この度の西日本大水害において、お亡くなりになられたすべての方のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災されたすべての皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
また、分断されてしまった鉄道網の一日も早い復旧を祈ります。
8年前にこのブログで紹介した写真が中心だが、今回はネガを見つけることができたので、改めて当時の様子を順を覆って蘇らせてみたいと思う。
10番・11番ホームが上り優等列車のホームだった。
その11番ホームに佇む急行「きたぐに」青森行き、新潟回転となる10系寝台車の風情。
22:00発車だ。
オハネフ12。
オハネフ12の出入り台。
こちらスハフ12。
寝台車を横目に、駅員が荷物を運ぶ。
荷物の取り扱い列車は、僕らが乗った「銀河」だろうか。
「きたぐに」が発車していく。
最後尾は荷物車だ。
マニ36だろうか。。
「きたぐに」が出た後にもホームにはたくさんの乗客が次の列車を待っている。
そこへ入ってきたのは22:20発、「ちくま3号」、EF58がけん引する。
後尾には12系に合わせてシステムを変更されたナハネフ23の姿が。
その時、581系の列車が入線してきた。
当時はまだ、急行への使う車両ではなく、おそらく、「雷鳥」での使用車両を「明星」辺りに使うための回送だろうか。
こちらは「ちくま」臨時の12系だろうか。
そうだとしたら22:26発だ。
向かいの11番に入っている列車は、475系であることから「立山5号」だろうか。
そうだとしたら、ずいぶん早い入線だ。
車掌さん、そして空いた列車。
当時、臨時列車は定期列車に比して、空いていることが多かった。
臨時「ちくま」に背を向け、女性が列車を待つ。
彼女が乗るのは僕らと同じ「銀河」だったのかもしれない。
「きたぐに」のサイドを合成してみた。
当時、保有していたレンズでは引いてもなかなかワイド気味には写せなかった。
夜の大阪駅は、人生の縮図のようなドラマの宝庫でもあった。
時代が移り、鉄道による夜行移動は縮小し、やがて廃止される。
2011年1月、12・14系から引き継いで、結局は最後まで永く581系だった「きたぐに」。
こちらは2011年12月の「日本海」、24系客車編成だ。
この列車は最後まで24系として以上の改善を行わずに運行された。
そして大阪駅始発最後の夜行列車。
「トワイライトエクスプレス」
大阪駅から乗れる夜行列車は上り「サンライズ瀬戸・出雲」一本のみ。
だが、鉄道に夜行列車がなくとも、夜行需要というのは確実に存在し、今、大阪駅の高速バスターミナルには非常に多くの夜行バスが発着する。
2013年に乗車した「広島ドリーム号」
かつての「雲仙西海」や「阿蘇くにさき」、あるいは「音戸」があれば、狭いバスの座席で窮屈な思いをしなくてもいいのにと、ちょっと思うが、昨今のバスは快適だ。
もはや鉄道に夜行需要が戻ることはないのだろうか。
昭和56年、僕らが乗った「銀河」はいたって快適に‥熱海に着いた。
なぜ、鉄道の夜行便が成り立たないのだろう。
東海道・山陽・北陸・東北には十分な需要はあると思うのだが。
「銀河」が熱海から東京へ向けて走っていく。