今回、ネガスキャンしたものを掲載しているが、まだポジの手つかずもあり、さらに、この後の時代のプライベートな広島訪問を重ねる中で撮影したものもあるので、それらは別の機会としたい。
今回もごく最近の撮影のものを、一部に掲載する。
このブログで過去にも何度か出したが、僕にとって広電の魅力は、京阪神出身の市電たち、そして宮島直通の連接車だった。
当時の日本では、鉄道線と併用軌道を相互に直通しているのは、広島のほかには、西鉄北九州線と筑豊電鉄、京阪大津線、福井鉄道くらいではなかっただろうか。
併用軌道に乗り入れというなら、名鉄も江ノ電、新潟交通もあるのだが・・
広電最初の訪問時に見た宮島線直通の連接車、2500形、雨の暗い雰囲気を打ち破るかのような明るい色彩の電車。
僕はすっかり虜になっったものだ。
2501号、本格連接車のトップナンバーだ。

スタイル抜群、軽快感あふれる連接車こそ、広電のクィーンだった。
昭和36年生まれ、日本の路面電車が衰退に向かう中で製造された気概あふれる電車だ。
登場時の鉄道ピクトリアル昭和37年8月臨時増刊号によると、最高速度は70㎞/h、高加減速に優れた、当時流行のPCCに匹敵する性能を有していたようだ。
第二編成の2504、連接車でありながら各車体ごとに番号を持っていた。
2505、翌昭和37年製造、何と自社工場で竣工させた。
前照灯がシールドビーム二灯となり、さらに近代感が増した。
今に至るまでの広電で、神戸市から移籍したグループを除けば、最も好きなデザインだ。
己斐行き。市内線だけの運用だ。
2507、夕暮れの広島駅にて。
廿日市行き。
2509、当時の阿品にて。
(現在の阿品とは異なる)
当時は瀬戸内海がすぐわきで、巨大なジェットコースターが見えた。
原爆ドーム前での2509。
反対側の2510・・本当に美しい電車だ。
2000形を世に送り出した広電とも思えぬ傑作が同じ2500形を名乗る2編成だ。
大阪市電1601形を連接車に改造、性能を他の2500形にそろえたが、外観はなんともクラシカル、新車と同じ色合いがアンバランスな楽しい電車だ。
この当時、広島でも路面電車の廃止が論議されていたようで、見えない将来がこういう電車登場の背景にあるのだろう。
廿日市付近だろうか。
2512。
市内での2512・・
阿品、2513。
海岸を行く、2514・・
2500形は乗客の増加に車体が小さく、対応できにくいことから、福岡からの3000形投入後に3連接化された。
もちろん、この中に大阪市電を改造した車両は入らない。
3編成造られ、2500形は5編成あったことから1両は廃車になった。
3103、上記2510だ。
最近の様子、めったに走らなくなってしまっているが、この日は幸運にも一往復の運用を見ることができた。
3102・・2503が前身だ。
この系列には元のピンク系の色合いが似合うと思うのだが・・

同型電車と出会う3102・・

2000形、最初から宮島線直通用に作られた電車で初めの2両は昭和34年生まれで、僕が訪問した当時はすでに2001を除いて連結化されていた。
残り6両は昭和37年から38年にかけて自社で製造された。
2004、広島市民球場を背景に・・
2006、廿日市、2000形は2002+2003から順に連結化されていた。
夜の広島駅前、2008。
本川町、冷房改造後の2008。
3000形、最近ではすっかり市内専用となった感がある形式、福岡から来た昭和29年から登場した連接車で、広島で三連接に改造されている。
元の形式は1101形、1201形、1301形。
阿品、海岸を行く3002。
廿日市、3004・・

最近の撮影、3005、この車両は福岡での1101形で窓が上下に大きい。

これも最近の撮影、夜の街を行く3004・・

長らく低迷を続けていた日本の路面電車界は、ようやく新しい時代のLRTへの歩みを始めようとしていた。
昭和50年、政財界の肝いりで登場したのが3500形「軽快電車」だ。
広電には連接車を予定していたようだが、広電の希望で三連接になった。
基本設計は連接車のままなので加速が鈍いという欠点があったようだ。
当時の路面電車では珍しいクロスシート車だ。
登場時の様子。
なかなか、乗る機会も撮る機会も少ない電車で、あまり写真が残っていない。
原爆ドーム前、3501。
今に続く宮島直通車の緑濃淡、その初めだ。
この後は、3500形の反省を踏まえた3700形の登場となり、これ以降、広電は連接車を中心に発展していくことになる。
3702。
一時期、ドイツより中古電車を輸入して走らせた。
広島には昭和57年の登場。
ドルトムント電車と親しまれた電車で、抜群のデザインセンスはさすがにドイツと思ったものだ。
廿日市にて76。

広島駅前。

宮島線には本来の鉄道車両もまだ健在だった。
廿日市だろうか、1071・1072・・阪急からの譲受車で車体幅の狭い宝塚線500形がその前身。

1077・・
1080形、阪急唯一本の210形で嵐山線で走っていた。
車体幅は相当広かったはずで、入線に際して問題はなかったのだろうか。
1082・・

1060形、昭和32年生まれ、僅か1両のカルダン車だ。
車体の軽快さが如何にも昭和30年代の車両だ。
ボートレースの臨時列車1062・・

1050形、阪急の木造車を車体新製して更新した形式。
1051。

1053、この当時は固定編成ではなく、のちに完全固定化され、番号も1090形に変わった。
2連化された1094と向こうに1082が見える。
当時の高低あるホームの様子が分かる。

今、宮島線に専用車両はなく、すべてが路面電車タイプの連接車だ。
グリーンムーバ5000形が行く。

今の広電は、LRTへの道を確実に歩んでいる。
日本の交通行政を先取りし、路面電車の最先端を行き、鉄道業界を牽引する・・
そんな頼もしい存在であるともいえようか。
