2018年07月12日

昭和56年夏、夜の大阪駅

この度の西日本大水害において、お亡くなりになられたすべての方のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災されたすべての皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
また、分断されてしまった鉄道網の一日も早い復旧を祈ります。

8年前にこのブログで紹介した写真が中心だが、今回はネガを見つけることができたので、改めて当時の様子を順を覆って蘇らせてみたいと思う。

10番・11番ホームが上り優等列車のホームだった。
その11番ホームに佇む急行「きたぐに」青森行き、新潟回転となる10系寝台車の風情。
22:00発車だ。
オハネフ12。
S56大阪駅5きたぐに停車.JPG

オハネフ12の出入り台。
S56大阪駅1きたぐにオハネフ12サイド.JPG

こちらスハフ12。
S56大阪駅3きたぐにスハフ12サイド.JPG

寝台車を横目に、駅員が荷物を運ぶ。
荷物の取り扱い列車は、僕らが乗った「銀河」だろうか。
S56大阪駅2荷物係.JPG

「きたぐに」が発車していく。
最後尾は荷物車だ。
マニ36だろうか。。
S56大阪駅6きたぐにマニ.JPG

「きたぐに」が出た後にもホームにはたくさんの乗客が次の列車を待っている。
S56大阪駅7・11番線.JPG
そこへ入ってきたのは22:20発、「ちくま3号」、EF58がけん引する。
S56大阪駅8ちくま入線.JPG

後尾には12系に合わせてシステムを変更されたナハネフ23の姿が。
S56大阪駅10ちくまナハネフ23.JPG

その時、581系の列車が入線してきた。
当時はまだ、急行への使う車両ではなく、おそらく、「雷鳥」での使用車両を「明星」辺りに使うための回送だろうか。
S56大阪駅9・581系回送.JPG

こちらは「ちくま」臨時の12系だろうか。
そうだとしたら22:26発だ。
S56大阪駅13ちくま臨時・立山.JPG

向かいの11番に入っている列車は、475系であることから「立山5号」だろうか。
そうだとしたら、ずいぶん早い入線だ。

車掌さん、そして空いた列車。
当時、臨時列車は定期列車に比して、空いていることが多かった。
S56大阪駅12ちくま臨時12系.JPG

臨時「ちくま」に背を向け、女性が列車を待つ。
彼女が乗るのは僕らと同じ「銀河」だったのかもしれない。
S56大阪駅11ちくま臨時12系と女性.JPG


「きたぐに」のサイドを合成してみた。
当時、保有していたレンズでは引いてもなかなかワイド気味には写せなかった。
S56大阪駅きたぐに合成.jpg

夜の大阪駅は、人生の縮図のようなドラマの宝庫でもあった。
時代が移り、鉄道による夜行移動は縮小し、やがて廃止される。
2011年1月、12・14系から引き継いで、結局は最後まで永く581系だった「きたぐに」。

20110105大阪駅きたぐに581系.jpg

こちらは2011年12月の「日本海」、24系客車編成だ。
この列車は最後まで24系として以上の改善を行わずに運行された。
20111207大阪駅日本海客車編成オハネフ247.jpg

そして大阪駅始発最後の夜行列車。
「トワイライトエクスプレス」
20150202大阪駅トワイライトエクスプレスEF81113.jpg


大阪駅から乗れる夜行列車は上り「サンライズ瀬戸・出雲」一本のみ。
だが、鉄道に夜行列車がなくとも、夜行需要というのは確実に存在し、今、大阪駅の高速バスターミナルには非常に多くの夜行バスが発着する。
2013年に乗車した「広島ドリーム号」
かつての「雲仙西海」や「阿蘇くにさき」、あるいは「音戸」があれば、狭いバスの座席で窮屈な思いをしなくてもいいのにと、ちょっと思うが、昨今のバスは快適だ。
もはや鉄道に夜行需要が戻ることはないのだろうか。
20130819大阪駅山陽ドリーム.jpg

昭和56年、僕らが乗った「銀河」はいたって快適に‥熱海に着いた。
S56銀河・熱海.jpg

なぜ、鉄道の夜行便が成り立たないのだろう。
東海道・山陽・北陸・東北には十分な需要はあると思うのだが。
「銀河」が熱海から東京へ向けて走っていく。
S56銀河熱海発車.jpg
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posted by こう@電車おやじ at 16:04| Comment(10) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月04日

京福電鉄嵐山線・・嵐電

京都市内に唯一、路面併用区間を残す通称・・嵐山電車・・略称・・嵐電
正式名称は京福電鉄嵐山線、このブログに登場するのは初めてだが、決して行かなかったわけではなく、むしろ神戸から気軽に阪急電車で行けるところであり、今現在も含め足しげく通うところでもある。

まずは僕の最初の一人での京都訪問・・
昭和51年の嵐山駅にて。
まだワンマン化されておらず、落ち着いた気品のあるモボ111が停車している。
嵐電51嵐山111.JPG

ここからは昭和55年ごろの夏の風景だ。
この頃も京都の夏は暑かった。
だが、その暑さの中に京都らしい涼やかな夏があったのかもしれない。

なお、今回の撮影場所は特に記載がない限り蚕ノ社からの三条通りや西院前後であること、ご承知いただければと思う。
西院(さい)に停車するモボ116号(以下、モボを略し数字のみとさせていただく・・ちなみにモボとは電動車のボギー車という意味だ)
嵐電S55西院116.JPG

その電車が通るのを通行人が待つ様子。
いかにも夏だ。
嵐電S55西院116と通行人.JPG

113号が行く。
電停には夏の装いの女性が。
嵐電S55三条通り113.JPG

その電車の正面窓から子供たちが顔を出す。
冷房のない時代、最高に涼しさを味わえる場所だ。
嵐電S55三条通り113と子供たち.JPG

これも113号、別の列車だろうか。
嵐電s55三条通り113.JPG

126号。
併用軌道を快走する。
嵐電S55三条通り126.JPG

501号。
501形は当時、嵐電ニューフェイスとして活躍が期待されたが、結局はドア位置の問題もあり、使いづらかったようだ。
今現在は2両が残るが、ドア位置は変更されている。
嵐電S55三条通り501.JPG
さて、専用軌道の方に足を進める。
106号が坂を上っていく。
向こうに見える高架橋は工事中の山陰本線だ。


嵐電S55四条大宮106.JPG

同じ場所を行く117号。
嵐電S55四条大宮117.JPG

住宅の間を113号が行く。
嵐電S55四条大宮113.JPG

ここからはずっと先の平成に入ってからの写真だ。
新型電車が登場し、それでもまだかつての嵐電の面影も残っていたころ、平成2年頃だと思う。
嵐電に来るといつも同じあたりで撮影する癖があり、この時も同じ地点での撮影だ。

新型621号。
嵐電H2三条通り621.JPG

こちらは504号、まだ何とか原形で走っていた。
嵐電H2三条通り504.JPG

113号、モボ111形もまだ元気だった。
嵐電H2三条通り113.JPG

301号、素っ気ないデザインの電車だが嵐電特有の落ち着きはしっかり持っていた。
嵐電H2三条通り101.JPG

専用軌道の113号。
嵐電H2蚕ノ社113.JPG

また504号が来てくれた。
嵐電h2三条通り504d.JPG

反対向き、この電車は当時の路面電車の流行を嵐電にうまく取り入れたものと思う。
嵐電H2三条通り504B.JPG

501号。
嵐電H2三条通り501.JPG


嵐山で発車を待つのは101号だろうか。
嵐電H2嵐山駅.JPG

嵐電は今も多少は近代化されたがあの頃の落ち着きを持っている。
京都は観光では関西三都市で独り勝ちの様相を呈し、平日でも日中は混雑していて、商売繁盛、喜ばしいことだ。

地下鉄やバスとの総合拠点となった天神川にて。
紫色になった614と615が出会う。
嵐電H27天神川614・615.jpg

だが、南海電車の緑色と同じく、嵐電は緑ではないのか・・
京紫に京都の風情を感じることができない僕には、やはり緑系の電車にほっとする。
江ノ電カラーを纏った631号、嵐電嵯峨にて。
嵐電H27嵯峨野駅前631.jpg
posted by こう@電車おやじ at 20:21| Comment(4) | 関西私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする