2024年10月20日

地元、神戸・播磨での機関車(その3)EF66・EF200以降

昭和の国鉄、最大出力機と言えばEF66だ。
F662、ワタシが撮影したEF66最若番機、このあと901号機とも出会うがトップナンバーとは出会えず。
宝殿駅東側にて。
EF662宝殿 (2).jpg

EF669、宝殿駅通過中。
EF669宝殿.jpg

EF6611、宝殿駅下り列車。
宝殿下り通過EF6611.jpg

EF6615、宝殿・曽根間、法華山谷川。
宝殿EF6615.JPG

EF6619、これも宝殿駅。
宝殿EF6619.jpg

EF6622、ヒサシの付いた二次型、加古川・宝殿間、遠くに川西小学校の円形校舎が見える。
宝殿EF6622.jpg

EF6623、宝殿駅通過中の下り。
EF6623宝殿.jpg

EF6625、宝殿駅上り列車、西神吉の山々が見える。
ef6625宝殿.jpg

EF6626、加古川・宝殿間、すでに線路際に家が立ち並んでいる。
EF6626宝殿 (2).JPG

EF6627、須磨・塩屋間、最後まで原形を維持した人気機の当時の姿。
EF6627須磨原形 (2).jpg

EF6630、宝殿・曽根間法華山谷川。
EF6630原形宝殿.jpg

EF6637、加古川橋梁、珍しく一般貨物列車を牽く。
EF6637ワム貨物加古川.jpg

EF66901、宝殿駅。
EF66901宝殿.JPG

JR化後、EF66の中には一時期、白っぽい塗装を纏ったものがあった。
EF6612、須磨・塩屋間。
2006須磨Ef6612.JPG

EF6610、須磨・塩屋間。
2006須磨EF6610.JPG

だがこの色合いは似合わず、27号機以外は青の面積が大きい、国鉄時代に似た雰囲気の塗装に改められている。
EF6621、舞子駅。
0403舞子EF6621a.JPG

EF6630、大蔵谷駅。
1220大蔵谷EF6630・1.JPG

同機、垂水駅。
0302垂水EF6630.JPG

EF6633、大雨の須磨駅。
0908須磨EF6633.JPG

EF6636、大蔵谷駅。
0519大蔵谷EF6636.JPG

JR化後、高速貨物の運転が不可欠なJR貨物は、取り敢えずEF66を追加増備した。
ただし形態はよりスマートにリファインされた。

EF66101, 朝霧駅。
1229朝霧6688レEF66101.JPG

同機、舞子駅で。
0910舞子EF66101・225.JPG

EF66105が次位に無動力回送EF66119を繋いで走る。
大蔵谷駅。
0223大蔵谷EF66105・EF66119B.JPG

EF66109、垂水駅。
0916垂水EF66109.JPG

EF66110、大蔵谷駅。
0417大蔵谷EF66110.JPG

EF66111、元町駅近く。
1110元町EF66111.JPG

EF66120、大蔵谷駅。
0428大蔵谷EF66120.JPG

EF66129、加古川駅、高架化成った加古川駅からは高御位山がよく見える。
0710加古川EF66129.JPG

JR貨物も新時代の機関車、EF200を開発、EF66をはるかに凌駕した高性能機で理想に燃え、理想を追求した機関車だ。
まだ登場時の塗装を纏っていた頃。
EF200-15 、大蔵谷駅。
EF200-15.200610.jpg

EF200-16、須磨・塩屋間。
EF200-16suma.jpg

EF200-12、朝霧駅。
EF200-12.200512.jpg

塗装は後にややサイド面が濃くなって良く似合っていた。
EF200-901 、垂水駅。
0624垂水EF200-901a.jpg

同機、宝殿駅。
EF200-901.jpg

EF200-2、舞子駅。
0403舞子EF200-2.JPG

EF200-4、大蔵谷駅。
0910大蔵谷EF200-4.JPG

EF200-6、塩屋駅。
0204塩屋EF200-6.JPG

EF200-7、大蔵谷駅、次位にHD200を無動力でつないでいる。
1229大蔵谷EF200-7B.JPG

EF200-19の正面。
0425垂水EF200-19.JPG

EF200-20 、大蔵谷駅。
0423-3大蔵谷EF200-20.JPG

EF200はあまりにも特殊な設計故、また高性能すぎて電力設備に与える影響が大きく(これにはJR西の変電所設備強化策が中止になったことも絡んでいる)EF66より先に姿を消すことになった。
最先端のデザインは今見ても惚れ惚れするが、佳人薄命の類だろうか。
EF200-10 、舞子駅で。
1209舞子Ef200-10.JPG

EF64、その中でも国鉄時代末期に製造された1000番台が伯備線で運用されているが、一時期、部内用の配給列車などで地元で顔を見せてくれることがあった。
EF641012単機、六甲道駅にて。
0210六甲道EF641012.JPG

EF641023、大蔵谷駅。
EF641023大蔵谷.jpg

EF641049、垂水駅。
1118垂水EF641049.JPG

最終の全般検査で国鉄色に戻された機関車があった。
EF641014、大蔵谷駅。
ef641014大蔵谷.jpg

EF510、まさかと思わせる運用、北陸線貨物機EF510が岡山まで直通運転するようになった。
地元で見られる交直流機は久しぶりだった
EF510-10、塩屋駅近くで。
0609塩屋Ef510-11.JPG

ブルトレ牽引機だった青塗装の機関車も来るように・・・
EF510-513、須磨。塩屋間で。
0618須磨EF510-513.JPG

「カシオペア」専用機までが仲間入りする。
EF510-509 、大蔵谷駅。
0827大蔵谷EF510-509・1.JPG

EF510-1、このタイプには試作機がないがトッポナンバーが量産試作機でややほかの機関車とは違う。
明石・西明石間にて。
0605和阪EF510-1.JPG

DD51、国鉄時代にはこの区間でDLを見ることは珍しかったように思う。
いまや臨時列車や配給、工臨などで結構姿を見かけるようになった。
いずれもJR西所属だ。
工臨牽引のDD511191がEF210と出会う。
大蔵谷駅。
0423-13大蔵谷DD511191・EF210.jpg

同機、サロンカーなにわを牽引し夕陽を浴びる。
大蔵谷駅。
0513大蔵谷DD511191 ・サロンカーなにわ2.JPG

DD511192・1183による重連工臨。
東垂水駅。
072206東垂水DD511192・DD511183 .JPG

DE10、本来、此処を走るべき性能は有していないが、加古川線などへの工臨で稀に見ることができる。
DE101118、西所属機だ。
加古川線工臨。
0117大蔵谷De101118.JPG

EF81、北陸路の機関車だが稀に臨時などを牽いてやってくることがあった。
EF81108、須磨・塩屋間。
EF81108須磨.jpg

EF81113、須磨・塩屋間。
トワイライト色の機関車が当地を走ったのは極めて珍しい。
12系団臨EF81須磨.jpg

貨物機EF81735,、ごく短期間、EF81が日常に入ってくるようになったことがあった。
明石駅にて。
EF81735明石.jpg

EF210、この機関車についてはまだ思い出として語るレベルに達していないだろうとは思う。
EF200の「やり過ぎ」を修正した万能機と言われ今現在も増備が続く。
塩屋での試作機、EF210-901。
0613塩屋EF210-901.JPG

トップナンバーEF210-1 、垂水駅で。
0423-5大蔵谷EF210-1.JPG

企業としては機関車などは性能を統一、できれば部品も可能な限り統一するのが望ましいだろう。
それゆえ、EF210が増殖を続け、そのほかの機関車は少なくなる。
EF66国鉄型消え、100台も残り少ない。
JR西においても工臨などは機関車ではないものを見据えているようだ。

国鉄色を最後まで維持したEF6627号機。
0717垂水EF6627_02.JPG

最後に海を背景に、舞子・朝霧間でEF6627を。
0623大歳山EF6627.JPG
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2024年10月12日

地元、神戸・播磨での機関車(その2)EF60~EF65。

国鉄ではすべての車両に「新系列・旧系列」という考え方があるが、電気機関車ではEF60以降が新系列とされていた。
小型軽量大出力の電動機を搭載、EH10 に近い大出力機関車がEF60だ。
従輪を持たず、F級だが車体はEF58やEH10よりは随分コンパクトだ。

一回だけ撮れたEF60 トップナンバー。
加古川駅で。
S51加古川EF601.JPG

クイル駆動の一時量産機、EF606。
法華山谷川にて。
EF606.jpg

宝殿駅側線、高砂工場への入場車両を牽引するEF608、この初期型は当時はこういった部内用の運用につくことが多かった。
後ろはスハ14、オハネフ12、キハ20あたりだろうか。
ef608宝殿.jpg

こちらは同じ高砂工場入場車両牽引でも宝殿を通過していくEF6059 、三次量産機だ。
宝殿EF6059.jpg

その列車の後追いだろうか、EF60同士が離合する。
キハ35が目立つ。
宝殿EF60+キハ35.下り貨物離合.jpg

EF6042 、二次量産機で、ここでクイル駆動を諦め、ツリカケ式に戻った。
宝殿EF6042.JPG

EF6040、夢前川橋梁。
国鉄夢前川EF6040.JPG

EF6018 、宝殿駅構内。
橋梁部材の輸送中だろうか。
宝殿EF6018.jpg

EF60115、法華山谷川にて。
EF60の最終形態、5次量産機、たくさんやってくるEF65一般形との区別がつかなかった。
宝殿西EF60115.JPG

EF61形、EF60 をベースに旅客用とした機関車で、本来はEF58の後継機として想定されていた。
しかし、地元ではEF58は特急牽引を譲らず、したがってEF61の特急牽引を見たことがない。

正面はEF60 初期量産型、側面はEF60最終形態でなぜかカッコよく思えたものだが、なにせ両数18両と少なく出会うことがほとんどなかった。
法華山谷川、EF612、荷物列車を牽引。
EF61-2法華川橋梁.JPG

EF612の側面、法華山谷川。
宝殿西EF612サイド.JPG

貨物列車を牽引して宝殿を通過するEF615。
EF615宝殿.jpg

EF65、とにかく両数が多く、うじゃうじゃいる感じだった。
今でいえばEF210に相当するだろうか。
一般形から。
EF65はEF60後期と比してあまり変化なく、制御装置が変更されたことは、外からは見えない。
それならEF60各種は変化が激しく、そこで形式の変更なく、EF65で形式の変更があったのが個人的には謎でもある。

EF65一般形。
姫路で初期量産機、EF652。
EF65には試作機というものがなく、いきなり量産に入っている。
ところが制御機の故障が相次ぎ、かなり大規模な設計変更と既存機の改造を行った吉。
姫路Ef652.JPG

EF6598、宝殿駅にて。
宝殿EF6598.jpg

EF65108 、加古川土手を駆け上がる。
宝殿日本毛織横EF65108.jpg

EF65122、宝殿駅にて。
宝殿EF65122.jpg

EF65132、東加古川・加古川間。
野口EF65132.jpg

EF65-500番台、旅客用P型と貨物用F型があるが、なぜか番号は続きで特に区別はしていない。
所属区が異なるから特に問題もなかったのだろうか。
宝殿の名勝、石の宝殿を背景に走るEF65500台、517と読めるように思える。
宝殿EF65500F.jpg

東京への寝台列車「富士」を牽引して深夜の宝殿駅を通過するEF65512。
とにかくカッコよく思えた機関車だが、関西では本当に見ることが稀だった。
宝殿駅富士Ef65512.jpg

EF65-1000番台、旅客にも貨物にも使えるオールマイティ、EF65の最終形態で今現在も活躍する。
この機関車もめったに見ることはなく、むしろいま現在のほうが良く見ているのかもしれない。
東加古川・加古川間EF651001。
今も保存されている機関車だ。
宝殿EF651001.JPG

サロンカーなにわを牽引するEF651125 、東加古川・加古川間。
加古川野口EF651125サロンカーなにわ.jpg

加古川橋梁、特急「あかつき」を牽引するEF65PF、番号不明。
この頃になると、EF58 は順次退役し、EF65PFが寝台特急を牽引していた。
国鉄出会いEF65あかつき、EF66加古川.jpg

14系リゾート客車を牽引して垂水駅を通過するEF651125。
垂水駅EF651125.jpg

鷹取で検査した「ゆうゆうサロン」客車を牽引するEF651131、朝霧付近。
EF651131朝霧.jpg

寝台特急「なは」を牽引するEF651093、塩屋付近。
塩屋EF651093なは.JPG

塩屋にてJR貨物標準色のEF652068(旧EF651068)
0702塩屋EF652068.JPG

JR貨物はEF65最終の全般検査で塗装を国鉄時代のものに戻した。
やはり国鉄時代の塗色は見ていて力強さ、風格がある。
朝霧にて、EF652068の塗装復帰後の姿。
0527狩口EF652068・2.JPG

「特別なトワイライト」を牽引するEF651132。
大蔵谷駅で。
EF651132トワイライト大蔵谷.jpg

国鉄荷物列車の極最晩年、老朽化したFE58をEF62に置き換えた。
信州の山から下りてきた機関車が平坦路線を走る・・
宝殿駅を通過するEF6229。
宝殿EF6229.JPG

EF66、EF200以降はまた次回の機会に。
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2024年10月03日

地元、神戸・播磨での機関車(その1)EF58とEH10。

ワタシが写真を撮影するようになったのは中学1年の頃だ。
コダック社のポケットカメラから端を発して、OLYMPUS 35EDで好きな鉄道を撮影した。
その後、一眼レフ、PENTAX SPを借りて岡山へ人生最初の鉄遠征したが、本格的には国鉄に入社して購入したKonica Acomi-1からとなる。
何故このカメラを選んだか、当時、AEが主流になってきていた一眼レフの中で、CanonとKonicaはシャッター速度優先を採用していたからだ。
鉄道撮影に大事なのは列車を写真上で止めること、あるいは流すにしてもシャッター速度のコントロールが必須だったと考えたからだ。

ところが当時のフィルムの性能ではこの理屈が破綻していたことを知る。
せいぜいASA(今のISO)400のTRY-Xが高感度の一般フィルムだった実情の中で、シャッター優先にすると薄暮などのシーンでは露出不足に気が付かずということになる。
2年使ってレンズも3本そろえたKonicaだったが、酷使で故障したカメラの修理に際しメーカー送りにしてもまともに直らないので嫌気がさし、丸ごと、Nikonに買い替えてしまった。
絞り優先AEのNikon FEで、まだ出たばかり、小型で使い勝手の良いカメラだ。
絞り優先の方が絞りさえ開けておけば常時最高のシャッター速度が使えるわけで(もちろん、日中はそこまで絞りは開けない)これは使い勝手が良かった。
加えて、ゴーストの少ない、そして明るいニッコールレンズ、当時は単焦点レンズの時代、28ミリ、35ミリ、50ミリ、105ミリ、200ミリをそろえ、カメラもすぐにF2、やがてFMを手に入れて旅行にはカメラ二台とレンズ3本・・これは今のデジカメセットよりはるかに小さな荷物で済んだ・・・を持っていくようになった。
地元での撮影は当時、親の都合で加古川市にいたので良く自転車で線路際に行った。
地元の時はサブカメラは持たず、大抵カメラ1台に35ミリと105ミリを持っていったものだ。

さてその当時からワタシの地元と言えばまずは山陽本線、今のJR神戸線だ。
ご多聞に漏れず、ワタシも当時は特急や機関車を追った。
今思えばOLYMPUS 35EDを購入して50年、相変わらず地元で撮影を続ける機関車を追ってみたい。
ほとんどの写真は既出、Archivesになることをご承知おきいただきたい。

*EF58
当時の本線用旅客機だ。
設計製造は戦後すぐと古いが、関西初の夜行列車ではまだ特急を牽引していた。
また荷物列車でも活躍、よく見る機関車だった。
EF58167 、後期型。
宝殿・曽根間はこんなにも長閑だった。
宝殿西EF58167.JPG

EF5891、宝殿駅、当時構内の北側に橋梁部材などが置かれていた土地があった。
ef5891 (3).jpg

EF58158、同じ場所で。
宝殿EF58158.jpg

EF58157、宝殿駅通過中の荷物列車。
背景は農業倉庫。
宝殿EF58157.jpg

同じ位置を走るEF58155。
宝殿EF58155.JPG

12系の団臨を牽くEF58128。
金光臨など、よく貸切の臨時が走ったし、急行但馬の臨時も姫路まではEF58が牽引した。
宝殿EF58128オハ12系団臨.jpg

トップナンバー、EF581、せめて窓枠がHゴム化されていなかったらもっと人気が出ただろうに。
EF581荷物列車宝殿.jpg

番号不明、早朝の寝台特急。
宝殿夕景EF58.jpg

こちらは「阿蘇」番号が流れて読めない、明け方はシャッター速度を思うようには上げられなかった。
宝殿EF58オハ14系「阿蘇」.jpg

急行を牽いて加古川に停車するEF5843。
加古川EF5843.jpg

須磨にて美しい大窓のEF58119。
荷物EF58119須磨.jpg

*EH10
マンモスと呼ばれた重厚なニ両連結の貨物専用機、EF60以降の軽快さとはまた違う魅力を見せてくれた。
初期型番号不明、加古川橋梁。
初期型4両はパンタグラフが中央に寄っていた。
加古川橋梁EH10初期型.JPG

EH1036、宝殿・曽根間、珍しくワムとヨだけを牽引する。
eh1036.jpg

EF1024、パンタグラフが交換された個体もあった。
EH1024.jpg

宝殿駅構内EH109、手前の線路は長期間、車両を留置している場所だ。
EH109.jpg

同じ場所でEH1013、黒い貨物列車が良く似合う。
EH1013.jpg

明け方のEH108。
EH108.jpg

EH1052 、こういう流し撮り的手法はNikonを購入してから可能になった。
EH1052.jpg

須磨にて、EH105、量産一号機だ。
須磨での撮影は宝殿に比すと少なかったが後に自らの意志で須磨に転居、ここが日常になった。
国鉄EH105須摩.JPG

EH104、宝殿駅停車中。
たぶん50ミリレンズしかなく、これ以上広く撮れなかったのではなかろうか。
宝殿EH104.jpg

車体連結部、永久連結とされていた。
宝殿EH104連結面.jpg

短いワムとヨだけの貨物列車を牽いて上っていく。
EH10‣ワフ・ヨ法華川.jpg

EF60以降については次の機会とさせていただきたい。
今思えば、山陽本線特に宝殿付近での撮影は、ワタシが鉄道ファンとして確立していく大きなステップになったように思う。
逆に言えば、あの時、宝殿にいてNikonを買わなければ鉄道ファンとして進化することもなく、さらには写真の世界で苦労を嘗めることもなかったのは確かで、まぁ、そう言う人生を振り返る時期に来ているということだろう。
posted by こう@電車おやじ at 20:19| Comment(2) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月23日

京阪電車のデジタイズ・・・

古いポジをデジタイズアダプターで撮影、復元加工してみたシリーズ。
今回は京阪電車だ。

古い順に行くが、最初の橋本・樟葉間での撮影は露出の失敗(多分感度設定のミス)という、ポジにはあってならない失敗作をどこまで復元できるのかと思いながらやってみて、やはりポジのオーバーは救いがたいがそれでも数点はそれなりの絵にはなったと思う。

まず、露出失敗の橋本・樟葉間。
時期的には5000系にまだ前面行先・種別表示機が設置されておらず平成元年以前という事かと。

5000系5002編成の急行。
セイタカアワダチソウだろう、季節は秋か。
京阪橋本5002.JPG

一寸イラストっぽくなってしまったが3000系特急。
京阪橋本3000系.JPG

こちらは逆光シーンという事もあり・・まぁまぁ。
京阪橋本3000系3505.JPG

3000系特急が出会う。
京阪橋本3008・3000系出会い.JPG

鴨川、四条・五条間のシーンだ。
まずは1900系を。
この頃はまだ、一般車格下げ時の形態のままで使用されていたが、一点だけ冷房編成が写っている。
1915編成。
冷房付き、更新後の鴨川べりでワタシが撮影出来た唯一の写真だ。
京阪鴨川1915.JPG

1910編成が行く。
京阪鴨川1913編成.JPG

1910のサイドビュー。
京阪鴨川1910サイド.JPG

1913のサイドビュー。
京阪鴨川1913サイド.JPG

1900系4連普通が行く。
京阪鴨川1900系4連.JPG

編成を真横から。
京阪鴨川1900系編成サイド.JPG

1900系編成の全景。
京阪鴨川1900系全景.JPG

こちらは1000系。
京阪鴨川1000系.JPG

2400系。
まだオリジナルの顔立ちだ。
京阪鴨川2400系.JPG

2600系2812、2000系からの改造車だ。
京阪鴨川2812.JPG

四条の南座と2200系電車。
失われた京都の風景。
京阪鴨川2200系と南座.JPG

撮影場所が良くないが5000系5555が工事区間を行く。
京阪鴨川5555.JPG

6000系7連が行く。
京阪鴨川6000系7連.JPG

6000系6013、やはり6000系でもこの色合いが似合う気がする。
京阪鴨川6513.JPG

四条駅、南座の脇で3000系3509と2200系が行き交う。
京阪鴨川四条3509.JPG

3000系が2200系と出会う。
この当時の主力車はこの2系列だった印象が強い。
京阪鴨川3000系2200系.JPG

3000系6連特急。
京阪鴨川3000系6連.JPG

3006のサイド。
優雅な座席ごとのR付きの窓、格調高いカーマインレッドとオレンジイエロー。
京阪鴨川3006.JPG

3506と3005の連結部。
3000系は3連もしくは4連でそれを組み合わせて6連、7連としていたが連結できる相手は決まっていた。
京阪鴨川3005・3506.JPG

3505、今、樟葉で保存されている車両だ。
京阪鴨川3505サイド.JPG

逆光の中を行く3000系特急。
京阪鴨川3000系逆光.JPG

淀駅近くにて。
まだまだ、当時はゆったりと電車を眺められるところだった。
ここの撮影は時期がはっきりしている。
平成2年、花と緑の博覧会の頃だ。
その広告電車だった1001編成を。
京阪淀1001はな.JPG

こちらは2600系2829、2000系出自の車両だ。
京阪淀2829.JPG

5000系5651、5ドア車7連の贅沢?な普通だ。
京阪淀5651.JPG

3000系3002、前面幌枠を撤去した車両が出現したが、3000系のデザインが締まりのないものになったと思ったものだ。
京阪淀3002特急.JPG

最後にもう少し前、地下工事の始まったころの3000系を。
京阪鴨川3000系.JPG

この頃の京阪電車はいかにも京都の電車然とした穏やかさ、落ち着きが漂っていて本当に好きだった。
会社の本社は大阪にあろうとも、京阪電車は京都らしい「雅な」そして3000系2200系5000系を取りそろえ運用を工夫し、細やかな心使いのできる鉄道会社という印象だった。
だが3000系が数を減らしていき、そして伝統の色合いを変えてしまってからはかつてほどの魅力を感じなくなってしまっている。

昨今、特にコロナ以降、利用客へのあからさまなサービスの削減、コストカットを意識しすぎ普段遣いの乗客の存在などないかのような振舞いは、得てしてタマの所用で乗る時にも鉄道としての魅力の減退を肌で感じてしまう。
そこには、毎日の利用ではない、かつて好きで頻繁に訪れたファンだったからこそ、見えてしまうものがあるのではないだろうか。
座席指定サービスもいい、それは否定しない。
だが、まずは、毎日使う人たちが心の底から会社を贔屓にしてくれるようにしなければならないのではないだろうか・・・そうでなければいずれ先は危ういものに見えてしまうといっては言い過ぎだろうか。

ワタシ自身は鉄道ファンであっても、何でもかんでもそこに群がる人の中に居たいとは思わず、ただ、本当に好きな列車に乗り、その列車を撮影し、眺めるのが好きなだけで、そう言う意味では今現在の京阪電車から足が遠ざかり、神戸在でありながら年に何度も名鉄詣でを繰り返してしまうのもこれは趣味の嗜好性の問題だろう。

posted by こう@電車おやじ at 18:34| Comment(0) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年09月20日

DMH17 系エンジン搭載車の優しさ

優しいといってもこれは単に乗客としての想いであり、現場の保守の苦労の事ではない。
加古川線厄神キハ20・35・30.JPG

国鉄気動車は長年、DMH17系という8気筒のディーゼルエンジンを搭載、これは一般型から通勤型、急行型、特急型にも及び、決して燃費や高速性能、登坂力に優れたエンジンではないが、安定した性能で扱いやすく、それゆえか私鉄にもこのエンジンを搭載した車両が供給されてもいた。
DMH17系エンジンの技術的なことは僕では分かりかねるが、国鉄気動車が作ってくれたあの優しい雰囲気をふっと思い出すことがある。
今現在の気動車は高出力・高燃費がうたい文句で、気動車の性能ももはや電車を超えるレベルにまで高まってきている。
だが、豪快な加速や淡々と苦も無く坂を登る様子は国鉄DMH17系時代には見られなかった。
「からからから」と優しいアイドリング音、勾配線区ではまさに息を切らせて必死に坂を登ろうとするエンジンの精いっぱいの唸り、都市部の幹線では高性能の電車から逃げる必死の高速運転をしても快速電車などに道を譲る。
キハ58急行須磨1.JPG

不思議と初期のキハ10系・20系あたりは別として、キハ20の後期型、キハ26、キハ28、キハ35と進化することで乗り心地は同じ鋼製ばね台車を履いた電車より柔らかで、急行型には長時間の乗車も当時としてはそれなりに快適だった。
特急型にも同じエンジンを載せ続けたのはやり過ぎとも思えたが、安定こそ特急用の最大の要件とすれば納得するものがある。
S54餘部キハ82まつかぜ.JPG

DMH17系エンジンは戦前のガソリンエンジンGMH17からの進化だ。
つまり、国鉄が気動車の大量生産を行い、このエンジンも大量に使用された時には既に旧式になっていたともいわれる。
その旧式エンジンも改良を重ね、キハ35・28・80以降は横型とされ、室内から点検蓋が消え、車内の静音が大いに進んだ。

DMH17系エンジンを最初に本格採用したのはキハ42500で、これは後のキハ07にあたる。
国鉄のキハ07の走行シーンを見ることはなかったが、私鉄用に製造された若干スマートな鹿児島交通キハ100形を。
鹿児島交通キハ102 (2).jpg

こちらは片上鉄道のキハ700形で、国鉄キハ42000→07出自だ。
一両が今も吉ヶ原で動態保存されている。
片上西片上キハ702.JPG

国鉄としては大々的にこのエンジンを改良して大量増備に踏み切ったのがキハ10・17系だろう。
それにはもちろん、液体変速機の成功という面がある。
篠栗線快速のキハ10。
篠栗線キハ1083.jpg

こちらは姫路駅でのキハ17。
キハ17312姫路.jpg

片町線祝園付近を行くキハ10と20の2連。(画像はカラー化している)
祝園キハ10・20カラー化.jpg

加悦鉄道に転じたキハ10。
加悦鉄キハ1013.jpg

気動車をローカル線だけのものと捉え、あからさまにコストダウンを図ったキハ10系は、速度の面ではともかく、粗悪な台車DT19による乗り心地や、幅の狭い車体、ピッチの小さく背もたれの低い座席など居住性での評判は芳しくない。
そこで準急用として居住性を大幅に改善したキハ26・55系が登場。
夏予讃線多度津キハ26.jpg

この形式は扱いやすく、私鉄向けにも登場した。
島原鉄道。
島原キハ5501大三東.JPG

南海電鉄の国鉄乗り入れ用。
南海キハ5500.jpg

昭和30年代初め、蒸機列車に比して大幅な速達化を図った列車は大好評となり気動車による優等列車を望む声が大きくなっていった。
また一般気動車でも客車並みの居住性を求める声が大きくなっていった。

そこでキハ26とほぼ同じアコモを持ち、ラッシュ輸送もある程度加味したキハ20系が出る。
だがまだ台車はキハ10系と同じ粗末なDT19だった。
高砂工場内で。
新高砂工場キハ2087ほか.JPG

キハ20は増備の途中で台車が変更され、車体内外の見付も変わった。
この時代のキハ20一党が国鉄気動車の最高傑作であろうと僕は思う。
国鉄設計の良心が集まってできた名車ではないか。
予讃線のキハ20系の5連。
キハ20多度津.jpg

そして満を持してキハ28・58一党の登場だ。
キハ26を一歩進め、当時の電車や客車と遜色を感じさせない広幅車体、急行型としての幅広の座席、そして新開発の横型エンジン。
こと、急行に関しては電車急行とさほど変わらぬ居住性を発揮した。
余部橋梁にて。
キハ58後期余部橋梁.jpg

グリーン車の外観も洗練された。
松江にて。
松江キロ28急行.jpg

北海道形キハ27・56による長距離急行「宗谷」、稚内・函館を結ぶ列車だった。
キハ27・56急行宗谷.jpg

長崎本線、急行の間合い運用の列車が通勤列車として走る。
長与線キハ28.jpg

気動車は通勤線区にも進出した。
外吊りドア、ロングシート、気動車版103系というところだろうか。
京都駅のキハ35。
キハ35京都駅俯瞰.JPG

キハ35のエンジン交換風景。
高砂キハ35DMH17.jpg

新幹線が現実味を帯び、電化線区には電車特急が走る。
気動車による特急も期待された。
最初は昭和35年のキハ81から。
写真は最後に使われた「くろしお」のもの。
キハ81くろしお天王寺.jpg

東北線特急として登場した系列だったが、気動車特急としてはやはり発展途上にあり、昭和36年の大増備で流麗な貫通型スタイルのキハ82が登場。
非電化線区のイメージを大きく変えた。
「くろしお」海南駅で。
キハ82くろしお海南.jpg

「おおぞら」白石で。
キハ82おおぞら白石.jpg

「まつかぜ」
城崎で。
キハ80系まつかぜ城崎カーブ俯瞰アップ.jpg

キロ80、全般検査仕上がり。
高砂キロ80全検上がり.jpg

だが、特急用にエンジンを2基搭載しても最高速度は急行用をわずかに5キロ上回った100km/h、当時とてエンジンとしては古い部類に入るDMH17の限界も感じさせてはいた。
乗り心地は非常によく、柔らかく静か、「まつかぜ」「北海」「北斗」・・どれも目を瞑ればあの乗り心地を思い出すことができる。
後継のキハ181も乗り心地は良かったがやはり大馬力エンジンゆえの豪快さが時には「キツく」感じることもあった。
しかし、キハ80系で山陽本線を長躯駆けた「かもめ」が485系に道を譲らなかったのは、気動車特急の意地も感じさせてはくれていた。
キハ82かもめ倉敷.jpg

国鉄気動車特急の成功は私鉄にもインパクトを与えた。
キハ80とキハ58の合いの子的存在、名鉄キハ8000の登場だ。
システム的には国鉄型そのもので、富山、立山まで名鉄・国鉄・富山地鉄を繋いだ列車だ。
名鉄キハ8100急行北アルプス.jpg

当初準急で登場し、のちに、急行、特急へと格上げされた出世列車でもある。
写真は富山駅停車中の様子。
名鉄キハ8000とやま.JPG

キハ28系と80系が並ぶ。
記憶があいまいだが、紀伊勝浦駅とのこと。
南紀・志摩キハ82・28多気.jpg

隆盛を極めるDMH17搭載の気動車だが、このエンジンが非力なのは、とうの国鉄自体がよく知っていて、昭和30年代から次世代エンジン搭載車の開発が始まっていた。
やがてそれは、キハ91で一編成ぶんの陽の目を見、急行列車の冷房電源・勾配対策としてキハ65が登場。
そして新特急車キハ181へとの流れとなる。
一般用途でもキハ66で大出力エンジンを、キハ40・47で通常線区用の新エンジンを搭載、ここにDMH17の時代が終わった。

過去のノスタルジーに浸るとき、淡い排煙の香りとともに、柔らかい乗り心地、そして力行の時でもどこかマイペースなサウンド、惰行の時の優しいアイドル音が思い返されてならない。
キハ20後期型・35・28、金属ばねの台車だが乗り心地は良かった。
もはや現実にDMH17を搭載している車両はJRにはなく、私鉄が僅かに保有しているものだけである。
小湊鉄道、キハ20をロングシートにした設計と言われるがここのキハ200も、そろそろ先が見えてきているようだ。
小湊キハ200.jpg

水島臨海鉄道、ここは明らかに動態保存としてキハ30と20を保有している。
キハ20は車籍がなく本線走行はできないが、時にイベントで車庫内を走行し、その健在ぶりを見せてくれる。
0423水臨イベントキハ205・キハ35100並び.JPG

ほかに、ひたちなか海浜鉄道、平成筑豊鉄道、いすみ鉄道も動態保存として、あるいは観光列車として保有している。
ノスタルジーを感じさせてくれる気動車、その中心こそDMH17なのだろう。

植苗でのキハ27・56。
S62植苗キハ27普通.jpg

桂川、キハ22。
S62函館本線桂川キハ22カラー.jpg

姫路、キハ35。
姫路キハ35138.jpg

そして意外に長生きをしたJR東海に引き継がれたキハ80系「ひだ」
特急色キハ80ひだ.jpg

好きなキハ20の写真をいくつか。
北条線。
北条線キハ20.jpg

ひたちなか海浜鉄道。
湊線キハ205.jpg

水島臨海鉄道。
水島キハ20.jpg

そして二俣線。
二俣線キハ20.jpg

もう一度、あのゆったりした座席で壁側の枕に頭を乗せて、カラカラカラという惰行サウンドを、さして速度も出さぬレールジョイントの音とともに浸っていたい。
季節は冬、時刻は夕から夜にかけて・・二俣線で。
二俣線キハ20車内.JPG

新十津川のキハ46。
新十津川キハ46 (2).jpg

鍛冶屋線キハ20。
加古川線鍛冶屋線鍛冶屋キハ20.jpg

DMH17系エンジン車はなんでも連結できる・・
鳥栖にて・・
鳥栖キハ58ほか気動車6連.JPG

最後は新系列気動車も含めた雑多な通勤列車を。
長崎本線。
長崎線東園キハ26・30・28・35・40カラー.jpg
posted by こう@電車おやじ at 22:47| Comment(2) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする