第三セクター後も迷走を続ける鉄道だが、国際観光地でもある天橋立や丹後由良を擁する景色の良い路線でもある。
このブログでは10年前に現在の丹鉄全体を取り上げているが、改めてこの橋梁のことを取り上げたいと思う。
僕は国鉄時代にはこの橋梁を渡ったことはあっても撮影には赴かなかったように思う。
だが、当初はまだ国鉄の香りが良い意味で強く残っていて、撮影していて楽しい列車が多かった。
平成2年4月から第三セクターとしての運行が始まった。
由良川は友人と丹後神崎にドライブに行ったときに立ち寄ったのが最初だ。
余部橋梁とは真逆の低い、水面に近い、海に近い橋梁・・幅の広い川と海の境目のあたりを列車は今も昔もゆっくり進む。
同時に走り出したKTR001形、タンゴエクスプローラーは気動車の常識を覆すような意欲作で、当時の撮影目的はまずこの車両だった。

いつ見てもカッコよく、美しい車両だった。
6×6版ポジのタンゴエクスプローラー。
丹後神崎側から川を渡る様子を。

まだまだキハ181が元気な時代、JRからは特急「あさしお」が乗り入れていた。
長い8連だ。
こちらは5連。

そして貫禄があり、華やかでもあったのが急行列車「丹後」だ。
言わずと知れたキハ28・58系で、時には7連なんて長い編成で走ったものだ。

こちらは6連。

そして4連。

国鉄からは普通列車としてもキハ28系が入ってくる。
この普通列車は2連だ。

北近畿タンゴ鉄道もキハ28系を購入し、2両の観光列車と2両の一般用に使った。
残念ながらここでエーデルタイプの前頭部を持ったKTR1002・2002をこの橋梁で見たことはなく、1001・2001の写真があるだけだ。
当時は運行情報も少なかった。

銀の車体が景色に良く映えていた。

だが、すでに宮福線が開業した後であり、さらに宮福線の電化、高速化で福知山から宮津へ行く系統が主流になっていくと、宮津線特に宮舞線区間は置き忘れられたような存在になった。
丹後由良や丹後神崎が観光地としての地位を低下させ、特急列車は通らなくなり生活路線として生きるようになってしまう。
そうなると人口はさして多くない地域で、鉄道の維持が難しい。
それでも景色の美しさは変わらない。
せめてもの救いが転換クロスシートを持った大型車だという事だろうか。
だが、かつての長大編成の特急・急行が走っていた時代を知るものには哀しい・・
海と空を背景に単行気動車が行く。
この橋梁の場所が川と海の境目のあたりだという事が分かる。
辛うじてこの路線が観光路線であることを示してくれる列車「くろまつ」が行く。
京都丹後鉄道ではJR東海の気動車を購入したと聞く。
もはや廃車同然となったタンゴエクスプローラに代わり、この風光明媚な区間での女王になってくれることを祈る。
最後に心細い由良川橋梁の軌道を。