今回は気動車の残り、特急・急行気動車の写真だ。
まずは今、鉄道博物館で保存されているキハ81の写真から。
キハ81は、残り2両が名古屋・天王寺直通の「くろしお」で使われていた。
最後の2両は3と5だ。
今、鉄道博物館に居るキハ813から。
こちらはサイド、後ろのキハ58は全検、キハ81は廃車で入場したのに、なぜか、全検待機線に入れられていた。
で・・キハ815、このクルマは当時の僕に時間があったらしく、かなり撮影している。
後ろにマニを従えた入場の様子。
マニは全検だ。
車番部分、切り抜き数字はすでに外されているが、後を見ると確かにキハ815と読める。
運転台。
こうしてみると、傾斜させたパノラマミックウィンドウが如何にもかっこいい。
台車。
やはり特急形ゆえ、151系電車と同構造のエアサスだ。
右側面。
決して不細工などではない、特急形らしい格好良さと風格にあふれている。
テールライト部分。
造詣に苦心した当時のデザイナーや製作担当者の苦労がしのばれる。
前頭部の右サイド。
こうしてみると、151系電車にも負けない風格を持っていたのがわかる。
左サイド。
向こうに全検のスハ43が見える。
左全景。
何度も言うが決して悪くない造形デザイン、キハ81は登場当時の混乱をいまだに語る人があるが、関西で「くろしお」電化まで使われたことを見ると、安定した良い車両だったのだろう。
正面デザイン。
やはり当時としては151系よりはこちらのほうがずっと上に見えるデザインだったのではないだろうか。
全般検査入場のキシ80、若番のキシ805。
その車内。
全検前で荒れた感じはするが、カーテンが二種類設定されているのがわかる。
僕が「まつかぜ」で乗車したキシ80はカーテンは巻き上げ式だけになっていた。
キシ8034のジャッキアップの様子。
全検入場車は、入場時にエンジンを交換してしまう。
そのエンジン、別に整備されたエンジンが用意される。
妻部分。
車体断面が如何にも高速向けの特急車両だ。
入場するキハ80。
トラバーサの上に居る。
高砂には入場、出場と、建屋内にトラバーサがあった。
塗装作業中のキロ80、国鉄工場では先に濃い色を吹き付ける。
出車線のキハ806、初期型だが状態が良いのが残された(ことになっている)
出車線、キロ80。
新車と変わらないほどに磨き上げられた優等車両。
出車作業中のキハ82、国鉄特急列車の看板だったこの顔は、後輩のキハ181も含めれば日本列島を走り回った。
こちらは廃車のキハ82、キハ8245と読めるが、この車番は北海道にいたクルマのはずで、何故にここにいるのか、未だによく分からない。
永年と言っても、車齢わずかに20年ほど、彼らに比べれば今の車両は随分長寿ではある。
こちらはキハ28系列のキロ28、その更新工事の様子を・・・
下降窓の腐食が激しく、更新されることになったキロ28だが、オハネフ12などと同じく、下降窓の水抜き対策や、車体鋼体の材質に問題があった。
結局、腐食対策として更新されることになる。
キロ28、入場時の美しい外観、台車はキハ80系列から流用のエアサスになっている。
更新のための解体が済んだ様子。
最初は原形のまま、更新された。
だが、それでは問題の抜本的解決にならず、小さな二段窓に変更することになった。
その工事中の外観。
こちら、メーカーから送られてきたユニット窓のひずみを取っているところ。
窓を取り付けたところ。
車端部の様子。
車内から見た様子。
更新工事中の車内。
徹底的に内装も新品になる。
完成したキロ282190、当時は「きのくに」に使われていた。
こちら、キハ58ジャッキアップの様子。
キハ58339だ。
入場建屋のキハ28、なぜか、こういう当時のメジャー車両はあまり撮影していない。
このあと、高砂にはキハ181、キユニ改造、キハ40シリーズなども入ってきたが、それらを撮影した記憶はないし、ネガは見つかっていない。
だんだん、高砂工場の居心地が悪くなっていった頃だ。
最後にもう一度、キハ81の雄姿を。。
キハ81の最後の2両は解体前提で入場してきて、僕らも部品取りに入り、他の車両との共通の部品を外したものだ。
いつの間にか、キハ813が保存されることになり、けれど、本来は博物館での保存車両は元の受け持ち工場において整備する慣わしだったのに、現状のまま運搬され、業者によって復元がなされた。
それゆえか、京都で保存されている現車にはいくぶんかの誤りも見られるが、それはもう致し方のないことであろうか。