国鉄改革から丸2年、JR各社は競って新型車両をデビューさせ、その華やかさは新生JRグループの先を明るく見せていたけれど、JR西日本には新車の話もなく、山陽新幹線リース料が会社の経営を圧迫する中、それでも最も効果的な新車の投入を模索していたのだろう。
だから221系の登場はまさに突然だったように見えた。
これまでの鉄道車両の枠を破った、純白の車体、そしてベージュ・青・茶の3色を重ねた腰の帯、流線形で大きな窓を持つ前頭部。
柔らかな曲線で構成され、そのサイズも度肝を抜いた大きな窓、窓回りには阪急のあの銀の縁取りに対抗したのか、黒い縁取りが白い車体を締める。
117系の2ドアから3ドアになったのは時代の流れか、それでも、3ドア車体でここまで美しい車両を作れることに僕もまた驚愕の想いで見たものだ。
足回りや制御装置は国鉄末期の205系、211・213系の流れをくむとはいえ、斬新でありながら落ち着いたデザインは一気に乗客や沿線住民の評判を呼んだ。
写真はその登場当時に、たまたま来てくれた快速電車で、正面の種別表示は青色だった。
車内に目を向けると、117系譲りの転換クロスが並ぶ。
中間車の座席数は3ドアでありながら2ドアの117系に揃えたと64名分の座席いうのも驚きで、やや硬いシートもむしろ身体を保持するにはちょうど良く、また、車内妻部にはデジタル式の案内装置までついた。
最初はJRで混むのは、大手私鉄が並走していない区間だけだったのもあり、つり革も少なめでドア部にあるだけだったが、やがてつり革も増設、さらには車両全長にわたるようになっていった。
例えば朝の三ノ宮駅、上り方面は閑散としていて大半の乗客が阪急・阪神に乗り換えてしまう有様だったのが、221系が走り始め、やがて新快速に使われるようになり、そして新快速の117系を置き換えはじめ、新型車両の本数が増えてくると比例して乗客も増えていった。
117系は確かに沿線利用客を驚かせたが、それは新快速という列車の革命とまでは行かなかった。
だが、国鉄末期から新快速を列車線に移し徐々にスピードアップを始めていたその成果が221系で花開いたという感じだった。
阪急・阪神への乗り換え客が激減し、明石・加古川・姫路から大阪を目指す乗客がそのまま乗車するようになる。
それにはJRが行わず、私鉄がたびたびおこなった運賃改定での、私鉄との料金差が大きくなくなっていった営業政策も大きな背景にはあるだろうが、それをきちんと受け止めたのが221系だったわけだ。
アメニティライナーなどという愛称もついたが、それは関東のE電と同じく、広く浸透するにはいかず、沿線利用者からは「白い電車」で親しまれる。
こうなると、117系はまだ車内設備ではそん色がないものの、113系、それも非常に古い初期車両が大量に残っていた快速電車での大きな落差も乗客にとって問題となる。
221系が増えてきたころには113系を嫌って電車をやり過ごす乗客も増え、JR西日本はとにかく大量に221系を増備する。
当初、快速用を主に考えていたとされるが、その好評と、乗客の激増により2ドアの117系では徐々に対応が難しくなっていった新快速に中心的に投入されていく。
当初の6連はすぐに8連に、かの117系も8連に組み替えられ、221系に少しでも追いつけるように最高速度の向上もなされたが、117系の場合、4連・4連の組み合わせになるとM比が落ち、加速が鈍くなってしまう。
221系はまさに新時代の新快速として勢力を拡大していく。

120キロ運転開始、阪神間ノンストップ19分運転。
この頃は221系新快速の最盛期だろうか。
大和路線(関西本線)では京阪神地区と同じく当初から大量に221系が投入され、「大和路快速」の愛称もつけられ、一気に置き換えられる。
直通先の野田駅で。

こちらは天王寺。
この京阪神の新快速、阪奈の大和路快速が当時のJR西にとって二本柱だったのだろう。
私鉄への負けが込んでいる区間で、私鉄を凌駕し、さらに沿線の豊富な人口を背景にした可能性のある区間という事だったのかもしれない。
阪和間もそのような区間であるはずだが、こちらは関西空港開港までは、大人しく鳴りを潜めていたのかもしれない。
関空開港で登場した空港アクセス関空・紀州路快速は223系になったが、そのエクステリアデザインは後のシリーズと異なり221系から発展したことが明確にわかる印象でもあった。

221系には実はプロトタイプが2種存在する。
ひとつは正面デザインの元、そして制御装置なども含めた原型という意味で国鉄213系、そのJR化後の増備車であるマリンライナー用クロ212だ。
昭和63年、改めて開業する瀬戸大橋経由の快速電車、「マリンライナー」は国鉄が用意した213系だけではなく、先頭部にグリーン展望室、指定席付きダブルデッカーを組み込んで華やかさをさらに強調した。

そして、これまた昭和63年に登場した近鉄の長距離急行用5200系だ。

近畿車両の設計した近鉄5200の基本デザインにマリンライナー用クロ212の前面デザイン、カラーリングを合わせれば221系のイメージになる。
設計期間を短く、設計コストを少しでも抑えるために近畿車両が前年に世に送り出した車両デザインを元に提唱したJR西日本向けの車両が221系という事になるのだろう。
だが、白い車体は華やかで地味な近鉄より人目を惹くし、車両のサイズが全長・全幅ともに近鉄とは大きく異なることで、新生JRらしいゆったりしたイメージの車両が出来たのだろう。
近鉄では全座席を転換式としたが、JR西では固定式ボックス座席の需要もあるわけで、転換クロスと固定クロスの組み合わせとしたと、言われるのも納得のいくところだ。
近鉄5200系の車内。
221系より座席の幅が狭い、車体幅が15センチも違えば当たり前のことか。

221系の全盛。
新快速は12連で阪神間ノンストップ19分運転。
最高速度120キロを目いっぱい出して、その頃まさに僕はこの電車で通勤していた。
満員の帰宅時、座れるはずのない新快速の最後部車輛で流れる景色、ぐいぐい上がる速度計を見るのが楽しみだった。
鉄道ファンとしての活動がほとんどできない時代が僕にはあったのだが、それでも、どの駅も高速で通過し、あの153系だった新快速がこのような立派な列車になったことに感無量で、そして自分が鉄道ファンであることを思い出すひと時でもあった。
そして純粋に新快速が221系に統一されていたこの時代こそ彼らの全盛期だったのではないだろうか。
阪神淡路大震災は1995年の1月に起きた。
当時の僕は、神戸の垂水から大阪、OBPまで通っていたが、その通勤経路はずたずたに引き裂かれた。
新車の221系には大きな被害がなく、分断されたJRの最重要線区で東西に分かれて活躍していた。
路線の復旧が進み、新快速はやがて大阪から住吉まで19分で走ってくれた。
西側では快速電車の運行も再開されていたが複々線が使えず、221系は朝には各駅停車として走らざるを得なかった。
それも、日中に限り複線のまま新快速が復活、やがてわずか3か月足らずで全線復旧したJRは、工事が進まない私鉄各社の乗客を一手に引き受けることになる。
221系新快速の混雑は激しく、臨時に117系の新快速をも用意して、乗客を捌く。
時には福知山線用の車両も引っ張り出してくる。
一部ロングシート化されているがそんなことに拘っている場合ではない。

この時、JRに移った乗客の大半は、元の私鉄が復旧してもそこに戻ることはなかった。
JR西は前倒しで223系の投入を決定、テレビコマーシャルで有名女優を起用して「223系しんかいそく~♬」と歌わせた。

震災の被害を乗り越えるどころか、むしろ大きく売り上げを伸ばし、今に至るJR優位の状況ができてしまう。
それでも、まだこの頃は223系は限定的で、221系は間違いなく京阪神のトップスターだった。

221系はこの震災を機に、徐々にトップスターとしての活躍を後継に譲っていくことになる。
やがて新快速は130キロ対応の223系に移行、221系は快速や、さらには山陰線、奈良線などへ活躍の場を移す。
奈良線・宇治付近。
山陰線京都駅にて。
霜取りのパンタグラフ設置でまさかの前パンとなった編成。

嵯峨野線(山陰線)嵯峨嵐山駅近く。

大和路線今宮駅。
王寺駅での奈良行きと大和高田行きの分割作業。

一時的に福知山線にも入った。
黒井付近。
それでも車齢25年の頃から更新工事も始まった。
正面に行先表示が出るようになった。
大和路快速の車両も更新される。

ただし車内では混雑時への対策として一部座席の撤去、折り畳み式補助椅子の設置も行われる。
この後、舞子駅での乗客転落事故を重く見たJR西日本は、通勤・近郊型電車の編成ごと連結部に転落防止柵を取り付けることを決定。
221系にもこの柵が設けられた。
しかし、元々のデザインにこの柵のない221系では、柵を白く塗ったこともあり、なんだか仙人のひげのように見えてしまうのは僕だけだろうか。
出来れば黒に塗れば全体のイメージにさほど変化がなかったのにとは思う。
223系のさらに後継、225系も登場。
ここでまさかの近郊型電車が通勤型電車を駆逐する事態が発生。
JR西日本では大和路線・阪和線・大阪環状線においては全車両を3ドア車に置き換え、環状線ではロングシート3ドアの323系に、阪和線には新車の225系を、大和路線・奈良線では京阪神から追い出される221系に統一という方向性になった。
環状線の323系ですらゆったりしたロングシートで3ドアというのは、関東から見れば立派な近郊型だろう。
関西のJR線においては純粋な通勤型電車が走るのは、京阪神区間とJR東西線・学研都市線部分とだけになるという事になった。
今現在、201系・103系の置き換えにさらに奈良への転出が進んでいる。
ロングシート普通電車の置き換えにクロスシートの221系が投入される。
トップスターから一歩引いて、それでも活躍を続ける。
奈良にいる車両で6連、8連の先頭車は更新されても転落防止柵はつかない。
柵のない姿はやはり美しい。

いずれ221系も追われるときは来るのだろうが、いましばらくは彼らの活躍を楽しみたいと持っている。
ただ、僕にとってはやがて地元のJR神戸線では見られなくなるのが辛い。
塩屋にて223系との併結。

最後は大阪のシンボル、通天閣、天王寺公園とともに。