元日早々の大地震によって被害を受けられた、石川・富山両県の方々に慎んでお見舞い申し上げます。
さて、似たような橋梁付近で撮影したポジの塊が二つあり、似たような列車が写っていたがちょっと年代が違う・・
記憶では一回きりの1985年前後の富山訪問はどうも2~3回行っていたらしい。
Twitterでポジの撮影場所が二か所であることをご教示いただいた。
似たようなポジションに見えた写真も実は二か所別々、川も違う川であることが分かった・・有難いことだ。
人間の記憶なんて本当にあてにならない。
もう一度調べなおし、記憶をたどりなおし、最初の訪問は1985年夏頃ではないかということに落ち着いた。
別のネガに「きたぐに」で糸魚川で下車して419系へ乗り換える様子が写っていた。
この時に、魚津もしくは黒部で下車して富山地鉄に乗り、越中中村駅に着いたようだ。
そうしてもう一回のポジは1990年7月31日とケースに日付があった。
この時の訪問ではどうやら北陸本線に乗ったまま移動して水橋駅から歩いたようだ。
で、霧の中のこの写真。
築堤のようなものに向かっていく上り「電鉄富山行き」電車だ。
この場所が分からない・・
この先は線路を超えるっぽいが、西加積でも西魚津でも富山地鉄は国鉄と交叉するが、アンダーパスだからだ。
オーバーパスなのは黒部だけで、どうやら黒部で下車したらしい。
いまに至るまで富山地方鉄道が鉄道専用に製造した最後のシリーズ、14760系だ。
アーカイブから10020形の2連。
その次がこの写真。
霧がやや晴れてきた感じで、電車の走っている線路の手前にも線路用地があるように見えるがどうやらこれは空き地のようで、電鉄黒部駅近くとすれば、嘗て国鉄黒部駅とを結んでいた黒部支線の跡地だろうか。
貫禄ある旧型電車の3連、大手私鉄を思わせるような列車だ。
14750形の3連だ。
越中中村駅、当時は駅横に変電所のような建物があった。
駅舎はこちら。(アーカイブから)

この駅は国鉄の真横にあり、国鉄列車が良く見えた。
特急「白鳥」485系。
471系の普通列車。
駅から徒歩5分くらいで橋梁に出た。
川は早月川で、劔岳に水源を発し、日本有数の平均勾配で一気に富山湾へ下る水流らしい・・
しかし当時のワタシがそんなことを知るはずもなく、ただ電車の撮影に便利そうだからと訪れただけだ。
14710形、クハ13が先頭だ。
この形式は地鉄のカラーに染まってはいるが、元は名鉄のAL3800系だ。
国鉄特急、485系クハ481は貫通型200台、「北越」
地鉄14760形特急列車。
国鉄特急「白鳥」485系、ボンネット型クハ481。
地鉄特急14760形、「うなづき」看板付き。
地鉄14750形2連。
地鉄の不思議な2連、クハとモハで系列が異なる・・
173と14791。
国鉄419系初期の赤い車体。
こちらは急行型電車のオリジナルカラー(本当は裾の白線が・・)471系。
地鉄10020形。
常願寺川へいったのは、トワイライトが走り始めたころだ。
真夏で、上半身裸になり、時折水浴びしながら撮影した。
常願寺川の看板。
前にも出したが、グレードアップ「白鳥」に「雷鳥」がかぶってしまった。
JR化後なので当時のアイディア的な列車もある。
特急「スーパーかがやき」、長岡と福井を可能な限り高速で結んだ。
「スーパー雷鳥」
展望付きグリーン車に「だんらん」を連結、JRの「やる気」を魅せた列車だ。
その反対側。
こちらは東日本のグレードアップ編成を使った「雷鳥」
「雷鳥」には485系ボンネット特急も健在だ。
こちらは「北越」ボンネット型。
419系の車体色も白くなった。
特急顔の編成。
EF81牽引の貨物列車。
419系、平面顔の3連。
そして413系・・
いまや北陸本線は第三セクター3社に分割され、来月からはさらに一社が加わる。
特急列車など望むべくもなく、地道に通勤、近郊輸送と、貨物輸送に働くだけの線路になった。
写真は越中中村駅近くで419系。
そう言ったいただきありがとうございます。
単なる気まぐれな鉄道ファンが歩いた跡・・それでも時に、当時の記録が混じりこんでいるものですね。
富山地鉄の列車、とても魅力的に映ります。
他のカラーや無塗装のステンレス車も走っていますが、お写真の白・灰・赤の組合せが一番しっくりきます。
お写真を拝見し、改めて特急街道でもあった北陸本線の風格のようなものを感じますし、地域に資する富山地鉄も自社発注車が輝いて見えます。
同じ地域内で並走していても、両者で役割の違いが明確にあり、バランスも取れていたのでしょうか。
北陸本線の名がここから消えてしまうとは想像もしなかったことと思いますし、富山地鉄に東急の通勤電車が走るとも考えなかったことと思います。
だいぶ時が経ったのだと実感します。
JR貨物さんには今も北陸本線という名称が厳然として存在するようです。
しかし、旅客には「あいのかぜ」「あいあーる」「はぴらいん」と、これからはそうなっていくのでしょうね。
地鉄の電車も何故、今の決して見栄えの市内ツートンにしてしまったのか不思議です。
同じツートンでももう少しやり方もあったでしょうに・・