この時、湘南色の車体塗装を改め、グレー地にブルーの帯で登場、「ブルーライナー」の愛称も与えられた。
国鉄離れした明るい色合いは評判を呼び、ブルーライナーという言葉もあっという間に広がった。
西明石駅には同名の喫茶店が誕生し、長年にわたって営業を続けた。
このブルーライナーの大評判こそ、今の新快速発展のその原点だ。
新快速を運転するにあたって「特別快速」とせず、「新快速」というネーミングを採用したことも当時としては斬新で、お上の鉄道たる国鉄にしてはずいぶん思い切ったことだったのだが、その専用車両を急行型から転用、明るく斬新な塗装に変更、さらにダイヤは特急並み、まさに当時としては破天荒な列車が登場したわけだ。
写真は昭和51年、須磨駅での撮影だ。
夢前川を渡る153系、姫路から新快速になるためすでにヘッドマークが用意されている。
姫路駅、美しいサイドのブルーライナーが停車中。
115系電車と並ぶ様子。
その列車のアップ。
当時の新快速は朝9時から夕方16時台までの運転だった。
この編成は先頭がクハ165で、乗り心地が良く、乗るときは好んで乗ったものだ。
クハ165の車内。
基本的にクハ153と変わりはないオールクロス、デッキ付きだが、座席手すり、天井の造作などに時代の進化を感じたものだ。
急行型車両はエアサス、車内仕切により静かで快適な乗り心地だった。

宝殿・曾根間、法華山谷川付近にて。
上りの後追い。

上りのアップ。
下り列車が貨物と出会う。
宝殿駅構内。
サイドビュー。
通過する新快速。
低運転台の初期型の軽快感が好きだ。

こちらは朝夕の快速運用、ヘッドマークは横棒3本だ。
6連2本、12連で運用されていた。
その列車の後追い、大窓初期型が美しい。
加古川橋梁西側・・築堤上を行く新快速。
加古川橋梁、出会う新快速、一瞬、シャタータイミングがずれた。
その列車のアップ。
中間車モハ153-15.
加古川駅、上り新快速。

明石駅、電車線を入線する新快速。
こちらは高運転台クハ153-500台。
朝霧、並行する山陽電車の普通電車車内から撮影。
須磨海岸、湘南色の原色クハ153。
背景は夏の浜辺だ。
こちらはブルーライナーカラー初期型。
松林の合間から新快速を見る。

昭和53年のダイヤ改正から神戸駅に停車が実現した新快速、まだホームは閑散としている。
神戸駅、乗客が少しずつ増えてきた。
上牧近く、山崎・高槻間。
153系新快速編成。
この編成は中間車MM'が湘南色だ。
その湘南色・・こちらはクハ165を先頭にした急行「比叡」、遠くに117系新快速が迫るのが見える。
サイドから・・急行型車両としては非常に秀逸なデザインだったと思う。
153系ブルーライナーは昭和47年から55年までのせいぜい8年間、走っただけだ。
この後の117系が震災前後まで19年間、、221系が平生元年から12年まで使われたのを見ても、153系の短命がわかる。
元々東海道・山陽急行で酷使、相当老朽化していたものを転用したのだから当然といえば当然だろうが、それでも関西の153系は昭和33年から22年間使用されただけで廃車となっている。
117系以降の車両が今も存命であることを見れば、その後の国鉄⇒JRの車両が如何に長寿命になったかとも思える。
最後に‥
宝殿駅ホームを通過する新快速。
静かで快適な乗り心地は最新の225系にも決して引けを取らなかったといえば「贔屓の贔屓倒し」だろうか。