一つは神戸市高速鉄道=神戸市営地下鉄。
もう一つはこれより歴史の古い、神戸高速鉄道だ。
正式名称では「市」の文字が入っているかいないかだけの差でややこしいが、通常は「神戸市高速鉄道」は「神戸市営地下鉄」と呼ばれ、案内にもそうなるのでここではそちらを「市営地下鉄」、本題の主人公を「神戸高速鉄道」と呼ぶことにする。
かつて神戸市には、国鉄東海道・山陽本線のほかに、4つの鉄道会社が乗り入れていて、それぞれ別個のターミナルを有していた。
歴史の古い順に、阪神電鉄が三宮・元町、山陽電鉄が兵庫、京阪神急行電鉄(今の阪急電鉄、以下、阪急)は阪急神戸=阪急三宮、神戸電鉄は湊川だ。
これら私鉄各社のターミナル間は東洋一と謳われた神戸市電が結んでいたが、戦前戦後の都心と言われる湊川への延長は、阪神、山陽の悲願でもあり延長線の免許を有していたし、神戸電鉄は湊川からさらに南へ神戸駅までの路線免許も保有していた。
戦後、神戸市が主導してこれらをまとめ、市内の私鉄路線を結ぶ地下鉄として、神戸高速鉄道が設立されたのが昭和33年だ。
昭和43年4月7日、神戸高速鉄道東西線、南北線が開業。
各社の電車は高速神戸、新開地に集結した。
その頃の僕はまだ小学生で、ある日、梅田から兵庫へ行くのに、いつもなら元町で阪神電車を降りて国電に乗り換えるのに、父が「このまま乗っていく」という。
高速神戸に着いた時、隣のホームに高運転台、青とクリームの山陽3000系を見た時、なんと格好の良い電車があるものだろうと感嘆したのを覚えている。
さて、僕がこの路線とその周辺で写真を撮影するようになったのは昭和50年頃からだから開業後すでに7年も経過していた。
それ以降の思い出ではあるが、路線の大半が地下線ゆえ、当時のカメラやフィルムでは撮影そのものが難しく、結果として路線外側の各社において乗り入れ列車を撮影することが中心になっている点はご承知くださればと思う。
神戸高速開業から長らく、相互乗り入れの免許は山陽須磨浦公園、阪神御影、阪急御影間となっていた。
実際の旅客営業上の乗り入れは須磨浦公園、阪神大石、阪急御影間だった。
各社、特急列車を中心に神戸高速を介して相手方に乗り入れが行われていた。
この開業に際して当時日本で最先端のATSである電波を使った「連続制御式」が採用されている。
これはJRのATS-P並みの高機能をこの当時に実現した画期的なものだ。
神戸高速には基本は山陽は全営業車両が乗り入れてくる。
高速線内で新車を見ることもあった。
黒Hゴムで知られた3060Fだ。
こちらは3030F、この頃のネガカラーフィルムは褪色が激しく、画像処理を施してみられるようになった。
ところが、撮影から30年ほどたったころ、なんとこの編成が復刻塗装車となり高速神戸駅に停車。
30年の時間距離が一気に縮まった。
こういう企画は大賛成だし、鉄道ファンならずとも沿線住民からも好感を持って受け入れられるはずだが、昨今の「撮り鉄」による鉄道営業などへの妨害は甚だしく、乗務員の中には鉄道ファンを危険視する人まで出てきてしまう。
こうなると、鉄道ファンを集めるこういったイベント列車はNG扱いとなってしまうのが昨今の哀しいところだ。
では南北線新開地駅。
神戸電鉄の初期高性能車、今でも懐かしむ人が多い300形電車が停車する。
「準急・岡場行」
300形は310形を間に組み込んで4連化され、3000系などと同じような運用だったから、当時、3連しか入れなかった岡場以北、志染以西へは行かなかった。
その新開地駅でこういう光景が時に出現する。
神戸電鉄1350形1357F・・復刻ツートンだ。
神鉄はこういうイベント列車に熱心で、この辺り山陽とはちょっと社風が異なるようだ。
集まるファンも穏やかな人が多いのかもしれない。
そう言えば、神鉄沿線で鉄道ファン同士の不愉快な事案に遭遇したことはない。
阪神の電車は、西灘から半地下の岩屋に達してそこから地下に入る。
西灘駅を通過しようとする赤胴2000系(7001系7801系の形態が同じ車両を再編成した系列)の須磨浦公園特急。
阪神三宮でここから先へは行かない快速急行。
神戸高速には入れない端っこのホームで7801系。

高速神戸にて、阪神3801系、大出力・エアサス装備の優秀車だったはずだが、一部編成で製造の際のミスがあったらしく、乗り入れ先の山陽電鉄で事故を起こした。
使用停止となり、この写真の当該編成以外も編成組み換え、内装のリニューアルを行い番号も変更された。

阪急に乗り入れた山陽の車両は御影駅西方で折り返す。

阪急線内を普通扱いと言えど駅間の長さゆえに高速運転する山陽電車はなかなか楽しかった。
六甲駅に初めて6両編成が乗り入れた。

阪急三宮駅で‥
山陽の初代アルミカーが引退を前に登場時のイメージに復刻され、停車する。
国鉄三ノ宮駅から・・山陽3615(3030F)が折り返す準備をしている。
この編成は後に復刻塗装となったが、元々の塗装の頃だ。
神戸高速鉄道は阪神淡路大震災で大開駅が押しつぶされ、阪急と結ぶ高架橋が崩落した。
それゆえ、震災後から長らく阪急・山陽方面と繋がれず、地下に残った車両で、阪神三宮と新開地の間だけを運行していた時期があった。
僕も当時は神戸市垂水区から大阪市中央区へ通勤していて、真横ではJRがやはり不通になっていて、高速神戸・阪神三宮間をよく利用した。
高速神戸駅も阪神三宮駅も地下は地震などがあったのかという、ほとんど地震前と変わらず不思議な静けさを保っていたが、そこにやってきた山陽5000系の赤いクロスシートに強烈な復興への意思を感じたものだ。
その山陽5000系、大開駅崩壊の際に、この駅を通過するところだったそうで、辛うじて通過して大破は免れたものの、脱線しパンタグラフは吹っ飛んでいたそうだ。
当該は六甲駅の写真にも写る5022で、なんの因果か、僕の手元にはこの編成が「直通特急」運転開始をアピールする看板を付けて走る「阪急六甲行特急」の、それも今はここに駅がある西二見での写真がある。

なお、大開駅崩壊・阪急との接続高架線崩落・阪神本線での連続高架崩壊でここに閉じ込められたのは山陽が5022・5018の6連2本、3070の4連1本、阪神が5131・5139の4連2本、阪急が8001Fの8連一本で、これらで阪神三宮・花隈~新開地間を運行していた。
地下の2駅間だけを走り、お客もほとんどいない阪急8000系が当時はまだ珍しかったVVVFの制御音を響かせて高速神戸を出る姿には切ないものがあった。
西代駅は神戸高速開業時に移設・拡大され、6連対応の橋上駅となった。
旧駅のあった場所から当時の西代駅を見る。
ちょうど山陽3000系特急がゆっくりカーブを曲がる。
橋上駅から阪急7020Fを。
画面左の立派な木造建築は山陽電鉄の旧本社だ。
こちらはカラーで阪急5006F。
一時、阪急5000系は須磨浦特急専門のような運用をされていてなじみのある系列だ。
阪神の旧特急車、3011系を改造した3061系が入線する。
左側は蓮池の体育館。

停車する7601系7708。
サイリスタチョッパ制御車に改造された急行系赤胴。

道路高架下を潜る阪神7001系7117F。

西代から板宿の間の地上線。
この区間は地下化されているが山陽電鉄の路線だ。
阪神7801系の初期タイプ、7829。
こちらはすっきりと美しい阪神7101系7105。
板宿・・仮設駅舎になる前の下りホームで阪急5100系5132が停車。
商店街を背景に阪神3501系3515が行く。
この踏切はいつも混雑していたが、朝などは一時間に片道30回以上の電車が通過し開かずの踏切だった。
急ぐ学生が遮断機をくぐるのは日常の事だった。
板宿を行く阪急6000系6111。

大手付近、真夏の踏切を行く、阪急7000系7020F。
須磨寺の急カーブを行く阪神3501形3503。

電鉄須磨駅の副本線に停車するのは当時の優秀車3801系3904。
この車両は3801系の系列廃止後、武庫川線7890形に改造され、現役引退後の今も武庫川団地で保存展示されている。

山陽2700系は国鉄63形の更新車であり、大馬力ツリカケモーターの音を地下線内部に反射させていたのが印象的だ。
電鉄須磨駅に入線する新開地行2708。

電鉄須磨に入線する阪急梅田行き特急。
5100系5130F。

ブレーブスの看板を付けた阪急5000系5010F。
須磨浦公園での阪神8801系8901、かつての3903だ。
阪急5008が桜満開の須磨浦公園を発車する。

阪神7601系7709、二連の窓が美しい。

こちらは7801系7826。

春の須磨浦公園で阪急と阪神が並んだ。

春のぼんやり感、ソフトフォーカスで。
阪急・阪神の並び。

阪急6000系が緑の公園内を行く。
6015F。

阪急の最新8000系も須磨浦公園まで乗り入れた。
新開地駅、神鉄の復刻塗装「メモリアルトレイン」と3000系が並ぶ。
菊水山駅近く、新開地行を表示して神鉄3000系トップナンバー編成が行く。
こちらは急行新開地行、1300系1306。
1300系は全車が引退してしまっている。

神戸電鉄はかつては神戸市が最大の株主で阪急・阪神の持ち株比率が公平であり、山陽・神鉄も応分の株を保有していた。
それゆえ、よく言えば公平、悪く言えば会社の壁が厚く、都市部地下線の直通運転としては本邦でごく初期であったにもかかわらず、長らく各社間の完全直通運転とはいかなかった。
それが変わってきたのが阪神淡路大震災後の復興期で、JR神戸線があの大被害から先に復旧し、そのスピードで大量の乗客が私鉄から流れ込んだ。
危機感を持った各社ではあったが神戸高速復旧後のダイヤ改正では僅かに利便性を向上させただけにとどまった。
大きな変化はすぐに表れた。
もっとも強い危機感を持った山陽電鉄は、車体寸法、編成長などが共通する阪神に対して直通特急による両社間の相互乗り入れを提案、元々、山陽沿線から阪神方向への流動が多いこともあり、平成10年2月、阪神・山陽の直特急が運転を開始した。
当初は「大阪ライナー」「姫路ライナー」の表示も誇らしげだった。
この直通特急は平成13年には大増発され、西元町・大開にも停車する「黄直特」も登場し、早朝から深夜まで毎時4~5回と頻発運行している。

しかし、阪急と山陽との直通運転は終了し、阪急はその分、神戸高速線発着の神戸線列車をすべて8連として編成増強、さらには自社内の線路改良でのスピードアップも果たしている。
三宮の神戸高速高架橋を行く阪急8000系8035。
神戸高速を取り囲む情勢も近年には大きく変化し、阪急・阪神HDが誕生しかつてのライバルが同じ企業グループに所属することになった。
そして神戸市が株の一部を阪急・阪神に譲渡したことで、神戸高速鉄道は神戸市主体の第三セクターから、阪急・阪神HD内の子会社ということになった。
路線も阪神電鉄神戸高速線と、阪急神戸高速線となり、実務社員は阪神電鉄に移りいまや会社は線路保有だけだ。
評判の良くない初乗り運賃の各社分がかかる制度は、今も継続されているが、実はこの鉄道、運賃に関しては日本でも極めて安い方で、三宮・西代・湊川間だけの利用ならむしろその安さを享受できるという状況にある。
今後は可能であるならば阪急と山陽の何らかの直通の復活、阪神と山陽の間の普通列車を含めた完全相互乗り入れ、神戸電鉄をせめて、高速神戸に乗り入れできないかという方法の検討などするべきことはたくさんあると思う。
僕は今後もこの鉄道は使うし、僕の生活には深くかかわってくる鉄道であると認識している。
直通特急はそれなりの成功を収めてはいるが、JRや市営地下鉄への乗客の転移、都市内高速バスの台頭など厳しい要件もあり、乗客数は減り続けている。
神戸で始まった本邦ごく初期の相互乗り入れを未来に生かす、その方向へもう少し考えて欲しいものだと思う。