このブログ記事としては比較的新しい部類に入るが、地元のことでもあり、ぼちぼちと思いかえしてみたい。
写真は阪神9000系、原型時代。
神戸高速鉄道は昭和43年(1968年)4月7日に開業し、神戸市内の阪急・阪神・山陽・神鉄の各路線を結び、新開地に集めることで神戸市内の交通の大変革を成し遂げたが、開業時からはんきゅ・阪神は須磨浦公園まで、山陽は阪急六甲・阪神大石までの乗り入れをそれぞれ自社乗務員で行っていただけで、神戸市内を東西に結ぶ乗客には必ず乗り換えが必要となり、繋がっている線路を有効に活用することはなかった。
事態が一変したのが平成7年(1995年)1月17日の兵庫県南部地震=阪神淡路大震災だ。
阪神・阪急・山陽の各社は復旧までに半年を要し、さらに神戸高速鉄道の復旧は2か月もずれ込んだ。
(まだ大開駅は通過扱いだった)
おなじ震災被害でも、JR西日本の動きは速く、崩壊した高架橋の復旧に際して、橋桁は再生利用、橋脚のみ建て直すという方法を用いて迅速に復旧、早くも4月1日には全線復旧(ただし新長田駅は通過扱い)し、その日から一部徐行区間はあれど震災前のダイヤに私鉄未開通分の乗客の受け皿にと一部増発まで行い、神戸市内を東西に結ぶのはJRだけになった時期が4か月もあった。
私は当時、垂水・大阪間を通勤していたこともあり、このJRの早期開通で非常に助かったのだったが、これまで関西では私鉄の地元では私鉄が強く、国鉄=JR西が苦戦を強いられてきた地域でもある。
結果としてJR独り勝ちとなり、阪急・阪神は一気に乗客の減少をきたし、神戸高速復旧後も乗客数が戻ることはなかった。
山陽電鉄ではもともと国鉄→JR西にかなり差をつけられていたから事態は深刻だった。
だが、地道な駅や線路の改良が実を結んできていた。
ホームの延長、曲線の緩和、軌道の重軌道化、最高速度の大手なみへの向上。
震災以前から一部特急では6連運転が開始され、さらに震災前に発注していた6連化用の中間車両も震災後に落成している。
後の報道では直通特急の運転の打診は山陽から阪神にあったとされている。
阪神もまたJRの影響を受けて乗客が激減していたから、この話は渡りに船だったのだろう。
甲子園での阪神山陽の出会い。
ただ、阪急は結果としてこの直通に入らず、新開地以東の運転にまとめ、その代わり全列車の8連化をするということになったのだが、私の知る阪急内部の人たちにはこの決定を非常に残念がる傾向がうかがえた。
山陽側でも阪急からの乗り入れ最終列車は静かに見送るだけで特に何のイベントもしなかった。
「阪急さんにまた帰ってきてほしい」という思いだったと、当時の山陽社長はインタビューに答えている。
写真は登場時に阪急から乗り入れた8000系、須磨浦公園にて。
かつて六甲での事故で阪急は山陽を嫌うようになったと、さも見てきたかのように知ったかぶりをする鉄道ファン諸氏があるが事実は全くそんなことではなかった。
震災後、8月の神戸高速鉄道復旧に伴うダイヤ改正では、例外なく各社とも直通列車を増やしたり、接続を改善する方向だった。
また話を戻すと、六甲事故直後から私は、板宿・阪急六甲間を通勤するようになったが、ダイヤ改正のたびにスピードアップや直通列車の増発、乗り換えの接続改善が行われ、どんどん便利に通勤が楽になっていったのは今、思い返しても良い思い出だ。
自分は鉄道ファンではあるが、時に鉄道ファン諸氏の思考が嫌いになり、その行動を否定的に思うことともしばしばである。
さて話を直通特急に戻す。
車両は阪神では8000系と9000系、山陽では5000系と新車5030系と決まった。
乗務員は高速神戸で交代する。
関東私鉄で行われてきた本来の直通運転が阪神・山陽両社で実現することになった。
下りには「姫路ライナー」上りには「大阪ライナー」という愛称までつき、副票が掲出された。
山陽5030系、同社初のVVVF制御で3列シートだ。
停車駅は、梅田・西宮・芦屋・御影・三宮・元町・高速神戸・高速長田・板宿・須磨・垂水・山陽明石・東二見・高砂・大塩・飾磨・姫路で、運行頻度は日中毎時2本、最速列車は梅田~姫路間88分で走ったが、これは両社の特急列車の所要時間を素直に足したものだった。
ただ、この当時、JRでは新快速のスピードアップが激しく、大阪・姫路間では何と59分にまで達していた。
これは平成17年(2005年)福知山線尼崎脱線事故への反省から余裕時分を持たせたものとなり、現在では同区間で昼間は61分程度の所要時間だが、私鉄を圧倒する高速運転であることに違いはない。
直通特急を運転しても、姫路・梅田という全区間で所要時間の面から私鉄側を選ぶ乗客は極めて少数だろうが、飾磨や高砂、東二見から、梅田いや、西宮や御影を目指す人にとっては大きな利便性の向上になるわけで、その期待は大きかった。
藤江付近を行く阪神赤胴車。
走り出した直通特急には両社で違いがあった。
阪神は「赤胴車」で急行用ながら、ラッシュ輸送と短距離乗車を考慮してのロングシート車、山陽は乗車距離が長いことから特急列車のクロスシート化を推し進めていたことで全車両がクロスシート車で、自社距離の長い山陽の車両が全体の6割以上の運用に入った。
阪神でもクロスシートは必要と認識されたことで、やがて増発用の9300系や、リニューアル工事をされた8000系は編成中にクロスシート車を備えるようになった。
地上時代の西新町にて山陽5000系5016F。
山陽5000系5510の車内。
平成13年(2001)3月、ダイヤ改正が行われ、直通特急は毎時4本となった。
阪神ではクロスシート9300系の登場である。
阪神9300系の室内。
ただし、尼崎・魚崎に全列車が停車し、阪神線でのスピードダウンが行われ、さらに増発分の列車は神戸高速線内、西元町・大開にも停車するようになり、起終点間の所要時間は95~110分にもなった。
この停車駅を増やした要因は山陽と阪神の運転ヘッドの違いで、山陽15分毎、阪神10分毎を停車駅の差と運転調整で5分の隙間を生み出し、それぞれ相手の路線に合わせるというものだ。
また朝の上りと夕の下りは滝の茶屋にも停車。
JRのスピードへの対抗としてはかなり後退である。
この改正から「大阪ライナー」「姫路ライナー」の愛称が消えた。
また、三宮から高速長田まで各駅に停車する直通特急は両社で種別表示を黄色に統一し、利用者やファンから「黄直特」とよばれるようになった。
従来の直特は種別表示が赤なので「赤直特」と呼ばれている。
この後、甲子園にも朝ラッシュ上り以外は停車し、月見山を停車駅に追加、西元町・大開停車列車は、西代・東須磨・須磨寺にも停車、ラッシュ時に限り荒井、さらにラッシュ時のみ白浜の宮と停車駅を増やす。
(なお現在では山陽では東須磨・須磨寺を停車駅から外しているが、最近、別府(べふ)に全列車が停車するようになった。
平成21年(2009年)阪神なんば線が開業し、近鉄と阪神が相互乗り入れをするようになり、近鉄と山陽の電車が顔を合わせるようになった。
大石にて。
団体列車として乗り入れた近鉄特急車両と山陽の出会い。
西灘にて。
現在では梅田・姫路間は99分~110分の所要となり、登場時から比べればかなりスピードダウンしている。
ただ、本数は多く、朝夕12分ヘッド、日中15分ヘッドを維持し運転時間帯も5時台から23時台と(区間運転含む)もはや、生活列車とでもいえる存在になっている。
また、阪神線内のラッシュのみならず、山陽側でも特に朝の下り方向へのラッシュ輸送に問題があり、各編成の梅田側をロングシート車としたほか、最近では5000系が不足していることからロングシート車6000系の代走運用もよく見られる。
なお、阪神では最近、8000系の中でクラシック阪神とよばれる8502も直特運用に加わっている。
阪神8000系の第一編成だった8502と山陽6000系直特の出会い。
また5000系のリニューアルにあたっては各編成のうち2両のみがクロスシートとなるようにしている。
山陽5703編成。
不幸なことに阪神車庫内で山陽車両を損傷する事故が発生していて、以降数年間は阪神が山陽の運用一本分を肩代わりすることになっている。
(阪神工場内でリニューアルした山陽車両を阪神の過失で車庫の側壁に衝突させた事故)
100キロ近い距離を2時間弱かけて走る列車である。
もう少し車内設備に気を使っても良いのではないかと思うのは私だけではあるまい。
例えばJRに必ずついているトイレも必要だろう、またJRは全車がクロスシート車だ。
所要時間の短縮には、昼間だけでも良いから停車駅を絞った速達列車の設定をできないだろうか。
あるいは、阪神が導入するとされる座席指定車両を全列車に連結して、時間がかかる分、ゆったりと時を過ごしてもらえる工夫もあっても良いのでは。
一度、姫路から梅田までずっと乗りとおす女性に話を伺うと「JRは速すぎて怖い」とのこと、こういう人もあるのだ。
それにしてもだ、せめて名鉄2200系並みの専用車両が欲しいと願うのだが。
一般車の車内は名鉄2300のコピーでもよいだろうし、特別車(座席指定車)も名鉄2200を参照にできればと思う。
名鉄2300系一般車の車内。
2200系特別車の車内。
夜の闇が迫る・・山陽6000系の直特、その後ろ姿。
近鉄と阪神を結ぶ快速急行が表示は大げさな割に20分ヘッド、しかも夜間は大幅に本数を減じるのだけれど、阪神・山陽の直特は終日、頻発運行される。
真に乗客が求めている列車であるのはその運行のやり方を見てもわかる。
最近、阪神は引退が近い8000系をもとの赤胴に戻すと公表した。
どうか直通特急に未来あれ。
阪神・山陽両社に輝きあれと念じたい。

