行きたくても行けない鉄道もある。
たぶん、僕は生涯、日本国から出ることはなさそうなので一度は見たい、米国・シカゴの「L」や欧州の路面電車は見ずに終わるだろうが、日本の中でも自分の経済力や時間的余裕を考えると、どうしても行きづらいところがあるのも確かだ。
島原鉄道はそういう鉄道の一つで、かつて頻繁に長崎電気軌道を訪問した折にも、途中の諫早で降りれば簡単に行ける場所でもあったのに、訪問はわずかに二回、それも島原以北だけの時間に追わた形となり、本当はもっとも見たかった南目線には足を踏み入れることもなかったのは返す返すも残念ではある。
そして島原鉄道と言えば名物役員だった宮崎康平氏のことも忘れられない。
激務で失明したと言われている氏だが、島原鉄道の先進的な取り組みには氏の功績が大きい。
写真は大三東で…
初めて訪問したのは昭和50年代前半、急行「雲仙」を諫早で降りて、訪問したと記憶している。
その時、諫早から愛野までの強烈な高速運転に驚いた。
島原駅はまるで国鉄のような雰囲気で、歴史を感じさせてくれた。
こちらは2エンジンのキハ5501。
構内にはD3703 という機関車がいた。
この機関車は普賢岳災害復旧工事でも使用された後、廃車になり、今も保存されていると聞く。
福岡在住のこの道の先輩からは南目線廃線の前後に相当な情報をいただいた。
だが、僕は行けなかった。
二回の訪問とも大三東駅を訪れていたようだ。
波のほとんどない有明海に面した静かな駅で、当時の僕は非常に気に入ったのだろう。
国鉄から移籍したキハ17形がやってきた。
こちらは国鉄型をそのまま採用したキハ20形だ。
単行列車が去っていく。
キハ4502、国鉄キハ44500形の車体にキハ45000形の機構を組み込んで登場させた意欲的な気動車で、島原鉄道の先進性を見ることのできた車両だ。
この頃はすでに活躍も少なくなっていた。
駅を出て下っていく。
後追い。
こちらはキハ5501による急行、国鉄準急用気動車の協力型を島原にアレンジして登場させた形式。
2エンジンの高出力車だ。
キハの急行で島原を後にする。
この頃は急行は日に数本走っていて、キハ26形や55形が使われていた。
列車によっては国鉄列車に連結し遠く博多まで行くのもあった。
キハ26は冷房化され、国鉄急行につながれていた。
しかもこの車両はエアサスを履いていた。
少しでも余裕ができれば、長崎県を再訪し、島原鉄道をゆっくりと楽しみたいと願う。
アクセクした鉄道オタクの動きではなく、ゆっくりと旅を楽しみに行きたいと思う。
あの大三東の風情は今も変わらぬようでぜひともまた行きたい場所の一つでもある。