なお過去ログには何度も登場している路線であり、検索して見ていただければ幸いである。
新岐阜での谷汲急行、モ511の顔。
新岐阜駅前の停留所にモ515+モ526がはいっていく。
丸窓電車として有名で、在籍5両中、今も4両が保管されているという。
モ526の側を。
こちら520形は正面5枚窓以外の特徴が見えないことから保存はされていないが、実は大正12年1923年生まれの木造電車で、外板に鉄板を貼っただけの所謂ニセスチール車であり、鉄道線を走る電車としては大手私鉄最後の木造車だったのではないだろうか。
新岐阜駅前、今もたまにここに立ち寄るが、かつて電車が走っていたとは到底思えない雰囲気だ。
千手堂付近か、乗った電車(たぶん写真の526)から見た対向のモ511。
丸窓急行電車は路面電車区間ではごく一部の停留所だけに停まり、忠節に着く。
広電己斐、西広島とよく似た構造だが、広電が一日中、人で賑わうのにこちらは電車が付いた時だけの賑わいだ。
モ513が停車する。
市内線各停留所へはモ571へ乗り換え。
モ526を上から。
モ523と市内線小型のモ562が出会う。
一度出した写真だが珍しいシーンなので・・ク2326、谷汲行急行に運用される。

尻毛駅だろうか、当初、忠節・黒野間で急行運転がなされていて、行きたい下方には急行が停まらないので、乗り換えることもあったと思う。
電車はモ522。
尻毛駅。
下方駅。
広大な果樹園だろうか、ここの雰囲気が好きだった。
電車はモ513。
根尾川の河原から電車を見上げる。
モ526・モ515が鉄橋を渡る。
モ512単行の急行で、谷汲急行のようだ。

ここでいつもなら鉄橋から金華山を望む写真を上げるのだが、今回は電車のシルエットを。
モ750形の二連、よく見ると番号は751・752になっている。
MMの編成は珍しかったのではないか。
電車は先へ進む、この2両が完全に写った写真が出てこない、うまく撮れていないのだろうが、惜しいことだ、その当時の僕。
この撮影は昭和50年代後半だが当時とて貴重なシーンである。
モ750形もしくはモ700形と、ク2320形のコンビ。
・・まるでおとぎの国の電車だ。
揖斐線でよく見られた組み合わせだが、こうしてシルエットで見ると電車の形態の違いが面白い。
名古屋鉄道郊外線開業時の重厚な電車と、愛知電鉄出自の都市間電車の元祖でSRの流れの最初となった電7形を電装解除、組み合わせた編成は楽しく、丸窓電車でなくとも、十分に楽しめる揖斐線だった。
土手のほうへ電車が去る。
こちらは丸窓電車モ510形+520形。
小さな電車が仲良く手を繋いでゆったり走る・・・
実際は急行運転ではかなりの速度(最高時速は65キロだった由)で走っていた。
2両ともパンタグラフが上がっているが、実際はモ510形のみ、モーターを動かしている。
モ520形はサービス電源だけのために通電していた。
この愉快なシルエットが急行電車だというのだから本当に楽しい。
金華山を背景にした様子も・・ク2326。
黒野、この路線の分岐点であり、最大の拠点でもある。
車庫のモ702。
駅に停車するモ703。
モ703のアップ、いい電車だ。
こちらモ759。
進入するモ523。
モ512が後ろだ。
留置されたモ523の正面。
谷汲・・522。
なお、谷汲駅は以前のエントリーで詳しいのでそちらを。
http://kokutetu.seesaa.net/article/465075247.html
谷汲線は日中はモ700・750形の単行ばかり、急行乗り入れ時とはいえモ510形、520形は珍しかった気がする。
本揖斐駅舎。
大垣とのつながりが深い揖斐では、名鉄によって岐阜へ出る流れは少なかったのだろうか。
時刻表。
停車するモ513。
サイド。
ホーム上屋が特徴的だ。
モ511・・
モ511のアップ。
後ろはモ522だ。
モ522が発車する。
僕らは揖斐線でこの景色を見ることができた。
それはものすごく運がよかったことなのかもしれない。
電車はモーターのうなりを上げ、せわしなく短いレールジョイントが響く。
あの記憶はもはや夢の中でしかない。