JR貨物からDD51の定期貨物列車が消えたのだが、今、まだJR東と西に数両ずつ残っているわけで、完全引退ではないだろう。
ただ、残る機関車も、工臨などの牽引が各社キヤに置き換えられている現状もあり、今残存しているDD51ももはや長い命ではないだろう。
昭和37年に第一号機が登場して半世紀以上、今、自分のデータに残るDD51の写真を眺めてみたいと思う。
本線用機関車でありながら凸型、それまで大型蒸気機関車や電気機関車、ディーゼル機関車でもDF50などを見慣れていた眼には、DD13をそのまま大きくしたような外観にがっかりされた方も多かったに違いない。
だが、総出力は当初2000PS、すぐに2200PSに改良され、本線用として申し分ない性能となり、しかも、重連用シリーズも登場、その虚飾を配した重厚なデザインはSL引退後に却って鉄道ファンの人気を集めるようになった。
虚飾を廃したために使いやすく、保守しやすく、極寒の地から南国まで四国を除く全国で愛用されたのは国鉄機として傑出していたのではないかとも思える。
僕がDD51に接したのは鷹取工場での見習い時代、その後、仕事の相手としては機関車から離れたので接する機会がなく、福知山線で撮影を楽しんでいた頃がこの機関車の魅力にはまった始まりだろう。
武田尾の夏、客車列車を牽いて発車していく。

秋、渓谷の中に重厚なエンジン音が木霊する。

冬、朝に降った雪を踏みしめる。

冬枯れのススキの原を行く。

旧型客車を牽く姿は絵になった。

だが、後の12系も悪くない・・いやむしろ華々しくさえある。

福知山線普通列車は、いったん12系というサービスに僕らも利用客も小躍りしたが、電化で中古の113系電車となってしまった。

トンネルから鼻先が飛び出てくる。
雪のトンネル坑口。

そして雪の武田尾駅。

軽量客車も絵になった。

入線する834号機。

餘部、余部橋梁でもDD51の重厚さは僕を魅了した。

橋を遠望する、今、こんなに堂々とした普通列車は存在するだろうか。

1171号機が普通列車をけん引して入線する。
民家の屋根越しに客車列車。

まだこの頃は貨物列車もあった。

雪の餘部駅に、ローカル改造された12系を牽引して到着。
この12系は僕が改造工事の仕事をさせてもらった車両も含まれる。

香住、普通列車をけん引。

寝台特急出雲3号。

松江。
初期型による普通列車。

50号機単機。

貨物列車を牽引するのは1170号機。

乃木、1111号機による貨物列車。

来待での普通列車。

宍道、急行「さんべ6号」を牽引する。

貨物列車、機関車の次位はワフだ。
九州は筑豊本線飯塚にて、50系客車を牽引する624号機。

愛知県一宮付近、ユーロライナー牽引機。

秋田にて、男鹿線牽引列車。
北海道、音別の海岸で。
1011号機牽引、貨物列車。
宗谷本線勇知にて。
急行「宗谷」
後追い。
日中のブルートレイン活用として注目された列車だったが長続きしなかった。

伯備線の重連。
重連。
蒸気機関車なきあと、静かになった山里にエンジン音が木霊する。
鷹取工場での検査風景。

DML61Zエンジン。

ここからはごく最近の様子だ。
地元、大蔵谷にて。
1109号機の工臨。
東垂水にて、1191号機。
朝霧駅近く、1192号機。
四日市にて貨物、825号機。
1502号機のサイドビュー。
国鉄色805号機。
新今宮にて、早朝の工臨1109号機。
12系客車を牽引する「ハンドル訓練」列車。
大蔵谷駅。

網干総合車両所一般公開時、「あすか」展望室から牽引機を望めた。
友人たちに誘ってもらい、「サロンカーなにわ」団体貸切列車に京都・敦賀間で乗せてもらった。
牽引機は1191号機。
木之本にて。
敦賀にて。
「なにわ」との連結部。
よく考えれば、自分にとって、最もお世話になった機関車であることは間違いがなく、折に触れ牽引列車に乗せてもらったり、撮影の主役として来てくれたりと、いまでもふっと、工臨やハンドル訓練で走るときに、カメラを向けさせてもらったりもする。
つい先日、大蔵谷駅で撮影したハンドル訓練列車。
加古川左岸で。
都会を行く、神戸三宮。
派手なところはないが地味で力持ち、使いやすく故障の少ない優れた設計、それゆえ、製造開始半世紀を経ても未だにごく僅かだが現役でいる機関車。
今、若い人たちの間でこの機関車が人気だという。
国鉄の堅実さを世間が求めている証拠なのだろうか。
最後は余部橋梁を渡る普通客車列車で。
