2019年04月22日

153系ブルーライナー

京阪神の新快速は当初は113系でスタートしたが、昭和47年のダイヤ改正で急行用車両の失業対策の一環として、当時の国鉄では破格の急行用153系による運転に変更された。
この時、湘南色の車体塗装を改め、グレー地にブルーの帯で登場、「ブルーライナー」の愛称も与えられた。
国鉄離れした明るい色合いは評判を呼び、ブルーライナーという言葉もあっという間に広がった。
西明石駅には同名の喫茶店が誕生し、長年にわたって営業を続けた。

このブルーライナーの大評判こそ、今の新快速発展のその原点だ。
新快速を運転するにあたって「特別快速」とせず、「新快速」というネーミングを採用したことも当時としては斬新で、お上の鉄道たる国鉄にしてはずいぶん思い切ったことだったのだが、その専用車両を急行型から転用、明るく斬新な塗装に変更、さらにダイヤは特急並み、まさに当時としては破天荒な列車が登場したわけだ。
写真は昭和51年、須磨駅での撮影だ。
153系ブルーライナー須磨駅.JPG

夢前川を渡る153系、姫路から新快速になるためすでにヘッドマークが用意されている。
国鉄夢前川153系新快速.JPG

姫路駅、美しいサイドのブルーライナーが停車中。
153系ブルーライナー姫路駅Side.JPG

115系電車と並ぶ様子。
153系ブルーライナー姫路駅115系と.JPG

その列車のアップ。
当時の新快速は朝9時から夕方16時台までの運転だった。
この編成は先頭がクハ165で、乗り心地が良く、乗るときは好んで乗ったものだ。
153系ブルーライナー姫路駅停車.JPG

クハ165の車内。
基本的にクハ153と変わりはないオールクロス、デッキ付きだが、座席手すり、天井の造作などに時代の進化を感じたものだ。
急行型車両はエアサス、車内仕切により静かで快適な乗り心地だった。
急行型クハ165車内新快速.jpg

宝殿・曾根間、法華山谷川付近にて。
上りの後追い。
宝殿西153新快速後追い.jpg

上りのアップ。
153系ブルーライナー法華山谷川アップ.JPG

下り列車が貨物と出会う。
153系ブルーライナー法華山谷川東.JPG

宝殿駅構内。
サイドビュー。
153系ブルーライナー宝殿駅Side.JPG


通過する新快速。
低運転台の初期型の軽快感が好きだ。
新快速_153宝殿 (2).jpg

こちらは朝夕の快速運用、ヘッドマークは横棒3本だ。
6連2本、12連で運用されていた。
宝殿153快速クハ165.JPG

その列車の後追い、大窓初期型が美しい。
宝殿153快速低運.JPG

加古川橋梁西側・・築堤上を行く新快速。
153系ブルーライナー7加古川橋梁西側.JPG

加古川橋梁、出会う新快速、一瞬、シャタータイミングがずれた。
153系ブルーライナー加古川橋梁並び.JPG

その列車のアップ。
153系ブルーライナー加古川橋梁アップ.JPG

中間車モハ153-15.
153系ブルーライナー加古川橋梁Side153-15.JPG

加古川駅、上り新快速。
153系大窓新快速加古川.jpg

明石駅、電車線を入線する新快速。
153系ブルーライナー明石駅入線.JPG

こちらは高運転台クハ153-500台。
153系ブルーライナー明石駅アップ.JPG

朝霧、並行する山陽電車の普通電車車内から撮影。
153系ブルーライナーS51朝霧」山電車中から.JPG

須磨海岸、湘南色の原色クハ153。
背景は夏の浜辺だ。
153系ブルーライナー湘南色先頭須磨.JPG

こちらはブルーライナーカラー初期型。
153系ブルーライナー大窓須磨.JPG

松林の合間から新快速を見る。
海2須磨浦公園153系.jpg

昭和53年のダイヤ改正から神戸駅に停車が実現した新快速、まだホームは閑散としている。
153系ブルーライナー神戸駅停車初日S53.JPG

神戸駅、乗客が少しずつ増えてきた。
153系ブルーライナーS53神戸駅.JPG

上牧近く、山崎・高槻間。
153系新快速編成。
153系ブルーライナー上牧編成.JPG

この編成は中間車MM'が湘南色だ。
153系ブルーライナー上牧湘南色中間.JPG

その湘南色・・こちらはクハ165を先頭にした急行「比叡」、遠くに117系新快速が迫るのが見える。
153系クハ165急行比叡.JPG


サイドから・・急行型車両としては非常に秀逸なデザインだったと思う。
153系ブルーライナー上牧サイドアップ.JPG

153系ブルーライナーは昭和47年から55年までのせいぜい8年間、走っただけだ。
この後の117系が震災前後まで19年間、、221系が平生元年から12年まで使われたのを見ても、153系の短命がわかる。
元々東海道・山陽急行で酷使、相当老朽化していたものを転用したのだから当然といえば当然だろうが、それでも関西の153系は昭和33年から22年間使用されただけで廃車となっている。
117系以降の車両が今も存命であることを見れば、その後の国鉄⇒JRの車両が如何に長寿命になったかとも思える。

最後に‥
宝殿駅ホームを通過する新快速。
宝殿153新快速通過.JPG

静かで快適な乗り心地は最新の225系にも決して引けを取らなかったといえば「贔屓の贔屓倒し」だろうか。

posted by こう@電車おやじ at 23:22| Comment(10) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月10日

名鉄谷汲線今昔

廃止になった名鉄岐阜地区600V線区の中でも特にローカル色が豊かだったのが谷汲線だ。
末期には線内普通が毎時一回走る程度だったが、谷汲山華厳寺は春秋の桜、紅葉の名所でもあり、オンシーズンには新岐阜からの直通急行や忠節からの急行も運転されていた。

沿線は田園地帯で、僕はここを何度か訪れている。、
当時の名鉄は楽しい路線、列車が多く、訪問頻度がさほど多くなかったのが今にして思えば残念だ。

撮影は昭和55年前後だろうか。
新岐阜から直通の急行「いこいの森」号。
先頭はモ523、揖斐・谷上線優等列車用だった半円形電車、こちらはニセスチールと呼ばれた木造電車に鋼板を貼り付けたもの。
名鉄谷汲線523急行.JPG

揖斐・谷汲線急行は必ず510形・520形の2連で運転されていた。
反対向きはモ511、丸窓電車で一種のブームを巻き起こした電車だ。
名鉄谷汲線511急行.JPG

普段は750形が1両で走る線区だが、多客時はさらに楽しい510・520形が入るとあって、喜んで撮影に出かけたものだ。
だが現地で鉄道ファンらしき人に会うことはなかった。

長瀬付近の758、ローカルムードたっぷりの古豪だが、実は初代名古屋鉄道が郊外路線を敷設した際に登場させた都会派の電車だ。
あえて、撮影場所が今でもわかるように、土取り場を背景にした様子だ。
名鉄谷汲線758長瀬.JPG

谷汲駅、今はこの駅の右端部分しか保存されていまい。
名鉄谷汲駅舎.JPG

改札・出札口の風景。
いつ乗っても乗客はそれなりにあった。
名鉄谷汲線改札.JPG

駅に先ほどの急行が停車している。
折り返し新岐阜行き、この列車が運転されると、本揖斐からの列車が黒野止になっていた。
名鉄谷汲線522外から.JPG

こちらは折り返し前側になる511。
名鉄谷汲線511外から.JPG

ホームに停車する522。
名鉄谷汲線522停車中.JPG

750形751号、杉木立の向こうに姿を見せる。
名鉄谷汲線751接近.JPG

構内に入線する。
名鉄谷汲線751入線.JPG

停車している様子…
名鉄谷汲線751停車.JPG

この愛すべき路線は岐阜地区600V線区全廃の前に姿を消した。
線路が姿を形を消したら当たり前だが、名刹谷汲山への参拝は、自家用車を使わない人には厳しくなったことだろう。

先日、やっとこの谷汲駅を再訪することができた。
鉄道があった時代にも、本揖斐へのアクセスに近鉄養老線を使ったことはある。
その時の近鉄バス、結構な本数があったように記憶している。
揖斐近鉄バス.JPG

先日、乗車したこの経路のバス、ただし、谷汲山へ直通する路線だった。
揖斐からは意外に近く、バスで30分弱、本数は多くなく日に数本というのが現状だ。
しかもバスは車両こそ名阪近鉄バスのものだが、運行主体は揖斐川町コミュニティバスということになっている。
運賃は非常に安く設定され、谷汲まで乗っても200円だった。
谷汲双門前(谷汲駅近く)に停車した路線バス。
0401谷汲双門前名阪近鉄バス.JPG

今現在の谷汲駅、駅の大半は建て替えられ、昆虫館になっいる。
0401谷汲駅昆虫館.JPG

こちらが今残る駅舎部分。
0401谷汲駅.JPG

改札口の風景は昔のままだ。
ここに来た瞬間、40年近い歳月が一瞬、すぐこの間のことのように思える。
0401谷汲駅改札.JPG

750形755が留め置かれる。
0401谷汲駅755.JPG

ホーム上屋はあるが、さらに追加して車両保護の上屋が付けられている。
驛が原形ではないが車両を保護するための良心的な設計だ。
この角度、現役時代のそのまんまだ。
0401谷汲駅名鉄755外から2.JPG

電車には片側にスノーブラウも装備されている。
0401谷汲駅755すのーぶらう.JPG

755の車内・・・
ここに入って、昔の谷汲を知る友と語り合いたいものだ。
0401谷汲駅755車内.JPG

もう一両、ツートンに復元された514が保存されている。
0401谷汲駅514.JPG

半円形正面・・・
塗装が少し傷んではいるが、全体的には非常に良好な保存車だ。
0401谷汲駅514南向き正面.JPG

丸窓電車の愛称の由来・・・戸袋の丸窓。
0401谷汲駅514丸窓.JPG

駅名標と514・・
0401谷汲駅514と駅名標.JPG

車内、転換クロス、僕が岐阜に頻繁に来ていた頃は、シートモケットは赤か緑だったように記憶する。
0401谷汲駅514車内.JPG

桜にはまだ数日、早かったようだ。
だが、ここでのんびりするこの車両が何と幸せに見えることか。
0401谷汲駅514さくら.JPG

755を外から眺める・・・
0401谷汲駅755外から.JPG

514と755・・
すでにここに停まって何年がたつのだろうか。
0401谷汲駅514・755.JPG

構内の廃線跡、上の写真で751が入構してきたところだ。
0401谷汲駅廃線跡.JPG

1時間少々ここにいて、谷汲口へのバスに乗った。
こちらは僅か10分弱の所要時間だが、本数は少ない。
揖斐川町コミュニティバスが主体の名阪近鉄バスによる運行だ。
かつて名鉄の勢力圏だった谷汲に、名鉄系岐阜バスは、日に一度だけやってくる。
かつて新岐阜から直通で来た谷汲は今は公共交通としてはコミュバスがわずかに残るだけになってしまっている。

バスは廃線跡に沿い、かの土取場付近も通り、谷汲口駅へ向かった。
乗客は10人ほどで、桜のシーズンだからか案外多い。
谷汲口駅に着いたバス。
0401谷汲口駅名阪近鉄バス.JPG

樽見鉄道開業直後も僕はここに来ていたようだ。
その時の写真が残っている。
谷汲口樽見鉄道レールバス.JPG

今の谷汲口駅・・・
樽見鉄道と自治体により植樹が進められ、ここは桜の名所になった。
ゆっくりと軽快気動車がやってくる。
0401谷汲口樽見鉄道と桜.JPG

最後に、谷汲にいるモ514、その現役当時の写真・・・
場所は多分、長瀬・谷汲間だろうか。
名鉄谷汲線514.JPG

posted by こう@電車おやじ at 23:17| Comment(2) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする