2022年11月30日

流線形雑感

この頃よく利用する近鉄には随分流線形車両が増えたなぁと感じる。
「ひのとり」「しまかぜ」「アーバンライナー」「伊勢志摩ライナー」いずれも抜群のデザインで乗りたくなる、撮りたくなる魅力を放つ。
近鉄アーバン伊賀神戸.jpg

また、東海道・山陽・九州新幹線や東北・北海道・上越・北陸新幹線の車両はいずれも美しい流線形だ。
新幹線のように航空機の離陸時に匹敵する高速運転を行う列車では当然、流線形車両というのは空気力学、流体力学の理にかなっているのだろう。
1007西明石500系V8・N700上り.JPG

新幹線ほどではなくても近鉄特急の最高速度は時速130キロ、このレベルに達するとやはり流線形というのは走行時の安定性、エネルギーロスの軽減には意味があるのだろうと思う。
実際、普段の通勤用車両で先頭車に乗ったとき、風きりのけっこう甲高い音が聴こえてくれば、技術者とすればやはり在来線程度の速度レベルでも流線形にしたくなるのだと思う。
0902近鉄青山町伊勢志摩ライナー流し赤.JPG

流線形車両の設計製造に熱心なのは特定の鉄道会社に限られるようで、流線形特急車両を次々発表する会社もあるのだが、基本、ベーシックを崩さない頑固なイメージの会社もある。
また、車両メーカーにとっても流線形車両はデザイナーの力量を発揮させる重要な分野であるけれど、上手にまとめるのが難しく場合によってはメーカーの不器用さを世間に公表することにもなるわけで怖い存在なのかもしれない。
(この意味では某社のデザインセンスは良いとは言えないとみている。)

さて、流線形車両というのは、鉄道車両が箱型デザインになった時から存在するわけで、速そうに見えるというのは基本的な人間の欲求のひとつかもしれない。
古くは木造車の時代から、技術者は早そうでカッコいいデザインを求めてきたが、華が開くのは鋼製車両の時代になり、デザインの自由度が増してからだろう。

欧米の鉄道がこぞって流線型の高速列車を運行し始めたことで、戦前の鉄道省は日本でも流線形をと思ったのだろう。
気動車などでは前面形状を円筒型にすることで軽快感を出すこことはこの前から行われていた。
写真は美濃電出自の名鉄モ510形。
名鉄513黒野.jpg

本格的な流線形の始まりは、昭和9年からC53の一両を流線形に改造、C55を流線型で製造、EF55も流線形で製造・・そして昭和11年、関西の急行電車、モハ52の製造に至る。
流線形車両というのは正面が傾いているとか、湾曲しているとかだけではなく、全体のイメージが正面のデザインと繋がっているのでなければならないと思うが、まさに、モハ52はこの点で秀逸だった。
1031吹田モハ52全景.JPG

飯田線で活躍当時のクモハ52.
クモハ52003牛久保.jpg

当時としては最先端の流線形状の正面、ノンシルノンヘッダの平滑な車体に裾にはスカート迄ついた。
電車が女性的なデザインを纏った最初の例だろう。
最初の一編成は茶色に窓枠と屋根、裾カバーをクリーム色にして登場。
翌年昭和12年の二編成目、三編成目は車体をクリーム地とし窓回りを茶色、この塗装が好評で一編成目も塗り替えられたという。

この年には気動車でも流線形の編成が登場している。
キハ43000形だ。
鉄博の模型から。
0726鉄博キハ43001模型.JPG

しかし、当時の最高速度では流線形である必然性は少なく、特に車両保守の面から不便であるために第四編成、第五編成は貫通型スカートなしの所謂「半流」となったが、それはそれで優れたデザインとなり人気があったそうだ。
写真は末期に大糸線で活躍していた頃の半流。
クモハ43大糸線.jpg

私鉄王国と言われた当時の関西でもこの電車は大きな評判になり、対鉄道省対策として流線形の製造に踏み切ったのが京阪、だがサービスの本質は流行の外観ではないと、阪急・阪神などは自社のサービスレベル向上に様々な取り組みでこれを迎え撃つ。
この時期にモハ52と並ぶ傑作を世に送ったのは愛知電鉄と名岐鉄道が合併したばかりの名古屋鉄道=名鉄で、前二社それぞれの設計による流線形が東西で走り始めたが、特に東部線3400系の仕上がりが秀逸だった。
(ワタシでは更新前の姿しか記録できていない)
こちらが850形(愛称・・なまず」
名鉄太田川850.JPG

こちらが3400形(愛称いもむし)
名鉄3400系2403神宮前.jpg

なおこの名鉄3400やモハ52の流れを汲む車両として戦後生まれの西鉄600形→1300形がある。
西鉄1300福岡.jpg

戦時には途切れたサービス合戦も戦後数年で復活、組織改編が成った鉄道省→国鉄は戦後のイメージアップに湘南型流線形状の車体を各種車両に投入。
80系は初期の編成は半流線形だったが二次車から前面は二枚窓流線形状となった。
しかし、側面はオハ35を思わせる旧型客車そのもののイメージで軽快感を欠く。
宝殿入線80系後追い.jpg

後に全金属製300台となってようやく側面も前面に似合ったものになったが、国鉄電車戦後の二枚窓流線形としては近郊型70系のほうがずっと軽快なイメージで上下に広がった二段窓が良く前面形状に似合っていた。
福塩線70系下から神辺反対側.JPG

関西で国鉄を迎え撃つ私鉄では、山陽が国鉄電化を警戒したのか戦後初のロマンスカーを投入して世間をあっと言わせたが、これは箱型の男性的なデザイン。
東西とも私鉄で流線形デザインが本格化するのは、カルダン駆動と相まって昭和30年ごろだろう。
関西では戦後の流線形は南海の特急車、近鉄のビスタカーまで待たねばならならず、京阪神間の私鉄には流線形は戦前型の京阪が残るだけで戦後しばらくは無縁の存在。
南海11001系(11009系)→1001系。
南海1004箱作 (2).jpg

近鉄10100系新ビスタカー。
近鉄10100名古屋.jpg

阪神3011系が湘南型をアレンジした前頭形状にゆったりした側面デザインを併せ持ちこれも世間をあっと言わせたもののデザインとしては短命だったが、近鉄が奈良線に投入した800系車両は湘南型からは乖離した前面二枚窓に下降窓がズラリと並ぶ側面デザインが美しく案外長生きしたのも印象的だ。
近鉄802京都.jpg

湘南型二枚窓の車両は関東では各社で製造されたが、特に秀逸なのが東急5000系だろう。
お多福のような優しくも愛嬌のある前面形状、大きく湾曲した張殻構造の側面が緑一色の車体色と相まってまだ混雑が激化する前の関東私鉄の余裕も感じさせてくれる。
写真は熊本移籍後かなり時間が経過してからのものだ。
東急5000熊本5102A.jpg

国鉄EF58は終戦直後の登場だが当初は不安定な機関車だったとされる。
後に湘南型前面を持つ流線形ボディを採用、各部を改良して故障の少ない、特急も牽引する機関車となった。
荷物EF58119須磨 (2).jpg

戦後、流線形が本格化したのは小田急SEがあってのことだろう。
ここではSSE化後の姿しか紹介できないが、戦後初のまともな流線形としてまさに世間を驚かせ、ここから流線形特急車両の進化が始まったといっても過言ではない。
S56小田急SSE小田原全景.JPG

南海電鉄にも秀逸な流線形特急車「こうや号」が登場したが僅か1編成だった。
南海大和川20001前2連 (2).JPG

国鉄が鉄道近代化の大看板として登場させたのが20系電車で、のちに151系→181系と進化をするこの系列は、業界のトップランナーではあった。
川崎重工保存車両だ。
1018和田岬線川重クハ26.JPG

また国鉄は先頭に流線形EF58がつくことを前提に、客車編成そのものを流線形化した20系客車も登場する。
写真は急行転用後の「だいせん」
20系だいせん.jpg

だがこの間に進化を続けた鉄道こそ、名古屋鉄道=名鉄だ。
男性的な角ばったデザインの戦後の新車3900系を経て企画されたカルダン特急車で昭和30年に登場した5000系は真ん丸な正面にあわせて張殻構造の車体、そして転換クロスシートを持った画期的な車両だった。
名鉄高速5000.jpg

その後継の5200系では貫通型ながらシュリーレン式の下降窓を持ち、国鉄サロ、キロ登場時デザインに大きな影響を与えた。
わが国戦後初の大衆冷房車ながら、デザインは前二者に比すると大人しかった5500を経て昭和36年、いきなり登場した7000系パノラマカーは、これがごく普段使いの大衆的な電車でありながら意欲的な前面展望室付き二階運転台に連続窓、張殻構造車体、真っ赤で統一された車体色と相まって世間に強烈なインパクトを与えた。
名鉄パノラマカーの登場である。
名鉄新名古屋7000俯瞰.jpg

これに負けるものかと、名鉄より先じて二階運転台方式の展望車を検討していた小田急もNSEを投入。
流麗なデザインは名鉄とは違った格を感じさせてくれた。
S56小田急NSE編成湯本.JPG

そしてそのあとに続く国鉄新幹線電車や特急電車群と、まさに世は流線形時代になっていった。
0系大窓サイド加古川.jpg

しかし、国鉄在来線特急気動車が分割併合の容易さ、タブレット収受の必要性から貫通型キハ82に移行、電車特急でもボンネット型485系は貫通型の200台に、新規に登場する特急車も581系183系381系など高運転台でありながら正面は丸妻に近いデザインとなった。
それでも、国鉄はこの時期、モハ52のイメージを現代風にアレンジした117系を関西圏と中京圏に登場させ、これは人気を博した。
S54姫路駅117系一番列車折り返しクハ117-1.JPG

また、気動車特急にスラントノーズを採用したキハ183は独得のイメージでこれも人気があった。
(のちの増備車では貫通型に改められている)
キハ183原色桂川 (3).jpg

私鉄では近鉄が10100系新ビスタカーのあとは、貫通型に没頭する時代となり、小田急は長らく特急車の新車が出ず、名鉄が改良型の7500系を含めて流線形車両では気を吐く時代となる。
名鉄岡崎7501全景.jpg

昭和末期の8800系パノラマDX、そのあとの1000系パノラマスーパーは展望室を二階に、運転台を一階に置く逆転の発想で、パノラマカーでは問題になっていた乗務員の作業姿勢を向上させ、乗客にはハイデッカーからの前面展望をプレゼントした画期的な設計だ。

短命に終わったパノラマDX。
名鉄8800知立2002 (2).jpg

今も半数の車両が活躍するパノラマスーパー1000系。
名鉄乙川1000・7000.jpg

国鉄が解体され、平成の世になり会社の看板としての特急車両には流線形が求められるようになってきた。
JR四国の世界初の振り子式気動車2000系は当初、編成片側の前面部分は流線形状で、それを応用した智頭急行HOT7000系は流線形状の前面を採用、JR北海道のものはシステムこそ四国のものを応用するが前面デザインは独特の高運転台・貫通式となった。
0825児島南風.jpg

こちら智頭急行HOT7000系。
0212智頭HOT7000スーパーはくと4号.JPG

JR貨物は発足当初、EF66を増備したがオリジナルとは大きくイメージの異なる優しい流線形状で登場。
EF66100台、マミヤRZ撮影.jpg

そしてJR四国には流線形状の極みともいえる8000系特急電車も登場。
1004しおかぜサイド.jpg

平成の世に流線形で誰もが認める好デザインと言えば、JR西日本の新幹線電車500系だろう。
針金のように細く長いフロントデザイン、湾曲した側面デザイン、編成全体の統一されたイメージは、理想の流線形をあくまでも追求し、理想に従って設計された車両と言え、未だにこの電車の好デザインを凌駕するものはないかもしれない。
1213長坂500系こだま2.JPG

同じころ、車両デザインに意欲的だったJR西日本は近郊型電車221系を登場させた。
非常に統一感のあるデザインで車体前面・側面のバランスはJR各社の近郊型の最高峰ではなかろうか。
須磨221系新快速上り.JPG

オーシャンアロー283系も忘れてはならない。
0619オーシャンアロー.jpg

北陸線特急として登場した681系。
デザインとしてはどうなのだろうと感じていたが、北越急行の赤い塗装がよく似合っていた。
この電車はサンダーバードなどの現状よりははっきりとした色合い、塗り分けが似合う気がする。
北越681.jpg

JR九州にもロボットアニメの主人公のような787系の後、登場した881系白いかもめ・白いソニックはドイツの車両に似ているのは確かだがこれも理想の流線形と言えるだろう。
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だが平成の末ごろから令和の今、また流線形車両はある意味では後退の時期にとなっているのかもしれない。
JR西日本が登場させる特急車両はおよ流線形状から離れた単なる高運転台型だし、JR東海やJR四国の新車は箱型の男性的なデザインだ。

余談だがワタシが使う男性的、女性的というのはあくまでもデザインに関することで、しなやかで丸みの目立つ車体を女性的、実用的で力を感じさせる車体を男性的と表現しているだけで他意はないことを書き添えておく。

東海道・山陽新幹線は0系・100系のあと、少し大人しい300系、そのあとがいきなり500系、そしてかなりコストダウンを意識しながらも、カモノハシに似た愛嬌のある顔立ちの700系、それを発展させたN700系シリーズと続くわけだが、ここでデザインとしての発展が止まってしまい、流線形デザインの進化という分には、JR東日本に遅れをとっているのではないだろうか。
100208江井ヶ島N700S水鏡2_01.JPG

200系から始まった東の新幹線の歴史は、400系、二階建てE1系、200系置き換え用のE2・E3系と進化し、巨大な流線形E4系を経て、独特の愛嬌のあるE5・E6系、そしてJR西が関わったことで大人しいデザインながら完成度の高いE7系へと続くが、見ていて非常に楽しいし、デザイナーの力量も感じられる。
上品なデザイン、E2系。
0730大宮駅E2後追い.JPG

驚きのデザイン、E5系。
0318郡山E5通過.JPG

500系を生み出したJR西日本の関わったE7系。
0313しなの鉄道篠ノ井北陸新幹線E7.JPG

私鉄に目を転じると、東武、近鉄、小田急の流線形車両はさらなる進化を見せてくれていて頼もしいが肝心の名鉄に新流線形展望電車の構想がないのが寂しい。
最後の連接式特急車になるか・・小田急VSE車。
2004小田急VSE町田.JPG

小田急MSE車。
0224小田急町田MSE後追い.JPG

小田急GSE車。
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そして在来鉄道最高速の160㎞4/hで走る京成(新)AE車。
0725京成高砂下りAE.JPG

ワタシはまだ実見できていないが西武の新型特急車両もまた見事な流線形であるだけに、余計にそう感じてしまう。

百花繚乱の流線形特急車・・
JR東海383系「しなの」
新大阪383系しなの.jpg

同じく、キハ85「ひだ」、間もなく新型に置き換えが完了する。
0106富山キハ85ひだ.JPG

東武100系スペーシア、こちらも置き換えが間もなくだ。
0731東武下今市100系スペーシア金発車.JPG

近鉄「ひのとり」
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「アーバンライナー」
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「しまかぜ」
0902近鉄桔梗が丘しまかぜ.JPG

「さくらライナー」
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だが、僕には流線形車両に対する大きなイメージがある会社が二社ある。

あのモハ52、そして500系新幹線を生み出した国鉄大阪→JR西日本、パノラマカーで一世を風靡した名鉄の、さらなる新デザインに強く期待したいものだと思う。
0321尾頭橋名鉄1000サイドアップ.JPG

名鉄最後の流線形特急車となるのか…
0625名鉄舞木1018流し.JPG
posted by こう@電車おやじ at 21:58| Comment(0) | 鉄道と社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする