2019年09月27日

D511072、デ101、キハ2、DD51など鉄道趣味界の保存活動について

一年前に友人の紹介で、西元町地区での活性化運動をされているNPO法人代表の方と繋がりができた。
最初のお話で神戸駅前に保存されているデコイチ、D511072について「何とか整備できないか悩んでいる」ということをお伺いし、元鉄道マンであり、工場での車両整備に携わり、その後は写真業界に居ながら様々な鉄道現業の方や、熱心な鉄道ファン諸氏と交流を結んでいる僕としては「可能なことはお手伝いさせてください」とお返事申し上げた。

その後、この保存機D51が、今もJR西日本の所有で、神戸市に無償貸与されている状態であることから作業許可はどうするか、整備作業がどこまでできるのか、簡単な作業にとどめるにしても補修用の材料、作業工具などをどうするのか、様々に検討を重ねやっと1年かかって今夏、鉄道ファン諸氏にボランティアに参加してもらい、整備作業を実施することができた。
0905神戸D511072正面.JPG

この機関車は昭和50年12月まで北海道で運用された国鉄最後の営業用蒸気機関車のうちの1両だ。
昭和19年、日本車輛名古屋本店で製造された、戦時型D51の生き残りであり、しかも、寒冷地仕様に改造されたD51としては貴重な個体でもある。
製造からずっと北海道で使用されたが、戦時型の特徴のうち、危険な部分については戦後すぐに標準型に戻されている。

最後の配置は国鉄最後の蒸機の砦となった追分機関区で、この機関車は他の仲間より一足先に昭和50年12月に運用を終了、昭和51年3月に苗穂工場へ送られ、ここでずっと保管されていた。

ここがこのD511072の幸運なところで、昭和51年4月、追分機関区の建屋は謎の火災で焼失、保存のために格納されていた苗穂工場最後の定期検査出場機D51602をはじめ、貴重な機関車が何両も焼失、さらには当時国鉄で最も新しかったDD51新車も道連れになるという悲劇がおこったのだ。

すでに苗穂に保管されていたD511072は難を逃れた形になったが、もし彼が意識を持ち、僚機の身の上に起こった悲劇を知ったならどんなにか悲しんだであろうか。

だが、D511072にはなかなか保存の声がかからなかった。
このままでは解体やむなし・・・まさにそういうところだっただろう。
昭和53年、神戸ホストライオンズクラブが神戸市を通して国鉄に蒸気機関車の譲渡を要請、ここにD511072は解体を免れ、出生もその機関車人生においても全く縁のない、神戸に来ることになったわけだ。

当初は西元町の三越前に保存され、周囲に公園も整備されて「グリーンD51」として市民に親しまれたが、のちに関西で最初の鉄道開業地である旧神戸駅跡地である現在地に移転されている。

しかし、長年、放置状態で置かれていたために傷みがひどく、これを見かねた神戸市内の工業高校教諭が生徒たちとともにボランティアで全面的に再塗装、修繕を行ってくれた。
このあと、さらに放置状態となり、神戸駅の裏側、ビルの谷間に哀れな姿をさらすことになってしまっていたというわけだ。

今回の作業開始前の様子。
くたびれてはいるが、のんびり花と過ごしているように見える。
0407神戸D51・1.JPG

正面、この記事の最初の写真は二回目の作業後のものだが比べてほしい。
0625神戸駅D511072正面.JPG

D51としては珍しい寒冷地仕様、密閉型運転台。
0625神戸駅D511071密閉キャブ.JPG

戦時型の特徴の一つ、船底テンダーも健在だ。
0625神戸駅D511072テンダー下部.JPG

作業は真夏、お盆休みから始めた。
猛烈な暑さの中、汗を流して作業をする鉄道ファン諸氏。
0812神戸D51・5.JPG

基本的には車体塗装はまだ、何とか持ちこたえていた感じなので、グリースを塗りこみ磨いていくという単純なものだ。
国鉄時代、僕はこのやり方で鷹取工場に保管されていた「義経」や「若鷹」を磨かされたことがある。
いわばその時の経験が役に立ったということか。
0812神戸D513.JPG

塗装の痛んでいるところは錆止めをして塗りなおしたが、今回、許可をいただいたのがあくまでも「補修」ということ、作業日程、作業時間が限られることで、パテによる平滑化は行っていない。
あくまでの錆の浸食防止が目的だ。
0812神戸D514.JPG

だが、鋼板の薄いシリンダカバーなどは悲惨な状況でもある。
錆びて失った部分をテープ類で補修した跡があった。
この場所で鉄材の切断、溶接作業は難しく、今後の課題でもある。
0807神戸D511072シリンダカバー前.JPG

作業前の全景。
0729神戸駅D511072.JPG
二回目の作業を終えた状況。
これまでにこういう整備作業が最低年に数度でもできていれば、この機関車はもっと美しさを保ったはずだ。
0905神戸D511072全景.JPG

テンダーから全体を見る。
こうしてみるとビルの谷間の都会的な景観にこの機関車は良く似合っている。
0905神戸D511072サイドバック.JPG

二回目の作業後、D51の横顔。
DSC_3001.JPG

今年は神戸駅開業145周年、東海道本線全通130周年の佳節に当たる。
そこでこの機関車を広く神戸市民に知ってもらおうと、機関車周辺で小さなイベントを計画した。
令和元年10月13日の予定だ。
(この写真はFacebookで知りあった先輩鉄道ファン氏の撮影である)
D51まつりチラシ.jpg

綺麗になったD51の周りで写真を撮影する人が増えた。
まさにインスタ映えするということなのだろう。
保存車は美しくなければならない。
引き取ってそこに置くだけでメンテナンスの予算も組まないというのは行政の怠慢だろう。
だが、昨今の景気低迷、税収の落ち込む自治体に今やその余裕はない。

我々鉄道ファンとして、鉄道の誇りである保存車をもっと世間に知ってもらい、もっと親しんでもらうための保存活動、そこへのボランティアは、昨今、撮り鉄による社会問題が大きくなる中、世間から鉄道ファンそのものに対する評価も、こういった活動で大きく変わってくるのではないだろうか。

僕としては、今後もこのD511072に関わって、車体を磨きその喜びを仲間とともに味わい、デコイチを市民にもっと親しんでもらう活動を続けるつもりだ。

さて、周辺には様々な保存車が存在する。
鉄道ファンによる保存車再生のそのパイオニア的存在が別府鉄道廃線跡にあるキハ2の修復活動だ。
イベントなどの手法に批判もあるし、必ずしも原形復元とはなっていないという批判もあるが、何より朽ち果てようとしていたキハ2に命を吹き込んだその功績は大きいし、クラウドファンディングで資金調達をするという、思い切った手法には驚かされた。
工事中のキハ2.
別府鉄キハ2外観作業.JPG

復元工事中の車内。
車内を見せてもらった時、外観の荒れかたとは想像できない車内の良い状況に驚かされた。
別府鉄キハ2社ない2.JPG

そして、いよいよ本日から神戸電鉄鈴蘭台車庫の奥に眠っていたデ101復元整備のクラウドファンディングが開始される。
登山電車並の急こう配を持つ都市鉄道という稀有な存在、その神戸電鉄開業直後の増備車で、構内入換に使われいたことから奇跡的に生き延びてきた。
50‰急こう配を上下できる、昭和初期の奇跡的な電車でもある。
神鉄101.jpg

僕が画像に手を加えて、現状で復元した場合の様子を作ってみた。
なお、窓枠や扉は他の鉄道の保存車のものを移植した。
神鉄101復元案.jpg

神戸電鉄デ101復元プロジェクトは、最初の構想、神鉄への打診からここまで1年半を要している。
戦前日本の技術力、神戸の誇りでもあるこの電車を、なんとしても復元し、未来へつなぎたいと願っている。
クラウドファンディングは以下で募集中、ぜひ、読者諸兄には関心を持っていただき、そして支援をいただきたく願う。
https://www.makuake.com/project/de101support/?fbclid=IwAR35TuTIDc5zr-pitcMTipMAOOxpyg8COfTDkaOav-dSUO6Q4uhJ87BHR8I

我が地元、神戸・播磨には他にも残すべき保存車が存在する。
神戸市内で唯一残る、市電時代の形態の神戸市電1155号、昨年の台風で被害を受け、安全上から解体の話も出ているということだ。
市内御崎公園には広電から返してもらった車体が美しく保存されているが、この1155号車はずっと神戸にいて、市民がじかに触れられる唯一の存在だ。
是非、残して未来へつなげていきたいと思う。
0202神戸市1155南東側本山.JPG

加古川のキハ2のすぐ近く、鶴林寺公園のC11331・・
ここに鉄道があり、それゆえに街が発展してきた生き証人である。
荒廃極まる現状は悲しく、見ていて辛いものがある。
なんとか、保存再生へ向けて手を付けていけないかと苦慮するところだ。
0516鶴林寺C11331非公式側.jpg

中には海外へ渡った機関車の支援を行うグループもあり、僕も深く注目している。
鉄道ファンのスケールも大きくなったものだ。
だが、海外へ車両が渡っても満足な整備も受けられず、荒廃することが多いと聞く。
日本の技術の象徴でもある優れた鉄道車両が末永く活躍する・・それはまさに日本の誇りだろう。
「タイのDD51北斗星色を支援して両国有効の星にしたい」
https://readyfor.jp/projects/dd51thailand


平成筑豊鉄道、いすみ鉄道、熊本電鉄などでもクラウドファンディングによって車両の再生が行われている。
だが、いったん町中に置かれた車両には権利関係も複雑で一言でクラウドファンディングともいえない事情もあるし、昨今では街頭での募金活動も世間的事情から難しい。
結局は現状を憂える一人がその人脈を駆使して、様々な方々の協力を得ながら進めていくというのも大事ではないかと思う。
整備・清掃も保存場所の管理者や保有者の承諾を得なければならず、すぐにはおいそれと出来ないもどかしさもある。

計三回、延べ50人のボランティアによって蘇ったD511072の姿。
DSC_3091.JPG

蒸気機関車に余計な飾りは不要というのが鉄道ファン、なかでも活躍当時を知る人の思いだろう。
だが、街中で人々に親しんでもらい、蒸機のことを知ってもらうには最低限の飾りは必要であると僕は思う。
そこでランボードの白線は残し、錆を除去して再塗装した。
また、作業の安全上から手すりに相当する部分については白で残した。
運転台窓回りの白く塗った部分の錆が目立っていたので、ここは原形に従い黒で仕上げた。
DSC_3097.JPG

寒冷地を走っていたことを実感させる正面窓。
DSC_3111.JPG

作業の終わった夕方、D511072は誇らしげだ。
火災を免れ、解体を免れた幸運な機関車、戦時日本の工業界の苦悩を今に伝える機関車、極寒の地を走っていたことをふっと垣間見せる機関車、そして神戸市民の誇りである機関車、D511072、そこにいてくれてありがとう。
DSC_3107.JPG

これまでのD511072整備活動に際し、ご協力をいただいた延べ50名あまりの鉄道ファン・鉄道関係の方々、また資料を提供、技術をご教示いただいた鉄道ファンや関係者の方々、保存活動に際しての注意と手法をご教示くださった有田川鉄道交流館の皆様、本当にありがとうございました。
また元町地区の地元の交流団体はじめ、資金的、人的、活動場所の支援をいただいた皆様、本当にお世話になりありがとうございました。
今後とも宜しくお願いいたします。

最後に・・
保存車両たちは生きようとしている。
彼らは選抜されて街のシンボルとなったその誇りを忘れたくないからだ。
ぜひ、各地の鉄道ファン諸氏もただ眺める、ただ外野から文句を言うだけではなく、少しでも保存活動に関心を持っていただきたいと願っている。
posted by こう@電車おやじ at 13:55| Comment(0) | 鉄道と社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする