6月20日の朝は、小樽からキハ54の普通列車に乗り、函館本線(山線)経由で長万部へ向かった。
この区間は特急・急行が廃止されて久しく、列車本数は極めて少なかった。
時刻表を見ると小樽8:12、普通長万部行きがあるのでこれに乗ったのだろう。
列車は単行で、混んではいないが、各ボックスはすべて埋まる乗車率、乗客の半数以上は観光客といった風情だ。
当時でたばかりのニコンF401で熱心に車窓を撮影しておられる男性の姿が印象に残る。
だが、僕は車窓写真は撮影しておらず、例によって朝から飲んだくれていたのだろうか。
長万部11:52、函館本線上り普通列車まで時間があるが、この時の記憶もない。
駅の中で一人酒盛りでもしていたか…
この当時、使っていた弘済出版社「道内時刻表」に自分でつけた記しのある列車があるから、これに乗ったのだろう。
噴火湾を見るところで列車を撮影したかった。
長万部13:10函館行き普通、乗ったのはキハ22だろうか。
この列車で桂川という駅で下車した。
14:25着だ。
乗ってきた列車を撮影したはずだが、何故か列車が反対の線路を走っている。
これまた記憶があいまいだ。
下り列車なのだろう。
上下線で位置がずれている桂川駅の構造がよくわかる。
この駅は今では廃止されてしまっている。
列車が接近する。
仮乗降場の雰囲気満載の上りホームアップ。
キハ56がやってきた。
時刻表にない列車だ。
この旅行では何度か時刻表にない列車を撮影している。
急行型気動車の堂々4連、これはいいものが見れたと喜んだか。
列車が通過していった。
駅から少し歩いた。
さほど遠くないところで撮影したように思う.
駅周辺の集落の家々の窓にはすべて暴風のビニールが張られていた。
風の強いところらしくこの日も強烈な風が吹いていた。
キハ22の普通列車だ。
接近する。
こちらはキハ183「北斗」後追い。
旧塗装車だ。
北斗が去っていく。
遥かへ去る列車。
はるか先の気動車特急。
桂川17:38の列車で次の森まで乗り、森17:55「北斗8号」で函館へ向かった。
函館でビジネスホテルに電話をかけても、どこも満室で断られる。
駅の観光案内所を頼る・・すると、和室の木賃宿を紹介された。
どうせ食べ物は自分で調達するのでこれで構わず、思わず安くついた。
宿帳の職業欄に「写真屋」と書いた。
自分の心が定まった瞬間だ。
宿に荷物を置き、函館港の岸壁へ向かった。
函館山を下から見るのも乙かなと…
港にはちょうど「十和田丸」が停泊していた。
しばし、連絡船を眺める。
やがてドラの音が響き、出航する。
この写真はポケットに入れていたサブカメラ、オリンパスXAでの撮影だ。
レンズ開放で撮影すると甘さが目立つ。
出航する連絡船。
このシーンは僕にとってかけがえのない思い出となった。
宿への帰路に近くの小さな居酒屋で夕食というか、酒を呑んだ。
イカの刺身や焼いたものが非常に旨かったことは覚えている。
お店の主人やほかの客との語らいが弾む・・・
心がかなり癒されてきているのが自分でもわかる。
途中、函館市電を撮影した。
719号・・場所は忘れている。
803号。
夜の時間になっても驚くほどお客が多い。
この日は木賃宿で久々の畳の上で寝た。
翌6月21日、まず駅へ行き、この日の夜の青森からの寝台特急「日本海4号」の寝台券を入手した。
周遊券の期間も迫ってきているし、何より資金が底をつきかけている。
函館7:07発の普通列車で松前へ向かう。
江差線、松前線は全列車が各駅停車で松前までの90キロに二時間半ほどかかる。
車窓から時折、美しい海岸が見える。
青函トンネルができたらここに来て、ブルートレインを撮影したいと思ったが、ついにそれは叶うことなく終わった。
松前9:42着。
乗ってきたキハ22.
こちらはキハ46。
松前駅の広大な構内。
駅舎、僕はこの路線は廃止になどならないとみていた。
日本史の重要な町で、観光客も多いはずだと思ったのだ。
松前城址の大手門。
城内を時間をかけて見学した。
この当時傾倒していた武田信玄の後裔がここの城主たちだったと知る。
駅近くのいかにも場末という雰囲気のスナック兼食堂のようなところへ入った。
如何にも夜のお店のママさんという人がお昼もお店を切り盛りされているようで、お勧めだという海峡ラーメンなるものをいただいた。
驚くほど海鮮が豊富な、腹にも心にもしみるラーメンだった。
松前11:06に乗り、函館へ・・函館13:48着。
いよいよ北海道を離れる。
跨線橋から専用線が見える。
函館駅の連絡船待合室。
いよいよ乗船、昨夜撮影した十和田丸だった。
15:00出航の20便だ。
船の通路。
船の甲板から・・。
思い出にと、グリーン席をとった。
鉄道の座席とは比べるべきもないゆったりした快適な座席だ。
停泊したり、行きかったりする連絡船を撮影する。
摩周丸だろうか。
桧山丸。
摩周丸のカラー。
船の中の食堂へ行った。
ここでも「海峡ラーメン」を頼んでみたが、味わいは遠く松前の店に及ばない。
だが、船や列車の食堂としては非常に旨い方だったと思う。
青森18:55着。
寝台特急「日本海4号」
車内は混んではいなかったが、北陸方面への賑やかな団体が乗ってきた。
酒をあおり、一発なんて下品な言葉が行き交う・・・
それも深夜には静かになりよく眠れた。
6月22日、加賀温泉で九段の乗客たちが下車した後、車内は静かになった。
大阪へ帰るという年配のご婦人としばらく静かに会話を楽しんだものだ。
神戸へ戻ったらまずは仕事を決めねばならない・・・
そう自分に言い聞かせていた。
(北海道旅行記、これで完です。長らくご愛読いただきありがとうございました。次回から通常のエントリーに戻ります)