先日、全く鉄道と関連のない用で東京に三日間滞在した。
その二日目、午前中に数時間の暇を得たので、かねてから念願だった相模鉄道かしわ台車両センターを訪問した。
ここには別府に長年いて、ある意味では別府鉄の顔だったハフ7が今も保存されていると聞く。

15年ぶりくらいに乗った相模鉄道はいろいろなものが激変している様子が見て取れ、横浜から現地へ向かうまでも刺激的な乗車だった。
かしわ台に着いて、車両センターの正門横の守衛で来意を注げた。
守衛氏は快く受け付けてくれる。
見学に際しての注意書きを読むように促され、確認するとそれで保存されている庭園の部分のみの見学が許可された。
わざわざ出向いてきた甲斐があり、保存車両をこうして見せてくれる相模鉄道に感謝だ。
機関車3号、相模鉄道開業時の機関車、現在の相模鉄道は開業時には神中(じんちゅう)鉄道と称されていて、1926年(大正15年)5月に開業した。
開業前から工事用に1・2号機があり、開業後の旅客輸送用として汽車會社で製造された機関車だ。
その後ろに繫がるのがハ24、かしわ台正門すぐのところに連結して展示されていた。
ハ24のアップ、大正15年5月の開業に際して準備された10両の客車の1両だ。
相模鉄道神中線の電化に伴い、昭和24年、三重県の三岐鉄道に譲渡、この時、のちの別府鉄ハフ5となる神中キハ10⇒機関撤去でハ10とともに移動している。
三岐鉄道ではハフ16と名乗り、偽スチール化、落とし込みの窓を二段に改造するなど手を入れられ・・・これがゆえに車体強度が増し、別府鉄廃止までの長年の使用に耐えたのだろう。
妻部の様子。
走り装置、単純な二軸式だ。
もう片方の走り装置。
台枠に「神中鉄道」の文字、創業期の社紋、車番。
車体腰部に貼られていた鋼板は撤去され、木部も綺麗に補修されている。
窓、二段窓は三岐⇒別府と引き継いだもの、神中⇒相模では落とし込み式の窓のはずで、それゆえ上昇窓なのに腰が高く、窓の天地寸法が小さい。
なお、上段は固定式だ。
屋根部・・幕板の鋼板は車体強度上、撤去できなかったのだろう。
それでも、屋根を覆っていた屋根布は撤去され、モニタールーフが再現されている。
国鉄客車ならこの部分に開閉式の蓋があったのだが、神中ではどうだったのだろうか。
再現された今現在のように、水雷型通風機があったのだろうか。
車内全景、車内には入れなかったが、出入り台までは上がることができ、扉越しに撮影ができた。
水雷型通風機の室内側には単純な円形の開閉蓋があるはずだが、そこまでは復元されていない。
もはや部品の調達は不可能に近いのだろう。
手ブレーキ、三岐・別府・・・あるいは神中時代からのものだろうか。
座席。
背もたれにボルト状のものが見えるが、別府時代の写真二もこれが写っている。
別府時代の扉はスリガラスだが、これは、ここでの展示のために普通のガラスにしたのだろう。
別府時代の車内。
連結器・・自動連結器だが手前の台枠にバッファー(緩衝器)の跡のようなものがある。
国鉄が自連への一斉取り換えを挙行したのは大正14年で、すでに大正15年には国鉄では車輛の大半が自連になっていたはずで、国鉄との貨車直通を事業としていた神中では、当初から自連だったのではなかろうか。
だが、車両には設計・製造のタイムラグがある。
どちらでも使えるように、台枠にはバッファーが取り付けられるように用意されていたのだろうか。
今年の春は早い・・はずだが、ここでは梅はやっと咲き始めたようだ。
梅の花とハ24・・僕らには今でもハフ7だ。
車体と梅。
モニタールーフと咲き始めた梅の花。
この車両がいかに大事にされているか、よくわかる雰囲気だ。
もう一両の展示車両、神中3号機もなかなか興味深い機関車だ。
タンク機の1-C-1という軸配置、珍しいように思うのだが・・
足回り。
蒸機のメカニズムは僕は詳しくないので、専門の方に見ていただければと思う。
足回り・・2
足回り・・3
ハ24のデッキから見た機関車3号機の後ろ。
前。
機関車3号機の銘板。
相模鉄道公式サイトの、開業時の列車の写真。
別府鉄道とさして変わらぬ雰囲気だったのが伺える。

今の相模鉄道、かしわ台駅を特急列車が通過していく。
例えば、大正末期の神姫電鉄=今の山陽電鉄は確かに開業時と比すと今の雰囲気がまるで別世界のように見えてしまうが、相模鉄道神中線(今の本線)は、もはやそう言った次元ではなく、まったく別次元の別の世界の鉄道に変貌したといえるのではなかろうか。
その開業時を知る生き証人として、3号機関車とともに別府にいたハフ7が昔の名前に戻ってここに鎮座しているのがとても素晴らしいことであるように思えるのだ。
折角なので、別府のハフ7を少し回顧してみたい。
別府港機関区で入換の様子。

こちらも入換中の様子。
土山駅発車の様子。
僚車ハフ5とともに鳥居前を通過するハフ7。
今、大中に残るハフ5も出自は神中鉄道=相模鉄道だ。
ハフ5も故郷に帰りたいと思っているだろうか、それとも、自分は永年暮らした播磨での余生を楽しんでいるだろうか。

今現在の大中でのハフ5・・
去る列車。

いつも堂々としていたハフ7・・・

貨物のない日曜日、DBに牽かれてハフ7が行く。
ハフ7のアップ。
明姫幹線高架を見て走る。
僕の当時の愛車とともに・・・
時代は変わる、
過ぎ去った時代はいつしか人々の記憶から遠ざかる。
だが、そこでふっと立ち止まり、記憶を呼び戻す記念碑がある・・
ハフ7がその任を受けていること、相鉄がこの客車をことのほか大事にしてくれていること、深く思いを寄せ、感謝を申し上げる次第だ。