僕には過去二回、休鉄の時代があって、もちろん心としては鉄道ファンであるのだけれど、仕事と生活に追われた時代ということだ。
最初は1992年ころから2000年頃までのニューオータニ大阪でのカメラマン時代とそのあとの独立時代、次が2003年から2006年にかけての二回目の独立時代だ。
その中間、任されていた店が軌道に乗り、従業員も増え、自分も何とか休みをとれるようになった時代、隙間を縫っては近場の鉄道を巡った。
四国と山陰、名古屋へ行ったくらいだったが、その頃の数少ない遠出、2002年の夏ごろだったと思う。
名鉄をめがけて旅をしたその時の記録だ。
なお、一部前回の記事と重複するが、あえて旅の様子を記すために同じ写真もアップすることお許し願いたい。
僕自身の10代の時の最初の名古屋行きと同じく、米原から岐阜、新鵜沼を経て名鉄を目指す。
実にこの時が最後の出会いとなった名鉄揖斐線の電車を。
773、急行黒野行き、新岐阜駅前。

同じ電車の後追い、かつての賑やかさは消え失せ、やがて廃線に至る衰えを感じざるを得なかった。
しかし、電車は美しく、まだ将来もあるかもと思えた。

こちら美濃町線、新岐阜駅の各務ヶ原線ホームの端っこ、田神経由の美濃町線ホームにたたずむ881。

どんな電車に乗ったか忘れてしまったが、新鵜沼へ。
特急パノラマスーパー停車中の様子。

パノラマスーパー、二編成並び。

犬山橋へ・・
懐かしい橋の上で当時最新鋭の1700系特急。

併用軌道を大型、最新鋭の特急専用車両が行く。

パノラマスーパー1000系、7000系がほとんど消えた名所に存在感を示す。

道路から専用軌道へのパノラマスーパー。

橋の中ほどで見る当時の最新車両、3500系、当時とてこの車両の登場にはSRの終わりが印象付けられ、悲しい思いをしたが、今見れば正面デザイン、側面デザイン、車体断面の名鉄らしいカーブやあるいは真っ赤な車体色にまだまだSRの香りが残る。

5700系、凋落する名鉄SRの救世主とはなれなかった。

6000系、今現在の名鉄なら、この電車が来てくれれば歓喜する僕でも、この当時はSRを追いやった嫌な奴でしかなかった。
だが、デザインはあくまでもSRそのもので、こうしてみれば美しい。

6000系の側面窓と行き先表示。
横引カーテンにSR7000の強い香りが…

犬山線から新名古屋を経て名古屋本線へ。
奇跡的にSR5500系に乗れた。
本笠寺での5500系。

こちら知立での5500系。

知立でのパノラマスーパー1000系。

会いたくて会いたくて、やっと会えたパノラマカーSR7000は普通電車に運用されていた。

去る電車を見つめる。
この時、僕にとって最後の出会いになる予感のようなものはあった。

5700系と3500系が並ぶ。
新しい時代、これはこれで受け入れざるを得ないし、この二車種はまたパノラマほどではないにしろ、名鉄らしさを感じられる系列だった。
けれどこの時代も長くは続かない。

7700系の急行。
白帯、本来は特急専用車が最後の活躍をする。

パノラマデラックス、8800系。
佳人薄命を地で行く、古き良き名鉄の最後の系列と僕には見えてしまう。

ここから三河線で刈谷へ出て、JR快速電車で岐阜へ、米原へと帰路に就く。
たぶん、刈谷だと思うがJR東海の117系快速電車。
いよいよJR東海が名鉄を急追するその前段階だったか。

岐阜駅で乗り換えの合間に485系「しらさぎ」

ホームを出る「しらさぎ」
681・683というきちんとした後継者を得た485系はパノラマ7000より、恵まれているといえば言いすぎか。

DD51890が貨物列車を牽いて停車中。

タキがずらりと並ぶ貨物列車、美濃赤坂行きか。

211系、JR化後に増備された系列、当時としては最新車両だった。

パノラマが消えても、岐阜の600V線区が消えても、それでも名鉄は僕ら関西の鉄道ファンを呼び続ける。
それはパノラマの残した足跡の偉大さゆえか、それとも僕らの心の中のパノラマが呼ぶのか。
塗り分けが変わってもあの郷愁を呼び起こさせるパノラマスーパーが、最新の特急車と並ぶ・・

今の名鉄のあの頃への想いを掻き立たせる6000系電車。
神宮前で。
posted by こう@電車おやじ at 07:54|
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名鉄の思い出
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