2018年10月22日

昭和62年、北海道の旅(その6)桂川、函館、松前。(完)

6月20日の朝は、小樽からキハ54の普通列車に乗り、函館本線(山線)経由で長万部へ向かった。
この区間は特急・急行が廃止されて久しく、列車本数は極めて少なかった。
時刻表を見ると小樽8:12、普通長万部行きがあるのでこれに乗ったのだろう。

列車は単行で、混んではいないが、各ボックスはすべて埋まる乗車率、乗客の半数以上は観光客といった風情だ。
当時でたばかりのニコンF401で熱心に車窓を撮影しておられる男性の姿が印象に残る。

だが、僕は車窓写真は撮影しておらず、例によって朝から飲んだくれていたのだろうか。
長万部11:52、函館本線上り普通列車まで時間があるが、この時の記憶もない。
駅の中で一人酒盛りでもしていたか…

この当時、使っていた弘済出版社「道内時刻表」に自分でつけた記しのある列車があるから、これに乗ったのだろう。
噴火湾を見るところで列車を撮影したかった。
長万部13:10函館行き普通、乗ったのはキハ22だろうか。
この列車で桂川という駅で下車した。
14:25着だ。

乗ってきた列車を撮影したはずだが、何故か列車が反対の線路を走っている。
これまた記憶があいまいだ。
下り列車なのだろう。
上下線で位置がずれている桂川駅の構造がよくわかる。
この駅は今では廃止されてしまっている。
S62函館本線桂川キハ22接近遠望.JPG

列車が接近する。
S62函館本線桂川キハ22入線.JPG

仮乗降場の雰囲気満載の上りホームアップ。
S62函館本線桂川構内2.JPG

キハ56がやってきた。
時刻表にない列車だ。
この旅行では何度か時刻表にない列車を撮影している。
S62函館本線桂川キハ56・1.JPG

急行型気動車の堂々4連、これはいいものが見れたと喜んだか。
S62函館本線桂川キハ56・2.JPG

列車が通過していった。
S62函館本線桂川キハ56・3.JPG

駅から少し歩いた。
さほど遠くないところで撮影したように思う.
駅周辺の集落の家々の窓にはすべて暴風のビニールが張られていた。
風の強いところらしくこの日も強烈な風が吹いていた。
キハ22の普通列車だ。
S62函館本線桂川キハ22モノクロ.JPG

接近する。
S62函館本線桂川キハ22カラー.jpg

こちらはキハ183「北斗」後追い。
旧塗装車だ。
S62函館本線桂川キハ183北斗カラー.jpg

北斗が去っていく。
S62函館本線桂川キハ183北斗2.JPG

遥かへ去る列車。
S62函館本線桂川キハ183北斗モノクロ2.JPG

はるか先の気動車特急。
S62桂川キハ183.JPG

桂川17:38の列車で次の森まで乗り、森17:55「北斗8号」で函館へ向かった。

函館でビジネスホテルに電話をかけても、どこも満室で断られる。
駅の観光案内所を頼る・・すると、和室の木賃宿を紹介された。
どうせ食べ物は自分で調達するのでこれで構わず、思わず安くついた。
宿帳の職業欄に「写真屋」と書いた。
自分の心が定まった瞬間だ。

宿に荷物を置き、函館港の岸壁へ向かった。
函館山を下から見るのも乙かなと…
S62函館山夕景.JPG

港にはちょうど「十和田丸」が停泊していた。
S62青函連絡船十和田丸停泊.JPG

しばし、連絡船を眺める。
やがてドラの音が響き、出航する。
この写真はポケットに入れていたサブカメラ、オリンパスXAでの撮影だ。
レンズ開放で撮影すると甘さが目立つ。
S62青函連絡船十和田丸出航XA.JPG

出航する連絡船。
S62青函連絡船十和田丸出航.JPG

このシーンは僕にとってかけがえのない思い出となった。
S62青函連絡船十和田丸出航2.JPG

宿への帰路に近くの小さな居酒屋で夕食というか、酒を呑んだ。
イカの刺身や焼いたものが非常に旨かったことは覚えている。
お店の主人やほかの客との語らいが弾む・・・
心がかなり癒されてきているのが自分でもわかる。

途中、函館市電を撮影した。
719号・・場所は忘れている。
S62函館市電719ネガ.JPG

803号。
夜の時間になっても驚くほどお客が多い。
S62函館市電803.JPG


この日は木賃宿で久々の畳の上で寝た。

翌6月21日、まず駅へ行き、この日の夜の青森からの寝台特急「日本海4号」の寝台券を入手した。
周遊券の期間も迫ってきているし、何より資金が底をつきかけている。

函館7:07発の普通列車で松前へ向かう。
江差線、松前線は全列車が各駅停車で松前までの90キロに二時間半ほどかかる。

車窓から時折、美しい海岸が見える。
青函トンネルができたらここに来て、ブルートレインを撮影したいと思ったが、ついにそれは叶うことなく終わった。

松前9:42着。
乗ってきたキハ22.
S62,松前2キハ22.JPG

こちらはキハ46。
S62松前キハ46.JPG

松前駅の広大な構内。
S62松前Ⅱ構内.JPG

駅舎、僕はこの路線は廃止になどならないとみていた。
日本史の重要な町で、観光客も多いはずだと思ったのだ。
S62松前駅舎.JPG

松前城址の大手門。
S62松前城址大手門.JPG

城内を時間をかけて見学した。
この当時傾倒していた武田信玄の後裔がここの城主たちだったと知る。


S62松前城址.JPG

駅近くのいかにも場末という雰囲気のスナック兼食堂のようなところへ入った。
如何にも夜のお店のママさんという人がお昼もお店を切り盛りされているようで、お勧めだという海峡ラーメンなるものをいただいた。
驚くほど海鮮が豊富な、腹にも心にもしみるラーメンだった。

松前11:06に乗り、函館へ・・函館13:48着。


いよいよ北海道を離れる。
跨線橋から専用線が見える。
S62函館港2専用線.JPG

函館駅の連絡船待合室。
S62函館連絡船待合室.JPG

いよいよ乗船、昨夜撮影した十和田丸だった。
15:00出航の20便だ。
S62函館港Ⅱと和田丸乗船前.JPG

船の通路。
S62十和田丸通路.JPG

船の甲板から・・。
S62十和田丸甲板.JPG

思い出にと、グリーン席をとった。
鉄道の座席とは比べるべきもないゆったりした快適な座席だ。
S62青函連絡船G船室.JPG

停泊したり、行きかったりする連絡船を撮影する。
摩周丸だろうか。
S62青函連絡船摩周丸?.JPG

桧山丸。
S62青函連絡船桧山丸.JPG

摩周丸のカラー。
S62青函連絡船.jpg

船の中の食堂へ行った。
ここでも「海峡ラーメン」を頼んでみたが、味わいは遠く松前の店に及ばない。
だが、船や列車の食堂としては非常に旨い方だったと思う。

青森18:55着。
寝台特急「日本海4号」
S62青森特急日本海.JPG

車内は混んではいなかったが、北陸方面への賑やかな団体が乗ってきた。
酒をあおり、一発なんて下品な言葉が行き交う・・・

それも深夜には静かになりよく眠れた。

6月22日、加賀温泉で九段の乗客たちが下車した後、車内は静かになった。
大阪へ帰るという年配のご婦人としばらく静かに会話を楽しんだものだ。
S62特急日本海社内.JPG

神戸へ戻ったらまずは仕事を決めねばならない・・・

そう自分に言い聞かせていた。
(北海道旅行記、これで完です。長らくご愛読いただきありがとうございました。次回から通常のエントリーに戻ります)




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2018年10月15日

昭和62年、北海道の旅(その5)光珠内・植苗・朝里

昭和62年6月19日、急行「まりも」は朝、6:25に札幌に着いた。
この日は今でいう「乗り鉄」よりも、鉄道ファンの初心に帰って憧れの北の大地の列車を撮影したい。

札幌に着いてすぐに函館本線下り電車に乗り、どこが良いか悩みながら駅手前の広大さに目が行き、結局、光珠内という駅で下車した。
S62光珠内構内.JPG

特急列車が通過する。
S62光珠内駅名票781系.JPG

線路沿いに歩くも、この辺りは線路敷地の幅が広く、なかなか列車をうまくとらえられる場所がなかった。
しばらく歩いた踏切で撮影することにした。
客車列車が来る。
この頃は函館本線の都市部であるこの区間でもまだ客車列車が残っていた。
ED75518牽引だ。
S62光珠内ED75518.JPG

列車の後尾、51系客車。
S62光珠内51系客車.JPG


特急「ホワイトアロー」
781系電車。
S62光珠内781ホワイトアロー.JPG

こちらは「ライラック」781系電車。
S62光珠内781ライラック.JPG

下りの客車列車。
S62光珠内ED75・50系.JPG

これも「ライラック」781系電車。
S62光珠内781ライラック2.JPG

キハ54の普通列車。
この区間で普通列車の気動車というのは珍しかったのではないだろうか。
S62光珠内キハ54.JPG

キハ183「オホーツク」
S62光珠内キハ183オホーツク.JPG

ある程度撮影して満足したのだろう、711系電車で札幌に向かう。
S62光珠内711系普通.JPG

このあとは、千歳線に行きたくなっていた。
前回訪問時には千歳空港駅には立ち寄っているので今回はそれより南へいくことにする。
植苗という駅で降りた。

構内の広い、周囲には町がある駅だった。
キハ56系の4連、時刻表を見ると夏ダイヤの間、711系がキハ56系に運用変更されている列車で、植苗11:43しかこの写真に該当する列車はない。
S62植苗キハ27普通.jpg

「臨時」表示のキハ183-500。
S62光珠内キハ183-500臨時.JPG

駅のすぐ近くで列車を眺めるに好都合な場所があった。
キハ183「おおとり」が来た。
これも時刻表を見ると、14:38ごろに通過する上り列車だろうか。
長躯、函館から網走を目指す。
S62植苗キハ183おおとりネガ.jpg

その後尾。
S62植苗キハ183おおとり.JPG

キハ183-500「北斗」
新車は優先的に「北斗」「おおぞら」に投入されていた。
S62植苗キハ183-500北斗.JPG

711系電車が発車する。
S62植苗711系発車.JPG

キハ183のサイド。
S62植苗キハ183サイド.JPG

711系電車。
S62植苗711.JPG

普通列車で札幌へ向かう。
次は小樽方面に行きたいが、その前にと、札幌の観光案内所で宿泊するところを探してもらったが何故かこの日は空室が見当たらないとのこと。
開き直って小樽へ行き、小樽の観光案内所で駅近くの宿を手配してもらった。

宿が決まった安心感から・・朝里海岸へ。
すでに夕陽の時刻だ。

日没に間に合った。
朝里海岸の夕景。
S62朝里海岸夕景.JPG

日が落ちた海沿いの線路を機関車牽引列車が行く。
S62朝里Ed75夕景.JPG

遠くから711系電車が来る。
すでに帰宅ラッシュの時間帯だ。
S62朝里711系遠望.JPG

こちらは札幌行きの列車。
S62朝里海岸711夕景アップ.JPG

日が落ちた後の日本海。
S62朝里海岸日没後.JPG

朝里駅。
S62朝里駅.JPG

夕陽を見られたことですっかり満足し、小樽駅構内のビアホールでしこたま飲んだ。
家を出てきた時の悲壮感はなくなっていた。





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2018年10月02日

昭和62年、北海道の旅(その4)釧網本線

昭和62年6月18日、旭川駅にて特急「オホーツク1号」を待つ。
向かいのホームには稚内行きの急行「礼文」が停車していた。
客車急行ばかりの宗谷本線で唯一の気動車急行で、旭川・稚内間を4時間10分で結んだ。
キハ54急行タイプ、、国鉄が最後に作った急行気動車だ。
S62旭川キハ54急行礼文.JPG

特急「オホーツク1号」は札幌始発で8:41に発車した。
車内は混んでいたような印象があるが、さりとて立って乗車した覚えもなく、景色は見ていたから窓側の席に座ったのだろう。
石北本線の車窓は宗谷本線の茫洋とした感じではなく、険しい山を越えていくような印象を持った。
途中、遠軽で列車の方向が変わったが、これは前知識なしで驚いたものだ。
網走には12:27着、乗ってきた列車を改札口の方から撮影。
S62網走キハ183オホーツク.JPG

駅舎外観。
S62網走駅.JPG

ここでは時間の都合で街を見ることはできず、この7年後に網走の街を散策するまでお預けとなる。
網走13:09釧網本線緑行きに乗車、キハ54の2連だった。
車内。
S62キハ54車内.JPG

北浜で下車、駅を出ていく緑行き普通。
S62釧網線北浜キハ54.JPG

駅舎の外観、喫茶店になっていた。
S62釧網本線北浜駅舎ポジ.jpg

初めて見るオホーツク海は青く、水がきれいだった。
海岸でセルフポートレート。
S62釧網線北浜自分.JPG

網走行きの列車がやってきた。
キハ22だ。
砂浜の横を走る。
青い空と青い海、そして朱色の気動車。
S62釧網本線北浜キハ22・2ポジ.jpg

列車が去っていく。
S62釧網本線北浜キハ22後追い.jpg

ふっと歩いて、原生花園の方へ向かう。
濤沸湖(とうふつこ)の湿原と斜里岳。
S62釧網線原生花園・斜里岳2.JPG

北辺の野草が茂る濤沸湖の向こうに斜里岳。
S62釧網線原生花園斜里岳.JPG


海岸の橋梁を行く単行上り列車。
S62釧網線原生花園キハ54・2.JPG

ポジ原版、色合いが今も残っていることがうれしい。
S62釧網本線北浜キハ54サイド.jpg

列車が先へ進み、築堤の上を走る。
S62釧網線原生花園キハ54.JPG

北浜16:00の列車は通常なら緑行きだが、夏の間は川湯始発の列車とつないで釧路直通として運転されていた。
この列車に乗り、釧路を目指す。
18:01の弟子屈にて。
S62釧網線弟子屈駅.JPG

標茶、18:28~18:47まで19分停車する。
乗ってきた列車、キハ22だ。
S62釧網線標茶キハ22215.JPG

跨線橋から・・
キハ53-500とキハ40の2連が対向。
S62釧網線標茶キハ53510.JPG

その2連がホームに停車する。
S62釧網線標茶キハ53-510.キハ22-215.JPG

広大な構内。
網走行列車から後部の1両が切り離され、標津線列車となるようだ。
S62釧網線弟子屈キハ22-215・キハ40-131.JPG
乗ってきた列車、キハ22。
せっかくここまで来たのだから、標津線に乗っておけばよかったと、今となっては激しく後悔する。
このあと、もう一度、レンタカーでこの辺りを訪問するがその時、標津線はすでに廃線となっていた。
S62釧網線標茶キハ22.JPG

保線用の車両だろうか。
S62釧網線標茶保線車両.JPG

ここから一気に日が暮れた。
この時期の釧路湿原の日没時刻は19:10ごろだ。
車窓から幻想的な釧路湿原が見えるが、どんどん外は暗くなっていき、車内の明かりだけが窓に映るようになる。
釧路19:43、釧網本線の旅が終わった。

何処かで酒を呑んだような気がする。
初めに行った居酒屋へもう一度入ったかもしれない。
釧路22:25、急行「まりも」、再び14系座席車の客となった。

posted by こう@電車おやじ at 14:03| Comment(2) | JR化後の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする