2017年11月24日

PhotoArchive:山陽3000系初代アルミカーを想う。

11月23日、山陽電鉄で一番有名な電車、日本初のアルミカーを出した山陽電鉄が満を持して作り上げた量産アルミカー、そして世界初の新幹線電車がブルーリボン賞を受賞したときにローレル賞を受賞した電車、3000Fが最後の花道に「さようなら運転」を行って引退した。

ちょうど2年前に、このブログでは全編成が健在だった山陽3000系のそのすべての編成のエントリーを掲載したが、今回は3000F・3002Fの2編成を僕自身の記録から偲んでみたいと思う。
わが地元、舞子公園付近での3000.
山陽3000舞子台太帯20101008.JPG

舞子公園駅での3000。
山陽3000舞子公園.jpg

(なお、山陽電鉄ではMcにクモハ、Mにモハ、Tにサハ、Tcにクハとつけるのが正式な形式名だが、ほとんど現場でも使われないこともあり、本稿ではカタカナ記号は省略する)

昭和37年、地元川崎車両の試作的意義が強い、日本最初のオールアルミカー、2000系2012Fを世に出した山陽電鉄・・その2012Fは編成ごと今も東二見で保管されているが、昭和53年当時の須磨駅での様子だ。
山陽2012須磨カラー.JPG

そして2012の使用実績をもとに各部を改良し、来るべく神戸高速鉄道乗り入れを強く念頭に置いて、昭和39年12月、3000Fが山陽電鉄に搬入された。
その2か月ほど前には世界初の新幹線、東海道新幹線が開業していたが、当時の新幹線は後の0系と呼ばれる車両で、国鉄私鉄の技術を総結集してはいたが、鋼鉄製だった。
後に山陽が始めたアルミカーの技術が新幹線のみならず、日本の鉄道を席巻することになる。
これも昭和52年頃か・・
須磨駅でのアルミ編成2本並び。
左の上り特急が3600(3000F)、右の下り特急が3601(3002F)だ。
山陽3601・3600細帯須磨.JPG

その並びが偶然にも先に引退した3002Fの最終運行で実現した。
2016年5月29日の舞子公園駅だ。
山陽3600・3601舞子公園.jpg

僕がここに出せる3000系の写真はすべて昭和51年以降になる。
その点はご容赦いただきたい。

須磨駅に入る3000F。
当初、3連で登場した2編成は、二次車である鋼製車投入の際に、オールアルミのT3500・3501を加えられ、4連化され、特急を中心に活躍していた。
山陽3000須磨.JPG

こちらは須磨駅を出る3002F。
山陽3002須磨.JPG

須磨駅での別の日、下りの霞ヶ丘行き、3600。
山陽3600須磨アップ.JPG

加古川橋梁での3600、昭和59年3月に行われた最高速度100キロ運転、特急大増発、終日15分ヘッドという画期的なダイヤ改正を行った際のヘッドマークを付けている。
山陽3600細帯加古川.jpg

昭和58年秋の850形のさようなら運転の際の東二見にて、3601。
山陽3601細帯東二見車庫.JPG

的形付近を走る3601。
山陽3601的形.JPG

須磨浦公園内を行く3600先頭の下り特急。
3600須磨浦特急.jpg

これも加古川橋梁、3600先頭特急。
山陽3600加古川橋梁1976?.JPG

西代、道路橋の下を行く3000、この道路高架橋は山陽電鉄の地下化後も、道路立体交差用の高架橋として現存している。
山陽3000西代.JPG

板宿・西代間、地下工事中の区間を行く3002。
山陽3002細帯西代.JPG

やがて、3050系ニューアルミカーの増備に際して、3000・3002の編成も正面の帯を太くする変更がなされた。
帯を太くするだけではなく、新旧では正面のナンバー切り抜き文字の位置も異なり、結構な手間がかかったものと思われる。
サイドのうろこ模様はこの時に消されている。
これも板宿・西代間の工事現場を行く3000、帯の変更後だ。
山陽3000太帯西代地上.jpg

まだ改築前の舞子公園駅に停車する3600。
山陽3600太帯舞子公園.JPG

霞ヶ丘付近を行く3000。
山陽3000霞ヶ丘.JPG

やがて中間Tを抜かれ、また登場時の3連に戻る。
(なお、3500・3501は一旦、鋼製車のTとして塗装されていた時代があった)
登場から50余年、本来、初代アルミカーの2編成は、6000系投入とともに運用離脱、廃車の運命にあったが、3000Fは必要な検査を施工し、さらにその後、正面の帯を原型のものに戻し、切り抜きナンバーの位置も変更するという難工事をしてもらい、その後しばらく走り続けることになる。
なお、3002も全般検査を施工することにしていたそうだが、寄る年波に車体の老化が激しく、先に引退することになった。

大蔵谷駅で5000系5012と3000が並ぶ。
山陽3000・5012.jpg

2016年5月、最終期の3002F・・
JR朝霧駅近くの踏切にて・・
0528朝霧山陽3002.JPG

3002が接近する。
0528朝霧山陽3002B.JPG

垂水駅で最新鋭の6001F6101と並んだ3601。
山陽3601・6101垂水.jpg

正面帯を原型に戻してからの3000Fは鉄道ファンの注目を集め、JR列車の撮影地として名高い大蔵谷でも、この3000Fが来ると、居合わせた殆どの鉄道ファンがカメラを向けていた。
山陽3000大蔵谷.jpg

華麗な駅舎が震災で姿を消した阪急三宮は今も特徴的な駅構造が残る。
現在の阪急神戸三宮に停車する3000。
1121阪急三宮下り山陽3000.JPG

3600が阪急8000系トップナンバー8000F、8100と並ぶ。
山陽3600阪急8100.jpg

阪急きっての豪華通勤車両、9000系9008と山陽3000の並び。
1121阪急三宮山陽3000・阪急9008.JPG

東垂水駅に停車する3000。
0827東垂水山陽3000.JPG

明石海峡を望む線路上、高速でJR朝霧駅脇を通過する3000。
0828朝霧山陽3000.JPG

垂水駅に進入する3600。
1024垂水山陽3000.JPG

高架化、新装なった西新町駅に入る3000。
山陽3000西新町復刻.jpg

3001の現在の車内。
冷房化され、天井の様子が変わったが基本的には原形のまま。
床の模様は山陽3000系の大きな特徴の一つ。
山陽3001車内.jpg

非冷房時代の車内、これは3500でスタンションポールが斜めに変更されている。
天井蛍光灯にはグローブが付き、当時の阪急2000系辺りと比しても遜色がなかった。
山陽3500車内冷房化前.JPG

こちらはかつて3000Fに入っていたT3500、今、3076Fの中間にある。
山陽3500大蔵谷.jpg

こちらは3501、今、3078Fの中間にある。
3501大蔵谷.jpg

3001、山陽3000系の中間電動車はダブルパンタ、均整の取れたデザインとともに美しいM'車だ。
山陽3001大蔵谷.jpg

大蔵谷駅での上り列車、3000。
山陽3000大蔵谷上り.jpg

東垂水での下り列車の後追い。
山陽3000東垂水.jpg

引退の1週間前よりさようならのヘッドマークを付けて走るようになった。
多くのファンが名残を惜しむ。
姫路駅で正面の掃除をしてもらう3600。
1121姫路A山陽3600.JPG

加古川橋梁への取り付け部を行く3000。
(河川敷敷地との境界金網外側から望遠で金網をぼかして撮影している)
1121加古川橋梁山陽3000.JPG

垂水駅で上り列車を見送る。
1121垂水B山陽3600後追い.JPG

11月21日、僕はこの列車で3000Fを見送った。
別府駅。
1121別府山陽3600後追い.JPG

最後の写真は我が地元、舞子付近で明石海峡大橋を背景に快走する様子だ。
明石海峡大橋、六角堂を見ながら3000F3600が走る。
山陽3600舞子台太帯20101008.JPG

登場時から一貫して山陽のスターであり続けた、そして現代の日本の鉄道車両の基礎を作ったといっても過言ではない3000F、3002Fの記憶は必ず永く語り継がれることだろう。
3000ちょうど、3002、永遠なれ!
posted by こう@電車おやじ at 17:05| Comment(2) | 関西私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月12日

岩木山と弘南鉄道

昭和56年9月だと思う。
友人のO君と北海道・東北へ旅行をした。
その帰路、弘前に立ち寄った。
東北の大手私鉄と呼ばれた弘南鉄道弘南線を見るためだ。
当時の弘南線は、この直前まで存在していた多彩な電車たちが、一気に東急出自の電車に置き換えられた後で、面白みはなくなっていたが、それでも、現地の電車を見るととても嬉しかったものだ。
定山渓亡き後、今も純粋な私鉄としての日本最北の電車でもある。

弘前駅に停車していたモハ3616。
弘南弘前3616.JPG

降りた駅は田舎舘だった。
特に、何か情報を得ていたわけではなく、ただ単に駅名に惹かれたというべきか・・
田舎舘の駅名標。
弘南田舎舘駅名標.JPG

発車するクハ3776。
弘南田舎舘3776.JPG

駅を出ると収穫期を迎えた田んぼが広がり、その向こうに岩木山が秀麗な姿を見せていた。
弘南田舎舘岩木山.JPG

そしてこの電車が見たくてここに来たようなもの・・・その電車が現れた。
クハ2026、元阪和電鉄モヨ100形の生き残りだ。
ここには松尾鉱山を経てやってきた電車で、もう1両の2025とともに存在していたはずだが、この当時、すでに1両は廃車され、前面が非貫通化されたこのクルマだけだったように思う。
弘南田舎舘2026.JPG

2026が秋の黄金色の田圃の中を淡々と進む。
弘南田舎舘2026b.JPG

腰の高い、阪和型の特徴がよく残っている。
弘南田舎舘2026C.JPG

真ん中に如何にも国電サハだったと思われる車両がつながっている。
サハ1700だろうか。
弘南田舎舘2026D.JPG

最後尾はモハ3607、実はこの写真の文字が判読しづらく、車号は資料などを探してこのクルマに違いなかろうというものだ。
岩木山が美しい姿を見せる。
ノーシルノーヘッダの全金属製車体に埋め込み式ヘッドライト、ドアの窓が大きな東急更新車だ。
弘南田舎舘3607.JPG

モハ3613を先頭に電車がやってきた。
全車が東急出自の列車だ。
弘南田舎舘3613b.JPG

岩木山と見事なハーモニー。
弘南田舎舘3613.JPG

電車と岩木山、黄金の田圃。
弘南田舎舘3613折り返し.JPG

後尾はクハ3672。
弘南田舎舘3672A[.JPG

岩木山とのハーモニー、まさに一服の絵だ。
弘南3672田舎舘B.JPG

クハ3781を先頭に電車がやってきた。
こちらも東急出自の編成だ。
弘南田舎舘3781C.JPG

電車がゆっくりと接近する。
弘南田舎舘3781B .JPG

クハ3781と岩木山のハーモニー、豊作の津軽米の田圃を舞台に。。
弘南田舎舘3781.JPG

時間がなく、大鰐線は中央弘前駅に立ち寄っただけだった。
弘南大鰐線.JPG
posted by こう@電車おやじ at 19:56| Comment(4) | 私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする