2024年10月20日

地元、神戸・播磨での機関車(その3)EF66・EF200以降

昭和の国鉄、最大出力機と言えばEF66だ。
F662、ワタシが撮影したEF66最若番機、このあと901号機とも出会うがトップナンバーとは出会えず。
宝殿駅東側にて。
EF662宝殿 (2).jpg

EF669、宝殿駅通過中。
EF669宝殿.jpg

EF6611、宝殿駅下り列車。
宝殿下り通過EF6611.jpg

EF6615、宝殿・曽根間、法華山谷川。
宝殿EF6615.JPG

EF6619、これも宝殿駅。
宝殿EF6619.jpg

EF6622、ヒサシの付いた二次型、加古川・宝殿間、遠くに川西小学校の円形校舎が見える。
宝殿EF6622.jpg

EF6623、宝殿駅通過中の下り。
EF6623宝殿.jpg

EF6625、宝殿駅上り列車、西神吉の山々が見える。
ef6625宝殿.jpg

EF6626、加古川・宝殿間、すでに線路際に家が立ち並んでいる。
EF6626宝殿 (2).JPG

EF6627、須磨・塩屋間、最後まで原形を維持した人気機の当時の姿。
EF6627須磨原形 (2).jpg

EF6630、宝殿・曽根間法華山谷川。
EF6630原形宝殿.jpg

EF6637、加古川橋梁、珍しく一般貨物列車を牽く。
EF6637ワム貨物加古川.jpg

EF66901、宝殿駅。
EF66901宝殿.JPG

JR化後、EF66の中には一時期、白っぽい塗装を纏ったものがあった。
EF6612、須磨・塩屋間。
2006須磨Ef6612.JPG

EF6610、須磨・塩屋間。
2006須磨EF6610.JPG

だがこの色合いは似合わず、27号機以外は青の面積が大きい、国鉄時代に似た雰囲気の塗装に改められている。
EF6621、舞子駅。
0403舞子EF6621a.JPG

EF6630、大蔵谷駅。
1220大蔵谷EF6630・1.JPG

同機、垂水駅。
0302垂水EF6630.JPG

EF6633、大雨の須磨駅。
0908須磨EF6633.JPG

EF6636、大蔵谷駅。
0519大蔵谷EF6636.JPG

JR化後、高速貨物の運転が不可欠なJR貨物は、取り敢えずEF66を追加増備した。
ただし形態はよりスマートにリファインされた。

EF66101, 朝霧駅。
1229朝霧6688レEF66101.JPG

同機、舞子駅で。
0910舞子EF66101・225.JPG

EF66105が次位に無動力回送EF66119を繋いで走る。
大蔵谷駅。
0223大蔵谷EF66105・EF66119B.JPG

EF66109、垂水駅。
0916垂水EF66109.JPG

EF66110、大蔵谷駅。
0417大蔵谷EF66110.JPG

EF66111、元町駅近く。
1110元町EF66111.JPG

EF66120、大蔵谷駅。
0428大蔵谷EF66120.JPG

EF66129、加古川駅、高架化成った加古川駅からは高御位山がよく見える。
0710加古川EF66129.JPG

JR貨物も新時代の機関車、EF200を開発、EF66をはるかに凌駕した高性能機で理想に燃え、理想を追求した機関車だ。
まだ登場時の塗装を纏っていた頃。
EF200-15 、大蔵谷駅。
EF200-15.200610.jpg

EF200-16、須磨・塩屋間。
EF200-16suma.jpg

EF200-12、朝霧駅。
EF200-12.200512.jpg

塗装は後にややサイド面が濃くなって良く似合っていた。
EF200-901 、垂水駅。
0624垂水EF200-901a.jpg

同機、宝殿駅。
EF200-901.jpg

EF200-2、舞子駅。
0403舞子EF200-2.JPG

EF200-4、大蔵谷駅。
0910大蔵谷EF200-4.JPG

EF200-6、塩屋駅。
0204塩屋EF200-6.JPG

EF200-7、大蔵谷駅、次位にHD200を無動力でつないでいる。
1229大蔵谷EF200-7B.JPG

EF200-19の正面。
0425垂水EF200-19.JPG

EF200-20 、大蔵谷駅。
0423-3大蔵谷EF200-20.JPG

EF200はあまりにも特殊な設計故、また高性能すぎて電力設備に与える影響が大きく(これにはJR西の変電所設備強化策が中止になったことも絡んでいる)EF66より先に姿を消すことになった。
最先端のデザインは今見ても惚れ惚れするが、佳人薄命の類だろうか。
EF200-10 、舞子駅で。
1209舞子Ef200-10.JPG

EF64、その中でも国鉄時代末期に製造された1000番台が伯備線で運用されているが、一時期、部内用の配給列車などで地元で顔を見せてくれることがあった。
EF641012単機、六甲道駅にて。
0210六甲道EF641012.JPG

EF641023、大蔵谷駅。
EF641023大蔵谷.jpg

EF641049、垂水駅。
1118垂水EF641049.JPG

最終の全般検査で国鉄色に戻された機関車があった。
EF641014、大蔵谷駅。
ef641014大蔵谷.jpg

EF510、まさかと思わせる運用、北陸線貨物機EF510が岡山まで直通運転するようになった。
地元で見られる交直流機は久しぶりだった
EF510-10、塩屋駅近くで。
0609塩屋Ef510-11.JPG

ブルトレ牽引機だった青塗装の機関車も来るように・・・
EF510-513、須磨。塩屋間で。
0618須磨EF510-513.JPG

「カシオペア」専用機までが仲間入りする。
EF510-509 、大蔵谷駅。
0827大蔵谷EF510-509・1.JPG

EF510-1、このタイプには試作機がないがトッポナンバーが量産試作機でややほかの機関車とは違う。
明石・西明石間にて。
0605和阪EF510-1.JPG

DD51、国鉄時代にはこの区間でDLを見ることは珍しかったように思う。
いまや臨時列車や配給、工臨などで結構姿を見かけるようになった。
いずれもJR西所属だ。
工臨牽引のDD511191がEF210と出会う。
大蔵谷駅。
0423-13大蔵谷DD511191・EF210.jpg

同機、サロンカーなにわを牽引し夕陽を浴びる。
大蔵谷駅。
0513大蔵谷DD511191 ・サロンカーなにわ2.JPG

DD511192・1183による重連工臨。
東垂水駅。
072206東垂水DD511192・DD511183 .JPG

DE10、本来、此処を走るべき性能は有していないが、加古川線などへの工臨で稀に見ることができる。
DE101118、西所属機だ。
加古川線工臨。
0117大蔵谷De101118.JPG

EF81、北陸路の機関車だが稀に臨時などを牽いてやってくることがあった。
EF81108、須磨・塩屋間。
EF81108須磨.jpg

EF81113、須磨・塩屋間。
トワイライト色の機関車が当地を走ったのは極めて珍しい。
12系団臨EF81須磨.jpg

貨物機EF81735,、ごく短期間、EF81が日常に入ってくるようになったことがあった。
明石駅にて。
EF81735明石.jpg

EF210、この機関車についてはまだ思い出として語るレベルに達していないだろうとは思う。
EF200の「やり過ぎ」を修正した万能機と言われ今現在も増備が続く。
塩屋での試作機、EF210-901。
0613塩屋EF210-901.JPG

トップナンバーEF210-1 、垂水駅で。
0423-5大蔵谷EF210-1.JPG

企業としては機関車などは性能を統一、できれば部品も可能な限り統一するのが望ましいだろう。
それゆえ、EF210が増殖を続け、そのほかの機関車は少なくなる。
EF66国鉄型消え、100台も残り少ない。
JR西においても工臨などは機関車ではないものを見据えているようだ。

国鉄色を最後まで維持したEF6627号機。
0717垂水EF6627_02.JPG

最後に海を背景に、舞子・朝霧間でEF6627を。
0623大歳山EF6627.JPG
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2024年10月12日

地元、神戸・播磨での機関車(その2)EF60~EF65。

国鉄ではすべての車両に「新系列・旧系列」という考え方があるが、電気機関車ではEF60以降が新系列とされていた。
小型軽量大出力の電動機を搭載、EH10 に近い大出力機関車がEF60だ。
従輪を持たず、F級だが車体はEF58やEH10よりは随分コンパクトだ。

一回だけ撮れたEF60 トップナンバー。
加古川駅で。
S51加古川EF601.JPG

クイル駆動の一時量産機、EF606。
法華山谷川にて。
EF606.jpg

宝殿駅側線、高砂工場への入場車両を牽引するEF608、この初期型は当時はこういった部内用の運用につくことが多かった。
後ろはスハ14、オハネフ12、キハ20あたりだろうか。
ef608宝殿.jpg

こちらは同じ高砂工場入場車両牽引でも宝殿を通過していくEF6059 、三次量産機だ。
宝殿EF6059.jpg

その列車の後追いだろうか、EF60同士が離合する。
キハ35が目立つ。
宝殿EF60+キハ35.下り貨物離合.jpg

EF6042 、二次量産機で、ここでクイル駆動を諦め、ツリカケ式に戻った。
宝殿EF6042.JPG

EF6040、夢前川橋梁。
国鉄夢前川EF6040.JPG

EF6018 、宝殿駅構内。
橋梁部材の輸送中だろうか。
宝殿EF6018.jpg

EF60115、法華山谷川にて。
EF60の最終形態、5次量産機、たくさんやってくるEF65一般形との区別がつかなかった。
宝殿西EF60115.JPG

EF61形、EF60 をベースに旅客用とした機関車で、本来はEF58の後継機として想定されていた。
しかし、地元ではEF58は特急牽引を譲らず、したがってEF61の特急牽引を見たことがない。

正面はEF60 初期量産型、側面はEF60最終形態でなぜかカッコよく思えたものだが、なにせ両数18両と少なく出会うことがほとんどなかった。
法華山谷川、EF612、荷物列車を牽引。
EF61-2法華川橋梁.JPG

EF612の側面、法華山谷川。
宝殿西EF612サイド.JPG

貨物列車を牽引して宝殿を通過するEF615。
EF615宝殿.jpg

EF65、とにかく両数が多く、うじゃうじゃいる感じだった。
今でいえばEF210に相当するだろうか。
一般形から。
EF65はEF60後期と比してあまり変化なく、制御装置が変更されたことは、外からは見えない。
それならEF60各種は変化が激しく、そこで形式の変更なく、EF65で形式の変更があったのが個人的には謎でもある。

EF65一般形。
姫路で初期量産機、EF652。
EF65には試作機というものがなく、いきなり量産に入っている。
ところが制御機の故障が相次ぎ、かなり大規模な設計変更と既存機の改造を行った吉。
姫路Ef652.JPG

EF6598、宝殿駅にて。
宝殿EF6598.jpg

EF65108 、加古川土手を駆け上がる。
宝殿日本毛織横EF65108.jpg

EF65122、宝殿駅にて。
宝殿EF65122.jpg

EF65132、東加古川・加古川間。
野口EF65132.jpg

EF65-500番台、旅客用P型と貨物用F型があるが、なぜか番号は続きで特に区別はしていない。
所属区が異なるから特に問題もなかったのだろうか。
宝殿の名勝、石の宝殿を背景に走るEF65500台、517と読めるように思える。
宝殿EF65500F.jpg

東京への寝台列車「富士」を牽引して深夜の宝殿駅を通過するEF65512。
とにかくカッコよく思えた機関車だが、関西では本当に見ることが稀だった。
宝殿駅富士Ef65512.jpg

EF65-1000番台、旅客にも貨物にも使えるオールマイティ、EF65の最終形態で今現在も活躍する。
この機関車もめったに見ることはなく、むしろいま現在のほうが良く見ているのかもしれない。
東加古川・加古川間EF651001。
今も保存されている機関車だ。
宝殿EF651001.JPG

サロンカーなにわを牽引するEF651125 、東加古川・加古川間。
加古川野口EF651125サロンカーなにわ.jpg

加古川橋梁、特急「あかつき」を牽引するEF65PF、番号不明。
この頃になると、EF58 は順次退役し、EF65PFが寝台特急を牽引していた。
国鉄出会いEF65あかつき、EF66加古川.jpg

14系リゾート客車を牽引して垂水駅を通過するEF651125。
垂水駅EF651125.jpg

鷹取で検査した「ゆうゆうサロン」客車を牽引するEF651131、朝霧付近。
EF651131朝霧.jpg

寝台特急「なは」を牽引するEF651093、塩屋付近。
塩屋EF651093なは.JPG

塩屋にてJR貨物標準色のEF652068(旧EF651068)
0702塩屋EF652068.JPG

JR貨物はEF65最終の全般検査で塗装を国鉄時代のものに戻した。
やはり国鉄時代の塗色は見ていて力強さ、風格がある。
朝霧にて、EF652068の塗装復帰後の姿。
0527狩口EF652068・2.JPG

「特別なトワイライト」を牽引するEF651132。
大蔵谷駅で。
EF651132トワイライト大蔵谷.jpg

国鉄荷物列車の極最晩年、老朽化したFE58をEF62に置き換えた。
信州の山から下りてきた機関車が平坦路線を走る・・
宝殿駅を通過するEF6229。
宝殿EF6229.JPG

EF66、EF200以降はまた次回の機会に。
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2024年10月03日

地元、神戸・播磨での機関車(その1)EF58とEH10。

ワタシが写真を撮影するようになったのは中学1年の頃だ。
コダック社のポケットカメラから端を発して、OLYMPUS 35EDで好きな鉄道を撮影した。
その後、一眼レフ、PENTAX SPを借りて岡山へ人生最初の鉄遠征したが、本格的には国鉄に入社して購入したKonica Acomi-1からとなる。
何故このカメラを選んだか、当時、AEが主流になってきていた一眼レフの中で、CanonとKonicaはシャッター速度優先を採用していたからだ。
鉄道撮影に大事なのは列車を写真上で止めること、あるいは流すにしてもシャッター速度のコントロールが必須だったと考えたからだ。

ところが当時のフィルムの性能ではこの理屈が破綻していたことを知る。
せいぜいASA(今のISO)400のTRY-Xが高感度の一般フィルムだった実情の中で、シャッター優先にすると薄暮などのシーンでは露出不足に気が付かずということになる。
2年使ってレンズも3本そろえたKonicaだったが、酷使で故障したカメラの修理に際しメーカー送りにしてもまともに直らないので嫌気がさし、丸ごと、Nikonに買い替えてしまった。
絞り優先AEのNikon FEで、まだ出たばかり、小型で使い勝手の良いカメラだ。
絞り優先の方が絞りさえ開けておけば常時最高のシャッター速度が使えるわけで(もちろん、日中はそこまで絞りは開けない)これは使い勝手が良かった。
加えて、ゴーストの少ない、そして明るいニッコールレンズ、当時は単焦点レンズの時代、28ミリ、35ミリ、50ミリ、105ミリ、200ミリをそろえ、カメラもすぐにF2、やがてFMを手に入れて旅行にはカメラ二台とレンズ3本・・これは今のデジカメセットよりはるかに小さな荷物で済んだ・・・を持っていくようになった。
地元での撮影は当時、親の都合で加古川市にいたので良く自転車で線路際に行った。
地元の時はサブカメラは持たず、大抵カメラ1台に35ミリと105ミリを持っていったものだ。

さてその当時からワタシの地元と言えばまずは山陽本線、今のJR神戸線だ。
ご多聞に漏れず、ワタシも当時は特急や機関車を追った。
今思えばOLYMPUS 35EDを購入して50年、相変わらず地元で撮影を続ける機関車を追ってみたい。
ほとんどの写真は既出、Archivesになることをご承知おきいただきたい。

*EF58
当時の本線用旅客機だ。
設計製造は戦後すぐと古いが、関西初の夜行列車ではまだ特急を牽引していた。
また荷物列車でも活躍、よく見る機関車だった。
EF58167 、後期型。
宝殿・曽根間はこんなにも長閑だった。
宝殿西EF58167.JPG

EF5891、宝殿駅、当時構内の北側に橋梁部材などが置かれていた土地があった。
ef5891 (3).jpg

EF58158、同じ場所で。
宝殿EF58158.jpg

EF58157、宝殿駅通過中の荷物列車。
背景は農業倉庫。
宝殿EF58157.jpg

同じ位置を走るEF58155。
宝殿EF58155.JPG

12系の団臨を牽くEF58128。
金光臨など、よく貸切の臨時が走ったし、急行但馬の臨時も姫路まではEF58が牽引した。
宝殿EF58128オハ12系団臨.jpg

トップナンバー、EF581、せめて窓枠がHゴム化されていなかったらもっと人気が出ただろうに。
EF581荷物列車宝殿.jpg

番号不明、早朝の寝台特急。
宝殿夕景EF58.jpg

こちらは「阿蘇」番号が流れて読めない、明け方はシャッター速度を思うようには上げられなかった。
宝殿EF58オハ14系「阿蘇」.jpg

急行を牽いて加古川に停車するEF5843。
加古川EF5843.jpg

須磨にて美しい大窓のEF58119。
荷物EF58119須磨.jpg

*EH10
マンモスと呼ばれた重厚なニ両連結の貨物専用機、EF60以降の軽快さとはまた違う魅力を見せてくれた。
初期型番号不明、加古川橋梁。
初期型4両はパンタグラフが中央に寄っていた。
加古川橋梁EH10初期型.JPG

EH1036、宝殿・曽根間、珍しくワムとヨだけを牽引する。
eh1036.jpg

EF1024、パンタグラフが交換された個体もあった。
EH1024.jpg

宝殿駅構内EH109、手前の線路は長期間、車両を留置している場所だ。
EH109.jpg

同じ場所でEH1013、黒い貨物列車が良く似合う。
EH1013.jpg

明け方のEH108。
EH108.jpg

EH1052 、こういう流し撮り的手法はNikonを購入してから可能になった。
EH1052.jpg

須磨にて、EH105、量産一号機だ。
須磨での撮影は宝殿に比すと少なかったが後に自らの意志で須磨に転居、ここが日常になった。
国鉄EH105須摩.JPG

EH104、宝殿駅停車中。
たぶん50ミリレンズしかなく、これ以上広く撮れなかったのではなかろうか。
宝殿EH104.jpg

車体連結部、永久連結とされていた。
宝殿EH104連結面.jpg

短いワムとヨだけの貨物列車を牽いて上っていく。
EH10‣ワフ・ヨ法華川.jpg

EF60以降については次の機会とさせていただきたい。
今思えば、山陽本線特に宝殿付近での撮影は、ワタシが鉄道ファンとして確立していく大きなステップになったように思う。
逆に言えば、あの時、宝殿にいてNikonを買わなければ鉄道ファンとして進化することもなく、さらには写真の世界で苦労を嘗めることもなかったのは確かで、まぁ、そう言う人生を振り返る時期に来ているということだろう。
posted by こう@電車おやじ at 20:19| Comment(2) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする