2018年03月28日

名鉄舞木の今昔

名鉄に舞木検車場という巨大な検修施設ができていたのは知っていた。
それがかつての鳴海工場を移転したものであることも知っていた。
だが、Facebook上で友人たちとのやり取りで、その場所が名電山中の近くだと言う。
迂闊なことに、僕はこの施設が鳴海か安城辺りの何処かにあるものと思い込んでしまっていたようだ。

名電山中と言えば、かつて僕が訪問した名鉄沿線でも好きな場所だった。
ただ、再訪するチャンスが得られず、36~7年も経過していたということになる。

今回、名電山中で撮影したネガの一部を見つけることができた。
一部に以前に掲載したものもあるが、それはアルバムのプリントからで、当時の記憶の喪失はようやく、ネガを見つけたことで思い出したような次第だ。

まずは昭和56年頃かと思うが、その頃の写真から。
築堤を望む山腹、たぶん、棚田の上段くらいだったと思う・・そこからのカラー写真を。

パノラマカー7500系のサイド。
よく見ると正面の種別は特急になっている。
この頃は「高速」が運行されていたから「特急」は座席指定車ばかりの編成だ。
S56名電山中特急7500サイドCollar.JPG

その特急の後追い。
S56名電山中7500特急後追い遠望.JPG

こちらは「高速」だろうか。
やはり7500系だ。
僕はこの、車両の下縁が一直線に改良された7500系が特に好きだった。
S56名電山中7500高速サイドアップ.JPG

同じ場所を5000系の高速が行く。
S56名電山中5004.JPG

そして登場したばかりの7000系白帯車による特急。
S56名電山中7040白帯特急.JPG

白帯特急の後追い。
パノラマカーは赤一色が格調があって好きだが、この白帯の姿もなかなか良い。
S56名電山中7000白帯特急後追い.JPG

7500の高速。
S56名電山中7500高速.JPG

5500系高速か。
S56名電山中5552.JPG

また別の白帯特急。
この頃、パノラマカーは全盛期で、特に名古屋本線では片道10分に一度かそれ以上、見ることができた。
いくらでもやってくるのだ。
S56名電山中7000白帯特急.JPG

築堤の近くで7500系高速。
S56名電山中7500高速後追い.JPG

これは駅から現地に行くまでの道だろうか。
7500の急行。
S56名電山中7500急行流しBW.JPG

その横顔をやや後ろから。
この角度のパノラマカーには上品な、生まれの良さが現れているような気がする。
S56名電山中7500流しサイド.JPG

これも7500の急行。
S56名電山中7500急行後追いBW.JPG

7000の白帯特急。
S56名電山中7000白帯特急BW.JPG

こちらは反対方向の後追い、7000白帯特急。
S56名電山中7000白帯特急後追いBW.JPG

その先のカーブで編成を。
S56名電山中7000白帯特急後追い全景.JPG

HL車の普通電車、稀にこの辺りでも見ることができた。
S56名電山中2715BW.JPG

蒸気のカラー写真と同じ場所での7500急行。
S56名電山中7500急行BW.JPG

登場してまだいくばくも経っていない6000系の急行。
当時としては「通勤タイプの電車を急行に使うなんて」と思ったものだが、デザインは良く、例えば、7700の時にこの形態の3ドア転クロを導入しておけば、SR系の寿命はもっと延びたかもしれない。
S56名電山中6000急行.JPG

築堤を望む山腹より、7500系。
S56名電山中7500BW.JPG

さて、3月22日、この場所にやってきた僕は、記憶が飛んでいたようで、自分が果たしてこの駅に降り立ったかどうか、確証が持てずにそれでも、かつて撮影をしたであろう辺りへと歩いてみた。

4日間続いた雨がようやく上がり、雨上がりの空に雲雀が囀るのどかな春を実感しながら、すっかり役者が入れ替わってしまった名鉄電車を眺めながら、ゆっくりと歩く。
歩く道は旧東海道で、なかなか趣のある所だが、果たして当時の僕はそういうことを想いながら歩いたのだろうか。

電車が切通を行く。
こういう俯瞰場所があったという記憶はない。
パノラマスーパー、1000・1200系リニューアル編成だ。
0322名電山中名鉄1000リニューアル俯瞰.JPG
(なお、今は名鉄ではパノラマスーパーは1200系と総称しているらしいが、僕の中ではやはり違和感があるため、1000・1200・1800と個別に呼ばせていただくことにする)

田圃が広がる、かつて撮影したであろう地点に着いた。
ここから小川沿いに山側へ移ったはずだが、その山側には巨大な名鉄工場が威容を見せる。
おりしも、パノラマスーパー1000・1200・1800、フルラインナップの編成がやってきた。
0322舞木名鉄1000・1200・1800原色.JPG

小さな鉄橋を行くパノラマスーパー1000。
0322名鉄舞木1000サイドアップ.JPG

その編成の1200と増結1800の連結部。
0322名鉄舞木1200・1800.JPG

まだわずかしか花を咲かせぬ桜の向こうに、数を減らせているらしい6000系初期車、関西の私鉄ならばまだまだリニューアルして主力となって活躍している年ごろだ。
SR譲りの大きな連続窓と紅い車体。
名鉄はこうでなくっちゃ。。。
0322舞木名鉄6000初期車サイド.JPG

6500系の急行。
紅い電車であるならば、もうそれで今の僕には十分な名鉄の薫りだ。
0322舞木名鉄6500.JPG

舞木工場を外から覗くとパノラマカーが保存されているのが見えた。
こちらは7001号、なかなか、関西在住の名鉄ファンは公開などに来るチャンスがなく、中で見せてほしいが難しかろう。
0322舞木名鉄7001保存車.JPG

こちらは7002、僕らが最後にパノラマカーに会った頃のイメージで保存されている。
0322舞木名鉄7002保存車.JPG

工場の裏手から藤川駅の方へ歩いてみた。
やや位置関係は西にずれるが、このイメージ、かつてのこの場所そのものだ。
電車はパノラマスーパー1000のリニューアル車。
0322藤川名鉄1014サイド流し.JPG

ここに来てやっと記憶がよみがえってきた。
あの頃、本当にたくさんのパノラマカーがここを走っていた・・
今、この1000系はすでに両数が製造時の3割ほどしか残らず、ここにもかつてのパノラマカーのように、いくらでもやってくる・・イメージではないようだ。
0322藤川名鉄1014流し.JPG

かわりによく見るのがこの電車。
紅い、きれいなラインを見せる名鉄らしい通勤電車、3500系シリーズだ。
0322藤川名鉄3500サイド流し.JPG

ここで線路の反対方向に移ってみる。
3100・3500系による急行電車。
6連の紅い電車が巨大な工場を背景に行く。
0322藤川南名鉄3100・3500.JPG

まだこのような電車が走っていたころ・・その頃を懐かしむだけ僕も老いたということだ。
800形の荷物電車。
S56名電山中809荷電.JPG

3500形の普通電車。
今、わが世の春を謳う3500系の大先輩だ。
記憶は消えていく。
写真もまたある程度の技術をもって復元しないと、ひと様にお見せできない。
それほど時間がたってしまったということを実感した春の一日だった。S56名電山中3500.JPG
posted by こう@電車おやじ at 10:47| Comment(2) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月12日

昭和54年頃、餘部駅

撮影時期ははっきりしないが走っている列車の雰囲気から昭和54年頃かと思う。
山陰本線餘部駅、本日は橋梁ではなく駅の風情だ。

季節は秋だろうか。
モノクロ故、色がつかぬモノクロゆえ、想像するしかないがこれもその場の雰囲気からしてそうではなかろうか。

DD511171牽引の客車列車が長い橋梁を渡ってくる。
機関車の次位はスユニ50、その後ろはマニ36だろうか。
S54餘部DD511171.JPG

機関車が僕の前を過ぎていく。
DD51はこういう時、驚くほど旅情にあふれている。
S54餘部DD511171後部.JPG

客車列車の最後尾はオハフ33だ。
下校時刻とあって多くの中学生が下車する。
車掌もホームに出て集札と監視をする。
S54餘部オハフ33到着.JPG

客車から下車した女子中学生がこちらの出口へ向かう。
なんとなく一日を終えたほっとした気持ちのようなものを感じる。
こうしてみると、日本の原風景の中に女子中生、女子高生のセーラー服姿も入れてもいいかもしれないとも思う。
S54餘部オハフ33乗降風景.JPG

列車が発車していく。
前の車両に乗っていたらしい男子中学生がゆっくりホームを歩く。
S54餘部オハフ343発車.JPG

餘部駅の駅名標。
この地の地名は「余部」だが、鉄道側の事情で近く?にある姫新線の余部(よべ)との混同を避けるために餘部の文字を当てたらしい。
それゆえ、姫新線よりすっと先に開通した橋梁の名称は「余部橋梁」だ。
S54餘部駅駅名標.JPG

キハ80系「まつかぜ」・・たぶん時間帯からして3号だろうか。
速度の出せない場所ゆえ、エンジンは軽く回り、タイフォンを鳴らして通過したと記憶する。
S54餘部キハ82まつかぜ.JPG

「まつかぜ」後追い、
山間の駅のように見えるこの雰囲気もまた好きだった。
S54餘部キハ82まつかぜ後追い.JPG

まつかぜ進入の際にホーム端に写っていた少年たちが近づいてきた。
素朴で明るい、いかにも海のある町の子供といった感じの気持ちの良い少年たちだ・。
特急を見るのが好きなのだろう。
S54餘部少年たち.JPG

京都行き「あさしお」が通過する。
S54餘部キハ82あさしお.JPG

「あさしお」の後尾に少年たちがかぶさる。
邪魔などころか、おかげでとてもいい写真が撮影できた。
S54餘部少年たちとあさしお.JPG

僕はこの列車に乗って帰ったのだろうか。。
DD51571牽引の普通客車列車が到着した。
S54餘部DD51571.JPG

一部に既出の写真もあるが、今回ネガ原版を発見したことで前後の関連が分かった。
一瞬の出会いの餘部駅、心に深く残る駅。。。
posted by こう@電車おやじ at 22:31| Comment(2) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする