僕は高砂工場を年休で休ませてもらい、鷹取工場の数人と大阪駅9時15分の始発新快速姫路行きのホームにいた。
なおこの日のことは以前のこのブログに5年前に出しているが、今回はその当時のネガが出てきたことで、周辺の写真も含め紹介していきたいと思う。
以前のエントリーは以下だ。
http://kokutetu.seesaa.net/article/443745255.html
大阪駅ではテレビカメラも砲列をなし、マスメディアの高い関心がうかがえたが、当時の僕は人が多い場所を極端に避けていて、先頭車両のところへ行くことはなく、ただ、一般の乗客に交じって新しい「黄色の丸印」に並んでいたように思う。
乗車前の風景。
乗客の服装がきちんとしているのに改めて驚かされる。
窓から車内の転換クロス、そしてよく見ると灰皿の姿も。
快適かといわれればそうだろうし、でも正直、乗り心地は当時の新快速の中でも乗り心地の良かったクハ165と大差がないように思えた。
定刻で走り出した列車は当時の渋滞気味のダイヤにより、前方を甲子園口行き103系に抑えられ、大した速度が出ない。
やがて、甲子園を過ぎると列車は加速し、本来の100キロという速度が出るが、この時、ステンレスでできた荷棚が共振する。
153系では座席下のヒータカバーが共振していたが、あちらはシャンシャンという優しい音だったのに対し、前後に揺れる荷棚の揺れ方は見た目も音も大げさに思え・・
当時、国鉄内部の私鉄ファンという立場を貫いていて、阪急2800・6300、京阪3000を見ていた眼には「なんじゃこりゃ・・」だった。
だが、車体の大きな国鉄サイズゆえ、座席の幅もピッチも非常にゆったりしていて、それが木目調の妻面、すっきりまとめた天井とともに、国鉄精いっぱいの頑張りにも思えた。
姫路で下車するときの車内。
天井からは117系運行開始のポスターが。。
正面のサイド。
ピカピカの車体、国鉄らしいといえば国鉄らしいが、それでも国鉄ゆえの風格あふれる独特の正面形状。
すでに何度も試運転を見ていた僕には珍しいものではなくなっていたが、かっこいい!!と思わせるものが確かにあった。
連結面、近郊型電車には違いないが、自信たっぷりの妻面といえば言い過ぎだろうか。
寒い晴天、ピカピカの新車だ。
よく見ると写真の背景には播但線が。
157系を思わせる正面デザインだが三次曲線の窓ガラスの開発により、シャープで引き締まった印象となった。
塗装はいかにも関西らしい茶系の落ち着いたもの。
見る限り、かっこいい、男前の電車だ。
編成の中心、モハ117-1。
ホーム端に陣取った鉄道ファンの前を新しい時代のツートンカラーが滑る。
鉄道ファンのカメラの放列を浴びる。
横にはマニやキハの姿が。
列車が転線する。
当時の国鉄は折り返し駅ではほとんどきちんと転線していた。
見送る鉄道ファン、今から思えばささやかなものだ。
転線した列車が再度入線する。
こちらはモハ116-2。
クハ117-1、新幹線の高架、現場の詰め所。
DE1074が待機していた。
播但・姫新線にはまだ客車列車もあったころだ。
折り返しの新快速は京都行きだった。
当時の新快速はは30分ヘッドに姫路・京都間、60分ヘッドで西明石・草津間、さらに60分ヘッドで西明石・堅田間がダイヤの基本だった。
ただし、西明石は折り返し列車と、上り一本の区間新快速とでもいうのか、西明石で普通から新快速に変わる列車しか停車しなかった。ちなみに当時の基本的な停車駅を上げると、姫路、加古川、明石、神戸、三ノ宮、大阪、京都、大津、石山、草津、それに、西大津、叡山、堅田だった。
所要時間は京阪間29分、阪神間(三ノ宮基準)24分、最高速度はダイヤの設定上では東海道区間110キロ、山陽区間100キロだったと思う。
実際には頻繁に110キロ運転は行われていたが、電車線(内側線)走行という制約から、前を抑えられ、速度が出せない状況もあった。
しかしこのころの新快速は、僕にはちょうど良い速度で走り、必死で飛ばす阪急・阪神とは違った魅力があったのも確かだ。
(今は全く逆になってしまったが)
数人で語り合いながら乗車したが、今思えばもっと純粋に楽しめばよいのにと思うくらい、この電車の良いところ悪いところをまじめに論じあったものだ。
転換クロスは非常に快適で、いろいろ批判もしても結局、僕はこの電車を大好きになったことは間違いがない。
京都駅着。
横の103系は日中はここで休んでいた。
長手で見ると、103系が正面を突き合わせているのがわかる。
117系の堂々とした雰囲気はすでに京阪神間の王者の貫禄すらあった。
跨線橋から眺めた京都駅。
広大な留置線の向こうに奈良線キハ35が止まる。
まだ朱色一色塗になっていないキハ35は、軽快で美しかった。
手前にはEF58の姿も。
いよいよ117系も廃車が進行し、残るは京都、岡山、和歌山に少数だけとなってしまった。
国鉄電車の最高傑作といっても過言ではないこの系列を、心から愛する僕にはなかなか寂しいことだ。
最後は数年前の京都駅。
原色117系と京都駅ビル。
