ちょうど2年前に、このブログでは全編成が健在だった山陽3000系のそのすべての編成のエントリーを掲載したが、今回は3000F・3002Fの2編成を僕自身の記録から偲んでみたいと思う。
わが地元、舞子公園付近での3000.
舞子公園駅での3000。

(なお、山陽電鉄ではMcにクモハ、Mにモハ、Tにサハ、Tcにクハとつけるのが正式な形式名だが、ほとんど現場でも使われないこともあり、本稿ではカタカナ記号は省略する)
昭和37年、地元川崎車両の試作的意義が強い、日本最初のオールアルミカー、2000系2012Fを世に出した山陽電鉄・・その2012Fは編成ごと今も東二見で保管されているが、昭和53年当時の須磨駅での様子だ。
そして2012の使用実績をもとに各部を改良し、来るべく神戸高速鉄道乗り入れを強く念頭に置いて、昭和39年12月、3000Fが山陽電鉄に搬入された。
その2か月ほど前には世界初の新幹線、東海道新幹線が開業していたが、当時の新幹線は後の0系と呼ばれる車両で、国鉄私鉄の技術を総結集してはいたが、鋼鉄製だった。
後に山陽が始めたアルミカーの技術が新幹線のみならず、日本の鉄道を席巻することになる。
これも昭和52年頃か・・
須磨駅でのアルミ編成2本並び。
左の上り特急が3600(3000F)、右の下り特急が3601(3002F)だ。
その並びが偶然にも先に引退した3002Fの最終運行で実現した。
2016年5月29日の舞子公園駅だ。

僕がここに出せる3000系の写真はすべて昭和51年以降になる。
その点はご容赦いただきたい。
須磨駅に入る3000F。
当初、3連で登場した2編成は、二次車である鋼製車投入の際に、オールアルミのT3500・3501を加えられ、4連化され、特急を中心に活躍していた。
こちらは須磨駅を出る3002F。
須磨駅での別の日、下りの霞ヶ丘行き、3600。
加古川橋梁での3600、昭和59年3月に行われた最高速度100キロ運転、特急大増発、終日15分ヘッドという画期的なダイヤ改正を行った際のヘッドマークを付けている。

昭和58年秋の850形のさようなら運転の際の東二見にて、3601。
的形付近を走る3601。
須磨浦公園内を行く3600先頭の下り特急。

これも加古川橋梁、3600先頭特急。
西代、道路橋の下を行く3000、この道路高架橋は山陽電鉄の地下化後も、道路立体交差用の高架橋として現存している。
板宿・西代間、地下工事中の区間を行く3002。
やがて、3050系ニューアルミカーの増備に際して、3000・3002の編成も正面の帯を太くする変更がなされた。
帯を太くするだけではなく、新旧では正面のナンバー切り抜き文字の位置も異なり、結構な手間がかかったものと思われる。
サイドのうろこ模様はこの時に消されている。
これも板宿・西代間の工事現場を行く3000、帯の変更後だ。

まだ改築前の舞子公園駅に停車する3600。
霞ヶ丘付近を行く3000。
やがて中間Tを抜かれ、また登場時の3連に戻る。
(なお、3500・3501は一旦、鋼製車のTとして塗装されていた時代があった)
登場から50余年、本来、初代アルミカーの2編成は、6000系投入とともに運用離脱、廃車の運命にあったが、3000Fは必要な検査を施工し、さらにその後、正面の帯を原型のものに戻し、切り抜きナンバーの位置も変更するという難工事をしてもらい、その後しばらく走り続けることになる。
なお、3002も全般検査を施工することにしていたそうだが、寄る年波に車体の老化が激しく、先に引退することになった。
大蔵谷駅で5000系5012と3000が並ぶ。

2016年5月、最終期の3002F・・
JR朝霧駅近くの踏切にて・・
3002が接近する。
垂水駅で最新鋭の6001F6101と並んだ3601。

正面帯を原型に戻してからの3000Fは鉄道ファンの注目を集め、JR列車の撮影地として名高い大蔵谷でも、この3000Fが来ると、居合わせた殆どの鉄道ファンがカメラを向けていた。

華麗な駅舎が震災で姿を消した阪急三宮は今も特徴的な駅構造が残る。
現在の阪急神戸三宮に停車する3000。
3600が阪急8000系トップナンバー8000F、8100と並ぶ。

阪急きっての豪華通勤車両、9000系9008と山陽3000の並び。
東垂水駅に停車する3000。
明石海峡を望む線路上、高速でJR朝霧駅脇を通過する3000。
垂水駅に進入する3600。
高架化、新装なった西新町駅に入る3000。

3001の現在の車内。
冷房化され、天井の様子が変わったが基本的には原形のまま。
床の模様は山陽3000系の大きな特徴の一つ。

非冷房時代の車内、これは3500でスタンションポールが斜めに変更されている。
天井蛍光灯にはグローブが付き、当時の阪急2000系辺りと比しても遜色がなかった。
こちらはかつて3000Fに入っていたT3500、今、3076Fの中間にある。

こちらは3501、今、3078Fの中間にある。

3001、山陽3000系の中間電動車はダブルパンタ、均整の取れたデザインとともに美しいM'車だ。

大蔵谷駅での上り列車、3000。

東垂水での下り列車の後追い。

引退の1週間前よりさようならのヘッドマークを付けて走るようになった。
多くのファンが名残を惜しむ。
姫路駅で正面の掃除をしてもらう3600。
加古川橋梁への取り付け部を行く3000。
(河川敷敷地との境界金網外側から望遠で金網をぼかして撮影している)
垂水駅で上り列車を見送る。
11月21日、僕はこの列車で3000Fを見送った。
別府駅。
最後の写真は我が地元、舞子付近で明石海峡大橋を背景に快走する様子だ。
明石海峡大橋、六角堂を見ながら3000F3600が走る。
登場時から一貫して山陽のスターであり続けた、そして現代の日本の鉄道車両の基礎を作ったといっても過言ではない3000F、3002Fの記憶は必ず永く語り継がれることだろう。
3000ちょうど、3002、永遠なれ!