国鉄気動車は長年、DMH17系という8気筒のディーゼルエンジンを搭載、これは一般型から通勤型、急行型、特急型にも及び、決して燃費や高速性能、登坂力に優れたエンジンではないが、安定した性能で扱いやすく、それゆえか私鉄にもこのエンジンを搭載した車両が供給されてもいた。
DMH17系エンジンの技術的なことは僕では分かりかねるが、国鉄気動車が作ってくれたあの優しい雰囲気をふっと思い出すことがある。
今現在の気動車は高出力・高燃費がうたい文句で、気動車の性能ももはや電車を超えるレベルにまで高まってきている。
だが、豪快な加速や淡々と苦も無く坂を登る様子は国鉄DMH17系時代には見られなかった。
「からからから」と優しいアイドリング音、勾配線区ではまさに息を切らせて必死に坂を登ろうとするエンジンの精いっぱいの唸り、都市部の幹線では高性能の電車から逃げる必死の高速運転をしても快速電車などに道を譲る。
不思議と初期のキハ10系・20系あたりは別として、キハ20の後期型、キハ26、キハ28、キハ35と進化することで乗り心地は同じ鋼製ばね台車を履いた電車より柔らかで、急行型には長時間の乗車も当時としてはそれなりに快適だった。
特急型にも同じエンジンを載せ続けたのはやり過ぎとも思えたが、安定こそ特急用の最大の要件とすれば納得するものがある。
DMH17系エンジンは戦前のガソリンエンジンGMH17からの進化だ。
つまり、国鉄が気動車の大量生産を行い、このエンジンも大量に使用された時には既に旧式になっていたともいわれる。
その旧式エンジンも改良を重ね、キハ35・28・80以降は横型とされ、室内から点検蓋が消え、車内の静音が大いに進んだ。
DMH17系エンジンを最初に本格採用したのはキハ42500で、これは後のキハ07にあたる。
国鉄のキハ07の走行シーンを見ることはなかったが、私鉄用に製造された若干スマートな鹿児島交通キハ100形を。

こちらは片上鉄道のキハ700形で、国鉄キハ42000→07出自だ。
一両が今も吉ヶ原で動態保存されている。
国鉄としては大々的にこのエンジンを改良して大量増備に踏み切ったのがキハ10・17系だろう。
それにはもちろん、液体変速機の成功という面がある。
篠栗線快速のキハ10。

こちらは姫路駅でのキハ17。

片町線祝園付近を行くキハ10と20の2連。(画像はカラー化している)

加悦鉄道に転じたキハ10。

気動車をローカル線だけのものと捉え、あからさまにコストダウンを図ったキハ10系は、速度の面ではともかく、粗悪な台車DT19による乗り心地や、幅の狭い車体、ピッチの小さく背もたれの低い座席など居住性での評判は芳しくない。
そこで準急用として居住性を大幅に改善したキハ26・55系が登場。

この形式は扱いやすく、私鉄向けにも登場した。
島原鉄道。
南海電鉄の国鉄乗り入れ用。

昭和30年代初め、蒸機列車に比して大幅な速達化を図った列車は大好評となり気動車による優等列車を望む声が大きくなっていった。
また一般気動車でも客車並みの居住性を求める声が大きくなっていった。
そこでキハ26とほぼ同じアコモを持ち、ラッシュ輸送もある程度加味したキハ20系が出る。
だがまだ台車はキハ10系と同じ粗末なDT19だった。
高砂工場内で。
キハ20は増備の途中で台車が変更され、車体内外の見付も変わった。
この時代のキハ20一党が国鉄気動車の最高傑作であろうと僕は思う。
国鉄設計の良心が集まってできた名車ではないか。
予讃線のキハ20系の5連。

そして満を持してキハ28・58一党の登場だ。
キハ26を一歩進め、当時の電車や客車と遜色を感じさせない広幅車体、急行型としての幅広の座席、そして新開発の横型エンジン。
こと、急行に関しては電車急行とさほど変わらぬ居住性を発揮した。
余部橋梁にて。

グリーン車の外観も洗練された。
松江にて。

北海道形キハ27・56による長距離急行「宗谷」、稚内・函館を結ぶ列車だった。

長崎本線、急行の間合い運用の列車が通勤列車として走る。

気動車は通勤線区にも進出した。
外吊りドア、ロングシート、気動車版103系というところだろうか。
京都駅のキハ35。
キハ35のエンジン交換風景。

新幹線が現実味を帯び、電化線区には電車特急が走る。
気動車による特急も期待された。
最初は昭和35年のキハ81から。
写真は最後に使われた「くろしお」のもの。

東北線特急として登場した系列だったが、気動車特急としてはやはり発展途上にあり、昭和36年の大増備で流麗な貫通型スタイルのキハ82が登場。
非電化線区のイメージを大きく変えた。
「くろしお」海南駅で。

「おおぞら」白石で。

「まつかぜ」
城崎で。

キロ80、全般検査仕上がり。

だが、特急用にエンジンを2基搭載しても最高速度は急行用をわずかに5キロ上回った100km/h、当時とてエンジンとしては古い部類に入るDMH17の限界も感じさせてはいた。
乗り心地は非常によく、柔らかく静か、「まつかぜ」「北海」「北斗」・・どれも目を瞑ればあの乗り心地を思い出すことができる。
後継のキハ181も乗り心地は良かったがやはり大馬力エンジンゆえの豪快さが時には「キツく」感じることもあった。
しかし、キハ80系で山陽本線を長躯駆けた「かもめ」が485系に道を譲らなかったのは、気動車特急の意地も感じさせてはくれていた。

国鉄気動車特急の成功は私鉄にもインパクトを与えた。
キハ80とキハ58の合いの子的存在、名鉄キハ8000の登場だ。
システム的には国鉄型そのもので、富山、立山まで名鉄・国鉄・富山地鉄を繋いだ列車だ。

当初準急で登場し、のちに、急行、特急へと格上げされた出世列車でもある。
写真は富山駅停車中の様子。
キハ28系と80系が並ぶ。
記憶があいまいだが、紀伊勝浦駅とのこと。

隆盛を極めるDMH17搭載の気動車だが、このエンジンが非力なのは、とうの国鉄自体がよく知っていて、昭和30年代から次世代エンジン搭載車の開発が始まっていた。
やがてそれは、キハ91で一編成ぶんの陽の目を見、急行列車の冷房電源・勾配対策としてキハ65が登場。
そして新特急車キハ181へとの流れとなる。
一般用途でもキハ66で大出力エンジンを、キハ40・47で通常線区用の新エンジンを搭載、ここにDMH17の時代が終わった。
過去のノスタルジーに浸るとき、淡い排煙の香りとともに、柔らかい乗り心地、そして力行の時でもどこかマイペースなサウンド、惰行の時の優しいアイドル音が思い返されてならない。
キハ20後期型・35・28、金属ばねの台車だが乗り心地は良かった。
もはや現実にDMH17を搭載している車両はJRにはなく、私鉄が僅かに保有しているものだけである。
小湊鉄道、キハ20をロングシートにした設計と言われるがここのキハ200も、そろそろ先が見えてきているようだ。

水島臨海鉄道、ここは明らかに動態保存としてキハ30と20を保有している。
キハ20は車籍がなく本線走行はできないが、時にイベントで車庫内を走行し、その健在ぶりを見せてくれる。
ほかに、ひたちなか海浜鉄道、平成筑豊鉄道、いすみ鉄道も動態保存として、あるいは観光列車として保有している。
ノスタルジーを感じさせてくれる気動車、その中心こそDMH17なのだろう。
植苗でのキハ27・56。

桂川、キハ22。

姫路、キハ35。

そして意外に長生きをしたJR東海に引き継がれたキハ80系「ひだ」

好きなキハ20の写真をいくつか。
北条線。

ひたちなか海浜鉄道。

水島臨海鉄道。

そして二俣線。

もう一度、あのゆったりした座席で壁側の枕に頭を乗せて、カラカラカラという惰行サウンドを、さして速度も出さぬレールジョイントの音とともに浸っていたい。
季節は冬、時刻は夕から夜にかけて・・二俣線で。
新十津川のキハ46。

鍛冶屋線キハ20。

DMH17系エンジン車はなんでも連結できる・・
鳥栖にて・・
最後は新系列気動車も含めた雑多な通勤列車を。
長崎本線。
