もちろん、業務用のものはすでにかなり以前から存在し、ラボなどでは使われているわけだが、今、流行っているのは気軽に使えるネット上のフリーソフトだ。
コストもかからず、古い写真を着色することで記憶がずっと鮮明になるような気がする。
しかし、フリーソフトゆえ、仕上がりが一発で完成状態になるわけではなく、場合によってはPhotoshopでさらに加工をする必要がある。
幸い、僕はPhotoshopについてはある程度の知識はあり、業務経験もあるので、フリーソフトとPhotoshopを組み合わせてみた。
なお、今回使用したフリーソフトは2019年2月現在は「siggraph2016_colorization」と称されてhttps://colorize.dev.kaisou.misosi.ru/にて提供されている。
古い写真から見てみよう。
昭和50年頃かと思う。
野口駅に進入するキハ2。
周囲は広漠としている。

野口駅に停車中のキハ2、上記と同じ時の撮影だ。
周囲はそれなりに開けたところだが、とても鉄道の結節点とは思えない長閑さだ。

別府港機関区に到着したばかりのキハ101、まだ、スカートの取り付けがなされていない。

別府港機関区の奥に鎮座していた旧キハ2。
現物を見た時は「神戸市電に似ている」と思ったものだ。

ワ124とハフ5、ワ124は今も土山線跡地の脇の田圃に鎮座している。
ハフ5は、播磨町郷土館にて美しく整備され保存されている。

別府港を出るキハ2、撮影は昭和55年頃か・・
この頃には屋根上のベンチレータがなくなっている。

キハ2とキハ101の重連、機械式のキハ2、液体式のキハ101とでは運転取り扱いが異なり、運転士には苦労があっただろうと思う。

土山線、今の明姫幹線高架を背景にDB201とハフ7の可愛い列車が行く。

夜の帳が降りる頃、野口駅で国鉄キハと別府鉄キハ101が同時発車していく。

野口駅北方にあった、別府鉄のための折り返し線。
キハ101。

別府口駅に停車しているキハ101。

最終日、昭和59年1月31日、もう35年も前のことだ。
最終日は大雪だった。
キハ101のさようなら列車が行く。

本当にこの列車で終わり、心がおれそうな大雪の日だった。

この写真は原版がカラーだ。
本物のカラー写真と見比べていただこう。
ハフ7。
これも原版からカラーだ。
今の山陽電鉄別府駅前、すぐ裏手を行くキハ101。
これもカラー原版、山陽電鉄の築堤を潜る・・キハ101。
この写真は復元だけではなく、相当に加工してある。
こうしてできた写真を見ると、甘酸っぱいあの頃の思い出もまた、湧き出てくる。

拙小説サイトから「別府のべんとばこ」
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