最初に行ったときに気に入ったというのもあるが、なんだか自分を引き付けるようなものを感じるのだ。
特急や高速で名古屋から豊橋まで乗りとおすのが常だったが、ある雨の日、ここで降りてみた。
たぶん、昭和54~5年ごろか。
当時の看板列車、パノラマカー7000系だが、このころ、逆富士型行き先表示に電動方向幕がつけられている編成が出てきていた。
当時の最新車両なのだろう。
雨の中、知立は多くの乗降客で賑わう喧騒だ。
パノラマカー7500系に乗り込む乗客。
時代を先取りしすぎたこのサイドのデザイン、名鉄の真骨頂ではなかろうか。
一般乗客を高品質な車両が迎える。

7500系の運転台。
乗り込む乗務員、たぶん、名鉄のこの運転台は国鉄では絶対に組合が受け入れなかったろうなと、当時でも思ったものだ。
二階レベルの運転台は国鉄が先駆ではあるけれど、国鉄は乗客の前面展望など考えもしなかった。

実際に、僕が中京競馬場の保存車で乗り込んでみると、乗りにくいのは間違いがないがそれは慣れだろう、中は広々していて乗用車の運転席にいるような感覚だった。
当時はまだまだ旧型車、AL.、HLの全盛期ともいえる時代で、普通電車の大半はそういう車両だった
だが、急行森上行はAL3850系ク2860だ。

その後ろだろうか、モ802の急行。

こちらも碧南行き急行、当時の名鉄では珍しい3ドア、3550系モ3552だ。

AL3850系ク3859を先頭にした本線普通電車。

三河線ホームにはHL3700系列が二本並ぶ。
ク2742、ク2707だ。

高速・豊川の看板を付けて5000系が入線してきた。
豊川稲荷行高速。
5000系は丸っこい、独特のデザインで、栄光のSR最初のシリーズだ。

その電車の後ろ側、行先表示が豊川稲荷になっている。
前面窓もやや異なる。

5200系、5000系の改良・増結用に登場した形式だ。
昭和32年製造で、パノラマミックウィンドウや2連下降窓は国鉄の車両づくりに多大な影響を与えたといわれている。
未更新、ほぼ原型を保つ編成が来た。
その編成の後ろ側「高速美合行」懐かしい種別だ。
5200系は当時、更新工事の途中で、側窓を二段化した車両もあった。
この下降窓→二段窓への改造工事も国鉄サロ・キロの更新に多大な影響を与えた。
高速岐阜行・・新岐阜と書かず、岐阜と書くのが名鉄流。
中間に5000系中間車を連結しているので車体断面が異なる。
7300系、パノラマカーの車体を持ったつりかけ車という不思議な存在。
支線特急増発に大いに活躍した。
普通・岡崎・・・もちろん、行き先は東岡崎だ。
新しい時代も少しずつ見えてきた。
6000系の今見れば美しい車体デザインだが、当時はファンとしては避けたい電車だった。
さらに100系なる4ドアロングシート車も登場する。
ただしこの電車は地下鉄と乗り入れをする豊田新線用の車両で、このころ、三河線で新車の足慣らしを行っていた。
この直後に三河線急行は廃止される。

行き先板を「豊田市」とした急行100系。
ふっとみると、今、犬山から地下鉄経由で豊田市へ急行があってもおかしくない気がする。
三河線急行、普段はこんな雰囲気だ。
知立駅の構内飲食店も懐かしい…きしめんやそばを扱っていたが、酒類もつまみもあった。
自分もこういうところで飲んだり食ったりしたものだ。
名鉄にくると駅のホームで一杯やれる・・のもまた特徴で、麺類の汁の香りが漂うと、いそいそと店ののれんをくぐる・・
そういえば、駅で呑みすぎて・・特急に乗って小用がしたくなり、やむなく途中で降りてトイレだけ済ませて、次の特急に乗って車掌さんに事情を説明したら「ああ、いいですよ~~」と言ってもらったことも。。
今の名鉄、ほとんど構内やホームに飲食スタンドらしきものがない・・金山と名鉄名古屋くらいだろうか。。
カラーで・・
7000系パノラマカー、白帯だが急行だ。
すでに本邦有数の名車の凋落は始まっていた。
ホームで待つ沢山の乗客が反対方向の特急を見ている。
7700系西尾線特急。
時代は移り、僕は写真の仕事に入ったことで特にその後半は多忙と経済的苦境でなかなか名鉄に行くことが出来なくなっていった。
それは名鉄詣でをしなくなった外的要因だが、それでも、北近畿方面や四国、岡山などには出かけていたから、やはりそこに僕の中での名鉄への失望があるのかもしれない。
パノラマカーが優等列車の主力を追われ、好きな岐阜地区の路線も一部廃止が始まっていた。
だがあるとき、どうしても名鉄に乗りたくなって無理をして出かけた。
現地で泊まることなどできず、青春18きっぷの残りを友人に分けてもらう旅しかできなかったが、それでも僕はまた知立に降り立った。
駅の雰囲気はあの頃のままで、だがそこにくる車両がずいぶん様変わりしていた。
1200系特急の離合。
この電車が出た時は、名鉄らしいスマートな新車の登場に喜んだものだ。
8800系パノラマDXによる西尾線特急。

パノラマスーパー1000系、1200系を連結する姿にもまた惚れ込んだものだ。

2002年と記録にはあるが‥もう少し遅い時期かもしれない。
パノラマカーを見たくて溜まらずに無理をしてきたときの写真だ。
7700系急行、白帯車、自分が乗る列車なら儲けものだと喜んだかもしれないが、都落ちの悲哀を感じた。
(この場所は鳴海とのことです。お詫びして訂正いたします)

僕が最後に動いているパノラマカーを見たのはこれが最後だった。
白帯こそ巻いているものの、普通列車で走る姿はなんだか哀れで、涙が出た。
この時出会えたパノラマカーはこれ一度きりだ。

知立は今も気になる駅だ。
だが、壮大な高架工事を実施中で混雑し写真など撮っていたら邪魔だと叱られそうな雰囲気だ。
一昨年、最後のSRを追ったときに、ここで見ることが出来た5700系5705F。
この日も雨で、SR5700系は静かに去っていった。
その日、僕の前に新世代の新型車両、9500系の試運転列車が現れた。
その日は地元ファン氏がお付き合いくださっていて、二人して驚いたものだ。
僕にとって、知立でSRに代わる新型車両を見たことは、今からの名鉄の姿を垣間見せてもらったように感じたものだ。
9500系は決して悪い電車ではなく、むしろ一般のレベルから見れば十分に名鉄らしさのある、素晴らしい車両だといえるだろう。
けれど・・・
僕にはあの喧騒の中の、蕎麦の汁の香りが漂う知立駅での、雑多な電車たちが懐かしく思われてならないのだ。