2017年08月24日

昭和57年、近鉄長谷寺

このブログでは近鉄は関西の鉄道で最も扱いが少ないのだけれど、若き日の僕が近鉄を避けていたわけではなく、むしろ、阪急・京阪あたりと同じような頻度で出かけている。
今回は昭和57年頃と思われる大阪線、長谷寺付近の写真だ。

当時主流の12200系「スナックカー」
このころでも登場からずいぶん年数がたっていたが、それでも国鉄特急のはるか上を行く上質な特急車だった。
近鉄長谷寺12200.jpg

こちら12410系「サニーカー」
名阪特急用を3連に増強するための車両。
この当時の最新車ではなかったか。
近鉄長谷寺12400.jpg

ビスタカーの後ろにつながれた12200系。
長谷寺駅を通過する。
近鉄長谷寺ん12200.JPG

田圃の中を行く12410系。
近鉄長谷寺12400・3連.jpg

ビスタⅢ、当時はニュービスタともいわれた。
近鉄長谷寺30000.jpg

中間部分。
いかにも近鉄らしい、ダブルデッカー。
近鉄長谷寺N30000中間.JPG

後追い。
近鉄長谷寺30000後追い.jpg

前パン、しかもダブルデッカー付き、今も昔も近鉄の電車はファン心をくすぐる。
近鉄長谷寺30000カラー.jpg

築堤上を駆ける準急電車。
3連の2400系か。
近鉄長谷寺2400系遠望.jpg

急行用2610系による宇治山田直通急行。
日本最初の電車による長距離高速運転はこの系統で始まった。
2600シリーズは固定クロス、113系より小ぶりなシートにひじ掛けもないなど、その徹底した設計思想に驚いたが、足回りや車体の作りはよく、当時としては乗り心地が良かった。
近鉄長谷寺2618.jpg

こちらも急行だがロングシート車、1480系(コメント欄でご指摘いただきました、ありがとうございます)
近鉄長谷寺2800?.jpg

2400系の準急。
近鉄長谷寺2543.jpg

こちらも2610系による急行。
当時の急行は今の快速急行より停車駅が少なく、とても速かったように記憶している。
近鉄長谷寺2717.jpg

2610系急行のアップ。
連続勾配を力強くモーターの音を響かせて上る。
近鉄ここにあり、と感じたものだ。
近鉄長谷寺2615.jpg

長谷寺近くの踏切を。
近鉄長谷寺踏切.jpg

posted by こう@電車おやじ at 21:16| Comment(4) | 関西私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月01日

2002年名古屋への旅

僕には過去二回、休鉄の時代があって、もちろん心としては鉄道ファンであるのだけれど、仕事と生活に追われた時代ということだ。
最初は1992年ころから2000年頃までのニューオータニ大阪でのカメラマン時代とそのあとの独立時代、次が2003年から2006年にかけての二回目の独立時代だ。
その中間、任されていた店が軌道に乗り、従業員も増え、自分も何とか休みをとれるようになった時代、隙間を縫っては近場の鉄道を巡った。
四国と山陰、名古屋へ行ったくらいだったが、その頃の数少ない遠出、2002年の夏ごろだったと思う。
名鉄をめがけて旅をしたその時の記録だ。
なお、一部前回の記事と重複するが、あえて旅の様子を記すために同じ写真もアップすることお許し願いたい。

僕自身の10代の時の最初の名古屋行きと同じく、米原から岐阜、新鵜沼を経て名鉄を目指す。
実にこの時が最後の出会いとなった名鉄揖斐線の電車を。
773、急行黒野行き、新岐阜駅前。
2002新岐阜773B.jpg

同じ電車の後追い、かつての賑やかさは消え失せ、やがて廃線に至る衰えを感じざるを得なかった。
しかし、電車は美しく、まだ将来もあるかもと思えた。
2002新岐阜773.jpg

こちら美濃町線、新岐阜駅の各務ヶ原線ホームの端っこ、田神経由の美濃町線ホームにたたずむ881。
2002新岐阜881.jpg

どんな電車に乗ったか忘れてしまったが、新鵜沼へ。
特急パノラマスーパー停車中の様子。
2002新鵜沼名鉄1000並び2.jpg

パノラマスーパー、二編成並び。
2002新鵜沼名鉄1000並び.jpg

犬山橋へ・・
懐かしい橋の上で当時最新鋭の1700系特急。
2002犬山名鉄1700B.jpg

併用軌道を大型、最新鋭の特急専用車両が行く。
2002犬山名鉄1700.jpg

パノラマスーパー1000系、7000系がほとんど消えた名所に存在感を示す。
2002犬山名鉄1000橋梁.jpg

道路から専用軌道へのパノラマスーパー。
2002犬山名鉄1000走行.jpg

橋の中ほどで見る当時の最新車両、3500系、当時とてこの車両の登場にはSRの終わりが印象付けられ、悲しい思いをしたが、今見れば正面デザイン、側面デザイン、車体断面の名鉄らしいカーブやあるいは真っ赤な車体色にまだまだSRの香りが残る。
名鉄3500犬山橋2002.jpg

5700系、凋落する名鉄SRの救世主とはなれなかった。
名鉄5700犬山橋2002.jpg

6000系、今現在の名鉄なら、この電車が来てくれれば歓喜する僕でも、この当時はSRを追いやった嫌な奴でしかなかった。
だが、デザインはあくまでもSRそのもので、こうしてみれば美しい。
名鉄6000犬山橋2002.jpg

6000系の側面窓と行き先表示。
横引カーテンにSR7000の強い香りが…
名鉄6000行先表示犬山橋2002.jpg

犬山線から新名古屋を経て名古屋本線へ。
奇跡的にSR5500系に乗れた。
本笠寺での5500系。
名鉄5500本笠寺2002.jpg

こちら知立での5500系。
名鉄5500高運知立2002.jpg

知立でのパノラマスーパー1000系。
名鉄1000知立2002.jpg

会いたくて会いたくて、やっと会えたパノラマカーSR7000は普通電車に運用されていた。
名鉄7040知立2002正面.jpg

去る電車を見つめる。
この時、僕にとって最後の出会いになる予感のようなものはあった。
名鉄7039知立2002.jpg

5700系と3500系が並ぶ。
新しい時代、これはこれで受け入れざるを得ないし、この二車種はまたパノラマほどではないにしろ、名鉄らしさを感じられる系列だった。
けれどこの時代も長くは続かない。
名鉄知立57007・3500・2002.jpg

7700系の急行。
白帯、本来は特急専用車が最後の活躍をする。
名鉄知立7700急行2002.jpg

パノラマデラックス、8800系。
佳人薄命を地で行く、古き良き名鉄の最後の系列と僕には見えてしまう。
名鉄8800知立2002.jpg

ここから三河線で刈谷へ出て、JR快速電車で岐阜へ、米原へと帰路に就く。
たぶん、刈谷だと思うがJR東海の117系快速電車。
いよいよJR東海が名鉄を急追するその前段階だったか。
117系東海刈谷2002.jpg

岐阜駅で乗り換えの合間に485系「しらさぎ」
JR485しらさぎ岐阜2002.jpg

ホームを出る「しらさぎ」
681・683というきちんとした後継者を得た485系はパノラマ7000より、恵まれているといえば言いすぎか。
JR485しらさぎ後追い岐阜2002.jpg

DD51890が貨物列車を牽いて停車中。
JRDD51890岐阜2002.jpg

タキがずらりと並ぶ貨物列車、美濃赤坂行きか。
JRタキ岐阜2002.jpg

211系、JR化後に増備された系列、当時としては最新車両だった。
JR211岐阜2002.jpg


パノラマが消えても、岐阜の600V線区が消えても、それでも名鉄は僕ら関西の鉄道ファンを呼び続ける。
それはパノラマの残した足跡の偉大さゆえか、それとも僕らの心の中のパノラマが呼ぶのか。
塗り分けが変わってもあの郷愁を呼び起こさせるパノラマスーパーが、最新の特急車と並ぶ・・
名鉄1000・2200神宮前.jpg

今の名鉄のあの頃への想いを掻き立たせる6000系電車。
神宮前で。
名鉄6000神宮前2017.jpg
posted by こう@電車おやじ at 07:54| Comment(2) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする