2017年03月27日

国鉄高砂工場、一般型気動車の記録

今回は高砂工場での気動車の写真を集めてみた。
ただ、写真の数が多いので今回は一般型、郵便・荷物用途のものとしたい。
なお、あくまでも仕事の休憩時間や終業後に、ぶらりと撮影したもので、決して系統だって撮影しているわけではない点、ご容赦いただきたい。
まずは10番台気動車から。

廃車解体待ちの車両キハ17110。
新高砂工場キハ17110.JPG

キハ17、番号不明。
朱色に塗られた車両も検査切れを待たずに解体。
新高砂工場キハ17朱.JPG

キユニ111これも解体待ち。
新高砂工場キユニ111.JPG

キハユニ151、岡山区のトップナンバーで、貫通型に改造されていた。
しかし、貫通化しても、まさか乗客を郵便室内に歩かせるわけにもいかず、どうやって貫通方式の利点を生かすつもりだったのだろう。
新高砂工場キハユニ151.JPG

その室内、10系気動車初期の、粗末な客室だ。
新高砂工場キハユニ151車内.JPG

キハユニ151、妻面。
新高砂工場キハユニ151妻.JPG

加古川線のアイドル的存在だったキハユニ153。
新高砂工場キハユニ153.JPG

キハ20、番号不明、工場の主棟でエンジンの積み替え中。
新高砂工場キハ20ジャッキアップ.JPG

鉄鋼職場の友人が彼自ら修理した箇所を指しているところ。
新高砂工場キハ20補修工事.JPG

キハ2085。
新高砂工場キハ2085.JPG

解体待ちのキハ20連結部。
標準色と朱色の連結。
新高砂工場キハ20連結部.JPG

キハ2031。
新高砂工場キハ2031.JPG

キハ2087。
僕は、国鉄が作った車両で一番の傑作を上げろといわれたら、迷うことなくこのキハ20を選ぶだろう。
新高砂工場キハ2087ほか.JPG

キハ26247、準急用だが、急行用とは運用でも一線を画していたので一般用の中で紹介する。
これは岡山区にいたクルマ、廃車解体待ちの様子。
新高砂工場キハ26247岡オカ.JPG

キハ26183、これも岡山のクルマ、伯備線電化による余剰車なのだろう。
新高砂工場キハ26183岡オカ.JPG

キハ26の廃車解体作業、その前段階、鋼体のみにする作業。
新高砂工場キハ26解体作業.JPG

その車内の様子。
天井以外のすべてが取り払われている。
壁面に白く映るのは、アスベストを吹き付けている様子。
だれも、アスベストを怖がらなかった国鉄の、今になって思えば能天気な作業。
新高砂工場キハ26解体車内.JPG

キユニ2612。
廃車解体待ち。
新高砂工場キハユニ2612.JPG

キユニ267、これも同上。
新高砂工場キユニ267.JPG

たぶん、キユニだと思うがその車内。
新高砂工場キユニ車内.JPG

キハ30系列。
通勤車両だが、閑散線区にも入り込み、不評を買っていたキハ30系列。
キハ35の主棟での作業。
新高砂工場キハ35主棟作業.JPG

検査入場待ちのキハ35。
入場トラバーサーの手前で待機している。
新高砂工場キハ35入場待機.JPG

新鋭、キハ371001、加古川線に投入されたが、試験投入の2両で終わった。
朝早くに見に行くと、霧に囲まれていた。
新高砂工場キハ371001斜め下から.JPG

少し時間を置いて撮影。
この気動車がスタンダードにならなかったのが悔やまれる。
すでにキハ40系列がいきわたり、電化も進展、キハ37の出番はなかった。
新高砂工場キハ371001.JPG
posted by こう@電車おやじ at 21:39| Comment(4) | 国鉄部内の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月18日

下津井電鉄、小さな主役モハ1001号

下津井電鉄の鉄道線が、児島から先っぽだけ細々と営業していた頃、時々、ドライブがてら見に行ったものだ。
僕は下津井電鉄の風情は大変好きで、前にも一度、本ブログでも取り上げているけれど、今回出す写真はあくまでも散歩的な訪問のものであり、個性溢れる各車両の写真などはごく一部しか出てこない。
主人公は、モハ1001号だ。

何度か訪れたものがごっちゃになっているが、まずはカラー写真から。
場所は鷲羽山・東下津井間だ。
線路端で気持ちのよい風を感じていたら、いきなり電車がやってきた。
それも後ろからだ。
下津井東下津井1001接近.JPG

この頃の1001号は落書きの半分を消して、車体の修繕がなされた後だったように思う。
下津井東下津井1001後追い.JPG

下津井の方向へ坂を下っていく。
下津井東下津井1001後追い2.JPG

ウオーン、軽いモーターの音がいつまでも耳に残る。
下津井東下津井1001後追い3.JPG

夏休みの前だろうか、まだ、こじんまりとしていた児島駅でモハ1001号は発車を待つ。
下津井児島1001停車.JPG

多分・・備前赤碕付近だと思う。
街中を電車が走ってきた。
下津井備前赤碕1001.JPG

歩道橋があったように思う。
その上からの撮影。
モハ1001号の後追い。
下津井備前赤碕1001後追い.JPG

鷲羽山の方向へ電車が去っていく。
下津井備前赤碕1001鷲羽山遠望.JPG

ちょうど学校帰りの女子中学生だろうか。
児島駅から沢山の女子中学生が電車に乗るところだ。
小学生の男の子も見える。
下津井児島1001乗車風景.JPG

電車が発車した。
この頃のモハ1001号は落書き電車となって内外が落書きで埋められていた。
下津井1001車内乗客.JPG

なお、この電車の空いている時の写真も・・・
下津井1001車内.JPG

鷲羽山で降りてみた。
女子中学生も何人か一緒に降りた。
下津井鷲羽山到着風景.JPG

電車が発車していく。
下津井鷲羽山発車.JPG

下車客が駅から出てしまった後、この駅は驚くほど広い作りだった。
かつて、下津井電鉄が観光にも本四連絡にも大活躍した頃、ここには観光客が殺到したのだろう。
下津井鷲羽山駅構内.JPG

駅の構内の様子。
立派な駅舎、しっかり作られたホーム。
下津井鷲羽山ホーム全景.JPG

駅を正面から。
鷲羽山に行くにはこの橋を渡る・・・つまり僕は駅に向かう格好で撮影している。
かつては駅の横に土産物屋などもあったに違いない。
下津井鷲羽山駅橋.JPG

この辺りの住宅地は駅から海岸のほうに下りたところにある。
駅を見上げるような形で。。
さっきの中学生たちも、毎朝、こうやって駅を見上げながら坂を登ってきたのだろう。
下津井鷲羽山駅下から.JPG

ちょっと歩いて電車と海が撮れる場所を探した。
瀬戸大橋が工事中だ。
あの橋が出来ると下津井電鉄も立派な観光鉄道に脱皮すると、小さな鉄道はそれを目指して頑張っていた。
電車がやってきた。
下津井鷲羽山1001橋1.JPG

接近する。
心なしかモハ1001号が生き生きしているように見える。
下津井鷲羽山1001橋2.JPG
後追い、モーターの音がたまらない。
下津井鷲羽山1001橋3.JPG

いつまでも余韻を残して電車は去っていく。
下津井鷲羽山1001橋4.JPG

そのままもう少し先へ歩いていく。
暑いが時折、海風が心地よい。

後ろから来た下津井行き・・・後追いだ。
下津井東下津井夏1001.JPG

東下津井の大カーブをゆっくり曲がっていく。
下津井東下津井1001夏2.JPG

遠くに海が見える。
下津井東下津井1001夏5.JPG

こういう形でも海と電車が撮れるとは・・
下津井の方向へ電車が去っていく。
下津井東下津井1001夏6.JPG

なぜか、線路脇に勾配票が立っているのではなく寝かされていた・・・
下津井東下津井勾配票.JPG

線路、762ミリ、軽便鉄道の小さな線路、如何にも軽便という感じ。。
下津井東下津井線路.JPG

今度は下津井からの折り返し。
下津井東下津井1001夏B1.JPG

モノクロでもくっきり写るほどに空が澄んでいた。
下津井東下津井1001夏B2.JPG

電車が児島の方向へ去っていく。
下津井東下津井1001夏B3.JPG

下津井構内で・・・
折角だからクハ24号にもちょっとだけ参加してもらおう。
下津井クハ24下津井.JPG

下津井の待合室からホームを見る。
クハ24・モハ103の編成が見える。
電車がかなり近代的なので、なんとも立派な駅の雰囲気だ。
下津井下津井駅待合室.JPG

工事中の瀬戸大橋。
あれが出来たら、この小さな鉄道も栄えるぞ・・・
僕もそう思っていた頃だ。
下津井鷲羽山大橋工事中.JPG

posted by こう@電車おやじ at 00:01| Comment(0) | 私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月05日

国鉄高砂工場、郵便・荷物車の記録。

前回に引き続き国鉄高砂工場内部での写真で、今回は郵便車・荷物車だ。
これまでにも公開した写真が多いが、すべて再スキャンした。
また旧ブログですでに国鉄高砂工場シリーズは完結していたが、改めて新ブログでも記憶をたどり、出てきたネガを加えてたのでご覧いただきたいと思う。
なお、画像によりサイズが異なる場合があるのは作業の事情による。
また、当時はまともに記録をとっておらず、あいまいな記憶しかなく、間違い等があればご指摘いただきたいと思う。

まず、オユ10から・・
高砂工場ではオユ10の完全冷房化を目指して冷房改造工事を施工していたが、途中で郵便輸送から撤退、すべての郵便車両が廃車と決まり、冷改直後のクルマも廃車となった。
最初はその車両たちの怨念が聞こえてきそうな廃車解体場の風景から。
新高砂工場オユ10ほか廃車群.JPG

オユ102579、冷房改造施工済みだ。
新高砂工場オユ102579冷改.JPG

オユ102578、こちらも冷房改造施工済み、オユ10の冷房改造は基本的にはスロ62などと同じく、屋根部分をすべて撤去して、新たに作成した屋根ユニットをはめ込むという大掛かりなものだった。
上記写真と合わせ、オユ10の両側面を見ていただければと思う。
新高砂工場オユ102578改.JPG

オユ102034、こちらは非冷房、原型の姿。
新高砂工場オユ102034.JPG

冷房改造された区分け室の様子。
天井照明は白熱灯で、冷房改造され、白いデコラ張りの天井に白熱灯が灯る不思議な雰囲気だった。
新高砂工場オユ10冷改区分室.JPG

スユ132038、郵袋輸送用のクルマでそのサイド。
新高砂工場スユ132038サイド.JPG

その全景。
新高砂工場スユ132038全景.JPG

スユ132029。
新高砂工場スユ132029.JPG

スユ132039。
これでスユ13も両側面の様子を。。
新高砂工場スユ132039.JPG

スユ13の車内。
区分け室がないのでシンプルだ。
新高砂工場スユ13車内.JPG

スユニ50、番号不明。
高砂担当には珍しい客車で、50系一員。
ただし、台車は旧車からの流用。
新高砂工場スユニ50.JPG

マニ・・・純粋に荷物車として新製されたクルマは少なく、大半が旅客車両からの改造車だ。
マニ362058、小さな窓はこのクルマが優等車であったことを物語るのか。
新高砂工場マニ362058サイド.JPG

マニ36の全般検査入場、そのための解体工事の様子。
新高砂工場マニ36全般検査解体.JPG

全般検査施工中の車内の様子。
荷物車と言えど、高砂では手抜きはあり得ない。
新高砂工場マニ36全般検査車内.JPG

マニ36304、オハ35系の戦後型優等車の面影が残る。
新高砂工場マニ36304キト.JPG

番号不明、マニ36の妻部。
新高砂工場マニ36妻.JPG

マニ60、こちらは鋼体化客車を基としたシリーズだ。
明らかにオハ60からの改造と分かるマニ60140。
新高砂工場マニ60140.JPG

マニ602218、全般検査のための解体施工。
新高砂工場マニ602218全般検査解体.JPG

マニ602416、当初からマニとして製造(鋼体化)されたクルマ。
窓割が美しい。
新高砂工場マニ602416.JPG

マニ602377が全般検査のための解体を終えてキハ80と手をつないで入場待ちの様子。
新高砂工場マニ602377・キハ80.JPG

マニ612203、こちらも当初よりマニとして製造・・隣に廃車のキハ36が並ぶ。
新高砂工場マニ612203.JPG

そのマニ612203、カラー写真。
これほどに美しい荷物車両が他にあろうか。
新高砂工場マニ612203カラー_001.JPG

例外・・ワキ8000、貨車の部類だが荷物車と一緒に運用されるものは、部内では客車の範疇に入っていた。
したがって全般検査も旅客車職場施工。
新高砂工場ワキ8000.JPG

解体場に並んだマニ37ほか、荷物車両群・・
新高砂工場マニ37ほか廃車群.JPG

国鉄の郵便。の持つ輸送からの撤退は工場には知らされず、いきなり実施された感がある。
工場はそれを知らず、丁寧に全般検査を施工し、オユに至っては冷房改造も施工していた。
いや、スユ16やマニ50などという、まっさらの新車すら存在していた。
国鉄改革の迷走による被害者が彼ら、オユ、スユ、マニ一党だと言えるのではないだろうか。
posted by こう@電車おやじ at 22:05| Comment(2) | 国鉄部内の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする