僕は昭和61年5月に国鉄を休職とし、一年間、高砂市のカメラ店で教えを請うことになった。
ちょうどその時と軌を一にして登場したのが山陽電鉄5000系電車だ。
翌年、国鉄が分割民営化されることが決まっていて、巨大な私鉄「JR西日本」が出現するわけで、山陽電鉄としてはいまだに凝っていたツリカケ式の旧型電車を一掃し、一気に冷房化を向上、さらにはクロスシートで新しいサービスを提供することで、巨大ライバルに抗うのがこの電車の目的だったようだ。
なので一気に7編成が登場、利用者や沿線住民を驚かせた。
写真は「新型電車登場」の看板を付けて、高砂線橋脚の残る加古川橋梁を行く5004F5602。
その先頭のアップ、カラーネガの劣化が酷く、モノクロ処理したカットだ。
ただ、当時の僕は多忙を極めていて、写真業界のおよそ労働基準法などというものが通用しないことを身をもって知ったことでもあり、すぐ近くの山陽電鉄の撮影にはなかなか行けなかった。
それでも時間をこじ開けて、線路際へ数度は行っただろうか。
はじめて、この電車を見た瞬間に・・惚れた・・と言っても過言ではない。
均整のとれた上品で、それでい力強いデザインはそれ以降、これまでに登場していた南海1001、名鉄7000・7500、京阪3000、阪急6300、国鉄117といった大好きな電車たちと自分の中で並ぶほどの電車となった。
鉄道車両のデザインとしても、国鉄153系、キハ82系、名鉄5200系、京王5000系といった名車に匹敵する品位と風格があるものと思っている。
無駄がなくシンプルでありながら、風格とスピード感、明朗性のある素晴らしいデザインだ。
当初、3両編成で登場したのは「普通車」(山陽・阪急・阪神では普通列車のことをこう呼ぶことが多い)専用として企画され、「どうせ空いている普通車」だから、ゆったり座って新聞でも読みながら通勤してもらおうという趣旨から、名鉄6000系のような固定クロスで登場した。
ただ、名鉄6000よりはるかに座席はきちんとしていて、ライバルの国鉄近郊型113系よりすっと楽に座っていられるようになった。
写真が座席。
車内の様子。
この座席の色調から「マロンシートカー」と愛称が付けられたが、ほとんどその愛称は浸透しなかった。
なお座席の色調は先頭車と中間車では分けられていた。
登場したばかり、まっさらの5008。
大塩駅にて。
特急列車は3000系ばかりだった時代だ。
冷房改造された特急3018がこの5008を追い越す。
3連で走る5012。
加古川橋梁。
こちらは5006F5603。
車内設備が優秀で、乗り心地の良い5000系は、利用者からもちろん非常に好評となり、すぐに特急列車への要望が出るようになる。
そこで中間車を増備、特急列車にも3000系に交じって使われるようになった。
4連化され特急運用に就く5008F5604。
3000系と出会う5006F5603。
山陽電鉄は阪急・能勢電とともに、系列の最初の車番が0の会社だ。
トップナンバー5000F5600の普通。
加古川橋梁を4連化された5000系が行く。
こちらは3連のままの編成だ。
5000系正真正銘トップナンバー。
この編成はこの頃から窓柱の黒塗りがなされた。
1993年頃、尾上付近。
サイド・・僅かな違いだがこの黒塗りの窓柱によって特別な電車に見える。
上記の事情から2番目の車両には1が付くが、5000系は3000系と同じくMc偶数、M’奇数で連結されていて、神戸側Mcには奇数号車が存在しない。
こちらは5002FのTc5601。
(なお山陽電鉄ではMc=クモハ、M=モハ、T=サハ、Tc=クハとカタカナが付くのが正式ではあるが、ほとんど使われることはないので本稿でもカナ記号は省略する)
平成7年、震災直後の三宮直通看板を付けている。
須磨駅。
国鉄改革の年の夏、僕は六甲の写真スタジオに弟子入りし、板宿から通うことになる。
引っ越してすぐにダイヤ改正があり、特急の板宿停車が実現、好きな山陽電車の特急は、板宿から阪急六甲まで乗り換えなしで結んでくれた。
板宿駅の5012、阪急六甲行き特急。
実は窓柱を黒く塗ったのは最初はこの増備Tだった。
5511、尾上付近。
1991年(平成3年)春、電鉄明石駅が高架で開業し、山陽明石駅となった。
この時のダイヤ改正で大塩での締め切りはあるものの本線では6連特急の運転が開始された。
それまでは朝ラッシュの通勤時の特急は大混雑だったが、一気に混雑が緩和、しかも投入された新車は
自動転換装置を備えた豪華な転換クロス車で、ますますこの電車が好きになったものだ。
僕の六甲への通勤は非常に快適なものとなった。
高架なった明石駅に新車、5020F5610が入構する。
こちらは5018F5609。
夕日に向かって発車していく5018。
阪急六甲駅に乗り入れた初日の5022。
阪急電車と比べても遜色のないデザイン、引け目を感じない6連。
平成7年には震災で半年以上も神戸高速を通って三宮に行くことができず、地下に封じ込められた2編成の5000系6連は、その頃は垂水から大阪に通勤していた僕にとって、通勤経路上に存在するオアシスでもあった。
震災後、阪神とともに、JRへの対抗に後がなくなったのか、ついに直通特急が梅田・姫路間を結ぶことになった。
当初は30分ヘッドで従来の山陽電鉄線内の特急も残した設定だった。
はじめ、列車愛称が「姫路ライナー」「大阪ライナー」とついていた。
5016F、5608の直通特急。
霞ヶ丘にて。
こちらは阪神9000系の直通特急。
この色合いは当初、山陽電車の車両であると思われた一般乗客の方も多かった。
その後、山陽電鉄の特急はほとんどが直通特急となり、そのまま梅田まで行けるようになった。
さて、ここからは各編成の写真をご覧いただこうと思う。
5000F、今も4連で残る編成だ。
大蔵谷駅にて。
須磨浦公園駅西方で折り返しの阪神2000系の脇を通過する5600。
別府にて一瞬、後輩の5030系5633と並んだ5600。
6000系登場まで、直通特急用の編成が予備1本しかなく、普段は4連のこの編成もほかの編成に編成に組み込まれて梅田まで顔を出していた。
阪神尼崎にて。
5002F、春の盛りの須磨歌公園を行く。
大蔵谷駅にて。
上記の5000Fと合わせて2本しかない4連だ。
宵の帳の降りる江井ヶ島にて5601.
5004F・・
中間の増備車が5030系になり、編成内のバラエティに富んだ編成だ。
最近、更新され5702Fとなった。
今の西二見付近を行く。
大蔵谷駅を高速で通過する。
神戸より2両目は5005。
3両目は5502。
この車両は4連化の際に追加されている。
4両目は5252。
5030系の増備でVVVF制御車。
5両目は5235、こちらも5030系の増備車だ。
5602を先頭に塩屋付近を行く。
5006F、朝霧付近を行く。
この編成も中間に5030系を連結している。
5603・・雨の阪神大石駅で近鉄電車と出会う。
5000系登場30年余り、まさかこういうシーンが実現するとは思わなかった。
5008F・・
高砂にて。
山陽電車のラッピングは時に度肝を抜かされることがある。
須磨浦ロープウェイの意匠をデザインされている。
加古川橋梁で5610と並ぶ5604。
5010F・・
阪神きっての高級車、9300系と並ぶ。
大蔵谷駅にて。
同じ大蔵谷で阪神8000系と並ぶ。
ミーツカラーズ台湾号のラッピングを施された5010が尼崎で阪神、近鉄の電車と並ぶ。
大蔵谷にて5605。
5012F・・
大蔵谷で3000と並ぶ・・
西灘にて、近鉄特急車と一瞬の出会い。
朝霧付近にて。
妻鹿にて5606。
5014F・・
伊保付近。
5607を先頭に塩屋付近を行く。
5016F・・
加古川橋梁にて。
最近の企画だった、アニメとのコラボ、「さくらとお出かけ」号。
別府にて・・
色調のはっきりしない帯色がせっかくの好スタイルを壊していたような気がする。
阪神8000系赤胴と甲子園で並んだ5608・・
5018F・・
高架なった西新町にて。
5609、西代陸橋を潜る地上時代。
未だ幌が設置されていなかった新車の頃。
今の様子、大塩にて。
5020F、塩屋付近を行く。
カーブの多い区間でさほど速度は出ない。
この編成と次の5022Fは、当初から自動転換装置付きの転換クロスを装備した。
新車時代のわずかな間は4連だった。
塩屋にて。
地上時代の板宿にて。
5022F・・
5000系としての最終の編成だ。
今の西二見付近にて。
阪神梅田に到着した直通特急。
5611、大蔵谷にて。
震災後に運転開始された直通特急用として山陽初のVVVF制御車、5030系が登場した。
この系列では両端先頭車がいずれもTcとなり、5630形が先頭に出るということになった。
5630F・・
東垂水にて。
3列転換クロスを備える。
5631、姫路側が奇数の附番となった。
大蔵谷。
こちらはNHK大河ドラマとのコラボ、官兵衛ラッピング。
5632F・・
荒井にて。
利用客激増で今は朝夕に直通特急も停車する。
5633、山陽5000系列として最終の先頭車両。
自然の残る八家付近。
山陽5000系の魅力の一つに車内の多様さがある。
固定クロスを転換式に改造した車両。
5015.
自動転換装置付き転換クロス、5510。
側窓が変更された5206。
座席、窓側にひじ掛けもついている。
5030系、5632、三列の転換クロス。
ひとり掛けシート、山陽では最高の座席だ。
ラッシュ対応、阪神での野球輸送対応に梅田型先頭車がロングシート化された。
だが、紅い座席が印象的な車内ではある。
5014。
昨年から5004Fに対して更新工事が行われた。
先ごろようやくデビューして運用に就いている。
阪神尼崎での5702、梅田側2両はVVVf制御化され、改番された。
車内は4両がロング化され、2両が三列転換クロスとなった。
しかし、5000系列の素晴らしいデザインが下手にいじくりまわされたような気になるのは僕だけだろうか。
座席のロング化も残念だが、それは輸送の事情もあろう。
しかし、ほぼ最高峰クラスと言えるエクステリアデザインは、できればそのままに維持してほしかったというのが僕の本音だ。
更新は年に1~2本のペースで進むという。
それなら5000系の素晴らしいデザインを眺めることができるのもあと数年ということになるのだろうか。
もっとも、山陽5000系と同世代である名鉄5700系はすでに廃車も進行しているから、まだ使ってくれるだけ良いのかもしれない。