関西と東海では歴史的にその存在は確立したものではあるけれど、関東では皆無に等しく、北陸・九州の一部地域を除き日本全体を見ればということだ。
さらにその車両が2ドアとなると更に激減し、ここ数十年は2ドア転クロの車両の新生はない。
鉄道車両は断然2ドアがいい。
とてもスマートに見えるのだ。
もちろん使い勝手となると、乗降口が離れ、ラッシュに動きにくい2ドアはダメなのだろうが、あくまでもスタイルとしての実感だ。
2ドア車両を3ドアにして転換クロスを存置した例としては近鉄の旧型特急車群があるが、これこそ今の3ドア転換クロスの嚆矢であり、つまり、3ドア転換クロスは当初は新製車両ではないところから始まったということだ
2ドア転換クロスの車両はその製造目的が都市間輸送だったこともあり、スタイリッシュでしかも軽快だ。
我が国における転換クロスは明治期の国鉄客車のその範を見るが、それは粗末な板張りシートで、米国のインターアーバンを研究しつくした京阪が世に送った1550形車両こそ、ロマンスカーの歴史の始まりと言われている。
もちろん、僕に昭和初期の写真の持ち合わせなどあるはずもないが、京阪以降、阪急900形、参宮急行新2200系、南海301系、1201系、阪和モヨ100形さらに京阪1580形から1000形へと続くし、その流行は関ヶ原を超えて東海に飛び火して愛知電鉄3080形や3300形、知多910形、名岐800形、さらには名鉄3400系、3350系などを生むわけで、今の関西と中京圏の鉄道サービスの根幹になったような気もする。
国鉄の3等車といえば板張り向かい合わせの窮屈なシートだった時代だ。
余談だが国鉄が総力を結集して製作した流線形急行電車モハ52もその車内は関西人には不評であったともいう。
1960年生まれの僕がこれら名車の大半の現役時代に出会うはずもなく、後にロング化や3ドア化された車両に出会えたのがせめてもの救いだった。ただ、名鉄3400にだけは転換クロスの状態で出会えた。
さて、混乱の時代を経て戦後、最初に2ドア転換クロスを採用したのはなんと、関西でも中小に分類される山陽電鉄だ。
写真は850形トップナンバーで国鉄の先輩から頂いたものだ。

小田急ロマンスカーの嚆矢となる1910形こそが戦後ロマンスカーの始まりだと勘違いされておられる方々が大勢を占めているが、小田急は1910形ではボックス型のセミクロスだったのだ。
しかも山陽のそれは特別料金を収受しない都市間電車の伝統を受け継いだ。
小田急は特別料金収受の特急だ。
山陽はこの後も2000系2010Fまで転換クロスの一般用特急車を出す。
戦後も近鉄がどちらかというと有料特急車を転クロで用意してきた。
名古屋線にはそれでも戦後も一般急行用途として転クロ車が増備されてはいるが、それも本格的な特急車両の登場とともになくなった。
南海、京阪、阪急は戦後も転換クロスの一般用途車を作り続ける。

関西大手で転クロ車を用意したことがないのは阪神だけだが、その阪神も近年、3ドアで一部に転クロを備えた車両を用意してきている。
名鉄は戦後は固定クロスから始まり、高性能化と同時に転換クロスに戻った。
転クロ2ドアのSRは一昨年の年末に終了したが、以降は3ドア転クロ、もしくは3ドアセミ転クロに転じている。

名鉄は国鉄電化の対抗策として、国鉄が到底、追随できそうもない破格の車両を用意、それが2ドア転換クロスのSRだったのだが、流線形5000系以降、国鉄急行型に先じパノラマミックウィンドウや2連式下降窓を採用した5200系。
戦後日本最初の大衆冷房電車5500系まで登場。

勢いはとどまることなく、日本最初の前面展望電車、パノラマカー7000系が出たのが昭和36年。
その高性能版7500系まで登場。
名鉄の勢いはとどまるところを知らず、普通列車用途の車両まで2ドア転クロとするようになる。

さらには軌道やローカル用途の車両までも。
これはいくら何でもやり過ぎで、高度経済成長時代にサービス精神旺盛だったことは喜ばしいが、名古屋圏の通勤事情はひっ迫してしまう。
後に昭和50年代から通勤用として3ドア車が導入されたのもラッシュに悩む利用客からはやっととの思いだったのだろう。
関西では高度経済成長時代にあっても特急は特急であり、一般列車と区別するという考えのもと、阪急・京阪では2ドア転クロを作り続ける。
京阪3000系。

阪急は2800系を経て6300系の時代へと。

戦前の一回だけの例外を除いては固定クロスでやってきた九州の西鉄でも、この時期、2ドア転クロ一般特急車が登場している。

地方私鉄もまだまだ元気な時代、富山地鉄は自前の転換クロス車の増備を続けていた。

伊豆急行1000系は新しいスタンダードになるかと期待もされたが・・
福井鉄道では近代化初期の新車には固定クロスの連接車を投入したが、車両近代化の流れの中で中古車両を組み合わせた転換クロス車を登場させた。
昭和50年代になってツリカケ式、まるで京阪1550形を思わせる前後非対称デザインの転換クロス車を送り出したことはある意味、強烈な印象でもあった。

そして国鉄も・・
名鉄5500系に遅れること16年、昭和50年に九州地区に汎用車として投入されたキハ66・67だ。

さらに昭和53年になってやっと京阪・阪急に真っ向勝負を挑んだ117系。

さらに、ややスペックダウンしながらも都市圏の新しいサービスを目指し、広島地区に投入された115系3000番台。

この頃、昭和50年代前半頃が2ドア転換クロス車の黄金時代だったのではなかろうか。
名鉄が3ドア通勤型、そしていったん2ドアのSRに戻りながらも3ドア転クロに転じていった昭和60年代、あるいは平成時代、2ドア転クロ車はその存在意義を薄れさせてしまう。

名鉄6000系は当初、3ドア固定クロスで設計され、やがて座席を改良しながらも、初期の窮屈な座席の車両はロング化されていったが、この名鉄6000に範をとったのが山陽電鉄5000系で、長らくロングシート車ばかりになっていた同社のなかで久々にクロスシートを採用、当初は固定式だったが、やがて転換式に変更される。
この山陽5000がJR西日本の3ドア転クロ221系登場のもとになったとも言われていて、このあたり、結局、3ドア転クロを使いこなした会社と、使いこなせなかった会社の差が出てきてしまったかもしれない。
しかし、この頃にあっても新たに登場した2ドア転クロ車はあった。
京阪8000系。

西鉄8000系。

京急2100形。
固定クロスで頑張ってきた京急もついに転クロに。。
だが、平成も終わり近くになると、3ドア転クロの使いやすさが一般化してきて、JR西日本や東海のスタンダードになった。
名鉄も京阪も阪急も西鉄も、新しい転クロ車は3ドアだ。
気が付いてみると2ドア転クロで一般用途で残っているのは以下の車両しかない。
京急2100形。
青い特別な塗装の編成だ。
京阪8000系。
ダブルデッカーやプレミアムカーを連結した今の姿。
阪急6300系。
京とれいん、として活躍する姿。

支線の嵐山線用としての姿。

JR西日本117系・・岡山での様子。
こちら京都区の団体臨時列車の様子。
今は岩国以東には来ない115系3000台。
これに九州のキハ66だが、遠くて見に行けていないし、すでにロングシートの新車と置き換えが進んでいる。
大井川鉄道には南海高野線から移籍した21001系が存在する。

いずれ彼らが引退した時に一般用の2ドア転クロ車はまた作られるのだろうか・・
個人的にはその可能性は低いとみている。
3ドアの使いやすさ、名鉄・西鉄がもはやそこから戻れないように、今から残る各社も彼らの引退後はもはや2ドア転クロ車を作ろうとも思わないだろう。
見ててスマートで、乗って落ち着いた車内にほっとする・・・
このような車両が特別料金なしで乗れた時代は遠く過ぎ去っていくように思えてならない。
阪急6300系・・・

京阪3000系・・・

名鉄7500系・・・

国鉄117系・・
そして車内写真は名鉄5700系。