列車と言うのは、特に長距離列車は、昔は機関車牽引列車が中心だったから、客車から前方を見ることができない。
けれど、例えば路面電車でも運転台横のポールにしがみついて前方の景色を見るのを好む人は、鉄道ファンであるナシ、老若男女問わず存在しているし、特に子供の頃には誰しも思い出のあることだと思う。
走っている列車から前を見たい・・それは人間の本質的な欲求かもしれない。
国鉄では後方の景色を見る車両、展望車が存在した。
前を見られないなら後ろをということでもなかろうが、国鉄客車の展望車は、いわばステータスとしての存在、乗車するのは相応の社会的地位が必要であり、誰しも気軽にと言うわけにもいかなかった。
今、JR西日本に一両存在するマイテ49、その現状を少し。
展望室の室内、洋式であり比較的簡素な室内だ。

外観、網干総合車両所での公開時。

回送時の大久保駅にて。

JR東日本、大宮の鉄博に展示されているマイテの車内。
桃山式の重厚な雰囲気が可能な限り復元されている。

大井川鉄道ではマイテを模した改造展望車が存在する。
スイテ82、新金谷にて。

だが、やはり列車の前方を見たい。
運転士の特権でもあるのだが、そこを道楽で、座って出来れば酒でも呑みながら眺めたいと・・それを実現した電車が昭和30年代に登場した。
国鉄では組合運動が盛んで運転席後ろのカーテンを昼間でも閉めてしまって、立ってでも前方を見たい客への配慮など存在しなかった時代にだ。
昭和36年、名鉄7000系パノラマカー、本邦初、前面展望電車の登場だ。

ごく普通に通勤電車にも運用される名鉄の大看板。
国鉄は運転台を上層にあげて151系を登場させたが、まさかのその一階部分を展望席にしてしまった電車、しかも日本車輛と名鉄の良心ゆえの設計、乗客の絶対安全を図るために、ショックアブソーバを組み込んだ標識灯のデザインは、踏切事故多発の時代にあって乗客の死亡事故ゼロの金字塔も打ち立てた。
写真は中京競馬場の保存車。

展望室の全景。

さらに高性能7500系も登場、名鉄は一時期、パノラマカーの我が世の春を迎えた。

7500系パノラマカー営業時の展望室の様子。

前面を見たい人は、その時の速度も気になる。
スピードを売り物にする名鉄はそこに速度計を設置。

今、悔やむことのひとつに、この展望席に夜間に乗り、流れる夜景を見ることをしなかったこと・・・

もしもレプリカでもこの電車が復活してくれたら、日本最強の観光電車になるのにと無茶な思いが募る電車だ。

少し遅れて東の小田急でも前面展望の電車が登場した。
NSEの愛称で知られる小田急3100形、こちらは特急券が必要な、いわば「晴れの日」の電車でもある。
晴れの日の家族が記念写真に興じる新宿駅。

冷房機能強化、箱根登山線での様子。

西の横綱、近鉄は展望車には多大な興味を持っていたようだが、近鉄は中間車のダブルデッカーを好んだ。
VistaCarの登場だが、そのうちの前面貫通タイプでは助手席側の窓を大きく広げ、前面展望にも配慮した。
国鉄が151系を登場させた翌年、昭和34年のことだ。

昭和55年、小田急では長年、トップの座を君臨してきたNSEに代わってLSEが登場。

後年の色調変更後の様子。

昭和58年、僕も工事に携わった大阪鉄道管理局の「サロンカーなにわ」が完成した。
国鉄伝統の後部展望車を有する7両編成、車体は14系が出自なので側面はほとんど変更されていないが、両端の展望車は大きくイメージを変えた。
これには、車掌室側を編成の内側とし、トイレ洗面所を撤去の上、そこに展望室を設置するというものだった。

完成時の「なにわ」展望室、ビュッフェとして使えるように厨房機器も備わっている。

最初の公式試運転。

最近の様子。

現在のサロンカー車内。

もう片方の展望室、半室になっている。

この時期、12系などを改造した各地のジョイフルトレインで展望室を持つ車両も増えてきた。
写真は「なにわ」と競作になった東京の「サロンエクスプレス」

昭和59年、名鉄はさらに斬新な前面展望車両を登場させた。
8800系「パノラマDX」だ。
機器類こそ廃車にされた7000系中間車のものだったが、世間をあっと言わせ斬新な車体は、従来のパノラマカーの真逆を行く、一階運転台、二階部分に展望室を設けるというものだった。

その展望室の車内。
ハイデッカータイプの展望室は新たな景観を生み出した。

これで名鉄は新たなスタンダードを世間に公表したことになる。
やがてこの車両は中間車を増結、一般の有料特急として運転されることになる。

その翌年、この名鉄の流儀にいち早く飛び乗ったのが国鉄だ。
北海道でアルファコンチネンタルエクスプレスを登場させ、さらに「ゆぅトピア和倉」としてキハ65を使用、85系にぶら下がって運転できるようにした画期的な改造展望気動車が登場。
ただし、国鉄の前面展望はあくまでも運転席を介した展望である。
昭和63年、JR西日本は「エーデル」シリーズを展開し始める。
大出力エンジン、空気バネ台車を採用したキハ65を改造し、定期列車として走らせる。
第一弾が「エーデル丹後」、485系→改造183系に連結可能な気動車で前面展望

特急「北近畿」に連結された「エーデル丹後」

第二段が「エーデル鳥取」
電化なった山陰線だが非電化区間への直通用として改造された。

第三段が「エーデル北近畿」
改造工事の手を重ねるごとに、その内容が簡略化されていったのは如何にも国鉄→JR西日本らしいと思う。
中間車には増結用の簡易改造車も見える。

余部橋梁を行く「エーデル北近畿」

昭和62年、「みやび」を前年に失っていたJR西日本が究極のお座敷客車、「あすか」を世に送り出した。
サロンカーは中間車になったが、両端の展望客車も存在し、国鉄伝統の後部展望車を現代流に発展させた感じだ。

その展望席。

ついでに特徴的な客室も。

トワイライトのもとになったとも思える中間車のサロンカー。

昭和62年、小田急は前面と側面双方の展望をいずれも重視したHiSEを登場させる。

この車両も画期的な取り組みだったが、バリアフリー化の時代、ハイデッカー構造が障壁となり、結局は早期の廃車の憂き目を見ることになる。
ただし、ごく一部の車両は今も長野電鉄で健在だ。

つい先日に所用があり長野へ行った折りの空き時間で撮影した。

昭和63年、本気でパノラマ新時代を考えていた名鉄が「パノラマスーパー」1000系を登場させた。
パノラマDXの構造を基本に、さらに磨きをかけ、また白帯7000系に代わる通常の有料特急としての登場だ。

登場後ほどなく一般席車と混結となり、当初はSR系と連結して運用された。

パノラマカー7000系とパノラマスーパー1000系の連結運用。

何度も出している写真だがまさに電車のKISSだ。

このあと、パノラマスーパーは3ドアの一般席車1200系と組むように変更され、その後さらに特急政策の変更により余剰となったものは廃車され、今に至るのは前回の記事の通りだ。
パノラマスーパーの現在の展望席の様子を今一度。

豊橋駅に着いた時の様子。

だが、この後が続かない。
名鉄の前面展望車の歴史は一般席車である5700・5300系にも受け継がれはした。

運転席後部の展望席。

末期の頃、河和線富貴で5300・5700が並んだ。

乗客のための速度計も最後まで現役だった。

3500系一般席車にも大きな前面窓が使われ前面展望の名鉄・・は僅かながら生き残った・・

名鉄の前面展望の歴史は現在のところはこれで終わったことになってしまう。
名鉄が誇る空港特急「ミュースカイ」では各車両の客室仕切上部にモニターがあり、案内をしないときはここに前面展望映像とその時の速度が表示されるのが僅かに名鉄が「前面展望」を守っていると言えなくはない。
前面展望車を出さない名鉄に対し小田急はその後も展望室を持つ特急車両を開発している。
平成17年のVSE。

そして得意の連接構造を辞めながらも、名鉄のお株を奪った赤い展望特急GSE。

いやいや、西の横綱、近鉄でも運転席越しではあるが前面展望を確保した特急車両が相次いで開発されている。
平成2年製造の「さくらライナー」26000系。

その最前列の様子。

平成24年の「しまかぜ」

展望席は大人も子供も楽しめる空間だ。
かつての名鉄のように特別な料金が不要で誰でもそこを利用できるというのは、確かに理想だろう。
だが、鉄道にはラッシュもあり、そこを考えないとかえって大多数の乗客から迷惑がられるかもしれない。
(名鉄7000・7500系の場合は床面積の拡大という意味においてラッシュにも貢献していたとも考えられるが)

前面展望のできる電車が並ぶ。

パノラマスーパーから展望席から撮影したパノラマスーパー1031F・・

特別料金くらいなら払ってもいい、そこでゆったりと前面展望を愉しみながら、出来れば缶ビールでもゆっくりと味わいたいもの、そんな列車がJRや名鉄にあってもいいと思うのだが。。。