2019年11月16日

広島電鉄の車両たち1970・80年代(その2)、宮島線直通車、専用車

広島電鉄車両の二回目だ。
今回、ネガスキャンしたものを掲載しているが、まだポジの手つかずもあり、さらに、この後の時代のプライベートな広島訪問を重ねる中で撮影したものもあるので、それらは別の機会としたい。
今回もごく最近の撮影のものを、一部に掲載する。

このブログで過去にも何度か出したが、僕にとって広電の魅力は、京阪神出身の市電たち、そして宮島直通の連接車だった。
当時の日本では、鉄道線と併用軌道を相互に直通しているのは、広島のほかには、西鉄北九州線と筑豊電鉄、京阪大津線、福井鉄道くらいではなかっただろうか。
併用軌道に乗り入れというなら、名鉄も江ノ電、新潟交通もあるのだが・・

広電最初の訪問時に見た宮島線直通の連接車、2500形、雨の暗い雰囲気を打ち破るかのような明るい色彩の電車。
僕はすっかり虜になっったものだ。
2501号、本格連接車のトップナンバーだ。
広島2501.jpg

スタイル抜群、軽快感あふれる連接車こそ、広電のクィーンだった。
昭和36年生まれ、日本の路面電車が衰退に向かう中で製造された気概あふれる電車だ。
登場時の鉄道ピクトリアル昭和37年8月臨時増刊号によると、最高速度は70㎞/h、高加減速に優れた、当時流行のPCCに匹敵する性能を有していたようだ。
第二編成の2504、連接車でありながら各車体ごとに番号を持っていた。
広電2504原爆ドーム前.JPG

2505、翌昭和37年製造、何と自社工場で竣工させた。
前照灯がシールドビーム二灯となり、さらに近代感が増した。
今に至るまでの広電で、神戸市から移籍したグループを除けば、最も好きなデザインだ。
己斐行き。市内線だけの運用だ。
広電2505広島駅.JPG

2507、夕暮れの広島駅にて。
廿日市行き。
広電2507広島駅夕方.JPG

2509、当時の阿品にて。
(現在の阿品とは異なる)
広電2509阿品.JPG

当時は瀬戸内海がすぐわきで、巨大なジェットコースターが見えた。
広電2509阿品Ⅱ.JPG

原爆ドーム前での2509。
広電2510原爆ドーム前.JPG

反対側の2510・・本当に美しい電車だ。
広電2509紙屋町.JPG

2000形を世に送り出した広電とも思えぬ傑作が同じ2500形を名乗る2編成だ。
大阪市電1601形を連接車に改造、性能を他の2500形にそろえたが、外観はなんともクラシカル、新車と同じ色合いがアンバランスな楽しい電車だ。
この当時、広島でも路面電車の廃止が論議されていたようで、見えない将来がこういう電車登場の背景にあるのだろう。

廿日市付近だろうか。
2512。
広電2512廿日市.JPG

市内での2512・・
広電2512八丁堀.JPG

阿品、2513。
広電2513阿品.JPG

海岸を行く、2514・・
広電2512阿品遠望.JPG

2500形は乗客の増加に車体が小さく、対応できにくいことから、福岡からの3000形投入後に3連接化された。
もちろん、この中に大阪市電を改造した車両は入らない。
3編成造られ、2500形は5編成あったことから1両は廃車になった。
3103、上記2510だ。
広電3103原爆ドーム前.JPG

最近の様子、めったに走らなくなってしまっているが、この日は幸運にも一往復の運用を見ることができた。
3102・・2503が前身だ。
この系列には元のピンク系の色合いが似合うと思うのだが・・
広電3102十日町.jpg

同型電車と出会う3102・・
広電3102本川町.jpg

2000形、最初から宮島線直通用に作られた電車で初めの2両は昭和34年生まれで、僕が訪問した当時はすでに2001を除いて連結化されていた。
残り6両は昭和37年から38年にかけて自社で製造された。
2004、広島市民球場を背景に・・
広電2004原爆ドーム前.JPG

2006、廿日市、2000形は2002+2003から順に連結化されていた。
広電2006廿日市.JPG

夜の広島駅前、2008。
広電2008広島駅夜景.JPG

本川町、冷房改造後の2008。
広電2008本川町.JPG

3000形、最近ではすっかり市内専用となった感がある形式、福岡から来た昭和29年から登場した連接車で、広島で三連接に改造されている。
元の形式は1101形、1201形、1301形。
阿品、海岸を行く3002。
広電3002阿品.JPG

廿日市、3004・・
広電3004福岡市内線.jpg

最近の撮影、3005、この車両は福岡での1101形で窓が上下に大きい。
広電3005.jpg

これも最近の撮影、夜の街を行く3004・・
広電3004流し.jpg

長らく低迷を続けていた日本の路面電車界は、ようやく新しい時代のLRTへの歩みを始めようとしていた。
昭和50年、政財界の肝いりで登場したのが3500形「軽快電車」だ。
広電には連接車を予定していたようだが、広電の希望で三連接になった。
基本設計は連接車のままなので加速が鈍いという欠点があったようだ。

当時の路面電車では珍しいクロスシート車だ。
登場時の様子。
広電3501西広島.JPG

なかなか、乗る機会も撮る機会も少ない電車で、あまり写真が残っていない。
原爆ドーム前、3501。
今に続く宮島直通車の緑濃淡、その初めだ。
広電3501原爆ドーム前.JPG

この後は、3500形の反省を踏まえた3700形の登場となり、これ以降、広電は連接車を中心に発展していくことになる。
3702。
広電3702原爆ドーム前.JPG

一時期、ドイツより中古電車を輸入して走らせた。
広島には昭和57年の登場。
ドルトムント電車と親しまれた電車で、抜群のデザインセンスはさすがにドイツと思ったものだ。
廿日市にて76。
広電76廿日市.jpg

広島駅前。
広電76広島駅前.jpg

宮島線には本来の鉄道車両もまだ健在だった。
廿日市だろうか、1071・1072・・阪急からの譲受車で車体幅の狭い宝塚線500形がその前身。
広電1071・1072.jpg

1077・・
広電1077廿日市.JPG

1080形、阪急唯一本の210形で嵐山線で走っていた。
車体幅は相当広かったはずで、入線に際して問題はなかったのだろうか。
1082・・
広電1082廿日市.jpg

1060形、昭和32年生まれ、僅か1両のカルダン車だ。
車体の軽快さが如何にも昭和30年代の車両だ。
広電1061廿日市.JPG

ボートレースの臨時列車1062・・
広電1061ボートレース借り切り廿日市.jpg

1050形、阪急の木造車を車体新製して更新した形式。
1051。
広電1051.jpg

1053、この当時は固定編成ではなく、のちに完全固定化され、番号も1090形に変わった。
広電1053廿日市.JPG

2連化された1094と向こうに1082が見える。
当時の高低あるホームの様子が分かる。
広電1082・1094.jpg

今、宮島線に専用車両はなく、すべてが路面電車タイプの連接車だ。
グリーンムーバ5000形が行く。
広電5001商工センター.jpg

今の広電は、LRTへの道を確実に歩んでいる。
日本の交通行政を先取りし、路面電車の最先端を行き、鉄道業界を牽引する・・
そんな頼もしい存在であるともいえようか。
広電5108・5110.jpg

posted by こう@電車おやじ at 15:29| Comment(3) | 私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月14日

広島電鉄の車両たち1970・80年代(その1)市内線

かつては広島へ頻繁に通った。
最初の訪問は、昭和53年(1978年)12月、国鉄職員に正式採用されて、その三か月後、初めて精勤乗車証なるものを申請して、京都から丹後を回り、米子から「さんべ5号」で下関へ出て、そこから快速電車で広島入りした時だ。

この日は雨だった。
以後、広島ではなぜか雨に遭うことが多かったのは気のせいか・・・
なお、今回の記事では、1980年代までの様子を車種別に記載するものとして、(その1)では市内線車両を、(その2)では宮島線直通車と鉄道線車両を取り上げたいと思う。
なお、一部にごく最近の撮影のカットを入れている。


雨の広島駅に降り立ち、目の前を行く路面電車に見惚れた。
最初にやってきたのは広電生え抜き、350形だ。
353号、なんとなく、京都市電に似ていると思ったものだ。
当時はいまだ京都市電1900形は広島での運用を開始していなかったが不思議な縁だと、このあと1900形が入る際には不思議な縁だと感じたものだ。
広電353広島駅.JPG

昭和28年生まれの350形は元々は宮島線直通用に作られたが、この当時はすでに市内線専用となっていた。
以後、車種別なので撮影時期も場所もシャッフルする形で紹介していきたい。

この日も雨だった。
351号。
広電351広島駅Ⅱ.JPG

比治山線、352号。
広電352皆実町.JPG

昭和28年生まれの500形、こちらは当初から市内線用、落ち着いた風貌が好みのタイプだ。
最初の訪問で、502号、広島駅前。
広電502広島駅Ⅱ.JPG

504号、広電は当時から広告電車に積極的で、広告収入は入るし、塗装代は浮くしと上手に活用されていた。
広電504広島駅.JPG

550形、昭和30年生まれの落ち着いた広電スタイルだ。
551号、この車両は宮島線直通認可を受けていたという。
既にこの当時は市内線専用車だ。
広電551広島駅夕方.JPG

553、冷房改造後の姿、十日市町。
広電553十日市町.JPG

570形、神戸市電500形を前身とするグループで神戸市電J、K、Lの各車が出自だ。
J車は大正13年、K車は大正15年から昭和2年、L車は昭和6年生まれの車体で、当時とて相当なベテランだったが、ごく初期の鋼製車でもあり、相当に頑丈にできていたのではないかと思う。

571号、元K車だ。
広電571広島駅夜景.JPG

573号、元K車、方向幕拡大後。
広電573.jpg

575号、元K車。
初訪問の広島駅でしばらく雨の中に立っているとやってきてくれた神戸市電・・
広電575広島駅雨.JPG

花の向こうに576号、元K車。
570形はどっしりしていて、広告電車になると一気に神戸のイメージから遠ざかる。
広電576原爆ドーム前.JPG

582号、元J車で神戸時代の車番は592。
今も残る車両で、これは数年前の撮影。
広電582紙屋町.JPG

580号、元k車。
これも最初の訪問で出会えたもの。
広電580広島駅雨.JPG

583号、朝の広島駅で・・
J車出自で神戸での車番は590。
広電583広島駅朝.JPG

584号、元L車。
広島駅前の夕暮れだ。
神戸市電は車内の照明が独特で、夜に見ると美しかった。
広電584広島駅前夕方.JPG

586号、元L車。
これら570形は神戸時代に更新されていて、ほとんど外観上の差異がなくなっていた。
僅かに屋根の深さに元の面影が残るのみだ。
広電586広島駅.JPG

600形602号、西鉄福岡市内線からやってきた。
昭和23年生まれが、当時最新のトヨタソアラと並ぶ。
広電602ソアラ本川町.JPG

この電車は今も残る。
美しく整備されて朝に活躍する様子。
広電602.jpg

650形、有名な被ばく電車だが、当時は特に説明もなかったように思う。
ごく普通に運用されていた。
昭和17年生まれ。
654号、江波で被ばくして大破したと伝えられる。
広電654的場町.JPG

651号、最近の撮影、この電車は中電前で被ばくしたと伝えられる、最近の撮影。
広電651.jpg

652号、宇品で被ばくしたという、これも最近の撮影。
広電652紙屋町.JPG

700形、戦前の京王電軌から譲受した23形を戦後に650形同様の車体を新製したもの。
705号、最初の訪問で・・
広電705広島駅雨.JPG

750形、大阪市電1601形、1651形、1801形を譲受したもので、ひとまとめに750形となっていた。
753号、1601形は製造初年は昭和2年。。
大阪での車番は1619号。
広電753広島駅正面.JPG

756、これも最初の訪問で出会えたもの、大阪での車番は1634。
スタイルが如何にも昭和初期の大都会の電車だ。
広電756広島駅.JPG

762号、大阪での車番は1652、この車両は大阪大空襲の被災車だと伝えられる。
広電782本川町.JPG

最近の撮影、762号紙屋町。
広電762紙屋町.JPG

768号、元大阪1801形1827で戦後生まれらしい軽快な外観だ。
この電車はイベント用として現存する。
広電768八丁堀.JPG

761号、元大阪市電1650形1651で、散水車を改造したグループとのこと、昭和15年生まれ。
広電761広島駅Ⅱ.JPG

769号、大阪市電1827、今、なぜか宮崎にあると聞く。
広電769八丁堀.JPG

760号、大阪での旧番号は1645、この日も雨の広島駅前。
広電760広島駅.JPG

1100形、神戸市電1100形で昭和29年生まれ、このシリーズは車番も神戸時代と変わらない・
1101号、僕の中の神戸市電はこの形態で、570形に会った時よりさらに大感激の再会だった。
広電1101広島駅雨.JPG

1101号、広告電車時代。
広電1101土橋.jpg

1103号、まだ神戸市電の面影が十分だ。
広電1103広島駅Ⅱ.JPG

1103号俯瞰。
広電1103本川町.JPG

1104号、己斐電停。
広電1104己斐.JPG

1105号が大阪市電出自753号と並ぶ。
ハノーバーカラーに塗られた初代の電車だ。
広電1105・753広島駅.JPG

1150形、昭和30年31年生まれの、神戸版PCCと呼ばれた高性能車だったが、扱い難く、神戸時代に大阪市電の中古機器でツリカケ化されている。

1151号、冷房改造後。
広電1151本川町.jpg

1153号、こうしてみるとかつての広島駅前は如何にもアジアの香りが漂う。
まさに古き良き時代だ。
広電1153広島駅.JPG

1154号と580号が並ぶ。
ここは三宮阪神前ではなく広島駅前での神戸市電の出会いだ。
広電1154・583広島駅.JPG

1157号、原形に近い状態で、優雅な正面のRの付いた窓が特徴。
広電1157広島駅.JPG

1156号、本川町。
マツダの広告電車だ。
広電1156本川町.JPG

紙屋町での夜景。
広電1156紙屋町.JPG

1155号、この車両のみ番号が変更されている。
神戸時代は1158、なので、東灘に残る電車と同じ番号というわけだ。
冷房化、方向幕の大型化がなされたが、正面のひし形黄色は消されて、それなりに神戸のムードを感じることができた。
広電1155緑.jpg

最近の撮影、1156号、ハノーバーカラー二台目となって現存する。
広電1156 (2).jpg

大阪市電から来た900形、大阪の2601形で、僕にとって大阪市電と言えばまさにこのイメージ。
昭和50年代、あまり広島駅前に来なかったような気がする。
江波近く舟入本町あたりだろうか、913号。
昭和30年から登場した電車だがツリカケ駆動、大阪での車番は2638号。
広電913江波.jpg

冷房改造後、土橋あたりだろうか。
907号・・大阪では2629号。
広電907本川町.jpg

最近の撮影、906号(大阪市電2627号)御幸橋。
広電906ほか.jpg

京都市電1902号と並ぶ913号。
最近の撮影、土橋。
広電913・1902.jpg

大阪市電が行きかう。
ここは松屋町筋ではなく、本川町、最近の撮影。
904号は大阪市電2634号。
広電904・913本川町.JPG

1900形、昭和32年生まれの京都市電1900形を譲受した形式、
今も主力車のひとつであるのは立派だと思う。
京都市電のイメージに近いがよく見ると結構、改造されている。
1913号、京都での番号は1929号。
広電1913本川町.JPG

サッポロビールの広告電車、1905号(京都1919)
広電1905的場町.JPG

冷房改造後、1915号(京都1931)を先頭に京都市電が続く。
広電1915ほか本川町.JPG


交通バリアフリー先進都市、広島にあって、これら旧型電車はもはや使いづらい存在なのかもしれず、現存車でも京都市電以外はほとんど動態保存と化している現状では、いつまでその姿を見られるか、はなはだ心もとない状況でもある。
それでも、如何にも路面電車然とした彼ら旧型電車の雰囲気は街によく溶け込み似合っていたと思う。
広電912サイド女性広島駅.JPG

だが、彼らが走る限り、僕は広島に行きたいし、彼らに会いたいと願っている。
広島は、京阪神の市電への思いと個人的な思いの交錯する不思議な町だ。
広電584室内灯.jpg

(その2)直通車、鉄道線に続く。
posted by こう@電車おやじ at 21:28| Comment(3) | 私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする