このところ既存の路面電車をLRT化して活性化する手法が各都市で見られるが、高架橋によるJR駅への直接乗り入れというのは、これはその最たるものだろう。
しかし、高架橋であるゆえ、市街地区間との接続でどうしても急こう配が存在する。
今、発表されている勾配は40‰で、これは阪神なんば線と同等、神戸電鉄の50‰にも迫る、鉄道車両としては強烈な勾配だ。
‰(パーミル)とは、1000メートルでいくら登るかという単位で、鉄道車両の最高は箱根登山鉄道の80‰、通勤鉄道の最高は神戸電鉄の50‰、東京都電、京阪京津線、宇都宮ライトレールには一部に60パーミルを超える区間も存在する。
もちろん、新鋭の連接車などはこの勾配を上下できる性能を有しているのが、高架化の大前提だろう。
しかし、古くから「電車の博物館」と呼ばれた広電を形成してきた多くのツリカケ式単行車(広電では単車と呼ぶ)がこの勾配を上下できるのだろうか。
基本全ての車両のモーターが搭載されている路面電車は、ある程度勾配には強いと言われる。
今現在、広電に存在する最急こう配は猿猴橋と的場町の間の35‰だそうだ。
またこの計画設定時に、広電に在籍するすべての電車が勾配を走れるという前提があったそうだ。

だから勾配が急になるから古い電車が淘汰されるというのではないかもしれないが、今や急激に数を増している新型グリーンムーバLEX1000形は単車の運行をどんどん置き換えていき、すでに広島駅前で日中に単車を見かけるのは5号線(皆実線→広島港)、6号線(本線→江波)くらいになってしまった。
従来の単車が高架線を「走れる」と言っても、やはりそこは「安定的に速く」走れるようになる必要もあるだろう。
広島高架新ターミナルに乗り入れる広電がそれを機に、一気に残る単車の淘汰を考えていても不思議ではなく、すぐには資金面の問題もあり実現できないだろうが置き換え完了の時期は案外早いような気がする。
そこで今回は広電の「単車」を取り上げていきたいと思う。
広電に連接車が登場したのは、昭和32年の宮島線1040形改造車が最初だがこれは鉄道線用車両で、路面電車区間としては昭和36年の2500形連接車からということになる。

この電車は鉄道線を走る充分な高速性能を備えた画期的なものだった。
それまでにも宮島線へ直通する車両は存在したが、いずれも普通のボギー車だった。
それでは数字の若い順に進めていきたいと思う。
350形。
元は宮島線直通の単行車として昭和33年に完成した電車で、のちの350形に改番されている。
353号、昭和52年ごろの広島駅前。
500形。
昭和28年から29年にかけて完成した電車。
全車両廃車済み。
504号。
502号。
570形、神戸市電500形のうち、J車(大正13年製造)、L車(大正14年~昭和3年製造)、K車(昭和6年製造)を譲り受けたもので車体が大型で使いやすく、今も一両が残る。
571号(神戸市電K車)本川町。
573号(K車)。

広告電車、576号(K車)。
580号(K車)。
583号(J車)

584号(L車)

582号、今も唯一残り神戸市電のあの魅力的な塗装が健在だ
600形。
初代600形は撮影ができていない。
二代目600形は西鉄北九州線500形がその前身。
ソアラと並ぶ602号、この電車は今も残る。
650形、現存する被爆電車として有名。
昭和17年、今はなき木南車両製造。
651号。

652号、紙屋町。
654号、宇品にて。

700形(初代)
昭和23年から25年にかけて旧500形から機器を流用して製造された電車。
撮っているのはこのワンカットのみ。
705号。
750形、大阪市電1601形、1651形、1801形を譲受した車両を纏めた形式。
753号、昭和3年から4年にかけて製造された大阪市1601形がその前身。
756号。
こちらも大阪市電1601形がその前身。
762号、昭和15年に散水車を改造して登場した1651形がその前身、施工は木南車両。
768号。
昭和25年に登場した大阪市電1801形がその前身。

769号、こちらも大坂市電1801形。
広電には初代800形もあったがこちらは出会えていない模様。
900形、元大阪市電2600形で大阪市電の顔ともいえる存在だった。
昭和30年から35年にかけて登場した休車部品流用の電車で、広電には後期車ばかりが譲渡された。
913号、本川町。

冷房化後の907号。

904と913が出会う。
1100形。
元神戸市電1100形で昭和29年と35年に製造された。
1101号、昭和29年グループで、神戸市電としては初めて前中扉を採用している。
1103号こちらも昭和29年製造。
1104号、こちらは昭和35年製造、窓回りなどが若干異なる。
広島駅前で大阪市電と並ぶ1105号、初代ハノーバー電車となった。
1150形、昭和30年から31年にかけて製造された神戸市電1150形で和製PCCとして名高いが、現場での扱いにくさゆえ、大阪市電の機器を流用して旧型化された。
広電には廃止時に譲渡。
1151号。

1153号。
1155号。(1158号だったが後に改番)

かつては広告電車だった今も残る1156号
1157号。
優雅な全面窓が美しい。
1900形、京都市電1900形で、つい最近まで廃車もなく全車が稼働していた。
昭和32年生まれで、大型で使いやすく、今も13両が活躍する。
1913号。
広告電車もあった、1905号。
京都市電が並ぶ。
二代目700形、初期車は旧型車の機器流用、ツリカケ式だ。
昭和57年登場。
702号。

711号、昭和60年製造、駆動方式がカルダンに変更され名実ともに新車となった。

800形。
今現在、広電が製造した最後の単行車だ。
昭和58年、チョッパ制御装置を持って生まれた801号。
昭和62年の増備からはデザインがより近代的になった。
805号。
803と807が並ぶ。

今現在広電が製造した最後の単行車、平成6年製造の814号。
VVVF制御だ。
いまやかつての単車運行路線、比治山線(皆実線)でも大型の連接車が走る。
江波線でもLEXが走る。
その中にあって単車の活躍シーンがどんどん減少している。
大都市広島の輸送を支えるにはそうしなければならないのだろう。
602号の現在の姿。

広電本社前で神戸・京都の電車が並ぶ。
朝の広島駅前、朝日がこぼれ、電車が行き交う。
広電新線、こちらは駅前線延長部で、段原町に向かう。
広電新線、広島駅に向かう。
新線の総距離は1・1キロに及ぶ。
なお、猿猴橋町は廃止されるが、的場町は新たな循環ルートの停留所として活用されるという。
神戸市電1156号、ハノバーカラーを纏う電車だがここしばらくは車庫以外では出会えていない。
新しい高架線に彼らが来ることはあるのだろうか。

最後に804の夜景。
