だから、鉄道車両は可能な限り多くの乗客を乗せるように設計されているのが基本だ。
頻発運行を旨とする路面電車ならともかく、通常の鉄道車両で車両限界も問題がないのに小さな車両を採用するというのはそれだけで矛盾しているということになると思う。
レールバスはその最たるもので、小型軽量のバスサイズの車体を採用するというのは、それだけその鉄道のおかれた立ち位置が厳しいということだ。

僕の国鉄時代、レールバスは国鉄からは短期間で消えた後で、唯一、青森県の南部縦貫鉄道に残っていて、わざわざそれを見に行ったことがある。

二軸貨車そのものの下回りに、当時の路線バスの走行システムを組み合わせたといえる車両で、軌道状態も相当よくなかったのだろうが、速度の割に激しい乗り心地には驚いたものだ。
時は移り、国鉄地方交通線問題が叫ばれる中、第一次特定地方交通線というものは、鉄道としての使命を終わっていると評された路線ばかりで、その輸送量は小さく、第三セクターに経営を移管して残る路線でも小型軽量の車両が求められた。
富士重工が開発したLE-CARと呼ばれるのがそれで、南部縦貫のレールバスとはシステムを一新して、新時代の乗り心地、走行性能の良い新型レールバスの登場となった。
その嚆矢は、国鉄樽見線を移管した「樽見鉄道」だ。
昭和59年、新型レールバスも誇らしげに、殺風景な神海駅でのハイモ180形だ。
このレールバスは二軸でありながら乗り心地が良く、しかも、国鉄気動車並みの出力を持ち、超軽量車体と相まって軽快な走りが印象的だった。
樽見鉄道は貨物輸送が主体の鉄道だった。
だが、沿線住民の悲願であった終点、樽見への延長を行う。
樽見駅のレールバス、ハイモ180形。
ただ、樽見開業の際には、すでに初期のハイモ180形は小型過ぎ、乗客の多い時間には乗り切れないという問題も出ていた。
そこで、樽見開業時よりはレールバスというより、中型気動車という方が適切なハイモ230形が用意された。
結局、二軸のレールバスでは小さすぎた・・・
乗客が当初予想より増えたという目出度い成績もこうなってくると悩みになるのかもしれない。
昭和60年には、地元、播州で二つの小鉄道が開業した。
国鉄北条線を引き継いだ北条鉄道、国鉄三木線を引き継いだ三木鉄道だ。
北条線・三木線はそれなりに乗客も多く、国鉄気動車も常に2~3連で走っていたからレールバスの採用には驚いた。
開業時の三木駅・・
石野付近を走る試運転列車。
ミキ180形と名付けられたレールバスは正面、サイドとも、全くバスそのものを思わせるデザインだ。
別所付近にて。
三木鉄道では乗客を増やすために、路線バス並みの駅間距離を実現、新駅をいくつも建設した。
けれど、三木鉄道でもピーク時に乗客がさばききれないレールバスより、中型のしっかりした気動車を購入してこれに代替されてしまう。
ミキ300形が走る。
だがこの三木鉄道は乗客減著しく、それには、三木市と加古川市では高等学校の学区が異なるという、乗客流動上の大きな問題もあった。
また、国鉄時代は大半の列車が加古川に直通していたのに、国鉄との線路を遮断されたという問題もある。
三木駅自体、市街地のはずれにあり、中心部に位置する神戸電鉄との連絡がなされていない・・・
結局、三木市財政の立て直しという大義名分のもとに、三木鉄道廃止を掲げた市長が当選、市長は公約通り、三木鉄道を廃止してしまう。
こちらは北条鉄道、三木線と似たような事情の路線だが、乗客の流動には合致しているという強みもある。
開業前、レールバスが北条町に到着したところ。

国鉄時代のままの北条町駅舎。

本社も国鉄時代の建築物だ。

新しい車庫を建設中の様子。

開業記念の装飾がされた北条町駅。
こちらは網引駅。
網引駅に停車するレールバス、フラワ1985形の2連。
北条鉄道でもレールバスの輸送力不足は深刻で、半数ほどの列車が2連で走るということになった。
北条町にて、フラワ1985形に増結の準備をしているところだろうか。
粟生駅で国鉄気動車と北条鉄道のレールバスが並ぶ。
網引付近にて、快晴の空の下、レールバスが映える。
北条鉄道のレールバスは三木鉄道のものとほぼ似た仕様ながら、観光バスタイプの側面窓を持っていた。
質実な三木鉄道と、少し華やかな北条鉄道という感じだ。
雨の法華口に2連のレールバスが停車する。

善坊山を背景にレールバスが行く。
こちらも2連だ。
全線一閉塞、増発もできない状況では、レールバスでは明らかに輸送力が不足し、結局は三木鉄道と同時期に中型気動車を導入する。
新装なった北条町に並ぶ、レールバス、フラワ1985形と中型気動車フラワ2000形。
冬晴れの中を快走するレールバス。
アップ、北条鉄道は撮影ポイントがいくらでもあり、鉄道ファンとしては楽しい路線だ。
国鉄高森線を引き継いだ南阿蘇鉄道は、中型気動車を採用した。
だが、第三セクターのみならず、既存の私鉄、それも電化鉄道でレールバスを採用するところが出てきた。
こちらは近江鉄道のキハ10、やはり輸送力の問題から早々と電車に置き換えられた。
僕はこの車両の実乗機会がなく、写真は引退後の彦根でのものだ。

そして、僕らをあっと驚かせたのが名鉄で・・
乗客の極端に少ない路線にレールバスを導入・・名鉄の場合、もとより気動車を保有していて、レールバス導入への敷居が低くなっていたというのもあるかもしれない。
八百津線・・ススキの中を行く。
レールバス快走!
三河線。
猿投だろうか、三河線。
名鉄の閑散路線にレールバスは良く似合った。
だが、もとより鉄道として採算の取れる状況ではなく、レールバスの走った区間はいずれも廃止されている。
つまり、レールバスというのは、ローカル線区の維持に有用だと考えられてはいたにしても、ラッシュ時にや多客時には対応できず、レールバス程度の輸送力で十分ということは、鉄道路線の維持がすでに難しくなっている線区であるということを実証しているわけで、ローカロ線区経営改善の切り札などではなかったと、僕には思えるのだ。
それでも、あの、LE-CARの、た~ん、た~ん、という、独特のジョイント音、やわらかで楽しい乗り心地は、やはり独特の世界であったなぁと、あらためて思うのだ。
三河線を行く名鉄キハ11。
最後に、北条鉄道から紀州鉄道に移って活躍していたレールバスを・・
