをということでもなかろうが、国鉄客車の展望車は、いわばステータスとしての存在、乗車するのは相応の社会的地位が必要であり、誰しも気軽にと言うわけにもいかなかった。

今、JR西日本に一両存在するマイテ49、その現状を少し。
展望室の室内、洋式であり比較的簡素な室内だ。
マイテ展望室.jpg

外観、網干総合車両所での公開時。
マイテ全景.jpg

回送時の大久保駅にて。
0927土山マイテ4927展望室側全景2.JPG

JR東日本、大宮の鉄博に展示されているマイテの車内。
桃山式の重厚な雰囲気が可能な限り復元されている。
0726鉄博マイテ車内.JPG

大井川鉄道ではマイテを模した改造展望車が存在する。
スイテ82、新金谷にて。
0801新金谷展望客車.jpg

だが、やはり列車の前方を見たい。
運転士の特権でもあるのだが、そこを道楽で、座って出来れば酒でも呑みながら眺めたいと・・それを実現した電車が昭和30年代に登場した。
国鉄では組合運動が盛んで運転席後ろのカーテンを昼間でも閉めてしまって、立ってでも前方を見たい客への配慮など存在しなかった時代にだ。

昭和36年、名鉄7000系パノラマカー、本邦初、前面展望電車の登場だ。
名鉄東笠松7000急行岐阜.jpg

ごく普通に通勤電車にも運用される名鉄の大看板。
国鉄は運転台を上層にあげて151系を登場させたが、まさかのその一階部分を展望席にしてしまった電車、しかも日本車輛と名鉄の良心ゆえの設計、乗客の絶対安全を図るために、ショックアブソーバを組み込んだ標識灯のデザインは、踏切事故多発の時代にあって乗客の死亡事故ゼロの金字塔も打ち立てた。
写真は中京競馬場の保存車。
保存7028展望室ひじ掛け.JPG

展望室の全景。
保存7027展望室室内.JPG

さらに高性能7500系も登場、名鉄は一時期、パノラマカーの我が世の春を迎えた。
名鉄7500急行東笠松正面下り.JPG

7500系パノラマカー営業時の展望室の様子。
名鉄7504車内.JPG

前面を見たい人は、その時の速度も気になる。
スピードを売り物にする名鉄はそこに速度計を設置。
パノラマカー速度計.jpg

今、悔やむことのひとつに、この展望席に夜間に乗り、流れる夜景を見ることをしなかったこと・・・
S55ひがし笠松7000白帯流し.JPG

もしもレプリカでもこの電車が復活してくれたら、日本最強の観光電車になるのにと無茶な思いが募る電車だ。
名鉄7500流し東笠松.jpg

少し遅れて東の小田急でも前面展望の電車が登場した。
NSEの愛称で知られる小田急3100形、こちらは特急券が必要な、いわば「晴れの日」の電車でもある。
晴れの日の家族が記念写真に興じる新宿駅。
S56小田急NSE新宿家族.JPG

冷房機能強化、箱根登山線での様子。
小田急NSE.jpg

西の横綱、近鉄は展望車には多大な興味を持っていたようだが、近鉄は中間車のダブルデッカーを好んだ。
VistaCarの登場だが、そのうちの前面貫通タイプでは助手席側の窓を大きく広げ、前面展望にも配慮した。
国鉄が151系を登場させた翌年、昭和34年のことだ。
近鉄10100C祝園 (2).jpg

昭和55年、小田急では長年、トップの座を君臨してきたNSEに代わってLSEが登場。
1980小田原LSE.jpg

後年の色調変更後の様子。
2005鶴川LSE.JPG

昭和58年、僕も工事に携わった大阪鉄道管理局の「サロンカーなにわ」が完成した。
国鉄伝統の後部展望車を有する7両編成、車体は14系が出自なので側面はほとんど変更されていないが、両端の展望車は大きくイメージを変えた。
これには、車掌室側を編成の内側とし、トイレ洗面所を撤去の上、そこに展望室を設置するというものだった。
サロンカーなにわ完成高砂.jpg

完成時の「なにわ」展望室、ビュッフェとして使えるように厨房機器も備わっている。
新高砂なにわスロフ14703車内展望室web用.jpg

最初の公式試運転。
サロンカーなにわ野口.jpg

最近の様子。
サロンカーなにわ現代大蔵谷駅.jpg

現在のサロンカー車内。
1111なにわスロフ14703車内.JPG

もう片方の展望室、半室になっている。
なにわ展望室.jpg

この時期、12系などを改造した各地のジョイフルトレインで展望室を持つ車両も増えてきた。
写真は「なにわ」と競作になった東京の「サロンエクスプレス」
サロンエクスプレスTOKYO安土.jpg

昭和59年、名鉄はさらに斬新な前面展望車両を登場させた。
8800系「パノラマDX」だ。
機器類こそ廃車にされた7000系中間車のものだったが、世間をあっと言わせ斬新な車体は、従来のパノラマカーの真逆を行く、一階運転台、二階部分に展望室を設けるというものだった。
名鉄8800系2連犬山橋カラー.JPG

その展望室の車内。
ハイデッカータイプの展望室は新たな景観を生み出した。
名鉄8800展望室.JPG

これで名鉄は新たなスタンダードを世間に公表したことになる。
やがてこの車両は中間車を増結、一般の有料特急として運転されることになる。
名鉄8800犬山橋3連.jpg

その翌年、この名鉄の流儀にいち早く飛び乗ったのが国鉄だ。
北海道でアルファコンチネンタルエクスプレスを登場させ、さらに「ゆぅトピア和倉」としてキハ65を使用、85系にぶら下がって運転できるようにした画期的な改造展望気動車が登場。
ただし、国鉄の前面展望はあくまでも運転席を介した展望である。

昭和63年、JR西日本は「エーデル」シリーズを展開し始める。
大出力エンジン、空気バネ台車を採用したキハ65を改造し、定期列車として走らせる。
第一弾が「エーデル丹後」、485系→改造183系に連結可能な気動車で前面展望
エーデル丹後大江.jpg

特急「北近畿」に連結された「エーデル丹後」
エーデル丹後と北近畿.jpg

第二段が「エーデル鳥取」
電化なった山陰線だが非電化区間への直通用として改造された。
エーデル鳥取.jpg

第三段が「エーデル北近畿」
改造工事の手を重ねるごとに、その内容が簡略化されていったのは如何にも国鉄→JR西日本らしいと思う。
中間車には増結用の簡易改造車も見える。
エーデル北近畿丹波大山.jpg

余部橋梁を行く「エーデル北近畿」
餘部遠望エーデル4連 (2).JPG

昭和62年、「みやび」を前年に失っていたJR西日本が究極のお座敷客車、「あすか」を世に送り出した。
サロンカーは中間車になったが、両端の展望客車も存在し、国鉄伝統の後部展望車を現代流に発展させた感じだ。
あすか展望網干.jpg

その展望席。
あすか展望室.jpg

ついでに特徴的な客室も。
1103網干あすかお座敷車内.JPG

トワイライトのもとになったとも思える中間車のサロンカー。
1103網干あすかサロン車内.JPG

昭和62年、小田急は前面と側面双方の展望をいずれも重視したHiSEを登場させる。
小田急HiSE2005B (2).jpg

この車両も画期的な取り組みだったが、バリアフリー化の時代、ハイデッカー構造が障壁となり、結局は早期の廃車の憂き目を見ることになる。
ただし、ごく一部の車両は今も長野電鉄で健在だ。
0715長野電鉄朝陽1000系S22.JPG

つい先日に所用があり長野へ行った折りの空き時間で撮影した。
0715長野電鉄朝陽1000系S2後追い.JPG


昭和63年、本気でパノラマ新時代を考えていた名鉄が「パノラマスーパー」1000系を登場させた。
パノラマDXの構造を基本に、さらに磨きをかけ、また白帯7000系に代わる通常の有料特急としての登場だ。
名鉄1000系4連犬山橋.JPG

登場後ほどなく一般席車と混結となり、当初はSR系と連結して運用された。
名鉄乙川1000・7000.jpg

パノラマカー7000系とパノラマスーパー1000系の連結運用。
名鉄乙川1000・7000斜め.jpg

何度も出している写真だがまさに電車のKISSだ。
名鉄乙川7000・1000.jpg

このあと、パノラマスーパーは3ドアの一般席車1200系と組むように変更され、その後さらに特急政策の変更により余剰となったものは廃車され、今に至るのは前回の記事の通りだ。

パノラマスーパーの現在の展望席の様子を今一度。
010505岐阜名鉄1000展望室.JPG

豊橋駅に着いた時の様子。
010506豊橋名鉄1000展望室.JPG

だが、この後が続かない。
名鉄の前面展望車の歴史は一般席車である5700・5300系にも受け継がれはした。
H2名鉄5700犬山.JPG

運転席後部の展望席。
0106河和5700車内先頭5801.JPG

末期の頃、河和線富貴で5300・5700が並んだ。
名鉄5704・5305富貴.jpg

乗客のための速度計も最後まで現役だった。
名鉄5701速度計.jpg

3500系一般席車にも大きな前面窓が使われ前面展望の名鉄・・は僅かながら生き残った・・
名鉄3500犬山橋2002.jpg

名鉄の前面展望の歴史は現在のところはこれで終わったことになってしまう。
名鉄が誇る空港特急「ミュースカイ」では各車両の客室仕切上部にモニターがあり、案内をしないときはここに前面展望映像とその時の速度が表示されるのが僅かに名鉄が「前面展望」を守っていると言えなくはない。


前面展望車を出さない名鉄に対し小田急はその後も展望室を持つ特急車両を開発している。
平成17年のVSE。
2004小田急VSE町田.JPG

そして得意の連接構造を辞めながらも、名鉄のお株を奪った赤い展望特急GSE。
0224小田急町田GSE1.JPG

いやいや、西の横綱、近鉄でも運転席越しではあるが前面展望を確保した特急車両が相次いで開発されている。
平成2年製造の「さくらライナー」26000系。
1122さくらライナー吉野.jpg

その最前列の様子。
1122さくらライナー運転台.jpg

平成24年の「しまかぜ」
近鉄しまかぜ高安.jpg

展望席は大人も子供も楽しめる空間だ。
かつての名鉄のように特別な料金が不要で誰でもそこを利用できるというのは、確かに理想だろう。
だが、鉄道にはラッシュもあり、そこを考えないとかえって大多数の乗客から迷惑がられるかもしれない。
(名鉄7000・7500系の場合は床面積の拡大という意味においてラッシュにも貢献していたとも考えられるが)
名鉄7500前河和線1.jpg

前面展望のできる電車が並ぶ。
名鉄新岐阜5700急行・7000特急.JPG

パノラマスーパーから展望席から撮影したパノラマスーパー1031F・・
010506①000車内から名鉄1531.JPG

特別料金くらいなら払ってもいい、そこでゆったりと前面展望を愉しみながら、出来れば缶ビールでもゆっくりと味わいたいもの、そんな列車がJRや名鉄にあってもいいと思うのだが。。。
S51パノラマカー先頭展望.JPG


posted by こう@電車おやじ at 22:38| Comment(6) | 国鉄・私鉄双方の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月24日

信州の鉄道(その2)長野電鉄・国鉄大糸線

昭和57年だったと思うが、長野電鉄が都心部を地下化したというので、親友のO君とともに信州訪問の際に訪ねたと思う。
何処をどう回ったか記憶にないが権堂のビジネスホテルに深夜に到着し、食事をするところもなく困った思い出だけは残っている。
と言っても、地下化前の長電の訪問などは全くできておらず、僕としてはこの時が最初の訪問だったわけだ。

長電には到着した夜に一駅だけ乗ったが、特にこれという印象もなく、ごく普通の地下鉄だった。、
明けて、電車に乗るべく駅に行ったが運賃の高額さに驚き、須坂までしか行かなかったのではないだろうか。

須坂駅の様子。
東急5000系改め長電2500系が停車している。
この電車には乗車もできたが、中古車とは思えない素晴らしい整備状態に驚いたものだ。
長野電鉄須坂2508.JPG

転入改造が終わったばかりなのだろうか、2510が美しい姿で留置されている。
長野電鉄須坂2510.JPG

屋代線旧型電車、1552、堂々とした風貌だ。
長野電鉄須坂1552.JPG

ED5001、工事列車牽引状態で据え置かれていた。
昭和初期製造の自社発注電気機関車だ。
長野電鉄須坂ED5001.JPG

復元電車102と屋代線1000形だろうか。
102は後に上田交通へ転属していたが、もちろんこの時は長野にいたので上田での姿は僕は知らない。
長野電鉄須坂102・1000形.JPG

折り返し、長野へ戻る途中、たぶん村山という駅で降りたと思う。
千曲川の併用橋は絵にするのが難しく、その前後で撮影したと思う。
2000系特急車、名鉄5000の姉妹車だというがずっと洗練されていた。
長野電鉄村山2000系.JPG

後追い。。
長野電鉄村山2000系2.JPG

東急5000系改め2500系、2508。
長野電鉄村山2508.JPG

反対側は2558、東急5000系を生で見るのは実にこの長電が初めてだったがそのデザインの良さに惚れ惚れしたものだ。
長野の赤が勝ったツートンカラーが良く似合う。
長野電鉄村山2558.JPG

2500系4連がやってきた。
先頭は2501だ。
長野電鉄村山2501ほか4連.JPG

2000系特急車、一編成だけの三次車で、前面にスカートが付く。
長野電鉄村山2007.JPG

アップ。
いい顔立ちだ。
長野電鉄村山2007・2.JPG

去っていく。
これほどの電車を作れる会社、すごいなぁと感嘆したものだ。
なお、当時走っていたOSカーには前夜に乗れたが、写真は撮影出来ていない。
長野電鉄村山2008.JPG

順序が逆になるかもしれない、
大阪から夜行「ちくま」で行けば、最初に訪問したのが大糸線もしくは松本電鉄になると思う。
大糸線、以前にもエントリーしているが、今回見付けたネガデータもいれてみていただこうと思う。

ここは関西急電で活躍したモハ42系が大挙して走っている線区でぜひ一度、訪問したかったところだ。
松本駅に着くと、美しいクモハ60が迎えてくれた。
車体塗装はスカイブルーだ。
大糸線松本クモハ60.JPG

途中、車窓から流電第三次車、半流のクモハ43が見えた。
美しい・・・
大糸線安曇野クモハ43.JPG

駅名に惹かれ、安曇追分で降りたように思う。
大糸線安曇野駅クハ55ほか.JPG

ED60、1号機が北アルプスの山々を背景にやってくる。
大きな鳥が横切る。
大糸線安曇野ED601.JPG

ED601接近する。
背景は有明山だろうか。
大糸線安曇野ED601・2.JPG

165系急行、当時から僕の好みは特急よりは急行だった。
いかにも山男のイメージがある急行電車だ。
大糸線安曇野165系2.JPG

クハ55、クモハ43、サハ45、クモハ51からなる編成が北アルプスを背景にやってくる。
大糸線安曇野クハ55・クモハ43・クハ47」・クモハ51・2.JPG

接近する。
大糸線安曇野クハ55クモハ43ほか.JPG

この電車で折り返したのだろうか、クハ55のようだ。
大糸線安曇野クハ55.JPG

前回公開したカラーも。
クモユニ81、ファンから青坊と親しまれた。
81003が在籍していたが、本来は80系の一員だ。
大糸線クモハユニほか.jpg

接近する。
青い急型国電なんてとは思っていたが、実際に北アルプスを背景にしてみると、非常に美しい。
大糸線クモユニ81.jpg

クモユニ81003、北アルプスを背景にしたサイド。
大糸線クモハユニサイド.jpg

先頭はクモハ60だろうか、長い編成だ。
大糸線クハ55ほか全景.jpg

接近する。
大糸線クモハ40.jpg

中間のサハ45とサハ57、背景は北アルプス大天井岳、旧型客車にも劣らない素晴らしい旅情だ。
大糸線クハ47・サハ48.jpg


このあと、松本電鉄に立ち寄ったようだが、大糸線の感動冷めやらぬ中、あまりまともな写真は撮影していない。
一枚だけ三溝駅で撮影したもの。
松本電鉄三溝108.JPG

飯田線は以前エントリ―で二回で出ております。
そちらをご参照ください。
飯田線 昭和57年9月。

豊橋の電車たち・・(その1)飯田線。


posted by こう@電車おやじ at 22:08| Comment(2) | 国鉄・私鉄双方の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月08日

祝園あたり、昭和50年代。

近鉄京都線と国鉄片町線が並走する、国鉄の祝園、近鉄の新祝園辺りが面白そうだと、何度か撮影にいった。
よく行く大阪線の長谷寺付近とは異なり、特急列車も短編成だったが、狭幅特急車も走るなどの面白みはあった。
10100系、新ビスタカーの奈良特急。
近鉄祝園10100.JPG

18000系ツリカケ特急車。
近鉄祝園18000.JPG

18200系、ミニエースカー。
近鉄祝園18200.JPG

18400系ミニスナックカー。
近鉄祝園18400.JPG


通勤車両も近鉄初期高性能通勤車の面影を残していた。
これは、京都線の規格拡大がまず通勤車に適用されていたため、奈良線からの転属車で占められていたのだろうか。
奈良線系統最初の大型車、900系911。近鉄祝園911.JPG

8000系8031。
近鉄祝園8031.JPG

8000系8588橿原神宮急行。
近鉄祝園8588.JPG

8000系8562、配の看板を付けている。
国鉄でいう配給電車のようなものだろうか。
近鉄祝園8562.JPG

並行する国鉄片町線をキハ20・10の2連が行く。
通勤幹線の風格を漂わせる近鉄の真横で如何にもローカル然とした列車が行く。
片町線祝園キハ20・10.JPG

国鉄祝園駅。
至近距離にある国鉄線の時代が20年ほど違うような錯覚に陥る。
国鉄祝園駅.JPG

その2年ほど後、訪問した時の記録。
900系のトップナンバーが行く。
近鉄祝園B901.JPG

特急車、10100系は引退した後で、見ることは叶わなかった。
18200系から。
2連の京伊特急。
近鉄祝園B18200.JPG

その特急の前頭部。
特徴ある屋根の形が目を引く。
近鉄祝園b18200Bサイド.JPG

こちらは4連の18200系京伊特急。
近鉄祝園B18200B.JPG

18400系。
近鉄祝園B18400.JPG

18400系京奈特急。
近鉄祝園B18400・2.JPG

新祝園の駅を通過する当時最新の8810系。
近鉄祝園B8915.JPG

その後追い。
近鉄祝園B8916.JPG

国鉄奈良線はキハ35シリーズの時代に入っていた。
国鉄祝園Bキハ35・36・1.JPG

通勤タイプになったとはいえ、かえってうら寂しさを感じるキハ35では、近鉄に存在感は示せなかっただろう。

国鉄祝園Bキハ35・36・2.JPG

12200系特急のサイド。
近鉄祝園B12200サイド.JPG


時折、近鉄。あるいは学研都市線と名を変えた片町線で通過するところではあり、車窓からは当時とさほど変わらぬ雰囲気が感じられる。
近いうちに再訪したいところではある。
18200系特急の後追い。
近鉄祝園B18200後追い.JPG

posted by こう@電車おやじ at 23:52| Comment(4) | 国鉄・私鉄双方の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする