Photo Archive キハ28・58系

昭和30~40年代を描いたドラマや、映画、あるいはカラオケ映像などで当時の鉄道の代表的な光景として登場することが最も多いのがこの系列だろう。
基本に忠実に、そしてしっかりとした耐用性と旅客サービスの確保、コストダウンを目指した系列でもあり、一時は日本中でその姿を見ることができた。
本ブログでもこれまでもたびたび取り上げてきたけれど、今回は未発表の写真も少しいれて「Photo Archive」としていきたいと思う。

まずは全盛期をやや過ぎた、これでもまだあちらこちらで堂々と「急行」として走っていたころの写真を。
伯備線急行「伯耆」あの名撮影地、布原近くからの俯瞰だ。
キハ28急行は伯備線俯瞰.JPG

高架工事なった松江駅の山陰本線急行「だいせん」、当時日中の二往復がキハ28・58だった。
キハ28だいせん松江.jpg

須磨海岸を行く急行列車。
神戸でも日中に播但線・姫新線の急行が6往復見られた。
キハ58急行須磨2.JPG

同じ日に撮影、屋根回りの汚れ具合から別の列車だとわかる。
「みまさか」「みささ」「但馬」がこの区間を走った。
キハ58急行須磨1.JPG

山陰本線城崎の温泉街を行く急行「だいせん」1号。
キハ28だいせん城之崎 (2).jpg

紀勢本線多気駅でのスナップ、キハ82系「南紀」と並んだ急行「志摩」
キハ28志摩・80南紀.jpg

熊本駅の急行「ちくご」佐賀線経由の急行だった。
急行型キハ58熊本駅.jpg

鹿児島本線原田(はるだ)駅の筑豊本線普通列車。
国鉄九州原田キハ28入れ替え.JPG

山陰本線、余部橋梁を行く急行、やはり「だいせん」か、重厚な編成だ。
キハ28だいせん.jpg

阪和線天王寺駅の「きのくに」
当時は特急よりずっと身近な存在だった。
国鉄キハ58天王寺カラー.jpg

豊肥本線立野駅での「火の国」
未だ先だっての熊本地震災害後に開通していない区間だが早期復旧が待ち遠しい。
国鉄九州立野キハ28.JPG

宝殿駅近くの急行列車。
宝殿東側キハ58.JPG

加古川駅夕景と急行列車。
入線2加古川キハ28.jpg

関西本線柘植駅での急行「志摩」
国鉄三重キハ58柘植後追い.JPG

こちらは上野駅の急行、「おが」あたりだろうか。
上野駅キハ58511急行.jpg

福知山線谷川駅の急行列車、「丹波」だろうか。
谷川駅キハ58キハ28キロ28ほか急行.jpg

長崎本線長与支線、急行編成を使った普通列車。
長与線キハ28.jpg

武田尾付近の急行列車、「だいせん」だと思う。
武田尾キハ28.jpg

福知山線電化後に、これまでの急行を特急格上げ、整理しながらなぜか登場した急行「みやづ」、キハ28・58の2連だった。
福知山線キハ28みやづ谷川.jpg

武田尾・道場間大茂山トンネル上からの俯瞰、急行「だいせん」
武田尾キハ28非冷房急行.JPG

名松線伊勢奥津駅でのキハ58とキハ35、なんとも両極端な組み合わせだ。
名松線キハ58・35伊勢奥津.jpg

宮津線急行「丹波」、由良川を渡る様子をサイドから。
北近畿宮津キハ287連サイド.jpg

こちらも由良川を渡る「丹波」
北近畿宮津キハ28急行7連由良川.jpg

大糸線を行く普通列車。
キハ28・58には圧倒的に元来の急行色が似合う。国鉄末期、JR初期の地域色はどれもあまりなじめなかった。
北陸・大糸線キハ28.jpg

余部橋梁を行く3両編成。
朝夕には急行末端運用の普通列車もあった。
餘部遠望キハ28・3連.JPG

四国、高松駅の早朝の喧騒、気動車列車が二本並ぶ。
キハ28あしずり・普通高松.jpg

予讃本線海岸寺での急行「いよ」
キハ58いよ海岸寺.jpg

北海道にはこの系列の極寒地用、キハ27・56が投入されている。
基本的な考え方は本州向けと同じだが、耐寒装備がぐんと強化されていた。
急行「宗谷」、銭函にて。
キハ27宗谷銭函.jpg

千歳線普通列車、美々にて。
キハ27普通植苗.jpg

釧網本線標津駅、キハ56を改造したキハ53 500番台が活躍していた。
キハ53510標津.jpg

札幌近郊にて急行「狩勝」だろうと思う。
中間にキハ40を連結している。
キハ27・56・40札幌.jpg

高砂工場でのスナップを再掲。
キハ5833の全般検査風景。
540508キハ5833.jpg

キロ28の下降窓の腐食対策に更新工事をしていたころ。
解体時の姿。
キロ28更新解体高砂工場.jpg

このクルマは下降窓のまま更新された。
キロ28原型更新作業中高砂工場.jpg

その後は、より腐食対策を進めた二段窓改造が行われた。
更新工事中の姿。
キロ28更新作業中二段窓化高砂工場.jpg

完成時の様子。
キロ282190更新出場高砂工場.jpg

工事完成車を組み込んだ編成、急行「きのくに」紀伊田辺にて。
キハ28きのくに紀伊田辺.jpg

キハ28一党ほど、日本の風景に溶け込んだ車両は他にはキハ20一党があるくらいだと僕は思っている。
国鉄内部でこの車両をデザインした人は当時の日本の風景をこよなく愛する人だったに違いない。

あとのこの系列のデザインの特徴といえば、当初はパノラマミックウィンドウを採用せず、平面ガラスを組み合わせて同じ効果をもたらせた正面デザイン。
これはのちの増備で改められるが、僕は初期のこのデザインがこの車両の走る線区の厳しさを思わせていて好きでもある。
見事な張り上げ屋根、これもローカル線区の一部に建築限界を縮小した区間があり、雨どいが抵触するためだと聞いた。
そして側面のずらりと並んだ一段窓は防寒とガラスの強化のためだ。

どこの路線にも入っていけるタフな急行用車両、それこそがキハ28・58一党の強さなのだろう。

今、この系列が走っているのは、動態保存としてのいすみ鉄道、あるいは各地の保存鉄道くらいのものだ。
あの、全国津々浦々を走り回り、日本の風景に溶け込んだ急行気動車・・・
もはや、こういう、日本中の誰にも愛された車両は登場しない。
キハ28一党は国鉄の良心の結集だったのかもしれないと、今になって思う。

雪の余部橋梁。
雪餘部キハ28.jpg

行く列車、すべては記憶の中にのみ。
キハ28雪余部サイド.JPG

この記事へのコメント

  • TM

    ほんと、キハ28・58系は名車ですね。
    落ち着きがあり、全国どこでも似合うデザイン、塗装ですね。
    国鉄時代の車両はどれも重厚でしたが、何か風格を感じさせるものがありました。

    昭和53年、小学校の修学旅行は急行志摩1号で、京都駅から伊勢まで行ったことを思い出します。当時は現在のようなゲーム機はなく、車内ではトランプをしたりしたものです。

    キハ28は冷房用の発電エンジンが搭載されており、停車時でも轟音を立てており、非常にうるさかったですね。停車時でも発電エンジンは屋根から激しく排気ガスを出しておりました。その点、JRになってからのキハ85とかはエンジン直結式となり、非常に静かになったのも時代の進歩ですね。

    国鉄末期、山陰線の京都口で見た本系列は、更新工事で内装が木目調になっているものもありました。
    2016年12月04日 22:57
  • でぶねこ

    いつも更新を楽しみにしております。

    グリーン車を含んだ長い編成はさすが優等列車と思わせる風格がありますね。
    須磨海岸といった本線を制限速度ギリギリで疾走するときのDMHの音は非常に懐かしいです。

    昭和を生きてきた人間として、全てが懐かしいです。
    2016年12月05日 12:00
  • 宮電のS

    大変ご無沙汰しております。
    以前、なんばで「トイレ君」と共にオフ会させて頂いた宮電のSです。
    今は宮古島におりますが、大好きなキハ28系が懐かしくコメントさせて頂きました。
    両親の郷が山陰だったので、幼少期より帰省は「はくと」を利用、「三つ子の魂・・・」でしょうか、物心付く頃には一番大好きな車両になってました。
    こうさんがおっしゃるように、国鉄が誇る最高の鉄道車両であったと思います。
    2016年12月05日 19:47
  • 猫宮とらお

    こんにちは。
    子供の頃の印象は、当時の東海道・山陽筋を疾駆
    する電車急行153系や455系に比べて半室食堂車も無く、いつも排気ガスで薄汚れていると同時に、独特の、トラックやバスのそれとも異なる臭気とディーゼルの轟音を残して駆け去っていくチョッと安っぽい感じがしたものです。
    しかし、その後均一周遊券で全国を乗り鉄旅するようになってから数え切れないほど乗車して、
    お世話になった思い出深い車輛です。
    ただし、曲面ガラス・スカート付きの末期増備車に
    当たったのは数えるほどの機会でした。
    「まとも」な58に乗った最後は関西線奈良からの
    「かすが」でして、更にその後に播但線での超ロングシート車が本当の最後でした。
    2016年12月07日 09:41
  • 志摩流しライナー

    どうもお久しぶりです。
    今年は登場から丁度55年。
    今から5~7年前に朝ラッシュの高山本線富山~越中八尾へ乗りに行った時の記憶が忘れられません。
    時間が空いたらすかさず周遊きっぷ&583系きたぐに号で一晩かけて富山へ行ったのも今では味わえない楽しみですし。

    >紀勢本線多気駅でのスナップ、キハ82系「南紀」と並んだ急行「志摩」

    この写真は多気駅ではありません。多気駅は非電化なので架線柱がありません。
    特急南紀が停車しているホームの形状や曲線から見て昭和53年電化後の紀勢本線紀伊勝浦だと思います。
    2016年12月20日 22:34
  • こう@電車おやじ

    >TMさん

    冷房エンジンのあの喧しさは、当時の技術の限界だったのでしょうね。
    その音すらも今となっては懐かしいです。

    内装の木目調、ワタシも作業しましたよ。
    気動車組では手が足らず、応援で数両仕上げたように思います。
    2016年12月31日 22:18
  • こう@電車おやじ

    >でぶねこさん

    気動車急行が驀進してくるときは迫力がありましたよね~~
    それに比べると今のスーパーはくとなどは静かなものです。。
    時速95キロとは思えない、あの迫力が魅力でしたね。

    2016年12月31日 22:20
  • こう@電車おやじ

    >宮電のSさん

    おひさしぶりです!!!
    山陰での表看板こそキハ28・58でしたね。
    あの色合いがまた風景にマッチして、走っているところもまた美しかった…
    ぜひまた吞みたいですね!!
    2016年12月31日 22:23
  • こう@電車おやじ

    >猫宮とらおさん

    ワタシとしてはあのいつも薄汚れている感じが、いかにも仕事をしていそうでかっこよく見えていました。。。
    本当に全国で乗りましたね。
    たぶん、急行列車として乗った列車だけでも100本近くになりそうな気がします。
    そうそう、播但線のスーパ-ロングシートには秘話が。。。
    また次の飲み会でのお楽しみにしましょう!!
    2016年12月31日 22:26
  • こう@電車おやじ

    >志摩流しライナーさん


    多気駅の写真、本当ですね。架線がありますね。。。
    言われて気が付いた・・何をやってんだかですが・・
    勝浦駅、多分降りたことがないように思います。
    ではどこなのか・・
    下車したことのある駅は新宮、亀山、多気くらいです。。
    どこなんでしょう・・・・・(汗

    ご指摘ありがとうございます。
    謎が深まります。。。。
    2016年12月31日 22:28
  • 風旅記

    こんばんは。
    今日も大変楽しく拝見させて頂きました。
    キハ58・28が現役で活躍していた頃に接した機会は少ないのですが、今振り返っても思い出に残る車両だったと思います。
    初めて北海道に行った際に、急行狩勝に乗った時の記憶は、今も鮮明に残っています。ボックスシートに腰掛けて見た車窓、釧路を出て大楽毛辺りでしょうか、海を眺めていたとき、新得を出て狩勝峠の雄大な風景、忘れられません。
    長旅が楽しかった幼い頃の経験でした。
    日本全国、この車両を乗り継いで旅したかったと言っても、過言ではありません。
    大人になり、米坂線に残った車両に乗ったのが、私の中では最後になりました。エンジンが新しいものに変えられているなど、本来の姿とは変化している部分もありましたが、車体のデザイン、一枚窓の並ぶ姿は、やはり美しいものでした。
    風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
    2017年01月12日 18:18
  • キッコーマン専用線

    まさしく、北海道とローカル盲腸線を除く全国どこでもの存在が、キハ28 58でした。余りにもありふれた存在で、車両のもっとも活躍した時期に中学生・高校生だった私には、フィルムがもったいないと、写真もほとんど撮っていないと、今から思えば贅沢な存在です。
    姫路から津山とか、電化前の日豊線とか、本来の車両の目的とする区間だけでなく、北陸線の金沢から糸魚川とか、電車でもおかしくない区間でもよく乗ったものです。
    急行型の絶滅を改めて惜しみます。
    2017年01月27日 17:12
  • こう@電車おやじ

    >風旅記さん

    この車両を設計した人はきっと、こよなく日本の風土を愛する人だったのでしょうね。
    キハ20系列と並んで、日本の原風景にこれほど似合う車両というのは、ほかに見当たりません。
    そして優しい乗り心地、DML17系の柔らかな響き、ワタシにとっては国鉄とはまさにこの系列だったかもしれません。
    2017年02月13日 13:11
  • こう@電車おやじ

    キッコーマン専用線さん>

    そのローカル線区でも結構入り込んで、地元の人を喜ばせていたり、北海道にはこの系列の寒冷地仕様があったりして、たぶん、一部大都市の人以外の大半の日本人の記憶に残る名車ではなかったかと思います。
    ワタシも電化後の長崎本線や、紀勢本線でも乗車しましたね。。。
    非力なのはダイヤを見ればわかることなのに、いつも一生懸命に走っているイメージでもありました。
    急行型、それも全国津々浦々に看板列車として受け止められていたこと、本当にすごいことだと今となっては思います。
    2017年02月13日 13:16
  • akeyan2515

    おじゃまします。
    キハ28・58系は、数ある国鉄の車両の中でも名車の一つだと思っています。つまり、登場した当時は、今のように高速道路が整備されているわけではなく、非電化区間も多かったことから、このキハ28・58系が全国津々浦々で分割・併合、長大編成・短編成など文字通り縦横無尽で活躍し、利用者にとっても窓が大きくて明るく快適な車内ということで好評だったのではないかと。また、車両を整備する工場の方にも整備しやすい車両(キロ28の構造的欠陥を除いて)であったことから、製造両数も多かったのではないかと思います。
    そういったこともあって、急行用途から退いても普通用としても長らく活躍したのは、この車輌の優秀さの現れではないかと思っています。

    私にとってのキハ28・58系は、阪和線沿線に住んでいたことから見かけることはあっても、なかなか乗車する機会がありませんでした。しかし、昭和54年の小学校の修学旅行において今はなき阪和貨物線を経由して伊勢志摩方面へ行った際に初めて乗車することができました。
    当初は客車の12系でやってくるだろうと思っていたのですが、キハ28・58系が駅に姿を現したときは、一人で興奮していました(苦笑)。そして、あのエンジン音高らかに、時折タイフォーンを鳴らしながら疾走する姿は今でもよく覚えています。
    ちなみに、その時に行き帰りに乗車したキハ581104は、その後も長らく旧天鉄局管内に残っていたのを覚えています。

    さて、2年前に千葉県のいすみ鉄道にて運行されているキハ28に乗車してきましたが、いつまでもあの名車を維持し続けて欲しいと思っています。
    2017年05月13日 08:52