何処をどう回ったか記憶にないが権堂のビジネスホテルに深夜に到着し、食事をするところもなく困った思い出だけは残っている。
と言っても、地下化前の長電の訪問などは全くできておらず、僕としてはこの時が最初の訪問だったわけだ。
長電には到着した夜に一駅だけ乗ったが、特にこれという印象もなく、ごく普通の地下鉄だった。、
明けて、電車に乗るべく駅に行ったが運賃の高額さに驚き、須坂までしか行かなかったのではないだろうか。
須坂駅の様子。
東急5000系改め長電2500系が停車している。
この電車には乗車もできたが、中古車とは思えない素晴らしい整備状態に驚いたものだ。
転入改造が終わったばかりなのだろうか、2510が美しい姿で留置されている。
屋代線旧型電車、1552、堂々とした風貌だ。
ED5001、工事列車牽引状態で据え置かれていた。
昭和初期製造の自社発注電気機関車だ。
復元電車102と屋代線1000形だろうか。
102は後に上田交通へ転属していたが、もちろんこの時は長野にいたので上田での姿は僕は知らない。
折り返し、長野へ戻る途中、たぶん村山という駅で降りたと思う。
千曲川の併用橋は絵にするのが難しく、その前後で撮影したと思う。
2000系特急車、名鉄5000の姉妹車だというがずっと洗練されていた。
後追い。。
東急5000系改め2500系、2508。
反対側は2558、東急5000系を生で見るのは実にこの長電が初めてだったがそのデザインの良さに惚れ惚れしたものだ。
長野の赤が勝ったツートンカラーが良く似合う。
2500系4連がやってきた。
先頭は2501だ。
2000系特急車、一編成だけの三次車で、前面にスカートが付く。
アップ。
いい顔立ちだ。
去っていく。
これほどの電車を作れる会社、すごいなぁと感嘆したものだ。
なお、当時走っていたOSカーには前夜に乗れたが、写真は撮影出来ていない。
順序が逆になるかもしれない、
大阪から夜行「ちくま」で行けば、最初に訪問したのが大糸線もしくは松本電鉄になると思う。
大糸線、以前にもエントリーしているが、今回見付けたネガデータもいれてみていただこうと思う。
ここは関西急電で活躍したモハ42系が大挙して走っている線区でぜひ一度、訪問したかったところだ。
松本駅に着くと、美しいクモハ60が迎えてくれた。
車体塗装はスカイブルーだ。
途中、車窓から流電第三次車、半流のクモハ43が見えた。
美しい・・・
駅名に惹かれ、安曇追分で降りたように思う。
ED60、1号機が北アルプスの山々を背景にやってくる。
大きな鳥が横切る。
ED601接近する。
背景は有明山だろうか。
165系急行、当時から僕の好みは特急よりは急行だった。
いかにも山男のイメージがある急行電車だ。
クハ55、クモハ43、サハ45、クモハ51からなる編成が北アルプスを背景にやってくる。
接近する。
この電車で折り返したのだろうか、クハ55のようだ。
前回公開したカラーも。
クモユニ81、ファンから青坊と親しまれた。
81003が在籍していたが、本来は80系の一員だ。

接近する。
青い急型国電なんてとは思っていたが、実際に北アルプスを背景にしてみると、非常に美しい。

クモユニ81003、北アルプスを背景にしたサイド。

先頭はクモハ60だろうか、長い編成だ。

接近する。

中間のサハ45とサハ57、背景は北アルプス大天井岳、旧型客車にも劣らない素晴らしい旅情だ。

このあと、松本電鉄に立ち寄ったようだが、大糸線の感動冷めやらぬ中、あまりまともな写真は撮影していない。
一枚だけ三溝駅で撮影したもの。
飯田線は以前エントリ―で二回で出ております。
そちらをご参照ください。
飯田線 昭和57年9月。
豊橋の電車たち・・(その1)飯田線。