2026年01月29日

直通特急運転開始から28年:阪神・山陽電鉄

平成10年、1998年2月16日に阪神・山陽領電鉄が神戸高速鉄を介して直通特急を運転開始して28年になる。
このブログ記事としては比較的新しい部類に入るが、地元のことでもあり、ぼちぼちと思いかえしてみたい。
写真は阪神9000系、原型時代。
直特阪神9208.JPG

神戸高速鉄道は昭和43年(1968年)4月7日に開業し、神戸市内の阪急・阪神・山陽・神鉄の各路線を結び、新開地に集めることで神戸市内の交通の大変革を成し遂げたが、開業時からはんきゅ・阪神は須磨浦公園まで、山陽は阪急六甲・阪神大石までの乗り入れをそれぞれ自社乗務員で行っていただけで、神戸市内を東西に結ぶ乗客には必ず乗り換えが必要となり、繋がっている線路を有効に活用することはなかった。

事態が一変したのが平成7年(1995年)1月17日の兵庫県南部地震=阪神淡路大震災だ。
阪神・阪急・山陽の各社は復旧までに半年を要し、さらに神戸高速鉄道の復旧は2か月もずれ込んだ。
(まだ大開駅は通過扱いだった)

おなじ震災被害でも、JR西日本の動きは速く、崩壊した高架橋の復旧に際して、橋桁は再生利用、橋脚のみ建て直すという方法を用いて迅速に復旧、早くも4月1日には全線復旧(ただし新長田駅は通過扱い)し、その日から一部徐行区間はあれど震災前のダイヤに私鉄未開通分の乗客の受け皿にと一部増発まで行い、神戸市内を東西に結ぶのはJRだけになった時期が4か月もあった。
私は当時、垂水・大阪間を通勤していたこともあり、このJRの早期開通で非常に助かったのだったが、これまで関西では私鉄の地元では私鉄が強く、国鉄=JR西が苦戦を強いられてきた地域でもある。
結果としてJR独り勝ちとなり、阪急・阪神は一気に乗客の減少をきたし、神戸高速復旧後も乗客数が戻ることはなかった。

山陽電鉄ではもともと国鉄→JR西にかなり差をつけられていたから事態は深刻だった。
だが、地道な駅や線路の改良が実を結んできていた。
ホームの延長、曲線の緩和、軌道の重軌道化、最高速度の大手なみへの向上。
震災以前から一部特急では6連運転が開始され、さらに震災前に発注していた6連化用の中間車両も震災後に落成している。

後の報道では直通特急の運転の打診は山陽から阪神にあったとされている。
阪神もまたJRの影響を受けて乗客が激減していたから、この話は渡りに船だったのだろう。
甲子園での阪神山陽の出会い。
阪神8230・山陽5608甲子園.jpg

ただ、阪急は結果としてこの直通に入らず、新開地以東の運転にまとめ、その代わり全列車の8連化をするということになったのだが、私の知る阪急内部の人たちにはこの決定を非常に残念がる傾向がうかがえた。
山陽側でも阪急からの乗り入れ最終列車は静かに見送るだけで特に何のイベントもしなかった。
「阪急さんにまた帰ってきてほしい」という思いだったと、当時の山陽社長はインタビューに答えている。
写真は登場時に阪急から乗り入れた8000系、須磨浦公園にて。
H5阪急8120須磨浦公園.JPG

かつて六甲での事故で阪急は山陽を嫌うようになったと、さも見てきたかのように知ったかぶりをする鉄道ファン諸氏があるが事実は全くそんなことではなかった。
震災後、8月の神戸高速鉄道復旧に伴うダイヤ改正では、例外なく各社とも直通列車を増やしたり、接続を改善する方向だった。
また話を戻すと、六甲事故直後から私は、板宿・阪急六甲間を通勤するようになったが、ダイヤ改正のたびにスピードアップや直通列車の増発、乗り換えの接続改善が行われ、どんどん便利に通勤が楽になっていったのは今、思い返しても良い思い出だ。
自分は鉄道ファンではあるが、時に鉄道ファン諸氏の思考が嫌いになり、その行動を否定的に思うことともしばしばである。

さて話を直通特急に戻す。
車両は阪神では8000系と9000系、山陽では5000系と新車5030系と決まった。
乗務員は高速神戸で交代する。
関東私鉄で行われてきた本来の直通運転が阪神・山陽両社で実現することになった。
下りには「姫路ライナー」上りには「大阪ライナー」という愛称までつき、副票が掲出された。
山陽5030系、同社初のVVVF制御で3列シートだ。
直特山陽5632塩屋.JPG

停車駅は、梅田・西宮・芦屋・御影・三宮・元町・高速神戸・高速長田・板宿・須磨・垂水・山陽明石・東二見・高砂・大塩・飾磨・姫路で、運行頻度は日中毎時2本、最速列車は梅田~姫路間88分で走ったが、これは両社の特急列車の所要時間を素直に足したものだった。
ただ、この当時、JRでは新快速のスピードアップが激しく、大阪・姫路間では何と59分にまで達していた。
これは平成17年(2005年)福知山線尼崎脱線事故への反省から余裕時分を持たせたものとなり、現在では同区間で昼間は61分程度の所要時間だが、私鉄を圧倒する高速運転であることに違いはない。

直通特急を運転しても、姫路・梅田という全区間で所要時間の面から私鉄側を選ぶ乗客は極めて少数だろうが、飾磨や高砂、東二見から、梅田いや、西宮や御影を目指す人にとっては大きな利便性の向上になるわけで、その期待は大きかった。
藤江付近を行く阪神赤胴車。
直特阪神8235.JPG

走り出した直通特急には両社で違いがあった。
阪神は「赤胴車」で急行用ながら、ラッシュ輸送と短距離乗車を考慮してのロングシート車、山陽は乗車距離が長いことから特急列車のクロスシート化を推し進めていたことで全車両がクロスシート車で、自社距離の長い山陽の車両が全体の6割以上の運用に入った。
阪神でもクロスシートは必要と認識されたことで、やがて増発用の9300系や、リニューアル工事をされた8000系は編成中にクロスシート車を備えるようになった。
地上時代の西新町にて山陽5000系5016F。
直特山陽5016.JPG

山陽5000系5510の車内。
1107山陽5014F5510車内.JPG


平成13年(2001)3月、ダイヤ改正が行われ、直通特急は毎時4本となった。
阪神ではクロスシート9300系の登場である。
0824別府阪神9502.JPG

阪神9300系の室内。
阪神9300車内.JPG

ただし、尼崎・魚崎に全列車が停車し、阪神線でのスピードダウンが行われ、さらに増発分の列車は神戸高速線内、西元町・大開にも停車するようになり、起終点間の所要時間は95~110分にもなった。
この停車駅を増やした要因は山陽と阪神の運転ヘッドの違いで、山陽15分毎、阪神10分毎を停車駅の差と運転調整で5分の隙間を生み出し、それぞれ相手の路線に合わせるというものだ。
また朝の上りと夕の下りは滝の茶屋にも停車。
JRのスピードへの対抗としてはかなり後退である。
この改正から「大阪ライナー」「姫路ライナー」の愛称が消えた。
また、三宮から高速長田まで各駅に停車する直通特急は両社で種別表示を黄色に統一し、利用者やファンから「黄直特」とよばれるようになった。
従来の直特は種別表示が赤なので「赤直特」と呼ばれている。


この後、甲子園にも朝ラッシュ上り以外は停車し、月見山を停車駅に追加、西元町・大開停車列車は、西代・東須磨・須磨寺にも停車、ラッシュ時に限り荒井、さらにラッシュ時のみ白浜の宮と停車駅を増やす。

(なお現在では山陽では東須磨・須磨寺を停車駅から外しているが、最近、別府(べふ)に全列車が停車するようになった。
平成21年(2009年)阪神なんば線が開業し、近鉄と阪神が相互乗り入れをするようになり、近鉄と山陽の電車が顔を合わせるようになった。
大石にて。
雨山陽5603・近鉄1027.jpg

団体列車として乗り入れた近鉄特急車両と山陽の出会い。
西灘にて。
0329西灘山陽5606・近鉄22805.JPG

現在では梅田・姫路間は99分~110分の所要となり、登場時から比べればかなりスピードダウンしている。
ただ、本数は多く、朝夕12分ヘッド、日中15分ヘッドを維持し運転時間帯も5時台から23時台と(区間運転含む)もはや、生活列車とでもいえる存在になっている。
また、阪神線内のラッシュのみならず、山陽側でも特に朝の下り方向へのラッシュ輸送に問題があり、各編成の梅田側をロングシート車としたほか、最近では5000系が不足していることからロングシート車6000系の代走運用もよく見られる。
なお、阪神では最近、8000系の中でクラシック阪神とよばれる8502も直特運用に加わっている。
阪神8000系の第一編成だった8502と山陽6000系直特の出会い。
0306大塩山陽6107直特・阪神8502直特.JPG

また5000系のリニューアルにあたっては各編成のうち2両のみがクロスシートとなるようにしている。
山陽5703編成。
1128垂水山陽5703.JPG

不幸なことに阪神車庫内で山陽車両を損傷する事故が発生していて、以降数年間は阪神が山陽の運用一本分を肩代わりすることになっている。
(阪神工場内でリニューアルした山陽車両を阪神の過失で車庫の側壁に衝突させた事故)

100キロ近い距離を2時間弱かけて走る列車である。
もう少し車内設備に気を使っても良いのではないかと思うのは私だけではあるまい。
例えばJRに必ずついているトイレも必要だろう、またJRは全車がクロスシート車だ。
所要時間の短縮には、昼間だけでも良いから停車駅を絞った速達列車の設定をできないだろうか。

あるいは、阪神が導入するとされる座席指定車両を全列車に連結して、時間がかかる分、ゆったりと時を過ごしてもらえる工夫もあっても良いのでは。
一度、姫路から梅田までずっと乗りとおす女性に話を伺うと「JRは速すぎて怖い」とのこと、こういう人もあるのだ。

それにしてもだ、せめて名鉄2200系並みの専用車両が欲しいと願うのだが。
一般車の車内は名鉄2300のコピーでもよいだろうし、特別車(座席指定車)も名鉄2200を参照にできればと思う。
名鉄2300系一般車の車内。
010610内海名鉄2200車内2.JPG

2200系特別車の車内。
0606岐阜名鉄2200系車内.JPG

夜の闇が迫る・・山陽6000系の直特、その後ろ姿。
0417芦屋山陽6107直特後追い夕景.JPG

近鉄と阪神を結ぶ快速急行が表示は大げさな割に20分ヘッド、しかも夜間は大幅に本数を減じるのだけれど、阪神・山陽の直特は終日、頻発運行される。
真に乗客が求めている列車であるのはその運行のやり方を見てもわかる。

最近、阪神は引退が近い8000系をもとの赤胴に戻すと公表した。
1128垂水俯瞰阪神8213赤胴_01.JPG

どうか直通特急に未来あれ。
阪神・山陽両社に輝きあれと念じたい。
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posted by こう@電車おやじ at 22:19| Comment(1) | 私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月18日

広島電鉄広島駅前

ワタシが最初に広島電鉄を訪問したのは昭和53年秋の終わりごろだったと思う。
友人たちと山陰からの夜行列車「さんべ5号」に乗り、下関で山陽本線快速電車に乗り換えて、まだ午前のうちに広島に着いた。
けれど広島市は雨で、友人たちはパチンコへ行くということで、自分は雨の中、電車を見ることにした。

その時に見た元神戸市電と、ピンクの帯をまいた宮島線直通車にすっかり魅せられ、以降はしばしば通うようになった。
何故か広電では雨が多く、写真にも雨の日のものが半分くらいある。
また昭和63年ごろから無理やりお付き合いしてもらっていた女性が、広島市の職場へ移籍したことにより、そのころはさらに通うことが増えていた。
けれど、その女性と離れたことで一種のトラウマ状態となったが、時間が心の中を落ち着かせてくれ、また年に1~2回は通うようになったのはここ15年ほどのことだ。
自分の中で名鉄と並んで今も心底愛することのできる鉄道といえるかもしれない。
その広島電鉄で、この8月に駅前大橋線が開業し、路線が大きく変わった。
そして路面電車そのものへの社会的イメージも激変した。

今回は広島駅前の思い出をたどってみたいと思う。
昭和55年ごろだろうか、宮島から乗ったのは2500形2507で、軽快な乗り心地も楽しかった。
広島駅前に着くと後ろに元神戸市電579が出ていくのが見える。
このころの広島駅前はなんだか雑然としていた。
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乗ってきた2507は乗車ホームへ移動している。
広島駅前広電2507発車.JPG

そこへ旧宮島線直通車、元850形→350形351がやってきた。
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351が乗客を乗せて発車する。
そこへ元神戸市電1103が入ってきた。
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神戸市電1103、ひし形黄色塗装がなされているが、ウィンカー跡は残っているし、方向版は神戸市電時代のもの、全面窓上部の風防がなく、会えたのが非常にうれしかったことを覚えている。
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神戸市電最新だった1150形1157、全面窓のRが美しい。
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最初に訪問した時の写真。
何度も出しているが、話の流れとして・・
このころはまだ、広島駅前の空が広かった。
旧850形の350形353。
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元神戸市電K車、575。
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こちらも神戸市電K車、580。
広電580広島駅雨.JPG

神戸市電700形以降のスタイル、1100形1101。
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700形(先代)705。
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いかにも大阪市電や阪堺のイメージ、元大阪市電1601形の756。
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広島駅前に停車中、大阪市電1601形からの753。
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雨の陰鬱さを打ち破るような2500形、この瞬間、好きになった電車だ。
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昭和55年ごろだろうか。
初代ハノーバー号、神戸市電1105と753ほか、大阪市電が3両、画面に入った。
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雨の中、ヘッドライトが印象的だ。
神戸市電1153。
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昭和57年11月ごろの訪問だったと思う。
このころには京都市電も走っていた。
ドルトムント電車、76号。
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その電車のアップ、いい顔つき、この電車は広電では比較的短命に終わったけれどデザイン面では日本の路面電車に大きな影響を与えたと思う。
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神戸市電L車の584の夕暮れ。
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583が江波へ向かって出ていく。
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朝の陽を浴びて神戸市電1154も後を追う。
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昭和59年ごろか‥550形554号、全車廃車されてみることができない。
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唱和61年ごろ、神戸市電K車571号の夜景。
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2500形2507の夕景。
行き先が廿日市だ。
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しばらく、長い間、広電に通えなくなった時期があった。
平成も随分と経過して思いきって広電に行ってみた。
青春18きっぷでの神戸からの日帰りという安直さだ。
広島駅前電停は「広島駅電停」となっていた。
平成25年。
701・711が並ぶ。
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グリーンムーバなる低床式連接車がすでに二世代目に入っていた。
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グリーンムーバMAXと連接車3900形が出会う。
この電車すら、この時の僕には初めて見たのだった。
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この年、8月には泊まりで伺った。
唯一神戸市電カラーで運行される580形582に出会えた。
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西鉄福岡市内線出自の3008と大阪市電762が出会う。
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昨年、広電工事の様子を眺めに行った。
広島駅で並ぶグリーンムーバMAXとAPEX。
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広島駅電停夕景。
APEX5203と711だ。
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猿猴橋町で何とも都会的な背景の中、近未来をイメージするAPEX。
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つい先日、新駅ができて初訪問。
垢ぬけた新しい電停。
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駅へ入る706と3953。
もはや新交通システムだ。
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高架線で行きかうグリーンムーバ、単車置き換え用のREX1016とMAX5108。
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巨大なビル群の高架線、REX1014が行く。
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広島は大都会になった。
その象徴が広電高架だろう。
確かに速く、非常に便利になった。

だが、ワタシの脳裏にはまだ、あの頃の雑然とした空の広い広島駅前電停がそこにあるような気がする。
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posted by こう@電車おやじ at 15:54| Comment(0) | 私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月31日

広電、単車時代の終焉へ。

いよいよ、広電の広島駅高架乗り入れが来春に迫った。
このところ既存の路面電車をLRT化して活性化する手法が各都市で見られるが、高架橋によるJR駅への直接乗り入れというのは、これはその最たるものだろう。
しかし、高架橋であるゆえ、市街地区間との接続でどうしても急こう配が存在する。
今、発表されている勾配は40‰で、これは阪神なんば線と同等、神戸電鉄の50‰にも迫る、鉄道車両としては強烈な勾配だ。
‰(パーミル)とは、1000メートルでいくら登るかという単位で、鉄道車両の最高は箱根登山鉄道の80‰、通勤鉄道の最高は神戸電鉄の50‰、東京都電、京阪京津線、宇都宮ライトレールには一部に60パーミルを超える区間も存在する。

もちろん、新鋭の連接車などはこの勾配を上下できる性能を有しているのが、高架化の大前提だろう。
しかし、古くから「電車の博物館」と呼ばれた広電を形成してきた多くのツリカケ式単行車(広電では単車と呼ぶ)がこの勾配を上下できるのだろうか。
基本全ての車両のモーターが搭載されている路面電車は、ある程度勾配には強いと言われる。
今現在、広電に存在する最急こう配は猿猴橋と的場町の間の35‰だそうだ。
またこの計画設定時に、広電に在籍するすべての電車が勾配を走れるという前提があったそうだ。
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だから勾配が急になるから古い電車が淘汰されるというのではないかもしれないが、今や急激に数を増している新型グリーンムーバLEX1000形は単車の運行をどんどん置き換えていき、すでに広島駅前で日中に単車を見かけるのは5号線(皆実線→広島港)、6号線(本線→江波)くらいになってしまった。
従来の単車が高架線を「走れる」と言っても、やはりそこは「安定的に速く」走れるようになる必要もあるだろう。

広島高架新ターミナルに乗り入れる広電がそれを機に、一気に残る単車の淘汰を考えていても不思議ではなく、すぐには資金面の問題もあり実現できないだろうが置き換え完了の時期は案外早いような気がする。

そこで今回は広電の「単車」を取り上げていきたいと思う。
広電に連接車が登場したのは、昭和32年の宮島線1040形改造車が最初だがこれは鉄道線用車両で、路面電車区間としては昭和36年の2500形連接車からということになる。
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この電車は鉄道線を走る充分な高速性能を備えた画期的なものだった。
それまでにも宮島線へ直通する車両は存在したが、いずれも普通のボギー車だった。

それでは数字の若い順に進めていきたいと思う。
350形。
元は宮島線直通の単行車として昭和33年に完成した電車で、のちの350形に改番されている。
353号、昭和52年ごろの広島駅前。
広電353広島駅.JPG

500形。
昭和28年から29年にかけて完成した電車。
全車両廃車済み。
504号。
広電504広島駅.JPG

502号。
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570形、神戸市電500形のうち、J車(大正13年製造)、L車(大正14年~昭和3年製造)、K車(昭和6年製造)を譲り受けたもので車体が大型で使いやすく、今も一両が残る。
571号(神戸市電K車)本川町。
広電571本川町.JPG

573号(K車)。
広電573.jpg

広告電車、576号(K車)。
広電576原爆ドーム前.JPG

580号(K車)。
広電580広島駅雨.JPG

583号(J車)
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584号(L車)
広電584.jpg

582号、今も唯一残り神戸市電のあの魅力的な塗装が健在だ
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600形。
初代600形は撮影ができていない。
二代目600形は西鉄北九州線500形がその前身。
ソアラと並ぶ602号、この電車は今も残る。
広電602ソアラ本川町.JPG

650形、現存する被爆電車として有名。
昭和17年、今はなき木南車両製造。
651号。
広電651.jpg

652号、紙屋町。
広電652紙屋町.JPG

654号、宇品にて。
広電654宇品.jpg

700形(初代)
昭和23年から25年にかけて旧500形から機器を流用して製造された電車。
撮っているのはこのワンカットのみ。
705号。
広電705広島駅雨.JPG

750形、大阪市電1601形、1651形、1801形を譲受した車両を纏めた形式。
753号、昭和3年から4年にかけて製造された大阪市1601形がその前身。
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756号。
こちらも大阪市電1601形がその前身。
広電756広島駅.JPG

762号、昭和15年に散水車を改造して登場した1651形がその前身、施工は木南車両。
広電762本川町.JPG

768号。
昭和25年に登場した大阪市電1801形がその前身。
広電768宇品.jpg

769号、こちらも大坂市電1801形。
広電769八丁堀.JPG

広電には初代800形もあったがこちらは出会えていない模様。

900形、元大阪市電2600形で大阪市電の顔ともいえる存在だった。
昭和30年から35年にかけて登場した休車部品流用の電車で、広電には後期車ばかりが譲渡された。
913号、本川町。
広電913本川町.jpg

冷房化後の907号。
広電907本川町.jpg

904と913が出会う。
広電904・913本川町.JPG

1100形。
元神戸市電1100形で昭和29年と35年に製造された。
1101号、昭和29年グループで、神戸市電としては初めて前中扉を採用している。
広電1101広島駅雨.JPG

1103号こちらも昭和29年製造。
広電1103広島駅Ⅱ.JPG

1104号、こちらは昭和35年製造、窓回りなどが若干異なる。
広電1104己斐.JPG

広島駅前で大阪市電と並ぶ1105号、初代ハノーバー電車となった。
広電1105・753広島駅.JPG

1150形、昭和30年から31年にかけて製造された神戸市電1150形で和製PCCとして名高いが、現場での扱いにくさゆえ、大阪市電の機器を流用して旧型化された。
広電には廃止時に譲渡。
1151号。
広電1151本川町.jpg

1153号。
広電1153広島駅.JPG

1155号。(1158号だったが後に改番)
広電1155緑.jpg

かつては広告電車だった今も残る1156号
広電1156紙屋町.JPG

1157号。
優雅な全面窓が美しい。
広電1157広島駅.JPG

1900形、京都市電1900形で、つい最近まで廃車もなく全車が稼働していた。
昭和32年生まれで、大型で使いやすく、今も13両が活躍する。
1913号。
広電1913本川町.JPG

広告電車もあった、1905号。
広電1905的場町.JPG


京都市電が並ぶ。
広電1915ほか本川町.JPG

二代目700形、初期車は旧型車の機器流用、ツリカケ式だ。
昭和57年登場。
702号。
広電702本川町.jpg

711号、昭和60年製造、駆動方式がカルダンに変更され名実ともに新車となった。
711広電.jpg

800形。
今現在、広電が製造した最後の単行車だ。
昭和58年、チョッパ制御装置を持って生まれた801号。
0805広電本社前801.JPG

昭和62年の増備からはデザインがより近代的になった。
805号。
0805広電本社前805後追い.JPG

803と807が並ぶ。
広電807・803江波.jpg

今現在広電が製造した最後の単行車、平成6年製造の814号。
VVVF制御だ。
010719広電袋町814.JPG

いまやかつての単車運行路線、比治山線(皆実線)でも大型の連接車が走る。
江波線でもLEXが走る。
その中にあって単車の活躍シーンがどんどん減少している。
大都市広島の輸送を支えるにはそうしなければならないのだろう。

602号の現在の姿。
広電602.jpg

広電本社前で神戸・京都の電車が並ぶ。
010731広電本社前582.JPG

朝の広島駅前、朝日がこぼれ、電車が行き交う。
広電1154・583広島駅.JPG

広電新線、こちらは駅前線延長部で、段原町に向かう。
0804広電新線比治山下.JPG

広電新線、広島駅に向かう。
新線の総距離は1・1キロに及ぶ。
なお、猿猴橋町は廃止されるが、的場町は新たな循環ルートの停留所として活用されるという。
0804広電新線工事.JPG

神戸市電1156号、ハノバーカラーを纏う電車だがここしばらくは車庫以外では出会えていない。
新しい高架線に彼らが来ることはあるのだろうか。
広電1156 (2).jpg

最後に804の夜景。
広電804流し.jpg
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2023年08月10日

神戸高速鉄道

神戸市には東西を貫く二つの地下鉄がある。
一つは神戸市高速鉄道=神戸市営地下鉄。
もう一つはこれより歴史の古い、神戸高速鉄道だ。
阪急5053阪神7801並び高速神戸.JPG

正式名称では「市」の文字が入っているかいないかだけの差でややこしいが、通常は「神戸市高速鉄道」は「神戸市営地下鉄」と呼ばれ、案内にもそうなるのでここではそちらを「市営地下鉄」、本題の主人公を「神戸高速鉄道」と呼ぶことにする。

かつて神戸市には、国鉄東海道・山陽本線のほかに、4つの鉄道会社が乗り入れていて、それぞれ別個のターミナルを有していた。
歴史の古い順に、阪神電鉄が三宮・元町、山陽電鉄が兵庫、京阪神急行電鉄(今の阪急電鉄、以下、阪急)は阪急神戸=阪急三宮、神戸電鉄は湊川だ。

これら私鉄各社のターミナル間は東洋一と謳われた神戸市電が結んでいたが、戦前戦後の都心と言われる湊川への延長は、阪神、山陽の悲願でもあり延長線の免許を有していたし、神戸電鉄は湊川からさらに南へ神戸駅までの路線免許も保有していた。
戦後、神戸市が主導してこれらをまとめ、市内の私鉄路線を結ぶ地下鉄として、神戸高速鉄道が設立されたのが昭和33年だ。

昭和43年4月7日、神戸高速鉄道東西線、南北線が開業。
各社の電車は高速神戸、新開地に集結した。

その頃の僕はまだ小学生で、ある日、梅田から兵庫へ行くのに、いつもなら元町で阪神電車を降りて国電に乗り換えるのに、父が「このまま乗っていく」という。
高速神戸に着いた時、隣のホームに高運転台、青とクリームの山陽3000系を見た時、なんと格好の良い電車があるものだろうと感嘆したのを覚えている。

さて、僕がこの路線とその周辺で写真を撮影するようになったのは昭和50年頃からだから開業後すでに7年も経過していた。
それ以降の思い出ではあるが、路線の大半が地下線ゆえ、当時のカメラやフィルムでは撮影そのものが難しく、結果として路線外側の各社において乗り入れ列車を撮影することが中心になっている点はご承知くださればと思う。

神戸高速開業から長らく、相互乗り入れの免許は山陽須磨浦公園、阪神御影、阪急御影間となっていた。
実際の旅客営業上の乗り入れは須磨浦公園、阪神大石、阪急御影間だった。
各社、特急列車を中心に神戸高速を介して相手方に乗り入れが行われていた。
この開業に際して当時日本で最先端のATSである電波を使った「連続制御式」が採用されている。
これはJRのATS-P並みの高機能をこの当時に実現した画期的なものだ。

神戸高速には基本は山陽は全営業車両が乗り入れてくる。
高速線内で新車を見ることもあった。
黒Hゴムで知られた3060Fだ。
山陽3060旧色高速神戸.JPG

こちらは3030F、この頃のネガカラーフィルムは褪色が激しく、画像処理を施してみられるようになった。
山陽3030旧色高速神戸.JPG

ところが、撮影から30年ほどたったころ、なんとこの編成が復刻塗装車となり高速神戸駅に停車。
30年の時間距離が一気に縮まった。
1225高速神戸山陽3030.JPG

こういう企画は大賛成だし、鉄道ファンならずとも沿線住民からも好感を持って受け入れられるはずだが、昨今の「撮り鉄」による鉄道営業などへの妨害は甚だしく、乗務員の中には鉄道ファンを危険視する人まで出てきてしまう。
こうなると、鉄道ファンを集めるこういったイベント列車はNG扱いとなってしまうのが昨今の哀しいところだ。

では南北線新開地駅。
神戸電鉄の初期高性能車、今でも懐かしむ人が多い300形電車が停車する。
「準急・岡場行」
300形は310形を間に組み込んで4連化され、3000系などと同じような運用だったから、当時、3連しか入れなかった岡場以北、志染以西へは行かなかった。
神鉄新開地304.JPG

その新開地駅でこういう光景が時に出現する。
神戸電鉄1350形1357F・・復刻ツートンだ。
神鉄はこういうイベント列車に熱心で、この辺り山陽とはちょっと社風が異なるようだ。
集まるファンも穏やかな人が多いのかもしれない。
そう言えば、神鉄沿線で鉄道ファン同士の不愉快な事案に遭遇したことはない。
1204新開地神鉄1360.JPG

阪神の電車は、西灘から半地下の岩屋に達してそこから地下に入る。
西灘駅を通過しようとする赤胴2000系(7001系7801系の形態が同じ車両を再編成した系列)の須磨浦公園特急。
西灘阪神2210.JPG

阪神三宮でここから先へは行かない快速急行。
神戸高速には入れない端っこのホームで7801系。
阪神赤胴7844三宮.jpg

高速神戸にて、阪神3801系、大出力・エアサス装備の優秀車だったはずだが、一部編成で製造の際のミスがあったらしく、乗り入れ先の山陽電鉄で事故を起こした。
使用停止となり、この写真の当該編成以外も編成組み換え、内装のリニューアルを行い番号も変更された。
阪神赤胴3902高速神戸.jpg

阪急に乗り入れた山陽の車両は御影駅西方で折り返す。
山陽3010旧色御影.jpg

阪急線内を普通扱いと言えど駅間の長さゆえに高速運転する山陽電車はなかなか楽しかった。
阪急六甲山陽3056姫路特急_01.JPG

六甲駅に初めて6両編成が乗り入れた。
阪急六甲駅俯瞰山陽5022他6連.jpg

阪急三宮駅で‥
山陽の初代アルミカーが引退を前に登場時のイメージに復刻され、停車する。
1121阪急三宮下り山陽3000.JPG

国鉄三ノ宮駅から・・山陽3615(3030F)が折り返す準備をしている。
この編成は後に復刻塗装となったが、元々の塗装の頃だ。
山陽3615旧三宮.JPG

神戸高速鉄道は阪神淡路大震災で大開駅が押しつぶされ、阪急と結ぶ高架橋が崩落した。
それゆえ、震災後から長らく阪急・山陽方面と繋がれず、地下に残った車両で、阪神三宮と新開地の間だけを運行していた時期があった。
僕も当時は神戸市垂水区から大阪市中央区へ通勤していて、真横ではJRがやはり不通になっていて、高速神戸・阪神三宮間をよく利用した。
高速神戸駅も阪神三宮駅も地下は地震などがあったのかという、ほとんど地震前と変わらず不思議な静けさを保っていたが、そこにやってきた山陽5000系の赤いクロスシートに強烈な復興への意思を感じたものだ。

その山陽5000系、大開駅崩壊の際に、この駅を通過するところだったそうで、辛うじて通過して大破は免れたものの、脱線しパンタグラフは吹っ飛んでいたそうだ。
当該は六甲駅の写真にも写る5022で、なんの因果か、僕の手元にはこの編成が「直通特急」運転開始をアピールする看板を付けて走る「阪急六甲行特急」の、それも今はここに駅がある西二見での写真がある。
山陽5022現西二見付近レタッチ済み.jpg

なお、大開駅崩壊・阪急との接続高架線崩落・阪神本線での連続高架崩壊でここに閉じ込められたのは山陽が5022・5018の6連2本、3070の4連1本、阪神が5131・5139の4連2本、阪急が8001Fの8連一本で、これらで阪神三宮・花隈~新開地間を運行していた。
地下の2駅間だけを走り、お客もほとんどいない阪急8000系が当時はまだ珍しかったVVVFの制御音を響かせて高速神戸を出る姿には切ないものがあった。

西代駅は神戸高速開業時に移設・拡大され、6連対応の橋上駅となった。
旧駅のあった場所から当時の西代駅を見る。
ちょうど山陽3000系特急がゆっくりカーブを曲がる。
長田須磨西代山陽3637.JPG

橋上駅から阪急7020Fを。
画面左の立派な木造建築は山陽電鉄の旧本社だ。
西代阪急7020俯瞰.JPG

こちらはカラーで阪急5006F。
一時、阪急5000系は須磨浦特急専門のような運用をされていてなじみのある系列だ。
山陽西代阪急5006.JPG

阪神の旧特急車、3011系を改造した3061系が入線する。
左側は蓮池の体育館。
山陽西代阪神3568須磨浦特急.jpg

停車する7601系7708。
サイリスタチョッパ制御車に改造された急行系赤胴。
山陽西代阪神7708.jpg

道路高架下を潜る阪神7001系7117F。
山陽西代阪神7117.jpg

西代から板宿の間の地上線。
この区間は地下化されているが山陽電鉄の路線だ。
阪神7801系の初期タイプ、7829。
山陽西代阪神7829.JPG

こちらはすっきりと美しい阪神7101系7105。
山陽西代阪神7105.JPG

板宿・・仮設駅舎になる前の下りホームで阪急5100系5132が停車。
山陽板宿下りホーム阪急5132.JPG

商店街を背景に阪神3501系3515が行く。
この踏切はいつも混雑していたが、朝などは一時間に片道30回以上の電車が通過し開かずの踏切だった。
急ぐ学生が遮断機をくぐるのは日常の事だった。
山陽板宿商店街阪神3515.JPG

板宿を行く阪急6000系6111。
板宿阪急6111.jpg

大手付近、真夏の踏切を行く、阪急7000系7020F。
東須磨阪急7020.JPG

須磨寺の急カーブを行く阪神3501形3503。
阪神3503須磨寺.jpg

電鉄須磨駅の副本線に停車するのは当時の優秀車3801系3904。
この車両は3801系の系列廃止後、武庫川線7890形に改造され、現役引退後の今も武庫川団地で保存展示されている。
阪神3904須磨.jpg

山陽2700系は国鉄63形の更新車であり、大馬力ツリカケモーターの音を地下線内部に反射させていたのが印象的だ。
電鉄須磨駅に入線する新開地行2708。
山陽2708須磨.jpg

電鉄須磨に入線する阪急梅田行き特急。
5100系5130F。
阪急5130須磨.jpg

ブレーブスの看板を付けた阪急5000系5010F。
須磨阪急5010ブレーブス看板.JPG

須磨浦公園での阪神8801系8901、かつての3903だ。
山陽須磨浦阪神8901.JPG

阪急5008が桜満開の須磨浦公園を発車する。
桜須磨浦阪急5008.jpg

阪神7601系7709、二連の窓が美しい。
阪神7709須磨浦公園 (2).jpg

こちらは7801系7826。
阪神7826須磨浦俯瞰.jpg

春の須磨浦公園で阪急と阪神が並んだ。
春須磨浦阪急7020・阪神8219?.jpg

春のぼんやり感、ソフトフォーカスで。
阪急・阪神の並び。
春須磨浦阪神8229・阪急7223.jpg

阪急6000系が緑の公園内を行く。
6015F。
阪急6015須磨浦.jpg

阪急の最新8000系も須磨浦公園まで乗り入れた。
H5阪急8120須磨浦公園.JPG

新開地駅、神鉄の復刻塗装「メモリアルトレイン」と3000系が並ぶ。
0820新開地神鉄3010・1360.JPG

菊水山駅近く、新開地行を表示して神鉄3000系トップナンバー編成が行く。
神鉄菊水山3002新開地行.JPG

こちらは急行新開地行、1300系1306。
1300系は全車が引退してしまっている。
神戸電鉄1306菊水山.jpg

神戸電鉄はかつては神戸市が最大の株主で阪急・阪神の持ち株比率が公平であり、山陽・神鉄も応分の株を保有していた。
それゆえ、よく言えば公平、悪く言えば会社の壁が厚く、都市部地下線の直通運転としては本邦でごく初期であったにもかかわらず、長らく各社間の完全直通運転とはいかなかった。
それが変わってきたのが阪神淡路大震災後の復興期で、JR神戸線があの大被害から先に復旧し、そのスピードで大量の乗客が私鉄から流れ込んだ。
危機感を持った各社ではあったが神戸高速復旧後のダイヤ改正では僅かに利便性を向上させただけにとどまった。

大きな変化はすぐに表れた。
もっとも強い危機感を持った山陽電鉄は、車体寸法、編成長などが共通する阪神に対して直通特急による両社間の相互乗り入れを提案、元々、山陽沿線から阪神方向への流動が多いこともあり、平成10年2月、阪神・山陽の直特急が運転を開始した。
当初は「大阪ライナー」「姫路ライナー」の表示も誇らしげだった。
阪神9206旧垂水.JPG

この直通特急は平成13年には大増発され、西元町・大開にも停車する「黄直特」も登場し、早朝から深夜まで毎時4~5回と頻発運行している。
阪神9501・山陽5010.jpg

しかし、阪急と山陽との直通運転は終了し、阪急はその分、神戸高速線発着の神戸線列車をすべて8連として編成増強、さらには自社内の線路改良でのスピードアップも果たしている。
三宮の神戸高速高架橋を行く阪急8000系8035。
0109三宮阪急8035.JPG

神戸高速を取り囲む情勢も近年には大きく変化し、阪急・阪神HDが誕生しかつてのライバルが同じ企業グループに所属することになった。
そして神戸市が株の一部を阪急・阪神に譲渡したことで、神戸高速鉄道は神戸市主体の第三セクターから、阪急・阪神HD内の子会社ということになった。
路線も阪神電鉄神戸高速線と、阪急神戸高速線となり、実務社員は阪神電鉄に移りいまや会社は線路保有だけだ。
評判の良くない初乗り運賃の各社分がかかる制度は、今も継続されているが、実はこの鉄道、運賃に関しては日本でも極めて安い方で、三宮・西代・湊川間だけの利用ならむしろその安さを享受できるという状況にある。

今後は可能であるならば阪急と山陽の何らかの直通の復活、阪神と山陽の間の普通列車を含めた完全相互乗り入れ、神戸電鉄をせめて、高速神戸に乗り入れできないかという方法の検討などするべきことはたくさんあると思う。

僕は今後もこの鉄道は使うし、僕の生活には深くかかわってくる鉄道であると認識している。
直通特急はそれなりの成功を収めてはいるが、JRや市営地下鉄への乗客の転移、都市内高速バスの台頭など厳しい要件もあり、乗客数は減り続けている。
神戸で始まった本邦ごく初期の相互乗り入れを未来に生かす、その方向へもう少し考えて欲しいものだと思う。
199山陽5600須磨浦公園阪神2000系.JPG
posted by こう@電車おやじ at 20:25| Comment(0) | 私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月25日

島原・・遠い鉄道

気になりながらも行けない鉄道がある。
行きたくても行けない鉄道もある。
たぶん、僕は生涯、日本国から出ることはなさそうなので一度は見たい、米国・シカゴの「L」や欧州の路面電車は見ずに終わるだろうが、日本の中でも自分の経済力や時間的余裕を考えると、どうしても行きづらいところがあるのも確かだ。

島原鉄道はそういう鉄道の一つで、かつて頻繁に長崎電気軌道を訪問した折にも、途中の諫早で降りれば簡単に行ける場所でもあったのに、訪問はわずかに二回、それも島原以北だけの時間に追わた形となり、本当はもっとも見たかった南目線には足を踏み入れることもなかったのは返す返すも残念ではある。

そして島原鉄道と言えば名物役員だった宮崎康平氏のことも忘れられない。
激務で失明したと言われている氏だが、島原鉄道の先進的な取り組みには氏の功績が大きい。

写真は大三東で…
島原キハ2001大三東.JPG

初めて訪問したのは昭和50年代前半、急行「雲仙」を諫早で降りて、訪問したと記憶している。
その時、諫早から愛野までの強烈な高速運転に驚いた。
島原2601諫早.JPG

島原駅はまるで国鉄のような雰囲気で、歴史を感じさせてくれた。
島原駅舎.JPG

こちらは2エンジンのキハ5501。
島原5501島原.JPG

構内にはD3703 という機関車がいた。
島原D3703島原全景.JPG

この機関車は普賢岳災害復旧工事でも使用された後、廃車になり、今も保存されていると聞く。
島原D3703島原.JPG

福岡在住のこの道の先輩からは南目線廃線の前後に相当な情報をいただいた。
だが、僕は行けなかった。

二回の訪問とも大三東駅を訪れていたようだ。
島原大三東駅名標.JPG

波のほとんどない有明海に面した静かな駅で、当時の僕は非常に気に入ったのだろう。
国鉄から移籍したキハ17形がやってきた。
島原キハ17大三東.JPG

こちらは国鉄型をそのまま採用したキハ20形だ。
島原2001大三東.JPG

単行列車が去っていく。
島原2001大三東後追い.JPG

キハ4502、国鉄キハ44500形の車体にキハ45000形の機構を組み込んで登場させた意欲的な気動車で、島原鉄道の先進性を見ることのできた車両だ。
この頃はすでに活躍も少なくなっていた。
島原キハ4502大三東1.JPG

駅を出て下っていく。
島原キハ半流.JPG

後追い。
島原キハ4502大三東2.JPG

こちらはキハ5501による急行、国鉄準急用気動車の協力型を島原にアレンジして登場させた形式。
2エンジンの高出力車だ。
島原キハ5501大三東.JPG

キハの急行で島原を後にする。
島原5505急行島原.JPG

この頃は急行は日に数本走っていて、キハ26形や55形が使われていた。
列車によっては国鉄列車に連結し遠く博多まで行くのもあった。
キハ26は冷房化され、国鉄急行につながれていた。
しかもこの車両はエアサスを履いていた。
島原キハ2603博多.JPG

少しでも余裕ができれば、長崎県を再訪し、島原鉄道をゆっくりと楽しみたいと願う。
アクセクした鉄道オタクの動きではなく、ゆっくりと旅を楽しみに行きたいと思う。

あの大三東の風情は今も変わらぬようでぜひともまた行きたい場所の一つでもある。
島原キハ2001大三東入線.JPG
posted by こう@電車おやじ at 18:55| Comment(0) | 私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする