イベントは神戸駅でも5月11日に開催されるが、神戸市垂水区の「絵葉書資料館」で購入した複製絵葉書と拙撮影の写真で神戸の鉄道を振り返ってみたい。
なお、絵葉書資料館によれば商用目的ではないSNSなどでの利用は自由という事なのでここでは最初に同館の資料であることを宣言して書き進めたいと思う。
本ブログはあくまでも個人運営であり、blog上の宣伝などもブログ運営者には一切入ってこない設定としている。
純粋に個人ブログであることを貫きだいためだ。
絵葉書資料館の概要は以下アクセスから。
https://www.ehagaki.org/
日本の幹線鉄道は当時は「官鉄」として主に港と都市を結ぶ路線に手を付けられた。
関東・関西を結ぶ鉄道は軍事上の理由・・主に艦砲射撃を避ける意味合いから、中山道経由として進められていた頃、まずは緊急に必要だった貿易用の支線から始まったという事だ。
明治5年6月12日(太陽暦)、品川・横浜(桜木町)間仮開通。
同年10月14日、新橋・横浜間正式開業。
そして明治7年5月11日、大阪・神戸間鉄道開業。
当時、大阪・西ノ宮・三ノ宮・神戸の各駅が設けられ、二十日後の6月1日には神崎(今の尼崎)駅・住吉駅も開業している。
これまで徒歩だと丸一日を要していた阪神間がわずか1時間7分で結ばれることとなり、経済活動は一気に花開いた。
この時の三ノ宮駅は三ノ宮神社の近くだという事で、今の元町駅の場所であり、元町駅も事実上は同時に150周年を迎える。
明治10年2月5日、京都・大阪間鉄道が開業、同時に京都・神戸間鉄道の開業式典が行われている。
なお、さらに明治15年、敦賀・長浜間鉄道が開業、琵琶湖の水運と日本海の海運を連絡する術が出来上がったが、幹線鉄道の敷設は経済的事情と戦術の軍事上の理由からの意見があり、遅々として進まなかった。
東海道五十三次をトレースする東海道経由が明らかに当時の日本にとって重要だったはずであるにもかかわらずである。
(中山道鉄道は結局、高崎線、信越本線の一部、中央本線の一部、東海道本線のごく一部が出来たものの、中間地点の軽井沢・塩尻間は未だに鉄道としてもあるいは高速道路としても実現もしていない)
開業間もない時代の神戸駅、相生橋からの撮影とされる絵葉書。
絵葉書資料館所蔵資料より。
手前が今の多聞通、中央幹線だ。
ここに鉄道が駅ができるにあたり、町のど真ん中・・当時は湊川神社や元町周辺が神戸の都心だった・・を分断してしまう事から先進的な鉄道跨線橋「相生橋」が架けられた。
この橋は汽車を眺めるところとして神戸市民にとって名所と化し、のちには市電もここを通ることになる。
三ノ宮駅、今の元町付近にあった駅だ。
昭和初期の高架化・複々線化工事で三ノ宮駅は旧生田川を埋め立てた広大な土地に移されることになり、のちに阪神電鉄も三宮にターミナルを持つことになる。
列車がかなり立派で、長距離列車の雰囲気があるので東海道本線全通後の撮影だろう。
絵葉書資料館所蔵資料より。
政府による鉄道建設が遅々として進まない中、民間資本による幹線鉄道敷設を許可することになり、明治16年には関東・東北に広く路線網を作り上げていく日本鉄道が、明治18年には関西私鉄最初の産声として阪堺鉄道(今の南海電鉄)が開業、そして山陽鉄道は明治21年に兵庫・明石間を、この年の年末に明石・姫路間を開業した。
翌明治22年7月1日、東海道本線がようやく全通し、東京新橋から神戸駅まで一本の鉄路で結ばれた。
当時の新橋・神戸間は20時間5分という事だから、今現在、新幹線で新神戸から東京まで約2時間45分、いやいや、青春18きっぷを使った鈍行旅ですら快速や普通で同じ区間を行けば9時間以内でいけるわけであり、現代人には何とものんびりした旅に感じられるだろうが、徒歩でおよそ12日を要した東海道区間を一日足らずで行けるようになったという事はまさに移動の革命でもあった。
同じ年の9月、山陽鉄道が神戸駅まで延伸し、新橋から姫路までが一本の鉄路でつながった。
この当時の列車はもちろん、蒸気機関車牽引で客車は当初は英国式のコンパートメントごとに扉がある形態のものだった。
阪神間鉄道の工事用に導入され、そのまま開業後は牽引機となり、のちに売却された加悦鉄道2号機。

当時の各座席区画ごとに扉のある形態の客車、加悦鉄道ハ4995号。
ただ、この形態では車内の移動も自由にならず、列車の長距離化にともない便所や車内移動も必要となり、米国式の中央通路式となっていく。
山陽鉄道が開業した頃の須磨海岸。
絵葉書資料館所蔵資料より。
山陽鉄道は明治24年に岡山、明治27年に広島、明治34年に馬関(下関)まで開業するが、明治39年、突然の鉄道国有化法により国有化され、今の山陽本線となった。
しかし一地方の私鉄に関しては国有化の対象から外され、阪堺鉄道はそのまま私鉄として残ることになり、やがて、阪堺鉄道に範をとった純然たる私鉄も登場する。
日本の市街電車以外の電化私鉄で二番目の開業となったのが阪神電気鉄道で、これは日本最初の幹線電気鉄道という画期的なものだった。
明治39年4月12日、大阪出入橋・神戸三宮(滝道)間を開業。
官設鉄道に比して数倍の駅を擁しながら、阪神間をおよそ60分で結んだ。
開業初期の阪神電鉄、場所は大石付近だろうか。
絵葉書資料館所蔵資料より。
さらに明治43年4月15日、今の山陽電鉄の前身にあたる兵庫電気軌道が兵庫から須磨までを開業、大正6年には明石に達する。
舞子公園駅における兵庫電気軌道の電車。
絵葉書資料館所蔵資料より。
須磨付近の神姫電鉄との合併後の電車。
宇治川電気か、山陽電気鉄道になっていたか・・・
絵葉書資料館所蔵資料より。
今の山陽本線舞子駅は構内に皇族専用ホームを有する駅で、通常の駅設備も公園中にある風流な駅だった。
絵葉書資料館所蔵資料より。
明治43年4月5日、神戸電気鉄道(今の神戸電鉄とは無関係の会社)により、市内電車が開業。
市内電車は建設の遅滞、市民からの利便性の追求などのため大正6年に市営化されるが、この辺りの事情は昨今の北神線市営化などとも似ている気がして、神戸独特の風潮というものがあるような気がしてならない。
多聞通を行く、市内電車。
絵葉書資料館所蔵資料より。
大正期、湊川神社前を走る市内電車。
絵葉書資料館所蔵資料より。
栄町通の市電。
絵葉書資料館所蔵資料より。
二代目神戸駅の堂々とした外観と駅前の神戸市電。
絵葉書資料館所蔵資料より。
昭和5年9月、東京・神戸間に画期的な超特急「燕」が運転された。
神戸市垂水区在故又野氏所蔵、新聞記事の「燕」試運転・・地上時代の神戸駅。

こちらは2線で高架なった神戸駅に停車するC53形。
おそらく試運転だろうか。
これも又野氏所蔵、新聞記事より。

神戸駅を含む、三ノ宮・鷹取間は昭和6年10月10日に高架化された。
この高架工事にあたっては当時の技術の粋を集め、しかも駅の部分は可能な限りバリアフリーとしたゆったりとした設計で、さらに複々線化への準備工事も為されていた。
複々線化は昭和12年に完成、今のJR神戸線の形態に近くなった。
写真は高架化ができた当時の元町付近を走る列車。
昭和9年には旧三ノ宮駅跡地に元町駅が開業している。
昭和6年の高架化で相生橋跨線橋は消滅したが、今も高架工事中の仮受けをするために設けられた梁を高架下で見ることができる。
神戸D51PARKの一番北の端、高架の橋脚に横渡ししてある梁が当時の相生橋仮橋の受けではないかと言われている。
もちろん、昭和12年に完成した南側2線では、相生橋は消滅していたのでこのような横梁は存在しない。
昭和12年、電化なった東海道線のスターとして京都・神戸間に「急行電車」が登場。
最新の性能とデザインを備えた画期的な流線形電車は私鉄王国と言われた関西で、鉄道省の存在感を見せつけた。
写真は今も吹田工場で保管されている急行型電車、モハ52.
神戸駅を含む神戸市内高架線や、阪神・阪急・山陽などの私鉄はは阪神大水害、神戸大空襲、いくつもの台風、そして阪神淡路大震災を経験し、その都度、復旧されて今に至る。
そして市電廃止の前に、昭和43年4月7日、神戸高速鉄道が開業、相生橋跡地の地下に電車が走るようになった。
この場所では阪神電車と山陽電車が、線路北側の三宮方向には阪急電車と山陽電車が走るようになった。
同時に高速神戸駅の隣にできた新開地駅には神戸電鉄が乗り入れ神戸市内の私鉄が一堂に会するようになった。
この神戸高速鉄道は戦前から計画されていた私鉄各線の免許線を繋いだもので、例えば阪神電鉄の構想では以下の図のように考えられていた。

当時、湊川が神戸の中心と考えられていて、神有電鉄(今の神戸電鉄)は省線神戸駅を目指したものの、阪神・山陽はいずれも湊川を目指していた。
もしこれができていると、神戸駅周辺は今現在は場末的な雰囲気になっていたかもしれない。
神戸高速鉄道が高速神戸駅を設けたことは、神戸駅にとっては都市の中心駅である最後の砦となったのかもしれない。
昭和12年ごろの阪神三宮駅、この建物は長年「そごう」として神戸市民に親しまれたが、今は「神戸阪急」として健在である。
絵葉書資料館所蔵資料。
同じころの阪急神戸駅、今の阪急神戸三宮駅。
絵葉書資料館所蔵資料。
初の電車特急「こだま」は神戸から東京への日帰りを可能にした。
写真は今も川崎重工で保存されるクハ26001→クハ151-1→クハ181-1車両。
神戸駅は三ノ宮に都市中心部を持っていかれ、さらに新幹線新神戸駅の開業で東への長距離列車も消滅しながらも、駅南の湊川貨物駅は今やハーバーランドとなり、巨大なビジネス・ショッピング街を形成している。
神戸市の構想では数年で、都市中心駅に相応しい雰囲気を持たせるとのことで、期待も高まる。
なお、神戸駅東側に保存されているD511072 は、この湊川貨物駅まで、貨物列車に組まれて北海道からやってきた。
神戸に到着した際の写真が残っている。
昭和53年7月、奥清博氏撮影。

今現在の神戸駅。
堂々たる3代目駅舎は健在だ。
皇族専用に作られた貴賓室が近年まで健在であったのも神戸駅の特徴だ。
昨年までは「がんこ」店内の部屋として予約すれば使わせてもらったが、閉店、いま「Starbucks」の店として改装工事中だ。
改装後もあの雰囲気は残してもらえるのだろうか。

駅舎正面。

夕刻の神戸駅を。
歴史的建造物にも指定された駅舎が未来を見据えて建つ。
夜の神戸駅と月。