2024年04月23日

京阪電車のデジタイズ・・・

古いポジをデジタイズアダプターで撮影、復元加工してみたシリーズ。
今回は京阪電車だ。

古い順に行くが、最初の橋本・樟葉間での撮影は露出の失敗(多分感度設定のミス)という、ポジにはあってならない失敗作をどこまで復元できるのかと思いながらやってみて、やはりポジのオーバーは救いがたいがそれでも数点はそれなりの絵にはなったと思う。

まず、露出失敗の橋本・樟葉間。
時期的には5000系にまだ前面行先・種別表示機が設置されておらず平成元年以前という事かと。

5000系5002編成の急行。
セイタカアワダチソウだろう、季節は秋か。
京阪橋本5002.JPG

一寸イラストっぽくなってしまったが3000系特急。
京阪橋本3000系.JPG

こちらは逆光シーンという事もあり・・まぁまぁ。
京阪橋本3000系3505.JPG

3000系特急が出会う。
京阪橋本3008・3000系出会い.JPG

鴨川、四条・五条間のシーンだ。
まずは1900系を。
この頃はまだ、一般車格下げ時の形態のままで使用されていたが、一点だけ冷房編成が写っている。
1915編成。
冷房付き、更新後の鴨川べりでワタシが撮影出来た唯一の写真だ。
京阪鴨川1915.JPG

1910編成が行く。
京阪鴨川1913編成.JPG

1910のサイドビュー。
京阪鴨川1910サイド.JPG

1913のサイドビュー。
京阪鴨川1913サイド.JPG

1900系4連普通が行く。
京阪鴨川1900系4連.JPG

編成を真横から。
京阪鴨川1900系編成サイド.JPG

1900系編成の全景。
京阪鴨川1900系全景.JPG

こちらは1000系。
京阪鴨川1000系.JPG

2400系。
まだオリジナルの顔立ちだ。
京阪鴨川2400系.JPG

2600系2812、2000系からの改造車だ。
京阪鴨川2812.JPG

四条の南座と2200系電車。
失われた京都の風景。
京阪鴨川2200系と南座.JPG

撮影場所が良くないが5000系5555が工事区間を行く。
京阪鴨川5555.JPG

6000系7連が行く。
京阪鴨川6000系7連.JPG

6000系6013、やはり6000系でもこの色合いが似合う気がする。
京阪鴨川6513.JPG

四条駅、南座の脇で3000系3509と2200系が行き交う。
京阪鴨川四条3509.JPG

3000系が2200系と出会う。
この当時の主力車はこの2系列だった印象が強い。
京阪鴨川3000系2200系.JPG

3000系6連特急。
京阪鴨川3000系6連.JPG

3006のサイド。
優雅な座席ごとのR付きの窓、格調高いカーマインレッドとオレンジイエロー。
京阪鴨川3006.JPG

3506と3005の連結部。
3000系は3連もしくは4連でそれを組み合わせて6連、7連としていたが連結できる相手は決まっていた。
京阪鴨川3005・3506.JPG

3505、今、樟葉で保存されている車両だ。
京阪鴨川3505サイド.JPG

逆光の中を行く3000系特急。
京阪鴨川3000系逆光.JPG

淀駅近くにて。
まだまだ、当時はゆったりと電車を眺められるところだった。
ここの撮影は時期がはっきりしている。
平成2年、花と緑の博覧会の頃だ。
その広告電車だった1001編成を。
京阪淀1001はな.JPG

こちらは2600系2829、2000系出自の車両だ。
京阪淀2829.JPG

5000系5651、5ドア車7連の贅沢?な普通だ。
京阪淀5651.JPG

3000系3002、前面幌枠を撤去した車両が出現したが、3000系のデザインが締まりのないものになったと思ったものだ。
京阪淀3002特急.JPG

最後にもう少し前、地下工事の始まったころの3000系を。
京阪鴨川3000系.JPG

この頃の京阪電車はいかにも京都の電車然とした穏やかさ、落ち着きが漂っていて本当に好きだった。
会社の本社は大阪にあろうとも、京阪電車は京都らしい「雅な」そして3000系2200系5000系を取りそろえ運用を工夫し、細やかな心使いのできる鉄道会社という印象だった。
だが3000系が数を減らしていき、そして伝統の色合いを変えてしまってからはかつてほどの魅力を感じなくなってしまっている。

昨今、特にコロナ以降、利用客へのあからさまなサービスの削減、コストカットを意識しすぎ普段遣いの乗客の存在などないかのような振舞いは、得てしてタマの所用で乗る時にも鉄道としての魅力の減退を肌で感じてしまう。
そこには、毎日の利用ではない、かつて好きで頻繁に訪れたファンだったからこそ、見えてしまうものがあるのではないだろうか。
座席指定サービスもいい、それは否定しない。
だが、まずは、毎日使う人たちが心の底から会社を贔屓にしてくれるようにしなければならないのではないだろうか・・・そうでなければいずれ先は危ういものに見えてしまうといっては言い過ぎだろうか。

ワタシ自身は鉄道ファンであっても、何でもかんでもそこに群がる人の中に居たいとは思わず、ただ、本当に好きな列車に乗り、その列車を撮影し、眺めるのが好きなだけで、そう言う意味では今現在の京阪電車から足が遠ざかり、神戸在でありながら年に何度も名鉄詣でを繰り返してしまうのもこれは趣味の嗜好性の問題だろう。

posted by こう@電車おやじ at 18:34| Comment(0) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください