ただ、あまり多くを撮影しておらず、しかも、「サロンカーなにわ」の写真が中心となること、お許し願いたい。
当時最新鋭だったオハネ25、走行距離が長く、頻繁に工場に入場していた。
このクルマは宮原所属、当時の「日本海」「つるぎ」の車両だろう。
こちらは向日町所属だから、九州特急のものだ。
50系との連結なんて、国鉄現場の内部でしか見られない。
オハネ2538が工場建屋間を移動する。
左が入場建屋、右が旅客車主棟だ。
スハネフ14の寒冷地改造。
現車はすでに「きたぐに」でも運用されていたが、北海道へ転用とのこと。
折り戸から引き戸への改造が外観上最大のポイントだ。
出車建屋でのスハネフ14、当時、すでに長年の使用による疲れが見えるようになっていた。
完成し試運転に出る前のスハネフ14。
24系と20系の間に位置するのがカニ25、九州の小倉工場での改造だが、向日町へ転じてきたもの。
一度は全般検査をしたが、二度目の入場時は廃車解体だった。
連結面側から
(車掌室のある客車は車掌室と反対側が「前位」となる・・つまり国鉄部内ではこちらが前)
カラーで、お顔の部分。
屋根の部分。
スハフ12、横の建て看板、「Tク」は鉄工職場現場の略。
つまり、鉄工作業中。
20系客車のシンボル、ナハネフ2225。
全般検査前の入場で。
この車両はいまも西宮の山中に現存と聞く。
一度見てみたいものだ。
ナハネ20。
20系客車独特の幅広の貫通路、手動の折り戸。
ナハネフ23の外板修理の様子。
この車両ではワタシが担当して、鉄工職場のT君と組んで修理していた。
しかし、下降窓付近の腐食がひどく、思ったより大工事になってしまった。
サロンカーなにわ、その第一号の施工がオロ14706だった。
番号は「サロンエクスプレス東京」の続きになっている。
現車は品川からの転属らしい。
当時の余剰車を掻き集めての工事だった。
外観塗装が完成した。
全景。
車内の工事もほぼ出来上がりつつある状態。
表記も仕上がった。
別のオロ14も仕上がった。
こちらは展望車、スロフ14703の鋼体工事。
特徴的な展望室の形が出来上がりつつある。
室内での作業も始まった。
夏の季節だったのか、スポットクーラーを用いている。
窓の開かない特急車両など、スポットクーラーがなければ夏場の作業などできない。
妻部の工事、旧来の丸妻車掌室部分を切妻に改造、車端ダンパもつけられる。
完成した「サロンカーなにわ」
展望車の車掌室側。
まったく改造である事がわからない。
大宮で施工した「サロンエクスプレス東京」はこの部分が丸妻のままだった。
デザイン的にはあちらが洗練されていたが、工事の丁寧さ、乗客へ乗り心地の提供という点においては、高砂の気骨を示した格好だ。
威風堂々の展望車。
今になって思えば、この形であったからこそ、時代を超えて愛されているのではなかろうか。
オロ14706の完成した車内。
カーテンキセのない横引きカーテン、クーラーカバーは茶色に塗装され、荷物棚には濃い茶系のカバーがついた。
ステンドグラス部分。
反対側のプロジェクター、当時としては高価なナショナル製のものだ。
完成した展望車の入換作業。
どこかのんびりした、播磨の工場らしい雰囲気が漂う。
展望車、スロフ14703の車内。
ビュッフェのカウンター。
天井は白のクロス、シャンデリアなどの金属部分は金色、木製の開き戸、そして豪華なカウンター、当時の喫茶店文化をそのままここに移植したような雰囲気だ。
完成、報道発表の日の「サロンカーなにわ」
「我々の技術力を世間に知らしめ、工場の存続を図る」そのシンボルがこの車両だったわけだ。
家族にも公開された。
写真はワタシの妹たち。
最近、網干総合車両所で行われた工場公開での「サロンカーなにわ」車内。
鷹取における更新工事で、高砂の作り上げた喫茶店風のイメージから脱却し、鉄道車両らしくなった。

展望室の様子。
車内はかなり洗練されたものとなっていた。

わが地元を行く最近の「サロンカーなにわ」フル編成。
JR西日本、唯一のジョイフルトレインの生き残り、登場から35年になるがどうか末永く活躍してほしい。
