2018年04月27日

京福電鉄福井支社

今、「えちぜん鉄道」となっている京福福井だが、昭和50年代当時はとても元気な鉄道だった。

僕が訪問するのはいつも福井鉄道のついでになってしまっていて、まともにきちんと記録していないのが今思えば残念極まりない。


だが、京福福井には南海や後に阪神の車両も転属していて、決して素通りできる鉄道ではなかったのである。

それ以上に隣の福井鉄道が今も昔も絶大な個性を誇っているというわけだ。

昭和50年代半ばからこの鉄道の訪問を始めた。

といっても、前述したとおり、福井鉄道のついで的な存在であることは否めない。


最初は北陸線急行の車窓から見た福井駅の様子。

デキ531、この鉄道には信越アプトのEC40がいたが、その機関車を国鉄に返還したその代車として送られたものだ。

京福福井北陸線から531.JPG


3006と254が停車している。

この3000形こそ、南海11001系の転属後の姿だ。

京福福井北陸線から3006・254.JPG


こちらは3003が見える。

北陸線でも特急列車ならばこういう写真を撮ろうとは思わないだろう。

このときは愛用していた急行「くずりゅう」の車窓だったと記憶している。

京福福井北陸線から3003.JPG


京福の福井駅。

国鉄駅からは中途半端な高さの連絡通路があったように記憶している。

意を決したかのように訪問した京福の福井駅では、そこにいるだけで興奮してしまうような車両が並んでいたものだ。

2015と251、2000形は南海1201形で、この記事の一つ前の貴志川線や、水間鉄道でも見られた。

ただ、この電車は腰の部分を濃い色合いに塗るのが似合うと当時も僕は思っていて、あまり格好良くは感じなかった。

京福福井福井2015・251斜め.JPG


こちらは2001と3003、1201系と11001系の出会いだ。

南海は製造後まだ10数年しかたっていない11001系特急車を京福に譲った。

京福は喜んだだろうが、車体が大きすぎるのか、台車などの設定が特急車としての故なのか、乗り心地はふわふわしていて、決して「良い」乗り心地ではなかった。

京福福井福井2001・3003.JPG


ホームで正面から撮影した。

京福福井福井2001・3003斜め.JPG


南海から譲られた特急車には、11001系ごく初期の貫通タイプも入っていて、ここでは湘南タイプと貫通タイプの両方を楽しむことができた。

国鉄でいえばクハ86の初期型と二次型を同時に楽しむようなものだ。

3008という車番だ。

京福福井福井3008.JPG


斜めから、南海特急車時代に戻ったかのような錯覚すら感じる。

京福福井福井3008斜め.JPG


この3001号は南海の11001系の中でも後半の湘南タイプの車両だ。

一目見た時、前面の帯が金太郎塗なのは良いとしても、帯の幅がずっと同じで南海のような繊細さを感じられず、ぞれだけで残念に思ったものだ。

京福福井福井3001.JPG




3004、南海11001系は僕にとっては最高に好きな電車5傑(南海11001、名鉄7000・7500、京阪3000、阪急6300、国鉄117)に入る電車だ。

京福福井福井3004.JPG


こちらは南海1201系からの2016、シルのところに太い帯というのは悪くはないが、この電車を古く見せると思う。

京福福井福井2016.JPG


2015、こちらも南海1201系だ。

京福福井福井2015.JPG


1002、この電車は戦後に自社発注して登場した電車で、ヘッダがないのが戦後生まれを物語る。

このすぐ後に阪神5101系の車体に乗せ換えられた。

京福福井福井1002.JPG


2015と251。

この250形は小型ながら転換クロスの気持ち良い電車で、そのデザインとともに好きになったが、永平寺線の事故により使用中止、廃車になったのは残念だ。

この251号が事故の当該車両で、当時、運転をしていた運転士の方が殉職されている。

京福福井福井2015・251斜め.JPG


252、4両あったこの形式の1両。

「急行」の看板を付けている。

鉄道模型マニアが喜びそうな小気味良い電車ではある。

京福福井福井252.JPG


さて、上記3007の列車に乗り込むのだが、この時は時間の都合で途中までの乗車となった。

その越前島橋に到着した3007だ。

京福福井島橋3007正面.JPG


電車が発車していく。

交換は右側通行だったように思う。

京福福井島橋3007発車.JPG


構内から見た駅舎。

京福福井島橋駅舎.JPG


越前島橋構内、細いホームの幅員は阪神春日野道と大差ないのではないか。

京福福井島橋構内.JPG


そこへ入ってきたのは241だ。

ホームで電車を待つ婦人の日傘が季節を表す。

京福福井島橋241.JPG



何度か訪問している鉄道で、だから撮影時期もかなり長期間に散発的になるのだけれど、これはかなり後の訪問の時の撮影だ。

勝山の駅舎。

このとき、大野も訪問しているはずだが、今はまだ原版が見つからない。

勝山の古風な佇まいには心ひかれた。

京福福井勝山駅舎.JPG


たぶん、勝山にはこのバスで来たのだろう。

大野との間を往復する京福バス。

かつて京福電鉄は大野まで路線を伸ばしていた。

京福福井勝山大野行バス.JPG


駅舎脇から電車が発車しようとしている。

253、小気味良い京福スタイルのロマンスカーだ。

京福福井勝山253.JPG


この電車の車内。

フワフワした11001系改め3000形よりはこちらのほうが線路にはあっている気がした。京福福井253車内.JPG


電車の中から見た発坂駅。

京福福井発坂駅.JPG


越前竹原では3007号に再開したが、正面デザインが大きく変化していた。

湘南型の流線形にしないのなら、貫通型のままにしてくれた方がかっこいいのに・・

京福福井3007越前竹原.JPG



地方交通が衰退し、株式公開の京福電鉄では路線が維持できない。

事故による運航中止命令の後、地元をしてその必要性に動かざるを得なくなったこの鉄道。

今では「えちぜん鉄道」として盛業中なのは頼もしい限りだ。


最後に、北陸新幹線高架を使った仮駅、福井駅に進入する国鉄119系を改造した7000形を。。

えちぜん鉄道7009福井仮駅.jpg
posted by こう@電車おやじ at 23:17| Comment(4) | 私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月17日

南海電鉄貴志川線の1201形

貴志川線については以前に取り上げたが、まだこのブログ初期段階で不十分の感は否めず、改めてここで取り上げたいと思う。
「南海電鉄貴志川線」が600Vで1201形が走っていた時代だ。
貴志川線1202俯瞰伊太祁曾.JPG

南海1201形といえば昇圧前の南海本線における2001系、11001系と並ぶスター的存在だが、均整の取れた美しいデザインは旧型電車の最高峰と称してもなんら言い過ぎではないと思う。
その1201形が貴志川線で3連運転をしていると知ったのは、当時、買い始めたばかりの鉄道ピクトリアル誌で、ぜひ一度見に行きたいと思っていたものだ。

というのは僕にとっても、泉大津在住時代、昭和46年から47年にかけて、この系列の最終期の運行が見られた時代であり、南海電鉄の広報誌にも「1201形」として登場していて、もしかしたら、僕が最初に電車の形式を知ったのはまさにこの系列かもしれないという縁もあるのだ。
実際、昭和46年当時すでに普通列車にしか来なくなっていた1201系が泉大津駅に停車していた時、「これに乗る」と駄々をこねて急行に乗りたい父母を困らせたのは一度や二度ではない。

さて、国鉄に入社し、ある程度資金ができた。
まだ正職員採用ではないゆえ職務パスの支給はなかったが、友人数人で念願の貴志川線を訪問した。
紀勢本線電化前の昭和52年ごろだろうか。

ただ、あるはずの和歌山駅の写真がない。
新快速から乗り換えたように思うが、ネガはいきなり伊太祁曾駅の風景から始まっている。

僕らが乗った列車は21201を先頭にした編成だったはずだ。
最初のコマがこれになっている。
貴志川線伊太祁曾21201停車.JPG

伊太祁曾で1202の編成と交換。
写真を撮ろうとした僕らに気付いただろうが、帰宅途中の女子高生が写りこんだ。
貴志川線伊太祁曾1202・21201女子高生.JPG

僕らとさして年頃の変わらぬこの女性も今や五十路というところか。

駅には車庫が併設してあった。
貴志川線車庫風景.JPG

構内の様子。
貴志川線伊太祁曾構内.JPG

1234という、気持ちの良い番号の電車が停まっていた。
貴志川線1234伊太祁曾.JPG

まさに僕の幼少の思い出にある1201形に会い、とても嬉しかった。
電車はどれもとても美しく整備され、輝いて見える。

少し歩いて近くの蜜柑山に登ってみた。
ちょうどさっきの21201が先頭の編成がやってきた。
貴志川線21201俯瞰伊太祁曾.JPG


違う編成が来た。
こちらは1203が先頭、1201形だけの編成だ。
貴志川線1203俯瞰伊太祁曾.JPG


緑のじゅうたんを列車が進む。
貴志川線1203俯瞰2伊太祁曾.JPG

この風景を見ることができた僕はもしかしたらそれだけで幸せ者なのかもしれない
貴志川線1203俯瞰3伊太祁曾.JPG


3連が1201形で揃うその美しさ!!
貴志川線1210俯瞰伊太祁曾.JPG

伊太祁曾、また21201形が1203と出会う。
車掌か?ホームに立つ。
貴志川線1203・21201車掌伊太祁曾.JPG

駅員がタブレットをもって立つ。
貴志川線車掌伊太祁曾.JPG


車庫には1210の編成が停車している。
貴志川線1210伊太祁曾.JPG

1204と読める・・
発車していく。
貴志川線1204伊太祁曾.JPG


それから2年ほど経過した夏、貴志川線を再訪した。
紀勢本線は電化され、電車特急や普通電車が走っていた。
この時も和歌山駅での写真が見つからず、いきなり伊太祁曾に行ったのだろうか。

蜜柑山に登ってみても、前回の様子が思い出せない。
田圃の中に住宅や施設が増えている。

21201がやってきた。
貴志川線B21201サイド踏切.JPG

走り去る。
貴志川線B21201・2.JPG

2両目3両目の1201形は元気だったが、ほとんどの車両で正面窓がHゴム化されていた。
貴志川線B1218.JPG


後尾は1218と読める。
貴志川線B1218・2.JPG

その編成の折り返しの俯瞰。
貴志川線B1214俯瞰伊太祁曾.JPG


ゆっくりと進む。
貴志川線B1214俯瞰2伊太祁曾.JPG

この時も緑濃い田圃に緑の電車が映える。
貴志川線B21201俯瞰.JPG

電車は緑濃い紀州平野の先へ進んでいく。
貴志川線伊太祁曾1201形3連俯瞰2.JPG

紀州の田園風景に1201形3連が溶け込む。
貴志川線1201形3連俯瞰1.JPG
posted by こう@電車おやじ at 21:44| Comment(0) | 関西私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする