どうも、歳をとるごとに、メンタル面でかつてのような強靭さがなくなり、1月17日の前後のテレビなどの報道は、とても正視できない。
まともに視てしまうと感情が高ぶり、メンタル崩壊の予兆すらある。
大災害の経験者にとって「忘れる」ことも、本来は大きな癒しであるはずだ。
僕は阪神淡路大地震が起きてすぐ、落ち着いてもカメラを持つ気がなく(仕事柄、人物の撮影は業務として大型、中判、スナップ用のカメラは使用していた。あくまでも趣味のカメラは出さなかったということだ)、毎日の通勤で見た各地から応援の鉄道車両やバスなども興味を持ったが一切撮影はしていない。
粉砕された故郷を趣味のカメラに収めることは、自分自身で許せなかったからだ。
さて、この時にあたって、震災前の様子を思い出すのは、案外、懐かしさで心が落ち着くものだということを最近、味わった。
1月10日より26日まで、板宿、寺田町の喫茶「カーナ」において「線路際から見た震災前の須磨・長田」という小さな写真展を開かせてもらった。
展示会場は場所の都合で写真が限られるが、このブログの中で過去に出した写真が大多数ではあるが、震災前の様子をしみじみ見ていきたいと思う。
まずは板宿駅周辺。
ここは神戸では湊川、灘の水道筋と並ぶ、商店街。
しかも商店街の入り口が駅と線路だ。
山陽電車が行く。
幅の広い踏切には大勢の人。
阪神電車も行く。
阪急電車が下りホームに停車、毎時3本もここに来ていた。
板宿商店街の入り口。
夜というか、実際には早朝始発電車の頃の板宿駅、踏切から撮影。
下りホームが地下工事のために仮設になっている。
北側の母屋。
母屋を正面から。

昼間の上りホーム、ここは震災で完全に倒壊した。
地下工事のための仮線を行く特急電車。
3050系アルミカーも行く。
下り側駅舎、仮設になる前のもので、細長い、窮屈な建物だった。

阪急が梅田へ向かう。
当時最新の編成だ。

山陽が作った最も美しい電車、2010Fが行く。

板宿・西代間
阪神の旧特急車、3011系改め3061系。

ここでも山陽で最も美しい電車、2010F。

Mは3200形、3622が行く。

3000系初代アルミカー、3000F、この頃、帯を太くされていた。
こちらは細帯のアルミカー、3002。
3014Fが行く。
西代。
上りホームのロクサン電車更新、2700系。
そのロクサン電車の廃車体。
車庫にて。
こちらはPCと呼ばれた戦前の小型優秀車、100形117の車体。

車庫の入り口にて試験塗装車、ブルー一色塗の800形830号、Ok台車を履いている。
初代西代駅の遺構を見て、3632(3054)が行く。
この編成はつい先ごろ引退した。
山陽電鉄の旧本社。味わい深い建物だった。
陸橋下の踏切から駅を望む。
電車は当時最新の3637で最後の全車が鋼製車で統一された編成だ。
ホームにて、阪神旧特急専用車、3568。

こちらはチョッパ制御に改造された阪神7601系、7708。

東須磨。
かつての山陽顔の電車が並ぶ。
本邦初のアルミ電車2012とツリカケ、100形を更新した250形286。
2700系を新性能化した2300系が停車。
今は地下化された区間を阪急5000系が行く。
僕の好きな5010F5061だ。
月見山。
古色蒼然たる駅舎。

須磨寺。
阪神3501系赤胴が行く。

須磨。
3000系アルミカーの2編成が並ぶ。
3000系アルミカーの霞ヶ丘行き区間列車。
ツリカケ2700系2702、後ろ2両は一次型の2ドア車だ。

須磨浦公園。
今も昔も桜の美しいところだ。
阪神7001系7111。

山陽2300系、新塗装になった後。

阪急6000系6015。

こちらは山陽3050系3060F、この編成だけ黒Hゴムで登場し、驚かせてくれた。

小型車200形を車体更新した300系。
須磨浦公園山上から須磨の街並みを見る。
美しい街だった。
海岸線を行く201系電車。
113系と117系が並走。

221系新快速登場!
希少車ともいえる205系。

国鉄鷹取工場、C571の全般検査。
この機関車は震災当日、全般検査で入場していて被災、そのあと見事に復活した。
神戸電鉄丸山、まだ冷房未装備の1100系1109・・
神戸市営地下鉄、名谷。
開業当日の様子。
周囲には何もない。
震災前に一時期だけ走った地下鉄の快速電車、停車駅が少なすぎ好評より不評の割合が多かったともいわれる。
震災とともに運行休止、やがて廃止された。
庶民の街・長田と、古典と歴史の街須磨、似ているようで違い、違うようで似ている二つの街の個性は、神戸の中でも際立っていたように思う。
震災、その後の復旧、復興で街は大きく姿を変えた。
鉄道もまたかつてを知る者には激変した場所もある。
だが人々は生き、鉄道は走る。
震災直前の須磨、長田区を俯瞰。
