2024年01月17日

レールバスの走った名鉄線

名鉄のレールバスが写った古いポジを見つけ、デジタイズスキャンした。
そして今回は、これにアーカイブスの中から関連写真を抜き出し、かつて名鉄が経営合理化のために富士重工製レールバスを導入した線区を見ていきたいと思う。

最初にレールバスが投入されたのは昭和59年9月の八百津線だ。
長閑な里の風景の中を走るレールバスは当時の最新車両という割には風景に溶け込んでいた。
物珍しさに早速見に行った。
明智駅に停車しているキハ10形。
富士重工製Le-Carの最初の導入例だった。
名鉄明智キハ10形.JPG

停車するキハ10形。
八百津線明智キハ10.JPG

単行レールバスは12分ほど走って終点に到着した。
八百津駅だ。
名鉄八百津駅 (1).JPG

駅の近くで少し撮影をした。
秋の風情、訪れたのがレールバスに置き換え直後であることを示している。
名鉄八百津線キハ10.JPG

ススキとレールバス。
名鉄八百津線キハ11ススキ.JPG

快走するレールバス。
名鉄八百津線キハ11.JPG

多分この時に、間もなく非電化されると聞く三河線に向かったのだろうと思う。
地下鉄を経由して開通したばかりの豊田新線で・・
梅坪駅の様子。
名鉄豊田線梅坪100系2740.JPG

三河線の奥へ・・
西中金駅近くで少し撮影している。
6800系2連。
三河線西中金6800系2連ー4 (1).JPG

その反対側。
三河線西中金6800系2連ー4 (9).JPG

HL3730系。
三河線西中金3730系.JPG

そしてここには翌年春のレールバス投入後に再訪している。
猿投駅にはいるキハ10形。
三河線猿投キハ10入線.JPG

乗降風景、驚くほど多くの乗客が乗り込んでいた。
三河線猿投キハ10.JPG

発車風景。
三河線猿投キハ10発車.JPG

西中金駅。
三河線西中金キハ10.JPG

そして三河広瀬駅。
名鉄三河線三河広瀬駅舎正面.JPG

角度を変えて・・
名鉄三河広瀬駅斜め.JPG

三河広瀬でのキハ10形。
名鉄三河線広瀬キハ10形.JPG

時間的余裕がなかったのだろうか・・これ以外の写真は見つかってはいない・・

そしてこれは多分別の日、数年を経た後だと思うが三河線海線を訪問していた。
碧南駅、車両が少し大型化されたキハ20形だ。
三河線碧南キハ20.JPG

この列車に乗って吉良吉田へ行ったようだ。
ようだと書いたのは、記憶が消えているからで、この写真を見つけるまでは自分では三河線海線の廃線区間に乗っていないと思っていた。
後にキハ30にも乗ったはずだがこちらは記録が出てこない。

吉良吉田駅。
三河線吉良吉田キハ20.JPG

さてここ数年、名鉄各線の再訪をしているが、三河線には蒲郡線のついでに行くことが多い。
現在の吉良吉田駅、蒲郡線乗り場はかつての三河線ホームだ。
0627名鉄吉良吉田駅旧三河線跡.JPG

そのホームに停車する蒲郡線6000系ワンマン車。
0825名鉄吉良吉田6000系ワンマン.JPG

白帯車も来る。
1204吉良吉田名鉄6011停車.JPG

現在の碧南駅、入線する6000系更新車。
0627名鉄碧南駅6034入線.JPG

海線廃線区の代行バス。
この日はものすごい乗客でこれなら電車を残したほうが良かったのではと思った。
0627名鉄吉良吉田駅三河線代替バス.JPG

かつての三河線風景も少し。
名古屋方面と直通していた碧南行き急行。
ラッシュ向きの3550形だ。
知立3552急行碧南.jpg

100系の山線急行。
名鉄100系知立.jpg

かつての三河線、普通に使われていた白帯7700系。
名鉄7700知立.jpg

梅坪駅の今。
名古屋市営地下鉄はすでに開業時の車両からは三世代目になる。
1011梅坪名古屋市交N3108.JPG

豊田市・・名鉄電車が並ぶ。
1011名鉄豊田市200系6000系.JPG

名古屋市営地下鉄と名鉄の並び。
1011豊田市名鉄6014・名古屋市交N3101.JPG

知立・・
高架工事たけなわだ。
0402知立高架工事.JPG

その工事中の知立に進入するパノラマスーパー特急。
1011知立1000系進入2.JPG

広見線明知駅・・
0202名鉄明智駅舎.JPG

構内、今はさらに工事がなされ、完全に棒線化されている。
0202名鉄明智駅構内.JPG

かつての八百津線代行バスは今も健在。
明智とうてつバス。
0202明智とうてつバス八百津行き.JPG

桜の三河線、平戸橋駅。
0402平戸橋名鉄6000系入線.JPG


里の風景。
失ったものはもう取り戻せない。
あの頃、ローカル線を思い切ってばっさり切り捨てた名鉄だが、揖斐線岐阜寄りの区間や美濃町線関以南などと合わせ、三河線海線の一部廃止はやり過ぎだったと思うし、さてこれからどうするのかという名鉄の長期的な視点も欠けていたような気もする。
名鉄八百津線キハ10寺院前.JPG

時として斬ることが経営者の仕事となるのは理解できるが、それによって離れた人心はもはや帰っては来ない。
代わりに建設された中部国際空港への路線は確かに大勢の一元客を取り込み、名鉄の経営安定には寄与したのだろう。
だが捨てられた地域住民はその恨みを忘れることはない。
地域に根差さない鉄路の未来とはどんなものなのだろうか。
今も蒲郡線、広見線末端区間の廃止が取りざたされているが本当にそれでよいのか、今一度、経営陣には踏みとどまってもらいたいとワタシは思っている。
posted by こう@電車おやじ at 22:37| Comment(0) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください