2019年05月19日

府境の京阪電車

府県境付近は、人や物資の交流もぐんと少なくなることから、開発も遅れ、大都市近郊であっても、いつまでも長閑な風景が残っていることもある。
今回は大阪府・京都府の府境(ふざかい)付近での京阪電車の風景を取り上げたい。
撮影時期は昭和55年ごろから58年ごろにかけてだ。

かつての京阪特急は京橋・七条ノンストップであり、中間の駅で下車するには急行以下の種別を使うしかなかった。
それでも、特急に乗れなくても、この場所の風景が好きになり、一時は足しげく通ったものだ。

淀川沿いの花街のあった風情の残る橋本、そこに入る2600系・・・
京阪橋本2816.JPG

春、桜の向こうを走る1900系、古風な外観がこの場所の雰囲気にふさわしい。
京阪橋本1900系と桜.JPG

編成中間と桜・・
京阪橋本1900系中間と桜.JPG

1902を先頭にした普通電車。
京阪橋本1902.JPG

向きを変えて、同じ電車を撮影する。
京阪橋本1902サイド.JPG

1900系も当時は7連で走っていた。
北摂の山を眺めながらかつての特急車が行く。
京阪橋本1900系7連.JPG

1910・・1810系からの改造車だ。
京阪橋本1910.JPG

1925、こちらは「新」1900系。
京阪橋本1925.JPG

2400系が7連で行く。
京阪橋本2200系7連.JPG

府境で3000系特急が出会う。
京阪橋本3000系出会い.JPG

この場所は特急が出会うポイントでもあったようだ。
特急の車内では、ながらく都市部を走ってきた車窓が、穏やかな緑に変化するこの付近の景色にほっと一息をつく乗客があったのだろう。
ホンのひと時、京阪電車のオアシス的な風景で、クロスシートの値打ちも出るというものだ。
京阪橋本3000系出会い2.JPG

3008のサイド。
京阪橋本3008サイド.JPG

2600系が4連で行く。
当時、2000系からの改造が終わったころだろう。
京阪橋本2600系4連.JPG

5000系が行く。
この辺りには場違いに見える日本初のラッシュ対応、多ドア電車・・
京阪橋本5557.JPG

5000系のサイド、角ばった車体、機能本位のデザインがかえって清々しく、気持ちの良いデザインだ。
京阪橋本5605.JPG

5606を先頭に行く5000系。
京阪橋本5606.JPG

カラーポジ原版、実は露出設定を失敗していて、露出オーバーになっていた原版を、画像処理で復元してみた。
北摂の山を背景に5000系が行く。
京阪橋本5000系カラー.JPG

3000系、この5000と3000の両方をほぼ同じ時期に製造した京阪電車の、きめの細やかなサービスは賞賛に値する。
京阪橋本3000系カラー.JPG

3000系特急の出会い。
京阪橋本3000系特急出会い.JPG

1900系、京阪電車の特急車格下げ改造はデザインも優れ、上品な一般電車に仕上がるように思う。
京阪橋本1900系2.JPG

橋本・樟葉間を歩くことが多かった。
樟葉よりの区間で・・・
3012先頭の特急・・画面左は淀川の土手だ。
京阪樟葉3012.JPG

その後ろは3511だった。
京阪樟葉3511.JPG

1900系編成が行く。
京阪樟葉1928.JPG

3513先頭の特急。
京阪樟葉3513.JPG

5000系と1000系が並んだ。
5556と1006だ。
先ごろ、この5556が引退した。
京阪樟葉5556・1006.JPG

樟葉駅ではまだ昇圧前で、登場したばかりの4連の6000系が見られた。
京阪樟葉6051・4連.JPG

今やこの辺りの風景は激変した。
開発業者や自治体には、ある程度は都市圏にあっても、日本独特の田園風景を残す努力をするべきではないかと思うのは、古い人間の妄想にしか過ぎないのだろうか。

春の田圃に少女たちが集まって遊ぶ、その向こうを1900系が行く。
京阪橋本1900系と少女たち.JPG
posted by こう@電車おやじ at 19:23| Comment(4) | 関西私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする