スタジオは基本的にポートレートを撮影する店で、特に師匠は女性ポートレートの評価が高く、そこでは様々な経験もさせてもらえた。
ただ、やはり趣味としては鉄道というのは続いていたわけで、特に閑散期の昼間など「散歩」を許されることもあった。
仕事の隙間の休憩ゆえ、遠くへ電車に乗っていくというのは無理だったが、阪急沿線の空気を吸い、マルーンの電車を眺めるのは極めて幸せなことでもあった。
また、当時は山陽板宿から六甲まで私鉄で通勤していて、あの大事故の後ではあるのに、ダイヤはますます便利で、往復の通勤経路とも乗り換えの必要がなかった。
僕がここに通った7年間、列車ダイヤはどんどん便利になっていった。
当時のスタジオがあった駅ビルの屋上、ここはテナント関係者なら誰でも立ち入ることができた。
特急で通過する7017F。。
こちらは6010F。。

山陽電車は大体、毎時2回乗り入れてきた。
当時の山陽電車は日中は阪神に重きを置き、深夜時間帯は阪急から出るという、旅客流動をよく考えた設定だったように思う。
3060Fがやってきた。
ここが終点だ。
長いホームに4連の列車が停車する。
黒Hゴムが特徴だった3060Fだ。
乗客を降ろした後、列車は御影駅手前の折り返し線へ向かう。
一部の山陽5000系が6連化され、特急専用車となった。
六甲発姫路行き特急だ。
6連になると阪急のホームでも見劣りはしない。

雪の日、3000系が停車する。
通過する3000系特急。。

御影との間の築堤を行く3000系特急。
こちらは山陽特急、3060Fだ。
7006、やはり7000系も頭の白い部分がない方が美しいと思うのだが。
7が7つ並んだ縁起の良い電車。
5200系特急。
7017、3074、3056が一瞬顔を並べる。
山陽3056Fによる特急。
少し後の時代、6000系が停車する。
ずっと東、御影駅近くに折り返し線があり、山陽電車はそこまで行っていた。

雪の中を走る山陽3008F。
青春真っただ中であった場所こそ神戸六甲、甘く切ない物語も少しはもっているつもりだ。