三岐鉄道を訪問したのは昭和56年頃だろうか。
(昭和55年夏から秋にかけての短い期間だということを鉄道の先輩から教わりました。写っている電車がそろうのはその期間だけとのことです)
この辺りは北勢線、内部八王子線、養老線という魅力的な鉄道があり、さらには名鉄のすぐ近くということもあって近くてもなかなか行けないところだった。
訪問した日は曇りで、藤原岳も見えず、走っている貨物列車もネガには残っておらず、それでもリベンジをしようとした記憶がない。
今思えば十分に魅力的な鉄道ではあるのだが。
近鉄富田に停車していたのは131形だった。
正面こそニッシャ標準スタイルだが、3ドア下降窓の近代スタイルだった。
車庫のある保々の近くで下車して撮影してみた。
遠くからクラシカルな電車がやってくる。
このクラシカルな電車というのは意外な気がした。
三岐と言えば上信と並んで、自社発注の近代的な車両が幅を利かしている印象があった。
電車は小田急出自がすぐにわかる141形と、その後ろには如何にも17メートル級旧型国電だと主張するかのような車両もついている。
小田急出自電車のアップ。
相模鉄道にいた旧型国電、ここでは155を名乗っている。
そして最後尾は、三岐オリジナルに見えてしまうが、これまた小田急2100系出自のデハ125だった。
保々の車庫を外から眺める。
日車標準車体をもつ120形。
150形と120形が並ぶ。
こちらは西武からやってきた501形だろうか。
車庫の奥でさらに西武の電車を整備しているようだ。
クハ211のサイド。
150形。
120形と501形が並ぶ。
並ぶ電気機関車、ED45型。
37年経過し、つい先日、ようやく再訪が実現した。
自社発注の電車がいなくなり、西武の電車が幅を利かす。
保々で休んでいたのは、好きな西武顔の電車だ。
701系の譲受車でここでは1804を名乗る。
ED45重連で牽引の貨物列車。
藤原岳も見える。
快晴で暑い。
1700形が行く。
今回訪問した先は貨物博物館のある丹生川、荷をおろして東藤原へ戻る返空。
貨車が藤原岳の方へ向かう。
名峰藤原岳も、九州の香春岳のように、やがては消えてなくなる運命か・・・
だが、この鉄道はその山を削ったセメント原料を運搬しているのだ。