2020年04月24日

信州の鉄道(その2)長野電鉄・国鉄大糸線

昭和57年だったと思うが、長野電鉄が都心部を地下化したというので、親友のO君とともに信州訪問の際に訪ねたと思う。
何処をどう回ったか記憶にないが権堂のビジネスホテルに深夜に到着し、食事をするところもなく困った思い出だけは残っている。
と言っても、地下化前の長電の訪問などは全くできておらず、僕としてはこの時が最初の訪問だったわけだ。

長電には到着した夜に一駅だけ乗ったが、特にこれという印象もなく、ごく普通の地下鉄だった。、
明けて、電車に乗るべく駅に行ったが運賃の高額さに驚き、須坂までしか行かなかったのではないだろうか。

須坂駅の様子。
東急5000系改め長電2500系が停車している。
この電車には乗車もできたが、中古車とは思えない素晴らしい整備状態に驚いたものだ。
長野電鉄須坂2508.JPG

転入改造が終わったばかりなのだろうか、2510が美しい姿で留置されている。
長野電鉄須坂2510.JPG

屋代線旧型電車、1552、堂々とした風貌だ。
長野電鉄須坂1552.JPG

ED5001、工事列車牽引状態で据え置かれていた。
昭和初期製造の自社発注電気機関車だ。
長野電鉄須坂ED5001.JPG

復元電車102と屋代線1000形だろうか。
102は後に上田交通へ転属していたが、もちろんこの時は長野にいたので上田での姿は僕は知らない。
長野電鉄須坂102・1000形.JPG

折り返し、長野へ戻る途中、たぶん村山という駅で降りたと思う。
千曲川の併用橋は絵にするのが難しく、その前後で撮影したと思う。
2000系特急車、名鉄5000の姉妹車だというがずっと洗練されていた。
長野電鉄村山2000系.JPG

後追い。。
長野電鉄村山2000系2.JPG

東急5000系改め2500系、2508。
長野電鉄村山2508.JPG

反対側は2558、東急5000系を生で見るのは実にこの長電が初めてだったがそのデザインの良さに惚れ惚れしたものだ。
長野の赤が勝ったツートンカラーが良く似合う。
長野電鉄村山2558.JPG

2500系4連がやってきた。
先頭は2501だ。
長野電鉄村山2501ほか4連.JPG

2000系特急車、一編成だけの三次車で、前面にスカートが付く。
長野電鉄村山2007.JPG

アップ。
いい顔立ちだ。
長野電鉄村山2007・2.JPG

去っていく。
これほどの電車を作れる会社、すごいなぁと感嘆したものだ。
なお、当時走っていたOSカーには前夜に乗れたが、写真は撮影出来ていない。
長野電鉄村山2008.JPG

順序が逆になるかもしれない、
大阪から夜行「ちくま」で行けば、最初に訪問したのが大糸線もしくは松本電鉄になると思う。
大糸線、以前にもエントリーしているが、今回見付けたネガデータもいれてみていただこうと思う。

ここは関西急電で活躍したモハ42系が大挙して走っている線区でぜひ一度、訪問したかったところだ。
松本駅に着くと、美しいクモハ60が迎えてくれた。
車体塗装はスカイブルーだ。
大糸線松本クモハ60.JPG

途中、車窓から流電第三次車、半流のクモハ43が見えた。
美しい・・・
大糸線安曇野クモハ43.JPG

駅名に惹かれ、安曇追分で降りたように思う。
大糸線安曇野駅クハ55ほか.JPG

ED60、1号機が北アルプスの山々を背景にやってくる。
大きな鳥が横切る。
大糸線安曇野ED601.JPG

ED601接近する。
背景は有明山だろうか。
大糸線安曇野ED601・2.JPG

165系急行、当時から僕の好みは特急よりは急行だった。
いかにも山男のイメージがある急行電車だ。
大糸線安曇野165系2.JPG

クハ55、クモハ43、サハ45、クモハ51からなる編成が北アルプスを背景にやってくる。
大糸線安曇野クハ55・クモハ43・クハ47」・クモハ51・2.JPG

接近する。
大糸線安曇野クハ55クモハ43ほか.JPG

この電車で折り返したのだろうか、クハ55のようだ。
大糸線安曇野クハ55.JPG

前回公開したカラーも。
クモユニ81、ファンから青坊と親しまれた。
81003が在籍していたが、本来は80系の一員だ。
大糸線クモハユニほか.jpg

接近する。
青い急型国電なんてとは思っていたが、実際に北アルプスを背景にしてみると、非常に美しい。
大糸線クモユニ81.jpg

クモユニ81003、北アルプスを背景にしたサイド。
大糸線クモハユニサイド.jpg

先頭はクモハ60だろうか、長い編成だ。
大糸線クハ55ほか全景.jpg

接近する。
大糸線クモハ40.jpg

中間のサハ45とサハ57、背景は北アルプス大天井岳、旧型客車にも劣らない素晴らしい旅情だ。
大糸線クハ47・サハ48.jpg


このあと、松本電鉄に立ち寄ったようだが、大糸線の感動冷めやらぬ中、あまりまともな写真は撮影していない。
一枚だけ三溝駅で撮影したもの。
松本電鉄三溝108.JPG

飯田線は以前エントリ―で二回で出ております。
そちらをご参照ください。
飯田線 昭和57年9月。

豊橋の電車たち・・(その1)飯田線。


posted by こう@電車おやじ at 22:08| Comment(2) | 国鉄・私鉄双方の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月19日

信州の鉄道(その1)上田交通別所線

僕は自分で創作小説のブログ「Story・・小さな物語」を持っているが、ちょっと思うことあり、ここ一月ほど信州で語り継げられる伝説について僕としては長い作品に取り組んでいた。
取り組んでいた作品はこちら。
伝説で語り継が得\れる舞台は長野市戸隠、鬼無里、松本市、上田市などだ。
鬼無里(きなさ)の姫 紅葉狩伝説異聞

その流れと言うか、自分の中の自然な感情というか、今回、信州→長野県の鉄道に触れてみようと思う。
不思議に小説舞台の鬼無里に縁のある車両もここにいた。
上田交通は過去にエントリーしたものだが、すべて再スキャンの上、画像サイズも拡大して、未発表写真もふんだんに入れていきたい。

訪問は昭和56年初夏の頃かと思う。

第一回は上田交通別所線だ。
この日、どういう経路で上田に行ったか、全く記憶にない。
ネガを見ると、先に長野に行っているようで、どうやって長野に行ったのだろう。
権堂に宿泊したことだけは覚えている。

到着した上田駅の様子。
上田交通上田駅.JPG

国鉄駅ホームの蕎麦が大変美味しく、お代わりしたことを記憶している。
電車待ちの合間に撮影した国鉄列車を・・
189系「あさま」
上田駅189系浅間編成.JPG

貨物列車はEF62だった。
上田駅E6211.JPG

今ではめったに見られない車掌車、ヨ3500形3739、1300両以上も製造されたスタンダードだ。
上田駅ヨ3739.JPG

169系急行、信州だろうか妙高だろうか。
上田駅169系急行.JPG

上田交通別所線ホームの先にはサハが1両、留め置かれていた。
サハ41、飯山鉄道の気動車だったという。
上田交通サハ41上田.JPG

やってきた電車がこちら、
5250形、いわゆる丸窓電車でこの日はモハ5252号が動いていた。
上田交通上田駅5250形.JPG

反対側はクハ273、元をたどれば東急伝説の急行気動車キハ1形キハ1で、相模を経てやって来たらしい。
非常にスマートな印象のクルマだが、ノンヘッダなのにリベットがある。
上田交通クハ173上田.JPG

この電車でまずは終点の別所温泉へ・・
別所温泉の駅舎だ。
上田交通別所温泉駅.JPG

駅の留置線にはクハ252が留められていた。
元々、神中鉄道(今の相模鉄道)の流線形と言うか、変形6角形と言うか、独特の形状をしていたらしいが相模時代に、いかにも日車風の外観に改められている。
上田交通クハ252別所温泉.JPG

別所温泉駅頭にあった案内図、上田交通の廃止されたすべての路線が描かれていた。
上田交通路線図別所温泉駅.JPG>

上田原の車庫へ行ってみた。
いかにも東急という感じの緑の電車・・モハ3310だ。
東急戦前の鋼体化車で、目蒲線を中心に走っていたようだ。
上田交通モハ3310上田原.JPG

その電車に並んでモハ5250形が見える。
上田交通モハ3310・5350形.JPG

東急編成は3連でこちらが反対側、クハ3661。
上田交通クハ3661上田原.JPG

まだ番号もついていない、長野電鉄600形の車体・・きれいに整備されていた。
このクルマは後にモハ5271となる。
上田交通モハ5271上田原.JPG

反対側からも。
上田交通モハ5271上田原反対側.JPG

長野電鉄600形の車体は他にも2両あった。
実は見慣れていた阪急600形と同じデザインで親近感がわく。
1両は後にデビューしたがもう1両は部品取りとのことだった。
上田交通長電604・611上田原.JPG
長野611。
上田交通長電611上田原.JPG

貨車・・使われていないようだった。
資料によるとワ203とのこと。
上田交通ワ203上田原.JPG

可愛い電気機関車、ED251、山口県宇部鉄道出自の機関車だ。
上田交通ED251上田原.JPG

クハの廃車体・・
3121という番号が見える。
善光寺白馬電鉄の出自とのこと、その路線は何処・・??
実は長野市から戸隠にまで路線が伸びていた非電化鉄道で、今回、僕が小説の舞台にした鬼無里も通る予定だったという路線だが、成績が悪く戦時に廃止になったため、ほとんど知られていない。
撮影した僕自身も、鉄道ピクトリアルバックナンバーを漁って初めてその存在に気が付いた次第だ。
上田交通3121廃車体上田原.JPG

こちらもクハ廃車体だが、同じ車両だろうか。
上田交通モハ3121廃車体2上田原.JPG

少し電車に乗り、下之郷と言うところで降りた。
往路に車内から目星をつけていたところだ。
丸窓電車、モハ5252がやってくる。
上田交通モハ5252下之郷.JPG

後ろはクハ273だ。
上田交通クハ273後追い2下之郷.JPG

273のサイド。
上田交通クハ273下之郷後追い.JPG

モハ5371が単行で行く。
上田交通モハ5370形下之郷.JPG

去っていく・・
上田交通モハ5371下之郷.JPG
しばらくしてクハ252を連れて戻ってきた。
上田交通モハ5371・クハ252上田原.JPG

クハ252、水を張った田んぼの横を行く。
上田交通クハ252サイド下之郷.JPG

別所温泉でモハ5252とサハ62が並ぶ。
上田交通5250形サハ62.JPG

この時以来、僕は上田交通への訪問ができていない。
上田交通は台風被害による橋梁の落下で、いまだに不通区間があると聞く。
是非にも早期復旧を願うとともに、この次に訪問する際は、電車だけではなく、好きな戦国武将真田氏の遺跡なども含め、しっかり時間を取りたいと願っている。
posted by こう@電車おやじ at 21:51| Comment(0) | 私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月01日

カラー画像でみる琴電瓦町ほか。

昭和51年夏、初めて琴電を訪問した時の画像だ。
瓦町駅は空の広い、立派な乗換駅だった。

阪神881形、喫茶店の相性を持つ、正面の貫通路が特徴的な30形55、瓦町にて。
琴電瓦町55.JPG

35号のサイド、大きな下降窓はバランサー付き、戦前の高級車だったといわれる。
琴電瓦町35.JPG

京急の名車、41号形がその前身、いまだ木造車の面影が残る11号。
琴電瓦町11.JPG

こちらは92号。
琴電瓦町92 - コピー.JPG

東濃鉄道からやってきた81号・・
琴電瓦町81.JPG

琴電生え抜き1300形130号。
琴電瓦町130.JPG

名鉄からやってきた1027号、
琴電築港1027.JPG

近鉄を構成した大阪鉄道出自の21号、仲間の23号が今も残る。
琴電築港21 - コピー.JPG

この数年後、再訪した時にはかなりイメージが異なっていた。
阪神881形は京急230形に代替されていた、
貫通路の付いた30号。
琴電瓦町30 - コピー.JPG

お堀端を行く32号。
琴電築港32.JPG

高松築港駅に停車する31号。
琴電築港31.JPG

琴電生え抜き、それにしては短命だった1002号。
琴電築港1002.JPG

阪神最初のジェットカーだった1051号。
琴電瓦町2051 - コピー.JPG

1052号。
琴電瓦町1052 - コピー.JPG

西武出自、山形交通からやってきた790号。
琴電瓦町790 - コピー.JPG

名鉄HL車の1024号。
琴電瓦町1024 - コピー.JPG

同じく、1023号。
琴電瓦町1023 - コピー.JPG

2011年に撮影した今の瓦町駅遠望・・
広い空は大きなビルに覆いかぶされて見えなくなり、このビルの負債で琴電は経営危機に陥った。
1004E78987E58E9FE794BAE5A4A9E6BA80E5B18BE981A0E69C9B.jpg
posted by こう@電車おやじ at 23:22| Comment(2) | 私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする