昭和62年6月、傷心から、いったん何もかも捨てて北へ渡った僕は、それでも鉄道を楽しもうとする自分にも半ば呆れてはいた。
だが、心を無にし、素直に列車に乗ること、列車を見ることは傷ついた心を癒す大きな力になったのもまた事実だった。
広い北海道を当てもなく列車に乗る。
一気に行った稚内ですぐに折り返し、キハ56を両運転台改造したキハ53504の普通列車で勇知という駅で降りた。
駅舎は車掌車がぽつんと置かれているだけだ。
だが、脇の暖房装置が北海道を物語る。
駅の周りを歩いてみた。
花が盛んだ。
北海道の春は一度にやってくる。。
開花前のルピナス。
こちらは開花したもの。
ムラサキツメクサ。
デイジー。
駅すぐ近くに牧場が見える。
構内、ただの棒線駅だ。
だがこの味わいはどうだ。
急行「宗谷」が来た。
先頭はDD511093、前2両が寝台車、後ろ4両が座席車で、この当時は夜行列車と昼行列車を同じ車両で運行する編成があり、寝台車は座席指定として使われた。
コンパートメント式の座席指定・・ついぞ乗らずに終わったが如何にも北海道らしい列車だと思う。
機関車の次位はスハネフ14だ。
スハネフ14・オハネ14と続いてオハ14となる。
昼間のブルートレイン、なぜこういう北海道らしい列車を残しておいてくれなかったのだろう。
遠くへ過ぎていく列車。
キハ40がやってきた。
キハ40228、この当時としてはまだ新車の香りが漂っていた。
接近する。
去っていく単行気動車。
この時以来、未だに宗谷本線には乗れていない。
いつか時間的精神的に余裕ができたなら乗りに行きたい、そしてもう一度再訪したい宗谷本線勇知である。