そして今回は、これにアーカイブスの中から関連写真を抜き出し、かつて名鉄が経営合理化のために富士重工製レールバスを導入した線区を見ていきたいと思う。
最初にレールバスが投入されたのは昭和59年9月の八百津線だ。
長閑な里の風景の中を走るレールバスは当時の最新車両という割には風景に溶け込んでいた。
物珍しさに早速見に行った。
明智駅に停車しているキハ10形。
富士重工製Le-Carの最初の導入例だった。
停車するキハ10形。
単行レールバスは12分ほど走って終点に到着した。
八百津駅だ。
駅の近くで少し撮影をした。
秋の風情、訪れたのがレールバスに置き換え直後であることを示している。
ススキとレールバス。
快走するレールバス。
多分この時に、間もなく非電化されると聞く三河線に向かったのだろうと思う。
地下鉄を経由して開通したばかりの豊田新線で・・
梅坪駅の様子。
三河線の奥へ・・
西中金駅近くで少し撮影している。
6800系2連。
その反対側。
HL3730系。
そしてここには翌年春のレールバス投入後に再訪している。
猿投駅にはいるキハ10形。
乗降風景、驚くほど多くの乗客が乗り込んでいた。
発車風景。
西中金駅。
そして三河広瀬駅。
角度を変えて・・
三河広瀬でのキハ10形。
時間的余裕がなかったのだろうか・・これ以外の写真は見つかってはいない・・
そしてこれは多分別の日、数年を経た後だと思うが三河線海線を訪問していた。
碧南駅、車両が少し大型化されたキハ20形だ。
この列車に乗って吉良吉田へ行ったようだ。
ようだと書いたのは、記憶が消えているからで、この写真を見つけるまでは自分では三河線海線の廃線区間に乗っていないと思っていた。
後にキハ30にも乗ったはずだがこちらは記録が出てこない。
吉良吉田駅。
さてここ数年、名鉄各線の再訪をしているが、三河線には蒲郡線のついでに行くことが多い。
現在の吉良吉田駅、蒲郡線乗り場はかつての三河線ホームだ。
そのホームに停車する蒲郡線6000系ワンマン車。
白帯車も来る。
現在の碧南駅、入線する6000系更新車。
海線廃線区の代行バス。
この日はものすごい乗客でこれなら電車を残したほうが良かったのではと思った。
かつての三河線風景も少し。
名古屋方面と直通していた碧南行き急行。
ラッシュ向きの3550形だ。

100系の山線急行。

かつての三河線、普通に使われていた白帯7700系。

梅坪駅の今。
名古屋市営地下鉄はすでに開業時の車両からは三世代目になる。
豊田市・・名鉄電車が並ぶ。
名古屋市営地下鉄と名鉄の並び。
知立・・
高架工事たけなわだ。
その工事中の知立に進入するパノラマスーパー特急。
広見線明知駅・・
構内、今はさらに工事がなされ、完全に棒線化されている。
かつての八百津線代行バスは今も健在。
明智とうてつバス。
桜の三河線、平戸橋駅。
里の風景。
失ったものはもう取り戻せない。
あの頃、ローカル線を思い切ってばっさり切り捨てた名鉄だが、揖斐線岐阜寄りの区間や美濃町線関以南などと合わせ、三河線海線の一部廃止はやり過ぎだったと思うし、さてこれからどうするのかという名鉄の長期的な視点も欠けていたような気もする。
時として斬ることが経営者の仕事となるのは理解できるが、それによって離れた人心はもはや帰っては来ない。
代わりに建設された中部国際空港への路線は確かに大勢の一元客を取り込み、名鉄の経営安定には寄与したのだろう。
だが捨てられた地域住民はその恨みを忘れることはない。
地域に根差さない鉄路の未来とはどんなものなのだろうか。
今も蒲郡線、広見線末端区間の廃止が取りざたされているが本当にそれでよいのか、今一度、経営陣には踏みとどまってもらいたいとワタシは思っている。